『I am waiting for you.』(なぜここだけが英語なんかなあ?)と誰かが(死んだ母親)ゼーニャ(アレック・ウトゴフ)の宿舎のドアの下にメッセージを残した。ここから私はこの映画の意味がはっきり理解できた。ゼーニャは救世主のような存在で、スーパーヒーロー。どの家庭に催眠術・マッサージ師として訪れても、ようこそと出迎えられるだけでなく、待っていましたというばかりの応対だ。マジックが使えるばかりでなく、マッサージをする彼の指は人の心も癒すことができる救い主的存在だった。その彼は多くを語らず、FCシャフタール・ドネツクのファンだと子供に伝え、ウクライナのプリピャチから来たと顧客に言っていた。顧客はチェルノブイリ原子力発電所事故によって住民が避難し、無人となっているのを知っているから、あまり多くを問い詰めない。でも、明らかに、1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所事故で母親を亡くしたと感じさせる設定になっている。なぜかというとゼーニャがゲート・コミュニティーに入り込んで、施術をして回っているとき、守衛に呼び止められて、酒を飲むシーンがある。ここで初めて彼は本音を出して、『自分の道は雪の下で見ることができない』と言っている。この場合の雪は 放射性ダスト,放射性ちり の例えである。36年過ぎても、まだ故郷には戻れない。そして、『外国の土地にいることは簡単じゃない』と守衛にいっている。ヴィザがあっても外国で暮らすことは大変じゃないのに、彼の場合は不法侵入だからもっと容易ではないだろう。ポーランドの人々を癒せても彼の心は外国土地を彷徨っているのだ。原発事故の無惨な様をここで監督は捉えていると思う。
そして、前に戻り、かんのつよい彼は、『I am waiting for you』のメッセージの送り主を追いかける。 核爆発の後で地上に降ってくる放射性の細かな粒子は空気の中を泳いでいると。彼は子供の頃、この状態を母親に、『雪のようだ』と。母親は『ゼーニャは冬が一番好きだったね』と。そして、『雪のマジックが静かに降ってくる。二つ同じの結晶は2度と見つからない。』雪は毛布のように大地を覆い、 ゼーニャは雪はパワーがあると信じているようだ。また母親は『ゼーニャはスーパーヒーローだった。何かを欲せれば、そのようになる』と。それからはゼーニャはもっとパワーを増してスーパーヒーローになっていく。母の姿が窓の外にあるかと思ったら、犬だった。それを思わず抱きしめるゼーニャ。『I am waiting for you』から、ここまでのシーンの母の言葉は私の心に安らぎを与えた。いいシーンだ。