ブータン 山の教室のレビュー・感想・評価
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心の琴線に触れました!
ほぼBGMなどない淡々とした描写の中で、グングン心に入ってくる。
息を呑むような雄大な自然の中で
電気も水道もトイレットペーパーもない
質素で厳しい生活をしつつも、
なんて幸せそうな、ブータン標高4,800㍍の秘境、人口56人のルナナ村の人たち。
子供たちのキラキラした瞳。
村人たちの穏やかで、寛大で、信心深い、優しいこころ。
ヤクとの強い絆。
中盤あたりから不思議とやたら涙腺にくるんですよ。
赴任教師として都会からやってきた主人公がとても素直な性格に変わっていくように、自分もなんだか浄化されていく感じ。
山の神に捧げる歌を私も歌いたい。
ブータンに行ってみたい。
誰しもが知っている物語。
田舎や離島に期間限定で都会から先生が赴任して来る。ちょっと訳ありの先生と子供達の成長物語。世界中で手を替え品を替え数多に作られてきたテーマ。その原点に立ち返ったような映画でした。
ブータンの僻地ルナナ。標高4800m人口わずか56人。電気も水道も電波もない。近代社会から切り離されたこの村に首都ティンプーから若い先生がやって来る。黒板も紙もない山の教室。1+1から始まった授業も気が付けば8の段のかけ算に。しかし村には間もなく厳しい冬が到来する。今、村を去らなければ雪に覆われ身動きが取れなくなってしまう。
裏切りもどんでん返しもない。その結末さえ誰しもが昔から知っている物語。それなのに序盤から涙が止まらなかった。
実際ルナナで撮影が行われ現地の村人がそのまま出演も果たしています。映画もインターネットも知らない。村から出たこともない子供達のキラキラした瞳。初々しさがスクリーンに見事に反映されています。そして同時に加速する近代化、外国に移り住む若者といった幸せの国ブータンの現状の一端を知ることにもなります。
壮大な景色が圧巻。山や峠に住むと信じられている神や精霊に祈りを捧げ、ヤクの歌を口ずさみながら自然と共に生きるルナナの人々と子供達。本当に優しくて素敵な映画でした。
もっと魅たかった、もっと欲しかった
無い物ねだりになってしまうが、もっと欲しかった〜。朝と夕方の山見たかった!主人公が最後にルナナに帰ったワンカットあったらな〜、追想シーン的な。ペムザムちゃんめんこかつた。純朴絵に描いたようだった。
村長のヤクが帰ってきたと、見送る歌。深い!
グーグルて見たらルナナもあったし、ガサもあつた。必見です!
『癒される』映画
この言い方は嫌いなのだけど、ルナナ村とその村人たちの暮らしぶり、そこへの道中の風景にただただ『癒される』映画。
特になにも事件が起こるわけではない。
ただ、比較的現代化された首都ティンプーのいまどきの若者が、ルナナ村で人間として大事なものはなにかについてなんとなく気がついたような感じになるが、それでも自らの思いを果たす。
それを是とするのか、ルナナ村の暮らしを是とするのか、それは観客に委ねられているが、ラストシーンが雄弁に語ってしまうのはやむを得ないのかな…
ずっと流していたい環境映像のような映画…
輝く瞳は未来を映す
いい映画だなぁ。
ひじょうに好感の持てる、いい作品です。
西洋文化やIT社会に毒された我々にいちばん足りないものが、この映画の中にあるように思います。
これからの時代、ますますこの映画の描こうとしているものが大切になってくるでしょう。
キャストは、映画未経験のほぼ素人と、素人(実際の村人たち)で構成されているとのこと。
にもかかわらず、これだけ質の高い作品が撮れるとは、まったく驚きです。
学級リーダーのペム・ザムのかわいらしさ、けなげさに1度目のノックダウンを奪われ、セデュの魅力に2度目のノックダウンを奪われました。
村長もかっこいいし。
登場人物たち、それぞれの「歌」が心にしみます。
コントラストの効いた、光と影の美しい映像もいうことなし。
宣伝ポスターに写ったペム・ザムの利発そうで愛らしい表情と、その瞳の輝きにひかれて観にいったのだけれど、鑑賞して正解でした。
気がついたらマスクの下で微笑んでいる自分がいた。
そして、彼女の輝く瞳は希望にあふれる未来を映しているのだ、とわかりました。
今年上半期に鑑賞した中でベスト3に入る秀作です。
もう一度、観たいなぁ。
追記
マイナーな作品だし、それほど観客も入っていないだろうと思っていたのですが、意外にも(失礼!)連日盛況のようです。
僕が鑑賞したときも、たくさんのお客さん(中高年中心)が訪れていました。
こういう、地味だけど、誠実さの感じられる作品が注目されるのは、とても喜ばしいことだと思います。
この監督の次回作にも期待したいものです。
追記の追記
ずいぶん前に、テレビの深夜放送で『ザ・カップ~夢のアンテナ~』という映画を観たのですが、それがとても魅力的な作品だった(ふだん僕は劇場以外では映画は観ないのですが、たまたま点けたら面白くて観つづけてしまったのです)。
で、その映画を撮った監督の教え子にあたるのが、本作『ブータン 山の教室』の監督、パオ・チョニン・ドルジ氏であると知りました。
つながってるんだなぁ。
『ザ・カップ〜』、劇場で観たい。
観てよかった、心が洗われる。
ブータンの人々の生活や習慣を目にする機会がそんなに多くない我々にとって本作はブータンの人々の生活を知ることのできる貴重な作品である。その生活といったら、資本主義経済である日本で生まれ育った我々にとっては到底考えられないような質素で簡素な暮らしぶりだ。
なのに、なぜだろう、その生活や人々の存在が美しく尊い。この地球にこんな神々しい世界が存在するんだと。本作を見れば見るほどにひたすら消費し続ける私たちはなんて愚かな存在なんだろうと思わずにはいられない。
また“先生は子どもたちの未来に触れることができる”というセリフからも教育のあり方、教育者とは何ぞやという課題も問いかけている。
“幸せ”とは何だろうかーー。
紙一枚さえも貴重、勉強できることが幸せだと感じる人や場所がある一方で、資本主義国に住む私たちは生まれた時から多くのものを与えられ欲しがり、もっと、もっと、といった欲や煩悩に囲まれて生きている。その対象は人や物、多くの経験をすることにも向けられている。だけどもっと、もっと、とその底なしの欲望は延々に満たされることはないのかもしれない。
多くのものを知らないからこその幸せ、与えられた物や場所で精一杯生き抜くことも一つの幸せ、いや真の幸せではないだろうかと気付かされる。ため息の出るような美しい山々と生命あふれるヤクや愛くるしい子どもたちの笑顔に心洗われる貴重な作品だ。
本当の自分を探しに…
自分探しの旅は、必ずしも自分が望んで始めるとは限らない…
最初の15分ほどは苦痛だった。久しぶりに寝てしまうかと思ったくらい…
主人公、ウゲンがガザ県・ルナナの村に着いてから、急に涙が込み上げてきた「僕はこんな暮らしがしたかったのだ」と…
主人公・ウゲンの進む先が何処にあるのかは分からないが、少なくとも彼は、ルナナの村に自分のアイデンティティーを見つけることが出来たのではないかと思う。
トレッキング、という言葉の意味を知るために、この映画を観るのも良いかもしれない。丸一日バスに揺られて着いた村から一週間、起伏の激しい山道をひたすら進み、時には身を斬る様な冷たい川を渡渉り、空気の薄い峠を越える…
素晴らしい大自然を楽しむ余裕などそこには一欠片も無く、峠の神に祈りを捧げるどころか悪態を吐きたくなる。
それでも僕は、ルナナへ行きたくなった。ペム・ザムに逢いに行くために…
「教わる」ことの尊さ✨
すでに知っている、アルファベットや簡単な足し算を、先生から、大切そうに、嬉しそうに教わる子どもたち。
がらんとした室内が、やっと教室らしくなったと思ったら、厳しい冬が来る前に、先生は町へ帰ってしまう。
これまで何人の先生を迎え、見送ってきたのだろう、と思うと、切なくなりました。
先生には、ずっと村に残ってもらいたいけれど、別れがあることに抗わず、先生がいてくれる期間をとても大切にし、敬意を払っている子どもたちや村の人たちの清廉さが素晴らしかったです。
単に学びたいのではなく、「教わる」ことを大切にしていると感じました。
「一期一会」や、「あるがままを受け入れる」といった禅の心に通じるものや、万物に感謝する生き方をルナナの人たちから感じました。
日本では、「覆水盆に返らず」なのに、ルナナでは、「こぼれてもミルクはミルク」というのも素敵です。
今度、ブータン料理を食べに行こうと思います😃
シンプルな暮らし
筋書きは、あらかじめ思った通りにほぼ進み、淡々としすぎて眠くなりそうな時もありましたが、自然の美しさ、村人たちの心の美しさに圧倒されました。
村長も村人も考えを決して押し付けないように、この映画も見る人に幸せな国ブータンの良いところばかりを押し付けません。でも、最後は幸せの質の違いを見せつけられ、何の涙か分からない、心の深いところからなぜか涙が流れました。
夢から醒めたその後は・・
1 教職の意欲を失い、春から冬までの期間、懲罰的に僻地の学校に派遣された若い教師の姿と現地の人々との交流を描いた人間ドラマ。
2 主人公が派遣されたのは、麓まで徒歩で数日を要する富士山よりも高地の村。通信はおろかライフラインさえない環境、学校には黒板やまともな教材もない。着いたその日のうちに「無理です。帰ります。」と言う彼。それでも踏みとどまったのは、子供たちの学びたいというまっすぐな気持ちやヘタレの新任教師にも敬意を払う村人の姿。日々を過ごすうちに、教育者として成長していく。と同時に人としても心が整っていく。娯楽のない現地で主人公の心を捉えたものが地元の民謡。澄み渡る景色の中で浪々と歌われる。この歌が後々彼の人生を左右することになる。
3 監督は、のっけから主人公の置かれた立場をざっくりと示したあと現地への行程をテンポ良く描く。現地の場面では、雄大な風景と悠然たる民謡、そして子供たちの自然な動きが心地よい。季節の移り変わりの描写にメリハリが無かったのは残念。終局に向かっては、さらりと流しながら場面転換し、エンドロールにする演出はお見事。主人公とともに心が空を行く。
4 俳優では、次第に成長していく主人公を演じた男優が好演。村長は、おそらく地元の人だと思われるが、気骨と信念のある役どころで印象を残す。歌い手の娘は田舎暮らしであっても土臭くはなく魅力的だった。クラス委員の子の笑顔とその眼差しは人を引き付ける力がある。
学べる場所はどこにでも転がっていた
ブータン 山の教室
車で到着なわけなく案の定そこから長い道のりを案内人に連れられ歩く、教師を辞めるつもりの男
画面からも分かる急勾配の道
映画のタイトルの、その場所まで辿りつくまでが長いのは結構重要な時間に思えた
最近近所でよく聞く嫌いな鳥のぎゃーぎゃーした鳴き声とは違う山鳥の声で血液がさらさらになるような感覚になった
思ったよりつぼにはまって周りに気付かれないくらいに笑って観ていた
見慣れない顔立ちの国の人達なのにみんなの表情がすきだった
教室をきれいにする先生はすきです
先生を育てるのは
この映画の前に観たのが「SNS少女達の20日間」。
エログロGGI共に反吐吐きたくなってしまったので、心の浄化の為に観ようと思ったのがこの映画。
ほんというと、もっとベタなお涙頂戴的な感動モノを期待していました。
でもブータンでだって首都に住む若い子はやっぱり今時のチャラ男になるんだね。
僻地ってのがさすがブータン!日本じゃ考えられないようなど僻地!歩いてテントで寝泊まりして何日もかかるとか考えられる?
でも確かに心が洗われるような景色。映画館の中の空気まで綺麗になったような気がしました。
そして何より学級委員長の瞳と笑顔。やられました。
ウゲンみたいなやる気のないチャラ男を村人総出で出迎えて、村長も子供達も皆常に敬意を払って接してくれる。
ウゲン成長したね。敬意と自然がウゲンを育てたの。
昔は日本でも「先生の言うことはちゃんと守りなさい。」って親達も言ってたみたいだけど、今は「ろくな教員じゃない」とか言って、親も先生を信じてないし子供の前もってでもバカにしたりする。
そりゃあひどい教員のひどい行いがニュースを賑わせてるけど、若い先生は子供と親が敬意を持って接してたらそれに応えようとしてくれるんじゃないかなぁ。
賛否あるだろうけど、ラストはウゲンが村でまた子供達を教えてるってシーンを見たかったなぁ。
先生は未来に触れることが出来る
過酷だけど、美しい大自然。
勉学に飢えている、目の澄んだ生徒たち。
生徒の話した「先生は未来に触れることが出来る」という言葉が印象的だった。
本当の幸せは何か、豊かさとは何かを真剣に考えさせられる名作。
全国の小学生にこの映画を学校単位で見せるべき。
全国の高校生には「アルプススタンドのはしの方」を見せる。
ペムザム
自然は圧倒的な迫力。
行くだけであんなに掛かる秘境に人が住んでる事がまず驚き。
歌を捧げてる、っていうのはとても良い台詞。デジタル文化とは隔絶された世界で、人間本来の娯楽はやはり歌と踊りなんだと認識させられる。
そして主人公の心境の変化が自然。あれだけ純真で可憐な生徒や、若い女性が居たら心変わりするのも当然だと思う。
ペムザム役の子は映画の宣伝写真にも大々的に登場するけど、ほぼ役柄通りにの実際の生活を送るというバックグラウンドだった。ほんとに初登場のシーンは神々しいくらいの眩しさで、あの子のためなら来年も、、ってなってもおかしくない気がする。しかしブータンの自然はほんとに素敵だった。
幸せとは
田舎の学校の先生と生徒の日々を描いた映画を想像していましたが、私にとっては想像をはるかに超えた心を揺さぶられた映画でした。僻地と言っても想像を超えた標高4800m村人56人の学校。そこから始まる生徒、村人との交流を通して心の底に問いかけられている教育の必要性。エンディングの余韻。もう一回見たい映画ですね。
【ブータン、世界、学校、先生、算数、世界】
これは世界一幸福度が高いと言われるブータンの山奥の更に山奥の村の学校のお話だ。
だが、首都ティンプーの多くの若者は、自分達の国を退屈だと思い、片道切符で外国を目指している者もいることに結構驚いた。
とどのつまり、インターネットは世界を狭くしたが、実は多様性を貧富など単純な尺度で矮小化させて、実は多様性を阻害することもあるのではないのかと思ったりする。
僕は、ウゲンは、再びペムザムに会うことになるのではないかと思った。
そういえば、算数は英語でやっているのを見て、日本も同様にした方が良いんじゃないかと思ったりもした。
数式は、グローバルな共通言語みたいなものだ。
だから、インターナショナルな言語の英語で勉強すると、英語の実践的な学習にも繋がるような気がするのだ。
インターネットで安易に世界と繋がるより、地道でも、算数を通して世界と繋がる方が、健全な気がするのは、僕だけだろうか。
日本の教師にとっては、生徒の受験が最大のテーマのひとつだと思うが、村長が言うように、先生は未来に触れることが出来る…というか、子供達が未来に触れる触媒のようであって欲しいと思う。
頑張れ、日本の先生!
美しい景色にため息
自然の恵みを享受して生きていくこと。
都会での生活では忘れがちな あらゆること、ものに対する感謝の気持ちを思い出させてくれた。ルナナ村の子供たちの瞳は本当にキラキラ輝いていた!
歌は、人が生きていく営みの中で自然に生まれてくるものだな。セデュ、村長、ウゲン、みんなの歌声に涙。
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