ブータン 山の教室のレビュー・感想・評価
全98件中、21~40件目を表示
こんな生活もあるんだなぁ。
2021年公開の映画だ。
思わずそれを確認してしまった。
ブータンの山の奥の奥、標高4700メートルの村には、ほとんど文明がなかった。勉強するための紙も鉛筆もない。トイレットペーパーもない。
けれど、人々はヤクと共に日々の生活を大切に生きている。それがいいとか悪いではなくて、人は何を求めて生きるのかを考えさせられる作品だった。
教師としていやいややってきた男は初日に帰るという。
ミュージシャンを夢見る若者は、とはいえ、現地の子達の熱い視線に動かされて次第に教師として一生懸命になっていった。目つきも態度も変わっていく。
足し算を教え始めていたのに、山を降りる冬にはハンドメイドの黒板には掛け算が書かれていた。
子供達の学びへの欲求は素晴らしい。
そしてみんな夢を持っている。
こんなキラキラした目の子供達の夢を叶えてあげたいなぁとは思ってしまった。
主人公の男が、夢を求めてオーストラリアに渡り、そこで本当に求めるべきは何か、気づいたような気がした。
アカデミー賞はドライブ・マイ・カーではなく、この作品が獲るべきだった
第94回アカデミー賞国際長編映画賞にブータン代表としてノミネートされたが、
なぜ受賞できなかったのか理解に苦しむ。
ブータンは『世界一幸福度が高い国』と言われるが、
日本人はその意味を誤解してるようだ。
ブータンの人にとっての幸せの概念は、もともと仏教的な考えに基づいていて、
満足する、受け入れるということであり、物質的なものではないのだそうだ。
しかし一方で他の国に追いつこうと躍起になり、もっとモダンになりたい、
都会化したいと願っているのも事実であり、葛藤があるそうです。
主人公はそんな現代のブータン人の象徴として描かれている。
この作品を観て本当の幸せとは何なのか、
よりもアカデミー賞とは何なのかを問いたい。
今年(2022)観た映画の中で最も心に響いた映画
トップガン/マーベリックと比べても仕方ないですが今年観た映画の中でより「心に響いた」という意味ではブータン山の教室です。図書館や学校推薦の、道徳用教育向け映画っぽくて観るのを躊躇していました。実際エンタテイメント映画ではなくドキュメンタリー的であり人間の生や生き様にフォーカスされている映画ですが、偏見に気を取られていた自分には予想外であり驚きでした。山の子供達や人々を観ただけで強く引き込まれました(偏見にハマりやすい :) )。このタイプの映画を観るのは本当に久しぶりだったし、Netflix ばかり観ていた自分には新鮮で、今自分が観るべき映画に出会えてよかったという思いでいっぱいです。
前世はヤク!
こんなに牧歌的な村がまだこの地球上に残っていることに心が震えました。とてもシンプルな物語ですが、テンポよく編集されていて、ひとつひとつの台詞にも全く無駄がなく、心の奥底にずしんと届きました。例えば、主人公ウゲン(シェラップ・ドルジ)に村長が言う短い台詞「あなたの前世はヤクです」にウゲンも私も驚いたのですが(笑)、そこには輪廻転生の宗教観や子供たちにとって神のように大切な存在という想いが込められていると知って、じわじわ感動しました。「先生は未来に触れることができる。だから、敬いなさい」と子供たちに教えている大人たち、そして子供たちが本当に愛おしく感じました。標高4,800mというとんでもない山奥だからこその自然の雄大さや美しさも見所ですが、光の具合がよいのか、とても温もりが感じられるシーンばかりでした。ウゲンの表情がどんどん変化していく様も見所でしたし、昔は残っていた雪が最近は溶けているという地球温暖化の話もあったり、単なる絵空事ではないところもよかったです。映画をみて、久しぶりにピュアな気持ちになれました!
一言「思っていたのと、ちょっと違うけど」
舞台のルナナ村は、町から山を登って4日以上かかるという「世界一のへき地」。
人口60人弱、生徒は10人ほど。
「教職を辞めて、オーストラリアに行きたい」主人公に白羽の矢が立つ。
ルナナ村まで到達するのに、2時間の尺の中で30分位取っているのが。
大変なところにきたなあ感万歳。
村長さん曰く「学問があれば、(子供達に)別の道もあるんです」。
学ぶことで、将来の選択肢を増やすことができるもの。
主人公が村人や子供たちと、日々過ごす中でどう変わっていくか。
結末を勝手に予測したけど、そうするか〜とうなづきました。
かつて「世界で一番幸せな国」と言われたブータン。
その「幸せな」ってどこを指すのだろう?。
心と心のコミュニケーションの絆も、あてはまるかも知れないね。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「この国は世界で一番幸せな国と言われます。
なのに幸せを求めて、外国に行くんですね」
やる気ゼロの教師が山奥の村に派遣されて子どもたちと触れ合う。 首都...
やる気ゼロの教師が山奥の村に派遣されて子どもたちと触れ合う。
首都のチンプーから8日かかるという。
同じ国なのになぜ8日?と思ってしまったのは日本人的感覚か。
バスで1日、残り7日は険しい山道を歩くというとてつもない僻地だ。
村人が総出で2時間も歩いて出迎えてくれた時は涙が出た。
また、子どもたちの純粋な瞳にまた感動。
教師もやる気を出していくが、結末は残念だった。
私はてっきり村に残ると思ったし、少なくとも春になったらまた村に戻ると踏んでいた。
しかし、本当にオーストラリアで売れないミュージシャンに成り下がってしまうとは。
がっかり。
赴任するのに8日間の旅
ブータンで教師をしている青年はやる気がなく、オーストラリに行って歌手になりたかった。
当局は、残り一年契約があったので、山奥の小さな村の小学校に赴任させる。
8日間かけて到着、村民総出の歓迎を受ける。
到着早々、帰りたいと申し出る青年だったが、女の子がやってくる。
美しい自然に囲まれ、幸せってなんだろう、と思ってしまう。
ゆったりした時間軸。
ブータンを舞台にした映画は、初めて観たが、ゆったりした時間軸で進んで行くと感じた。
山の景色が美しい。
子どもたちの純粋な目が美しい。
教員役の心情の変化も分かりやすい。
そして、故郷への想いを強くしてくれる音楽。
教育の尊さについて、学べる良い映画だ。
村長の静かにゆっくり話すところだ好きだった。
「旅人とマジシャン(2003年製作の映画)Travellers and Magicians 」というブータンの映画を見たことある。 友達がブータン旅行から戻り、『がっかりした。あちこち観光化され、まるでアメリカをみているようだ。ブータンまで行くのは大変だったのに!』と言ってきた。 (私は海抜が上がると、頭痛と鼻血に悩まされる。海抜1,320mですでに体調が崩れていくので、ブータンには行けない。)友達
は秘境、そして、『世界一幸福度が高い国』と日本で言われるのをまともに信じていたようで、この旅
でブータンに対するイメージが全く変わったようである。『世界一幸福度が高い国』とか『美しい日本』とかいう言葉を聞くと、人はその二面性を考えられなくなるようだ。
がっかり話を聞いた後、ブータンの「旅人とマジシャン」の映画を観てみた。 主人公はアメリカかぶれの若い役人なんだけど、友達の言うように、アメリカを見ている国(憧れている)だと言う意味がなんとなくわかった気がした。
この映画でも、『世界一、幸せな国と言われているけど、若者は国を去って海外に』と 村長Ashaが主人公ウゲン(Sherab Dorji )にいうシーンはいいねえ。どこの国でも人材流出は大きい問題だね。そういう国は流入がすくないだろうからね。私はここのジーンが本当に好きだ。特に、村長が冬が到来するから山を降りて、また春になったら帰ってこいというが、ウゲンはブータンを離れると伝える。この大切な会話を静かにゆっくり運ばせるシーンにより、私(たち)により感動を与える。人格者村長の会話の流れが、気に入った。堂々と、人前でスピーチをするスタイルではなくても、我々を感動させる話ができるというところに。
この映画はウクライナ(NATO)とロシアの停戦協定が噛み合わない状態で、私の心の中にストレスが溜まってきた。それに、ウイルスミスの平手打ちの件が『スケープゴード』になっているという話もよく聞く。個人的なストレスをなんとか打開して、仕事のことも考えなければ自分もダメになってくる。何か心の温まる映画でも見たいと思い見始めた。
みなさんのレビューは読ませてもらった。99%は同意し、人間同士だから、思うことはユニバーサルで、心のつながりや自然の恩恵などが大切だから、感動するんだなあと思った。私が改めて感想をかく必要はないようなほど、みなさんのレビューに感激した。とても良かった。
この映画設定なんだが、制作者に感謝する。ブータンという国内の地理的位置な理解をさせてくれている。この映画の方がわかりやすいし、外国人に親切に、首都の人口。標高など地理的なものを字幕で教えてくれる。これは助かる。ガサ(Gasa 人口448、海抜2860m)ルナナ(人口56、海抜4900m)なんて聞いたこともなかったし、私の知識は乏しい。
監督は違うがこの二つの映画に『自分を発見する』『自分探し』という共通点がある。それは単に外国に出ることではなく、自分の幸せ、自分の居場所を見つけることだ。自分の幸せも、自分がどこにいるか、どういう経験をするか、どんな人と交流するかでも変わってくる。
The teacher touches the future,『先生は子どもたちの未来に触れることができる』これが日本語訳???
でも、それにしても、首都ティンプー で使われるゾンカ語のなかの英語の割合は結構ある。例えば、respectable job(respected jobs?), attitude problemなど、主人公のお婆さんやルナナの村民の間ではいっさい英語が入っていない。 ルナナの小学校では前の先生が教えたという英語『good morning, teacher, Thank you, sir) やウゲンの物語り、数学をなぜ英語を使って教えるのかとも思ったが、この国の国王の学歴を読むと、高校は米国のアンドーバーだし、大学も米国のウィートンで、最終学歴はオックスフォードらしい。村民は国王に対する尊敬の気持ちが強いらしいし、国策で観光業に力を入れているのかもしれない。
いくつか面白い文化に気づいた。箇条書きにする。
1)子供は笑う時、口を隠す。
2)びんろうの実(Betel Nut)は体を温める。これは危険だと思ってた。
3)スプーンを使わず、指や手で食べる。 文化がインド風。
4)木の茶碗で食べることは特別なこと。
5)飲み物を飲む前に、ちょっと手で外に撒く。この意味は?自分の恵を自然にも与える?
2本立て2本目。ブータン映画、初めてかも。 教師でありながら態度悪...
2本立て2本目。ブータン映画、初めてかも。
教師でありながら態度悪男の主人公が僻地に赴任、人間として再生する話。
ただそれだけなのだが、今私たちが失ったもの、忘れたものに気づかさせてくれます。学級委員のキラキラ瞳を見ているだけで癒されます。教師の原点ですよね。
ブータンって世界一幸せな国でしたね。幸せってなんなんだろう、考えさせられます。
ここからネタバレかも注意!
主人公は帰るのをやめる、もしくは帰ってから再び戻る、そう思ってました。エンディング、越えてきました。いいのか、悪いのか、判断できかねます。
ずっと観たかった映画
本日、地方の映画祭での上映でやっと観られました。電気も届かないような僻地での子供達が学ぶことに目を輝かせている様子は、やる気がなかった若者教師の姿勢も変えさせます。ブータンの自然や伝統的な歌声は胸に刺さります。一方、都市の生活や海外生活の憧れは今のブータンの若者を一部ではあるかもしれないですが、象徴していると思います。最後はまたルナナに戻るのかオーストラリアに行くのか思案しているところで終わるのかなとも思いましたが、答えを出していました。彼の人生がその後どうなったのかは分かりませんが。教育はルナナを飛び出して戻らない要素も多分に含んでもいるのだろうなとも思いながら観ていました。とはいえ、このような先生、生徒が共有した時間や経験はきっと彼らの中にずっと残るもので、そういったものはわたし達の中にもあると気付かされました。観て良かったです。
ウゲンの自信過剰な顔が…
調子に乗ってるな~ってイラッとする(笑)
しかし行くのに8日かかる…ブータンの広さ、地図を確認せざるを得ない(笑)
そして利便性だけでは人間性は高まらないのがよく分かる。ヘタな歌を他人に聞かせて悦に入っているようなウゲンに呆れるシーンが前半は多い。
ただ、当初こそ帰ろうとするウゲンが最初の授業(自己紹介)から、次第に村のしきたりに慣れていく様は面白い。
あれだけ聴きまくってたスマホが埃を被った頃、
彼は別人になったと思ったが、彼がオーストラリアへ行ったラストを見て思った。
なんでヘタな歌聞かせに行くん?(笑)
半分ドキュメント。どんなラストシーンになってもよい作品。
都会で教員免許を取り、生活も不満なく過ごしているものの、教員自体には向いてないと辞めたがっていた。そのウゲンにブータンでも僻地のルナナへの赴任を命ぜられて、しぶしぶ行く。
何日もかかるため、行く途中も不満ばかり行って、地元民が行う儀式にも時間の無駄と参加しようとしない。
でも、いざ赴任すると最上級の待遇で、教育をうけさせることに期待を寄せている村人からせんぼうの眼差しで見られる。その中授業を始めると、途中で投げ出すことはおろか、子どもたちを見捨てることができないと、少ない教材で授業をはじめ、子どもたちとの友情も芽生える。
最後は冬前にティンプーに帰る約束を延ばして教員を続けるのかなーと思っていたが、期限でちゃんと帰るんだ、と個人的に残念だった。でも、オーストラリアで歌を歌う際、ポップスではなく、ルナナで教えてもらったヤクを飼うときの歌を歌うシーンで終わる。
都会に染まっただけでオーストラリアに行くのと、ルナナを経験してオーストラリアに行くのでは、心持ちどころか、目的も変わってくるだろう。その青年の心の動きがどんどん変わっていくのがこの作品の中心となる。
その心の動きを支えてくれるのがティンプーでの友人恋人、ルナナの村人、村長、祖母、生徒、そしてルナナの雄大な景色と大自然。
スッキリとはいかない結末にもかかわらず、ほっこりさせてもらえる作品。何が人生に大切なものかを考えさせてもらえる。
西欧的幸せと東洋的幸せの
在り方をゆっくりした流れで対比し見せてくれた映画だと思う🎞国を運用するにあたってのKPI設定がこんなにも幸せに違いを及ぼすなんて。と都度都度思いを至らせた次第である。そういう意味で、印象的なシーンはオーストリアのバーでの店主の野次かなぁw
映画デビューの初々しさ
なんとも気持ちの良い作品だったのでついついうとうとしてしまい3度ほど寝てしまいました
見ているつもりがいつの間にか目をつぶっていてそれでも夢の中で続きを見ていたのです
はたと気がつくと見知らぬシーン
巻き戻すと明らかに違う展開になっている
とても面白い経験が出来ました、夢の中でのストーリーもとても魅力的で映像もしっかりと残ってますから見るたびにお話が変わる不思議な映画を見ているようで楽しかったな〜
広大な山脈とあの大きな谷は巨大な氷河が流れていた跡でしょうかね
どんな過酷な環境にも人は住んでいる、そこに住む人は辛さを神との繋がりと考えて春の訪れの喜びを味わうのだ
私はたまに自然が恋しくなり山などに登りますがそこで生活をしている方々はそれが日常
どちらが幸せとかって答えられない
一人一人に答えがあり今すぐではなく時が経ってから分かることもある
くらべるのではなく感じる事が大切なのかと思います
演技とは思えぬ村人たち!
香川真司似の主役の人は役者だと判るが村人たち、特に子供たちのセリフ、立ち振る舞いが自然でとても演技には見えず、見ていると劇映画だということを忘れてしまうドキュメンタリー感もあります。
規模は小さいながらも良質な作品に出会えて幸福感…
私の幸せ考
鑑賞後、劇場で見逃した事を後悔したほど好きな作品でした。
珍しいブータン映画ということですが“世界一幸せな国”と呼ばれる国に相応しい“人間にとっての幸せとは?”がテーマの作品でもありましたが、鑑賞中は美し過ぎる風景(と人々)に見惚れていて、テーマについてはぼんやりとしか意識していなったかも知れません。そこで、私の思う“幸せ”について考えてみました。
それと、鑑賞中に昔観た『失われた地平線』というミュージカル作品を思い出しいて(内容はイギリス人探検隊がチベットの秘境にある理想郷シャングリラを求め旅する話)、本作を観ながら彼等の探していたシヤングリラは、きっとこの場所のことなんだという気がしてなりませんでした。
基本的に“人間にとっての幸せとは”は現代人にとって永遠のテーマであり難問だと思っていたのですが、本作を観て“幸せ”の定義をこれだけ分かりやすく納得させられると、実はその答えは非常にシンプルで単純明快なのかも知れないという気にさせて貰いました。
しかし、本作の主人公は冒頭この国に自分の“幸せ”があると思えなかった様子で、この国の人々にも他国と同様の問題が実はあるのでしょうね。
映画から脱線しますが、最近ユーチューブで日本大好き外国人の日本を賛美する動画をよく見かけ、そういう大げさ過ぎる褒め言葉を聞きながら「日本(人)の実態を全然分かっていないな」と自嘲気味に思ってしまうのですが、そういうのを聞いて決して嫌な気分にならないのも事実であり、ひょっとしたら自分の方が正常に日本(人)を見れていないのかも知れないと思える部分も多々あり、そういうユーチューブを見るのが嫌いではない自分を発見して驚いたりしています。
でも、その日本好きの外国人ユーチューバ達も“幸せの青い鳥”の様に、自国に対しては結局私と同じ見誤りをしているのかも知れません。
そして本作の主人公は最後は希望通りオーストラリアに行き、そこで青い鳥を見つけられたのかどうかは、結局は彼の考え方や成長次第という事になるのでしょうが、若い彼に比べて自分自身を振り返ると、私は全く成長しない人間なんだよなぁ~(苦笑)
でもこれは私だけではなく“不満”“後悔”“苦悩”“失敗”等々のネガティブな言葉と“幸せ”という状態の言葉を必要以上に結び付けたがるのが、大半の人間の性(さが)の様な気がします。
自分の人生を冷静に見つめ直し考えると、仕事も結婚も地位も名誉も功績も自分自身何も得られず成し遂げずに来た人生なのに、それが“不幸”な人生であったのか?と問われると、全く不幸だとは思っていない。むしろ好き勝手な人生を送り、今現在もギリギリ生活は出来ているし、適度に働き、適度に好きな趣味に耽り、健康状態も歳相応ではあるがまだ大病を患うこともなく、平穏に日々を過ごしている。人生に満足などしてはいないが、今のこの状態を“幸せ”と呼ばずなんと呼ぶのだと、客観的に見ればそういう事なのでしょうね。
結局は本作の物語がそうであったように「我を知り足るを知り」「与える事の中に真の喜びがあり」「欲深き者に真の幸せは訪れない」ということなのでしょう。
全98件中、21~40件目を表示