劇場公開日 2021年1月29日

  • 予告編を見る

「超現実主義ではなく幻想写実主義」フリーダ・カーロに魅せられて Imperatorさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0超現実主義ではなく幻想写実主義

2021年2月8日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

アンドレ・ブルトン「あなたは、シュルレアリストですよ。ぴったりと定義にあてはまるからです」
フリーダ「どんな定義にも当てはまりたくはありません」
(ローダ・ジャミ著「フリーダ・カーロ」 河出書房新社)

ポリオや事故による、苦痛に満ちた人生。度重なる流産。
トロツキーやイサム・ノグチをはじめとする著名人との交流と、奔放な異性・同性関係。
意図的に“メキシコ流ファッション”を誇示する民族主義者にして、共産主義者。
唯一無二の強烈なキャラクターと画業は、20世紀の終わり頃から、日本でも注目されてきたという。

ただ自分にとって、この映画を観る興味は、フリーダの人間性や年譜ではなく、その絵画手法、および、シュルレアリスムとの関係を、どう語ってくれるかというところにあった。
その他の部分は、関連書籍に載っているからである。

フリーダの絵は、小さい作品が多いものの、とても丁寧に描かれているという。
彼女のキャラクターを思えば、やや意外だ。現に、人生最後の10年に書いた自分のための「日記」の絵は、荒々しいものらしい。
この作品は、“父親の影響”を指摘する。フリーダが尊敬する父親は、自らも水彩画を得意とし、フリーダに絵画の手ほどきをしたという。
そして、タブローにおける緻密な画風は、父親の仕事である写真の修復を手伝ったことで身につけたというのだ。確かに、個人の独創的なタッチが許されない世界だ。

また、フリーダの絵の内容は、本人が否定するように、必ずしもシュルレアリスムではない。
“無意識”でもないし、“夢”でもない。
自分の肉体とその痛みや、リベラに裏切られる心の苦しみを、絵で表現して客体化する。膣から流れる血を描いたのはフリーダが最初らしいが、空想ではなく自らの体験である。
また、レンブラントやゴッホなみの“自画像画家”でもある。
しかし、絵の外貌や形式は、パッと見では、まさにシュルレアリストのそれであろう。
そこでこの映画は、「幻想写実主義」という言葉を発明する(笑)。変な形容だが、フリーダの絵を前にすると、妙にしっくりくる言葉である。
シュルレアリスムはフリーダに、絵の内容ではなく、表現の“道具”を提供したのだ。

この映画は、フリーダの絵画とその人生を網羅し、整理して語っていると思う。
フリーダの作風が、メキシコ土着の「奉献画」(ex voto)から強い影響を受けたことも、強調されている。
また、はじめは“偉大な夫リベラ”をサポートする控えめな妻であったが、NYの個展で絵が売れ、ピカソをはじめとする著名な画家からも称賛されて、次第に自信を付けて、“画家”として生計を立てるまでに至った経緯が、分かりやすく描かれている。

自分としては、知識の整理になって、とても勉強になった。

Imperator