名も無い日のレビュー・感想・評価
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命日が有る幸せ
些細なサインを見落としてた話
永瀬正敏、オダギリジョー、金子ノブアキ。
この三人が出てるってだけでこの映画、見るしかないでしょ!
日比監督の作品は一本も見てなかったのですがキャストだけで期待大。
期待に応えるいい映画だったと思います。
いきなりのスローモーションや花火、狐面の少年とかちょっと演出的にどうなんだろうって思えるシーンも多々ありましたが、物語としては兄弟がいる自分にも刺さる箇所が数か所あって、共感度は高かったですね。
いやしかし、この三人の競演は凄い!実力も知名度もありながら、言っちゃ悪いがこんな地味な作品に出るなんて。
それぞれ、この物語に感じる所があったのでしょうか、なんとなくみなさん役にかなり入り込んでた様に見えました。
家族、兄弟、一緒にいても分からないことだらけですよね、何考えてるか、何に悩んでるかほんとに分からない。
一番まともで頭のよかった次男の死は、その優秀さと優しさと責任感が原因だとは思うけれど、こういうタイプの人ってため込んじゃうんでしょうね。
他の兄弟みたいにもっと気楽に生きられれば良かったのにとか、逃げ出せばよかったのにと思うけれど、それが出来ないほど真面目で優しかったんでしょう、ほんとうに気の毒で可哀そうに思えた。
過去の家族団らんの記憶にすがる姿は切なかったな~。自分も家族が大好きなんで団らんの景色とかずっと守っていきたいと思うし、箸置きのシーンとか胸が苦しくなりました。。
小さなSOSって見つけずらいし、小さいからこそ危険視しずらいけど、助けを求めるのに大きいも小さいもないのかも知れませんね。
自分が生きるだけで精いっぱいな世の中ですが少しでも思いやりの心は残しておきたいものですね。
わき役の大久保さんとか中野英雄の演技、存在感よかったですね、ちょっと笑えましたが安定の演技で心地よかった。
真木よう子は相変わらず美人で元気で癒されるし、今井美樹の倖薄さとかいい塩梅でしたね。
キャスト全体が無駄なく調和のとれた作品だったのではないだろうか。
ストーリーは弟の死を主軸にしつつ、地元の友人の諸問題やら葬式、死の真相など結構複雑というかエピソードもりもりなので若干進行が鈍い気がしました。
それに長男がほんとに自分勝手すぎ、大事な時に連絡入れずに自由行動とりすぎ。長瀬さんだから自然と納得というか苛立ちは覚えなかったけれど、普通に考えてこの兄貴の行動の無責任さはむかつく。
なんやかんや、カメラのシャッターが切れるようになるし、日常に戻るのだけれど、弟の死を受けて何か変わったかは描かれない、もしかしたらなにも変わらないかもしれない。
ただ心に喪失感と傷が残るだけで、そのまま生き続けるだけかもしれない。
そんなの嫌だな~なんて思ってたけれど、冷静に考えてみたら自分もそうなるかもと思った。
悲しいけれど生き方って変えるのは難しい、もしかすると変えられない、いろいろ考えさせられた映画でした。
本作とはほとんど関係ない話になってしまいますが
最近、劇中で祭りのシーンが入る邦画をよく目にするきがするのですが私だけでしょう?
なんとなくですがコロナ禍で弱った心には本能的にあの賑わいが必要な気がします。
感染リスクの問題で祭りに参加しにくいけれど、映像だけでも見るとなんだか心が軽くなります。
いままでそんなに祭りに関心は無かったけれど、今まで続いてきた行事には当然意味がある訳で、心の栄養素たりえるのかなと思いました。
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劇中セリフより
「ニューヨーク、僕も行ってみたいな」
人生を変えるきっかけはいくらでもある。
行きたいところがあるなら行くようにしたいものですね。
鎮魂の映画
この作品は、登場人物の相関図(親子、旧友)を頭に入れてから見ないと、楽しめませんよ。
疎遠にしていた弟が死んだ。久しぶりに故郷へ帰って家族、旧友と再会した。
「あの時、俺がもうちょっと・・・」と、みなが思う。
大きなストーリー展開はありません。だからこそ有名俳優をいっぱい集めて、2時間の映像を飽きないようにしています。
今井美樹(旧友の役)を起用したのも、アイドル時代からの容貌の変化で、「時の流れ」を確かに感じさせます。若手の岡崎紗絵(姪っ子の役)の明るく若々しい姿も、これからを生きる人を象徴しています。
鎮魂の映画です。故人を偲ぶだけでなく、それによって自分自身の魂も鎮められる・・・ということを伝えています。
写真家が創った映画だけあって、どのシーンの映像もキマっていました♪
The day 〜「命日」という名も無い「その日」
沁みた・・・。「沁」という字は、心に水のようにしみこむと書くが、この映画はまさしくそうだ。
同じ「喪失」を扱った作品として直近には「ノマドランド」があるが、個人的には僅差で「名もない日」に軍配を挙げたい。
理由は、脚本と編集が素晴らしいからだ。観客は、達也の目を通して「何があったのか」を一つ一つ確認していく。と、同時に「その場所」に纏わる過去の記憶が想起され、より深く達也の心情を理解する事になる。
無駄なシーンは一つもない。
特に「想い」や、人間同士の(特に男女や親しい友人間の)関係性の深さを敢えて「言葉ではなく、演技のみ」で現そうとしているのがよくわかる。
こういう機微は、言葉にすれば陳腐になってしまうものだ。
その分、具体的な人物の相関関係そのものをわざわざ解説するような無駄を省き、台詞をきちんと聞いてさえいれば誰がどういう立場の人物であるかは、すべて理解出来るようになっている。
(学生時代、達也が明美に抱いていた想い。秀行への友情に想像を巡らせばあまりに切ない・・・)
ノマドランドも似た手法だと感じるが、あちらは主人公の行動範囲が広く、新たに出会う人物も多い為、観客の理解を促す為に描かねばならない必須シーンはどうしても多くなる。
「住み慣れた街を失い、広大な土地を放浪するファーン」に対し「遥か昔に飛び出した故郷にて、思い出の残滓を拾う達也」は実に好対照だ。
行動範囲が狭い分、非常に思い切った削ぎ落としが可能であったところが、芸術的な編集を実現させたのだろう。
おそらくは「答え」の一つであろう台詞を、2人の年配女性に語らせたのは実に良かったと思う。
兄弟を失ったばかりの達也や隆史には、どれだけ考えたところですぐに答えが見つかるはずもないからだ。
対して、2人の女性は深い喪失を何十年も前に経験している。長い間、悲しみ、苦しみ続けたであろう。そして、いつしか「幾つかの叡智」を発見したに違いない。
木内みどり扮する「ヒーターのお母さん」は「自分の時間を止めないこと。前に進むこと」を教えてくれる。
そして、草村礼子の「おばあちゃん」が言う「あっくんの真実はあっくんにしかわからない」は本当に深い!
達也や隆史、いや、同級生・秀行の母とは同年代であろう奈津子(藤真利子)ですら「もし、自分がもっと関わっていたなら!結果は違ったのではないか?」と考えてしまうはずだ。
しかし、決してそうだとは限らない。
達也だって、今まで何もしてこなかったわけではないだろう。
章人の変化は、隆史の婚約時にはすでに片鱗が見られていた。最後の邂逅となってしまった達也の一時帰国の時には明らかに心療内科が必要なレベルである事がわかっていた。
おそらく、たまにメールを送ったり程度はしていたと思われる。
奈津子だって隆史だって真希だって奈々だって、時折訪ねていただろう。
しかし、すでに生計を立てている「大人」に対して強く意見するのは、親兄弟親戚でも非常に難しいものだ。
章人は「自らこの生活を選んだ」のだ。誰かが介入したとしても、結果は何一つ変わらなかったかもしれない。
もし、やり直せるとしたら、、、
それは「キツネ面を付けて祭りに駆け出して行った頃」か、せめてせいぜい竜太(八木の息子)くらいの学生時代、そこまで戻らなければ変えられないと思う。
おばあちゃんの言う通り、章人の心情という真実は章人にしか決してわからないのだ。
最初、レビュータイトルは
「ローライフレックスSL35Mは何を語るか?」にしようと思っていた。
スナップ系写真家の左手はカメラと融合しているものだと信じているが(笑)、しかし達也はファインダーを覗くもシャッターが切れない。
罪の意識がある限り、ファインダーを通して見えるのは「過去」でしかなく「現実の街」は彼を拒み続けるのだろう。
他の登場人物達はみな「答えに辿り着くまでの様々な過程」を物語る。
「水臭い!」と嘆き、慟哭する奈津子。
「決して忘れない」と語り、実行してきた明美(今井美樹)
心の何処かで、常に兄達を慕い続けている隆史。
哀しみの中で、自分が空気を変えねばと努める真希。
死別ではないが、離婚という「別離」を経験し、その道程に日々惑う八木。
八木に付かず離れず寄り添う直子。
「未来の希望」を約束する奈々。
終盤、ついに達也がシャッターを切る!右目ファインダー両目撮りの達也が、この時には左目ファインダーだ。
「章人が見た景色」をフィルムに焼き付けようというのだろう・・・。
そう!ようやく達也は立ち上がり、前に進めるのだ。
鑑賞後、暫くしてある考えが浮かんだ。
観客は「達也の目線」を見ていたのではなく、もしかしたら達也を見ている「章人の目線」を見ていたのではないかと?
そう考えると序盤の墓参りシーンでの空撮も得心がいく。
という訳で、SL35Mとツァイスの眼が捉えたのは最後の「空白の時間と現在が重なり出す」重要場面だけだったのだな。
技術的な話に関しては、まず「永瀬正敏」という俳優の凄さに恐れ入った。
きちんと意識して観てきた事がなかったが、こんなに素晴らしい役作りをする人だったのか。
出番は少ないがオダギリジョーも凄い。
2人とも、全編通して「役柄が憑依しているんじゃないか?」とまで思わせる、非常にナチュラルで「現実以上に現実的な」演技だったと思う。
また、映像技術が素晴らしい。
冒頭、左下に人物がいるのかいないのかわからないような光の使い方が、物凄く印象深かった。これは1発目からやられたなーと、映像美への期待が高まった。
一般的な映画作品に比べて、ボカシ、ボケ味のテクが多用されていたのもこれまた非常に印象深い。
シネマカメラ、シネマレンズにはさっぱり詳しくないが、絞りとか結構違うのだろうか?
もう、あらゆる映像がフォトジェニックで(って、この場合、使い方が変だとは思うけどw
すでに日比監督&高岡撮影監督によって切り取られ済みの景色なのだから、当たり前なんだけど。)
思わず「熱田ってフォトジェニックな街なんだな」と錯覚させられるw
川沿い、夕景の逆光映像も実に良かったなぁ・・・。
(監督には何故不人気モデルのSL35Mなのか聞いてみたかったが、作中で答えられてしまった。「安物の中古」と(笑)。おそらく本当にそうだったのだろう。
傷が付く事などを気にせず、プロが日常的にガンガン持ち歩くには良い選択なんだと思う。)
音楽も非常に良かった。適宜、挿入される弦楽四重奏は、繰り返し何度も聴きたいと思った。
私小説のスタイルを取った作品だから、自己投影してみるとしたら、私自身は達也に最も共感する。
正直なところ章人さんは理解出来ないし、隆史さんの気持ちも想像の域を出ない。私が3姉弟の1番上の為だと思う。(弟達がそれぞれ章人さん、隆史さんに似ているので、尚更、何故彼らが「そういう考え方」から脱却出来ないのか、切実な思いがある)
「喪服を持って行かない」という選択はよく理解出来る。しかし、それは達也に経済力があり、かつ、現在はレンタル店もそこかしこにあるから出来る事だ。
「東京物語」では、母の危篤を聞いた長女が「喪服を持っていく」とするシーンがあるが、その心情を責めることは私には出来ない。戦後まだ8年目。東京から尾道まで家族全員での旅費も時間もバカにならない。子育てにお金のかかる世代にとっては、改めて喪服を取りに東京まで戻るなど、とんでもなく難しい相談なのだ。
また、八木を巡るトピックはすべて非常に良かったなぁ。
寂れた商店街だが味のあるイタリアンらしき小料理屋。養育費を手渡しすること。親父に悪態をつく竜太も、本音は母と幼い弟を思いやる気持ちの裏返しだ。直子はきっと、八木の子供達が成人&独り立ちするまでは結婚しないだろう。しかし、入籍の有無に関わらず、八木と最後に暮らすのは直子だろうなと思う。
竜太はいつかNYへ来るだろうか?
達也の次の帰国は、可愛い甥か姪の誕生祝いだろうか?
「残された者」達は、前に進み続ける・・・。
(もし、竜太がNYを訪れたならば。
間違いなく「親父の店の常連客」になるだろう。親父を赦し、理解出来る男に成長するだろう。)
今後、ますます世界的規模で孤独死、引きこもり、8050問題が深刻になってくるだろう。
この作品に登場する人物達、一人一人が「他者理解」のきっかけを教えてくれるかもしれない。
おばあちゃんの「先祖から受け継いだものを忘れちゃいけない」と奈々の「いつか作品を作るから未来で待っていて」も対にして大切にしたいフレーズだ。
(本作の名古屋弁への拘りは「受け継いだ失ってはならないもの」の一つという事か。
また、おばあちゃんは達也に対し決して冷たく無いと思う。「アメリカへ帰れ!」は公私の別をつけろ。私(プライベート)よりも公(仕事)を大切にしなさい、という昭和女性(大正かな)の義憤と達也への思いやりだと感じた。)
プリズムのように、様々な人の想いを映し出す美しい本作品が「未来の光」になる事を願っている。
「こんなことがあったんですよー」って映画。
出演陣が豪華の一言に尽きます。
いやぁ、舞台となっている愛知県。たくさんお金を
用意できたのかなぁ?なんて勘繰る方に気を使っちゃう
くらいに・・・なんたる豪華出演陣の無駄遣い作品なのでしょう。
いい感じのヒューマンドラマ風、詩的風、語ってる風の映画に
仕上げてるだけ。耳障りの良いセリフと雰囲気だけの映像。
中身はすっからかん。
監督の日比さんの経験をもとにされているそうです。
(主人公が日々さんモデルなのかな?)
だったら、この日記みたいな、いや絵日記の「絵」みたいな
作品をなぜ作ったのでしょうね。
これっぽちも人の心に踏み込めてない、描けていない
この話はいったいなんなのでしょう?
空回りにもほどがあると思いました。
こうすれば感動するんでしょ?
ってタカを括ってる感が半端ない展開と演出。
時間が経過しても話も人物も前に進んでいる感が全くない。
前にも進まないし過去を掘り下げることもしていない本作。
事象が映し出されるだけで人物自体の物語がない。
だから、心情がみえない。「なんで?」が全く見えない。
故に主人公の最初と最後は喪失からの立ち直りでしかない。
(立ち直り理由も全く見えず)
それしかない。・・・ほんと?そんな単純な話?
<後悔>、<断片的な記憶>、<わかった風のセリフ>
<ひたすら拡散し結ばれないエピソードの導線>。
で、結局なんなん?って想いに支配される私の頭の中です。
あぁ、そうか。監督自身が「なぜ?」が見えてないから
こういう作品にするしかなかったのでしょうね。
脚本の「新涼星鳥」さんってどなただろう?この脚本も含め
難だらけですよ。
俳優陣の実力があるからなんとか成り立っているに過ぎません。
とにかくかっこつけてる印象しかない映画。深みがない作品。
残念です。
切なくて悔やまれない。
3兄弟の話だったが、生まれた場所とか親兄弟との関わり方は人それぞれだ。
静かな美しい画面からジワジワと放たれるそれぞれの想いが切なかった。
そして、後になって何にも出来なかったと言う結果は現実的で悔やまれない。
寄り添うなんて容易ではないのだ。
私なんかは正直、兄弟の腹の中が1番わからないよなって思った。
【切り取られた場面/木内みどりさん】
世の中には、切り取られた一瞬は沢山ある。
そのほとんどは、美しいと感じたり、楽しい記憶を止めるものだったり。
だが、切り取られなかった苦悩やトラウマが人を縛りつけることは圧倒的に多い気がする。
自分の真実は自分にしか分からないのだ。
兄弟でも、家族でも、親友でも、恋人でも、分からないことはあるのだ。
だから、残された人は苦悩するのかもしれない。
なぜ、どうして…、あの時、自分がこうすれば…とか。
だが、時を止めたままではいけない。
残された者は、生き続けなければならないのだ。
たとえ薄汚れて霞んでいても、それを切り取って、どこかにしまい、人は生きていくのだ。
カメラで切り取る一瞬は美しい場面が多いのかもしれない。
そして、人目に触れることも多い。
しかし、苦い思い出や苦悩は、写真として切り取られなくても、心が切り取ってしまいこんでるのではないのか。
だから、人目に触れることは少ないのだ。
だが、前を向いて生きて行けばいい。
人というのは、そういうものだ。
※ この作品もコロナ禍で公開が延期されていたのだろうか。
木内みどりさんが亡くなられてから、一年半以上経っていると思う。
なんか、木内みどりさんを見れて良かった。
木内みどりさんに合掌。
なあ、命日はいつになるんだ?
カメラを構えても撮らない。それには意味があるんだが、じれったくてしょうがない。もう、終始、どいつもこいつもじれったいんだよ、まいったな。命日?もういつだっていいよ(怒)って突っ込みたくなった。
出口がない迷路…
家族や身近な人を、不慮の死で
失った経験した人にしか、
決してわからない作品かもしれません。
私も独り暮らしの母を
独りで死なせてしまいました。
最後は苦しまなかったはずです、
と言うお医者さんの言葉だけが、
唯一の救いとなっています。
が、母は最後何を見たのだろう、
何を思ったんだろう、どうして
気付いてあげられなかったんだろ…
と、答えは出ないのに、
自問自答し、悔やむ毎日です。
家族だから、友人だからこそ
あの時何か出来たはず、
と自分を責め、最悩む…
お互い自立し、それぞれの
人生を歩んでいたとしても、
割り切ることは
決して出来ないと思います。
お婆ちゃんが、
あきひとにしか真実はわからない。
その通りだと思います。
その通りだけれど、残された者には
あまりに残酷で、
胸を描きむしられる切なさを
背負う事になります。
苦しみから逃れる
出口はないかもしれないけど、
時間をかけて死を受け入れる。
しかないのかもしれないと思いました。
俳優さん方の演技力によって、
少ないセリフから、やりようの無い
悲しみや苦しさが伝わる作品でした。
オダギリさん演じる
あっくんが、箸を6膳欠かさず
食卓に用意する場面は、
涙が止まりませんでした。
最後に、今は亡き木内みどりさんの
あの存在感、ヒーターの本当の
お母さんのような演力に拍手を
贈りたいと思います。
なぜ
次男の死因が、はっきりしないのかわかりません。
出演者は、いいのに、ほんとに脚本家と監督にはあきれました。
ラストの手紙は、開きましょう!
長男のカメラの撮影カットは、画面に映し出しましょう!
何年前のテロップは、あった方がよかったです。
可哀そうなオダギリジョー
『茜色に焼かれる』でも悲惨だったオダギリジョー。彼が最も幸せな家族を望んでいたんじゃないか?と思わせるエピソードの数々。特に印象に残ったのは箸と箸置きを6セット買ったことだった。
最初から人間関係を把握しにくいストーリー。一人の死によって家族、親戚が集まることはよくある話。亡くなった次男は家族で唯一大学出。しかも東大、ハーバード大なのだ。死の真相をも探る中、不条理な面と精神的な面が交錯し、兄弟それぞれの想いも語られる。
途中から、いったい何がテーマなのだ?どんなメッセージがあるのか?と、淡々とすすむ様子には観客自らの記憶も思い起こさせてるだけなんじゃないかと思った。
カメラマンであるはずの達也(永瀬)がまったく写真を撮らない!これが弟の死によるショックを表現していたかと思うし、会話などはむしろ冷静沈着。じわりじわりと重みを感じるような仕組みになっているけど、どこにでもありがちなストーリーそのものは面白くない。座卓のテーブルで兄弟夫婦たち6人が食事をするなんてのも幸せな絵だよな~と、ここだけが作品の中で光っていた。なお、命日はお寺さんに決めてもらうのが良いかと・・・
テーマは悪くないのだが、ストーリー展開がひねり過ぎ
兄弟は他人のはじまりというが、世の中には大人になってからも仲のいい兄弟もいる。兄弟の仲というのは、親が金持ちで巨額の遺産があったりすれば骨肉の争いも考えられるが、大したことがなければ仲が悪くなることはない。しかし、かと言って仲がいいかというと、それほどでもないと思う。
何が言いたいかというと、大抵の兄弟は大人になったら疎遠になるということだ。最後は親の葬式や命日くらいでしか顔を合わせることがなくなる。それからお互いの葬式の日だ。淋しい話だが、そういうものだと思うし、それでいいと思う。
本作品は兄弟が兄弟の死に対してどれだけの責任を感じなければならないかという話である。もちろん理屈で割り切れる問題ではないから、互いに対する思い出や気持ちに左右される個人的な問題である。本作品が問いかけるのは、救えたかもしれない兄弟を救わなかったことについての罪の意識であり、地域の全員が許しても自分が許さないときに、どのような生き方があるのかということだと思う。
しかしどこか響いてこない。何が起きたのかを小出しにしてストーリーを進める、ある意味で姑息な展開にしたおかげで、観客が事実を推測する鑑賞の仕方になってしまった。これが先に事件を提示して、そこに永瀬正敏演じる小野達也が帰国するという普通の展開であれば、小野3兄弟それぞれの気持ちに感情移入できたかもしれない。
テーマは悪くないのだが、ストーリー展開がひねり過ぎだ。時系列を順に進めながら、次男の思い出を挿入するという王道の展開なら、もっといい作品になったと思う。カメラマンとしての達也の世界観もはっきりせず、カメラを構えるシーンが無意味なシーンになってしまった。なんとも残念である。
名古屋参り
名古屋の実家で独り暮らしをしていた次男が死んだ為に故郷に帰ってきた兄弟の話。
ニューヨークでカメラマンをしている長男と東京で暮らす三男夫婦が帰って来て始まって行くけれど、あらすじ読んでいないとちょっと判りにく、というか読んでいても判り難くない?
そこにサスペンス性みたいなものを求める作品でもないと思うのだけれど、登場人物の数々も思い出の数々も、持ったいつける割には、ん?その程度?だったり、なんだか良くわからなかったり。
一応、立ち止まり振り返り後悔した人が歩き出す話なのかな?
だとしたら同窓会に参加してる時点で充分ですね。
I ♡NYの袋とか持ってる時点でコメディ?とも頭を過ったけれど、そんな感じもしないし、自分にはなんだかよく判らなかった。
答えも輪郭もない。けど、心には深く刻見込まれる。
最初から、ずっと頭の中で、
何があった?なぜ?どうして?の繰り返し。
ずーっと想像し続けた。
実際、現実に日々起こることは、
映画のシナリオや小説のように辻褄など合わず、
伏線も、回収もあったものではない。
ただただ、目の前の事象と向かい合い、
やり過ごし、感じ、考え、、その繰り返し。
映画とは、〇〇であるもの。
と言った、セオリーは邪魔だと感じる。
狂想曲
家族の死をめぐる狂想曲
こんなにストーリーが混沌としてるのは、ある意味"今"をあらわしているとも言える
役者さん達は場を与えられ、それぞれ演技を堪能されているのは感じとれましたが、演出という観点からはどうかと思うとっちらかり方で・・
従来の映画論からすれば、とんでもない手法かもしれないですが、映画というものの今後を考える時、いろんな実験はあっていいはず。
ラストシーンには少しカタルシスを感じました!
死者達の思い
人が生きるには体と心が必要です
むしろ体より心が大切に感じます
私も故郷を飛び出して遠い地名古屋で暮らしている
達也のように故郷のことはそこに残された妹が一切を背負って生きている
彼女にはとてつもない苦労を背負わせていることは事実だ
なんの話し合いもなくこちらから頼み事もせずに彼女はその苦労を背負っている
私はそんな苦労も知らずに今まで生きてきたのだ
この作品を見て非常に心配になってしまった
父や母は健在ではあるが明らかに年老いているし近くにいる兄もさほど頼りにはできそうにない
彼女なしでは私も兄も今の生活を続けることは不可能ではないかとさえ思うのだ
章人は私の妹なのだ、バランスが崩れれば突然いなくなっても不思議のない危うい所で生活をしているのだ
私はいまだに逃げ回っているのかもしれない、自分に言い訳をして安全な場所からささやかな事しかせずに丸投げしているのだ
人など簡単に死んでしまうのだから、生きているうちに精一杯のことをしなければ
私が呑気に映画を見られるのは彼女の苦しみの上に成り立っている事を忘れてはならないのだから
『後悔』の思いを共有し涙した
永瀬正敏、オダギリジョー、金子ノブアキが演じる三兄弟。メチャいい兄弟だったのになぁ。
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これは究極の悲劇だった。
悲劇の傑作だった。
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次男の訃報を受け名古屋に戻った長男と三男。
次男は亡くなって半年以上経っていた。
孤独死だった。
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大人になり別々の道を歩むのは必然だし、たとえ兄弟の変調に気づいたとしても自分の生活を投げ打つことは難しいのだが。
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罪がないと思おうとしても無理な話。
永瀬さんの『後悔』を共有した。
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この世の中に『後悔』という十字架を背負って生きている人がどれほどいるだろう。何年経っても「あのとき」を思い涙する人がどれほどいるだろう。
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ちなみに今作のロケ地は地元の名古屋市熱田区です‼︎
熱田区の皆様、お馴染みの場所がたくさん登場します。永瀬正敏さんと今井美樹さんが神宮前商店街を歩いてます。決してお見逃しのなきよう。
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