ブータン 山の教室のレビュー・感想・評価
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ブータンの子どもの可愛らしさに胸打たれる
ブータンの首都で教師をしている、今どき風の主人公の若者。 義務期間5年間のうち、4年間勤めてたが、やりがいもない様子、辞めようとしていたところへの、僻地への異動が決まる。
ブータン僻地での教師生活、素朴で可愛らしい純真無垢な子どもたちとの関わり、現地に暮らす人々とのささやかな交流。とても充実しているように見えた。
でも主人公はとてもある意味素直だと感じた。シンプルに都会への憧れ、海外への憧れ。
憧れの地で歌ったのは、ブータンの僻地で住民に教えてもらったブータンのヤクの歌。
主人公がステージで味わった心の葛藤は、グローバルなダイナミックに動く社会の中で、私たちの心が刺激されること、刺激させられていること、憧れを抱くもの、抱かされていることの分別が難しいことを改めて伝えてくれたし、また効率という無機質で、ときに絶対と思われがちな物差しから、積極的に切り離して、
守りたいもの、大切にしたい価値を、意図しないと守れなくなっていることを教えてくれる、価値のある葛藤であった。
夢に向かって頑張る若者に見てほしい
目の前の物事に無気力だけどずっと向こうの世界に夢を見ているありがちな青年像の主人公が国の政策でいやいや田舎の村に行かされて変わっていくという話。夢見がちな視聴者に夢と社会のニーズを天秤にかけてどちらを取るか問いかける意義ある作品だと思う。
ブータンの秘境の暮らしというのは見たことが無かったので新鮮な気持ちでドキュメンタリー的にも映像を楽しんだ。彼がルナナ村からの帰り道、行きでは断った旅の安全を祈る伝統的な祈りを捧げているのを見て、人々の地域に根づいた祈りの気持ちというものは、その土地を愛しているかどうかにかかっているのを学んだ。
最後はどっちに解釈するか。彼のその後は分からないのでなんとも言えないが、表現されている限りにおいて、ある一面では彼は青い鳥を探してたけど取り逃してしまったといえると思う。取り逃したのはルナナ村における自分の『ヤク』としての生き方だった、という事ができると思う。
当たり前が普通でない環境。
こんな生活もあるんだなぁ。
2021年公開の映画だ。
思わずそれを確認してしまった。
ブータンの山の奥の奥、標高4700メートルの村には、ほとんど文明がなかった。勉強するための紙も鉛筆もない。トイレットペーパーもない。
けれど、人々はヤクと共に日々の生活を大切に生きている。それがいいとか悪いではなくて、人は何を求めて生きるのかを考えさせられる作品だった。
教師としていやいややってきた男は初日に帰るという。
ミュージシャンを夢見る若者は、とはいえ、現地の子達の熱い視線に動かされて次第に教師として一生懸命になっていった。目つきも態度も変わっていく。
足し算を教え始めていたのに、山を降りる冬にはハンドメイドの黒板には掛け算が書かれていた。
子供達の学びへの欲求は素晴らしい。
そしてみんな夢を持っている。
こんなキラキラした目の子供達の夢を叶えてあげたいなぁとは思ってしまった。
主人公の男が、夢を求めてオーストラリアに渡り、そこで本当に求めるべきは何か、気づいたような気がした。
アカデミー賞はドライブ・マイ・カーではなく、この作品が獲るべきだった
第94回アカデミー賞国際長編映画賞にブータン代表としてノミネートされたが、
なぜ受賞できなかったのか理解に苦しむ。
ブータンは『世界一幸福度が高い国』と言われるが、
日本人はその意味を誤解してるようだ。
ブータンの人にとっての幸せの概念は、もともと仏教的な考えに基づいていて、
満足する、受け入れるということであり、物質的なものではないのだそうだ。
しかし一方で他の国に追いつこうと躍起になり、もっとモダンになりたい、
都会化したいと願っているのも事実であり、葛藤があるそうです。
主人公はそんな現代のブータン人の象徴として描かれている。
この作品を観て本当の幸せとは何なのか、
よりもアカデミー賞とは何なのかを問いたい。
今年(2022)観た映画の中で最も心に響いた映画
前世はヤク!
こんなに牧歌的な村がまだこの地球上に残っていることに心が震えました。とてもシンプルな物語ですが、テンポよく編集されていて、ひとつひとつの台詞にも全く無駄がなく、心の奥底にずしんと届きました。例えば、主人公ウゲン(シェラップ・ドルジ)に村長が言う短い台詞「あなたの前世はヤクです」にウゲンも私も驚いたのですが(笑)、そこには輪廻転生の宗教観や子供たちにとって神のように大切な存在という想いが込められていると知って、じわじわ感動しました。「先生は未来に触れることができる。だから、敬いなさい」と子供たちに教えている大人たち、そして子供たちが本当に愛おしく感じました。標高4,800mというとんでもない山奥だからこその自然の雄大さや美しさも見所ですが、光の具合がよいのか、とても温もりが感じられるシーンばかりでした。ウゲンの表情がどんどん変化していく様も見所でしたし、昔は残っていた雪が最近は溶けているという地球温暖化の話もあったり、単なる絵空事ではないところもよかったです。映画をみて、久しぶりにピュアな気持ちになれました!
一言「思っていたのと、ちょっと違うけど」
舞台のルナナ村は、町から山を登って4日以上かかるという「世界一のへき地」。
人口60人弱、生徒は10人ほど。
「教職を辞めて、オーストラリアに行きたい」主人公に白羽の矢が立つ。
ルナナ村まで到達するのに、2時間の尺の中で30分位取っているのが。
大変なところにきたなあ感万歳。
村長さん曰く「学問があれば、(子供達に)別の道もあるんです」。
学ぶことで、将来の選択肢を増やすことができるもの。
主人公が村人や子供たちと、日々過ごす中でどう変わっていくか。
結末を勝手に予測したけど、そうするか〜とうなづきました。
かつて「世界で一番幸せな国」と言われたブータン。
その「幸せな」ってどこを指すのだろう?。
心と心のコミュニケーションの絆も、あてはまるかも知れないね。
⭐️今日のマーカーワード⭐️
「この国は世界で一番幸せな国と言われます。
なのに幸せを求めて、外国に行くんですね」
やる気ゼロの教師が山奥の村に派遣されて子どもたちと触れ合う。 首都...
赴任するのに8日間の旅
ブータンで教師をしている青年はやる気がなく、オーストラリに行って歌手になりたかった。
当局は、残り一年契約があったので、山奥の小さな村の小学校に赴任させる。
8日間かけて到着、村民総出の歓迎を受ける。
到着早々、帰りたいと申し出る青年だったが、女の子がやってくる。
美しい自然に囲まれ、幸せってなんだろう、と思ってしまう。
ゆったりした時間軸。
村長の静かにゆっくり話すところだ好きだった。
「旅人とマジシャン(2003年製作の映画)Travellers and Magicians 」というブータンの映画を見たことある。 友達がブータン旅行から戻り、『がっかりした。あちこち観光化され、まるでアメリカをみているようだ。ブータンまで行くのは大変だったのに!』と言ってきた。 (私は海抜が上がると、頭痛と鼻血に悩まされる。海抜1,320mですでに体調が崩れていくので、ブータンには行けない。)友達
は秘境、そして、『世界一幸福度が高い国』と日本で言われるのをまともに信じていたようで、この旅
でブータンに対するイメージが全く変わったようである。『世界一幸福度が高い国』とか『美しい日本』とかいう言葉を聞くと、人はその二面性を考えられなくなるようだ。
がっかり話を聞いた後、ブータンの「旅人とマジシャン」の映画を観てみた。 主人公はアメリカかぶれの若い役人なんだけど、友達の言うように、アメリカを見ている国(憧れている)だと言う意味がなんとなくわかった気がした。
この映画でも、『世界一、幸せな国と言われているけど、若者は国を去って海外に』と 村長Ashaが主人公ウゲン(Sherab Dorji )にいうシーンはいいねえ。どこの国でも人材流出は大きい問題だね。そういう国は流入がすくないだろうからね。私はここのジーンが本当に好きだ。特に、村長が冬が到来するから山を降りて、また春になったら帰ってこいというが、ウゲンはブータンを離れると伝える。この大切な会話を静かにゆっくり運ばせるシーンにより、私(たち)により感動を与える。人格者村長の会話の流れが、気に入った。堂々と、人前でスピーチをするスタイルではなくても、我々を感動させる話ができるというところに。
この映画はウクライナ(NATO)とロシアの停戦協定が噛み合わない状態で、私の心の中にストレスが溜まってきた。それに、ウイルスミスの平手打ちの件が『スケープゴード』になっているという話もよく聞く。個人的なストレスをなんとか打開して、仕事のことも考えなければ自分もダメになってくる。何か心の温まる映画でも見たいと思い見始めた。
みなさんのレビューは読ませてもらった。99%は同意し、人間同士だから、思うことはユニバーサルで、心のつながりや自然の恩恵などが大切だから、感動するんだなあと思った。私が改めて感想をかく必要はないようなほど、みなさんのレビューに感激した。とても良かった。
この映画設定なんだが、制作者に感謝する。ブータンという国内の地理的位置な理解をさせてくれている。この映画の方がわかりやすいし、外国人に親切に、首都の人口。標高など地理的なものを字幕で教えてくれる。これは助かる。ガサ(Gasa 人口448、海抜2860m)ルナナ(人口56、海抜4900m)なんて聞いたこともなかったし、私の知識は乏しい。
監督は違うがこの二つの映画に『自分を発見する』『自分探し』という共通点がある。それは単に外国に出ることではなく、自分の幸せ、自分の居場所を見つけることだ。自分の幸せも、自分がどこにいるか、どういう経験をするか、どんな人と交流するかでも変わってくる。
The teacher touches the future,『先生は子どもたちの未来に触れることができる』これが日本語訳???
でも、それにしても、首都ティンプー で使われるゾンカ語のなかの英語の割合は結構ある。例えば、respectable job(respected jobs?), attitude problemなど、主人公のお婆さんやルナナの村民の間ではいっさい英語が入っていない。 ルナナの小学校では前の先生が教えたという英語『good morning, teacher, Thank you, sir) やウゲンの物語り、数学をなぜ英語を使って教えるのかとも思ったが、この国の国王の学歴を読むと、高校は米国のアンドーバーだし、大学も米国のウィートンで、最終学歴はオックスフォードらしい。村民は国王に対する尊敬の気持ちが強いらしいし、国策で観光業に力を入れているのかもしれない。
いくつか面白い文化に気づいた。箇条書きにする。
1)子供は笑う時、口を隠す。
2)びんろうの実(Betel Nut)は体を温める。これは危険だと思ってた。
3)スプーンを使わず、指や手で食べる。 文化がインド風。
4)木の茶碗で食べることは特別なこと。
5)飲み物を飲む前に、ちょっと手で外に撒く。この意味は?自分の恵を自然にも与える?
2本立て2本目。ブータン映画、初めてかも。 教師でありながら態度悪...
ずっと観たかった映画
本日、地方の映画祭での上映でやっと観られました。電気も届かないような僻地での子供達が学ぶことに目を輝かせている様子は、やる気がなかった若者教師の姿勢も変えさせます。ブータンの自然や伝統的な歌声は胸に刺さります。一方、都市の生活や海外生活の憧れは今のブータンの若者を一部ではあるかもしれないですが、象徴していると思います。最後はまたルナナに戻るのかオーストラリアに行くのか思案しているところで終わるのかなとも思いましたが、答えを出していました。彼の人生がその後どうなったのかは分かりませんが。教育はルナナを飛び出して戻らない要素も多分に含んでもいるのだろうなとも思いながら観ていました。とはいえ、このような先生、生徒が共有した時間や経験はきっと彼らの中にずっと残るもので、そういったものはわたし達の中にもあると気付かされました。観て良かったです。
ウゲンの自信過剰な顔が…
調子に乗ってるな~ってイラッとする(笑)
しかし行くのに8日かかる…ブータンの広さ、地図を確認せざるを得ない(笑)
そして利便性だけでは人間性は高まらないのがよく分かる。ヘタな歌を他人に聞かせて悦に入っているようなウゲンに呆れるシーンが前半は多い。
ただ、当初こそ帰ろうとするウゲンが最初の授業(自己紹介)から、次第に村のしきたりに慣れていく様は面白い。
あれだけ聴きまくってたスマホが埃を被った頃、
彼は別人になったと思ったが、彼がオーストラリアへ行ったラストを見て思った。
なんでヘタな歌聞かせに行くん?(笑)
半分ドキュメント。どんなラストシーンになってもよい作品。
都会で教員免許を取り、生活も不満なく過ごしているものの、教員自体には向いてないと辞めたがっていた。そのウゲンにブータンでも僻地のルナナへの赴任を命ぜられて、しぶしぶ行く。
何日もかかるため、行く途中も不満ばかり行って、地元民が行う儀式にも時間の無駄と参加しようとしない。
でも、いざ赴任すると最上級の待遇で、教育をうけさせることに期待を寄せている村人からせんぼうの眼差しで見られる。その中授業を始めると、途中で投げ出すことはおろか、子どもたちを見捨てることができないと、少ない教材で授業をはじめ、子どもたちとの友情も芽生える。
最後は冬前にティンプーに帰る約束を延ばして教員を続けるのかなーと思っていたが、期限でちゃんと帰るんだ、と個人的に残念だった。でも、オーストラリアで歌を歌う際、ポップスではなく、ルナナで教えてもらったヤクを飼うときの歌を歌うシーンで終わる。
都会に染まっただけでオーストラリアに行くのと、ルナナを経験してオーストラリアに行くのでは、心持ちどころか、目的も変わってくるだろう。その青年の心の動きがどんどん変わっていくのがこの作品の中心となる。
その心の動きを支えてくれるのがティンプーでの友人恋人、ルナナの村人、村長、祖母、生徒、そしてルナナの雄大な景色と大自然。
スッキリとはいかない結末にもかかわらず、ほっこりさせてもらえる作品。何が人生に大切なものかを考えさせてもらえる。
全102件中、21~40件目を表示