インビジブル・シングス 未知なる能力のレビュー・感想・評価
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【独りぼっちだった少女の成長を絡めて描いた、ナカナカ観れないルクセンブルクSF作品。】
ー 公開当時のフライヤーを見ると、ドイツ・ルクセンブルク製作とある。ルクセンブルクの映画って観たことがあったかなあ・・、と思いながら鑑賞。-
■友達がいないスー(原題は、インビジブル・スーである。)は、ちょっと寂しい日々を送る少女。
お母さん、マリア・ハートマン博士は、化学の研究で忙しく、優しい父クリストフ・ハートマンも演奏家で、世界を飛び回っている日々。
そんなある日、スーは母の誕生日を祝おうと母が勤める研究所に忍び込むが、イロイロあって、母が開発、研究中の黄色い液体NT26Dを全身に浴びてしまう。
その日から、スーの身体に異常が起こり・・。
・ストーリーはナカナカに粗いのであるが、ドイツ語のSF映画の妙な魅力に引き込まれ、楽しく鑑賞。
ドイツ語の映画って、ほぼ戦争映画(しかもナチス関係)の様な気がするが、SF映画に合うなあ・・、と勝手に盛り上がる。
・悪役と思っていた、DECのヨナス・ドリルが善人で(と言ってもお母さんから語れるだけ・・)真の悪役(と思った)お母さんの研究仲間のレニアに追われる、スーとアプリと呼ばれている少女と転校生の興奮すると吃音になるトビー。
- 彼らが、徐々に危機を乗り越える度に、友情を深めていく姿。-
・けれども、真の悪役は・・。(途中で、分かってしまったが、楽しく鑑賞)
<”ET”を容易に連想させるシーンとか、(3人でバイクに乗ってはいけないよ!)ラストの”ファンタスティック・スリー!”とか(ファンタスティック・フォーでしょ!)イロイロと突っ込みながらも、楽しく鑑賞した作品。
少し失礼かもしれないが、今作は、ハリウッド超大作SF作品と見比べたりしないで、純粋にSF作品として楽しめるなあ、と思った作品でもある。
甘いかな?>
存在感がないのってダサいくない?
映画「インビジブル・シングス 未知なる能力」
(マルクス・ディートリッヒ監督)から。
「ドイツ製の超能力SFアクション」のフレーズに惹かれ、
観始めたが、どうも子どもじみた内容で、
途中で、セリフをメモするのも躊躇ってしまった。
冒頭の母親の誕生日祝いでの騒動からして、
あり得ない展開で話が進み、最後は娯楽映画として、
楽しむことに切り替えた。
それでも、気になる一言を探すとすれば、
「パパは私の影の薄さは特殊能力で、
スパイにもなれると言っている。
でも存在感がないのってダサいくない?」
この「存在感のなさ」「特殊能力」「透明人間」と続く、
プロローグの説明こそが、つまらなさを増長させた。
とにかく、最初に説明してしまったことが失敗のもと。
透明人間ネタって、どうしてもこうなってしまうのかなぁ。
映像は綺麗が内容はテレビドラマレベル
対象年齢も小学生低学年くらいかな。
温かいものにさわると透明化、さらに衣類は元より触っている人間も透明になると言う魔法に近い科学技術、オマケにキズも治る。
主役の透明少女スー、モトクロス好きトビー、科学技術フリークのカヤ(アプリ)と如何にもな少年少女グループが誘拐された母親を救おうと奮闘する。
ただ、子どもたちは格別有能ではない(カヤの技術力に助けられてる)ので作戦もへったくれもなく、誘拐した相手がいる会社に突入するなど無鉄砲(笑)
母親の残した人工知能アルフレッドは活躍す
するかと思えば、ただ状況をお伝えするだけと頼りない。
母親、母親の同僚レニア、大人は沢山出てくるのだが卑劣な手口、有効な大人の知恵は全く出てこない。
NT26Dを巡っての争いはスマートさに欠けている。
選択を迫られる流れは、大切な問いかけとは思う。
しかし、消えちゃうとアクションとか見映えしにくいもんなのね?
おバカな映画に振り切って居らず、もしかしたら2作目を匂わせるラストに「えーっ?作るつもりあるのか?」と驚いた。
子供向けムービー
きっちり予告を見ずして行ってしまった。明らかな子供向けムービーであり、観ていて少し恥ずかい気持ちさえ覚えた。
メインの子ども達3人がそれぞれ力を発揮しヒーローとなる作品。その為ストーリー展開に矛盾も強引さもあり、話の筋として雑や荒さもバリバリある。
子供の時にこんな事ができて大人達に立ち向かえたら良いなと妄想したような事を作品として出来上がった感じである為、もうこの歳になるとちょっとしんどさはあった。
こういう作品をみると改めてハリウッド作品って凄いんだなと感心する。先月みたグッドボーイズなんか年齢は
同じくらいだけど演技力とか全然違うのを思い出した。
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