「三色鬼」ニューオーダー かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
三色鬼
ミシェル・フランコの作風がどんどんミハイル・ハネケに似てきている、そう感じているのは私だけでしょうか。一見、貧富格差が原因で起きた暴動を描いたディストピアムービーのような体裁をしていますが、本作には目に見えない別の伏流水が流れています。しかもそのヒントとなるキーの開示が極めて不親切でハネケっぽいのです。あの傑作スリラー『隠された記憶』のように、気づけない者を嘲笑う監督の意地悪い顔が目に浮かびそうなのです。
メキシコのとある市長宅で、娘マリアンの結婚を盛大に祝うパーティーが開かれていた。そこにヒョコヒョコと現れた屋敷に昔雇われていた使用人。かみさんの手術代の無心にやってきた男を哀れんだマリアはなんとか力になってあげようと元使用人の甥と共に、暴動が起きている中元使用人の家へと向かう。その時、市長宅に賊が押し入り拳銃を乱射、市長もその銃撃に倒れてしまうのだが.....
ここで不自然なポイントを箇条書きで整理してみましょう。
①暴動が起きているにも関わらず何故軍か動かなかったのか?
暴動が起きることが予めわかっていた、もしくは軍によって導かれた群衆がおこした計画的暴動だったのではないでしょうか。市長宅を襲った輩の中に警備の連中も混ざってましたよね。さらに、ボスと呼ばれる軍のトップが賊が侵入する前にちゃんと屋敷を脱出していました。予めこれから起きることがわかっていた証拠でしょう。
②何故、市長は殺されなかったのか。
軍と市長が予めつるんだ計画だったからです。後で怪しまれないよう、賊には急所をはずして市長を撃つよう指示があったはず。一命をとりとめた市長が後に軍によって手厚くガードされた理由もこれで説明がつきます。冒頭、市長とボスがズルズルの関係にあることをマリアンが揶揄ってましたが、後々起こることの伏線だったわけです。
③なんのための計画だったのか。
すべては『ニュー・オーダー(新秩序)』のため。市長のライバルとなる他の金持連中を潰し、暴動をおさめた軍の権力をより拡大、ロイヤリティの欠片もないパンピーへの監視を強化、体制に逆らった者や体制維持に都合の悪い者は容赦なくパージしていく『1984』のような社会を築くためといってもよいでしょう。現代社会がその過渡期にあることをミシェル・フランコは我々に鋭く警告しようとしているのです。
④マリアンは何故殺されたのか?
娘が屋敷を脱走して使用人宅へ向かうことははじめの計画にはなかったはずです。息子や娘むことともに生き残りリストに入っていたと思われます。ちなみに、前妻姉妹の命令を無視した市長の看護担当は新しい奥さん候補なのでは?マリアンは軍の一部が金に目がくらみ密かにおこした、クーデター内クーデターの餌食になってしまったのです。そして、真犯人が軍人だとバレると何かとマズいと思った制服トップが、全てを使用人たちのせいにして揉み消しをはかったのでしょう。
こういう映画を見た後だと、何もないけどとりあえず平和にだけはこれ幸い恵まれている日本に生まれて本当に良かったと思うのです。クリーンに見える輩ほど中身は真っ黒、皆さん気をつけましょうね。