「アイダはそれでもどこへも行けない」アイダよ、何処へ? カールⅢ世さんの映画レビュー(感想・評価)
アイダはそれでもどこへも行けない
旧ユーゴスラビアのセルビア・ヘルツェゴビナの独立に際して、内紛・内戦の終わり頃に起きたスレブレニツァの虐殺(ジェノサイド)を国連保護軍(オランダ軍)の通訳をしていたアイダという高校の先生だった女性を事実に忠実に描くことに女性監督が心血を注いだ映画。
スレブレニツァはボシュニャク人居住地であったが、勢力を拡大したセルビア人のスルプスカ共和国軍に包囲され、孤立してしまった。スレブレニツァは国連が安全地帯としたものの、その実態は200人のオランダ軍兵士と200人程度の軽装の現地の兵士で、映像でも若い女性兵士もいた。物資や食料の調達経路を絶たれ孤立していた。国連保護軍は全く機能していなかった。スルプスカ共和国軍(セルビア勢力)のリーダーは大統領のラドヴァン・カラジッチ。詩人でかつ精神科医とWikiにある。映画の冒頭、危機感を強くしているボシュニャク代表が国連保護軍の大佐に早急な打開を求める話し会いの場面では通訳をするアイダは少しでも有利な情報を得ようと神経を尖らせている様子。大佐は自分には作戦の決定権がなく、セルビア勢力への空爆による反撃を待つしかない単なる伝令であることを卑下してか、「私はピアニストだ」と言うありさま。ほんとに情けない。
セルビア人はついにスレブレニツァの市街地を占領し、大勢のボシュニャク人は安全地帯の国連施設に逃げてくるが、施設には4000から5000人がすし詰め状態で、柵の外にはその何倍もの大勢の老若男女が立ち往生。水も食べ物もない、トイレもない。破水し、施設で出産する女性。医師、看護師はわずかにいるが、傷病人の手当てもままならず。タバコばっかり吸ってるし、アイダの前で平然とイチャつく。アイダも呆れて、笑うしかない。
高校の校長の夫や二人の息子を助けるために国連職員のIDを発行してもらって、職員リストに載せ、撤退するであろうオランダ国連軍とともに家族を安全に避難させようとなりふり構わず奮闘するアイダ。険しい表情や強引な態度に凄まじい肝っ玉を感じた。それだけ、男は殺されるという確信が彼女にはあったということ。繰り返される報復合戦。我々日本人にはパレスチナ以上に複雑で、分かりにくい旧ユーゴスラビア。
掘り返された人骨と服が安置された体育館。夫や息子の遺骨を探して歩き回る女たち。息子の遺骨を見つけ、へたれこみ嗚咽するアイダ。かつての家には違う家族(セルビア人?)が住んでいた。残していった家族写真などをとっておいてくれていた。小学生の男の子を見るアイダの表情。たった一人になっても生きて行かねばならないアイダ。学校の教師は息子をことあるごとに思い出して、さぞやつらいだろうに。
精神科医で詩人の極悪非道の男、ラドヴァン・カラジッチ。究極のサイコパスか。終身刑が決まったばかりで、当然まだ生きている。潜伏先のセルビアのレオグラードで精神科医、心理士として暮らしていた。理解の範囲をはるかに越える複雑な旧ユーゴスラビア。このジェノサイドはたかだか25年前。