マイ・バッハ 不屈のピアニストのレビュー・感想・評価
全31件中、21~31件目を表示
淡々としすぎだけど、それが実話なのかなぁ?
何度も訪れる困難を乗り越えられた理由が
「全く」
伝わってこない。
事実、確かに素晴らしい方なんだと思う。
しかし、この困難の人生を乗り越えた源泉が
一体なんなのか?
そこが大きなポイントであるはずなのに、
カタルシスを感じられない。
なぜに不屈のピアニストたりえたか?
そこにこそ、描くべきポイントがあるように思いますが。
ソコが薄い、薄すぎる。
残念。題材がとてもよかったから尚更。
ブラジルのバッハ弾き
ブラジルの音楽が好きなので、観る前からテンション上がりました。
映画としては色々あるけれど、当人の存在と演奏がハンパなく圧倒されました。
こんな事出して良いのかなぁ?と言いたくなるエピソードもあるけど、何より音楽の神が彼を通して伝えている何か神々しいもの?に感動した。
エンドロールでの実際のジョアン・マルティネスが、左手の2〜3本の指と右手の本の指で弾いている映像、子ども達に音楽を教えている写真、良かったです。
【若き時に、バッハ全曲を暗譜していたジョアン・C・マルティンスの波乱万丈、不撓不屈な人生を描いた作品。】
ー幼少時のジョアンは、既に女性ピアノ教師も”私を超えた・・”と口にするほどの、ピアノの腕を持ち、僅か20歳でカーネギーホールで、デビューするという神童であった。-
■印象的なシーン
・ジョアンが初コンサートで他国に赴いた際に、タクシーで向かったのは娼館。しかも、彼は未経験でありながら、複数の娼婦と朝まで関係を持つシーン。
ーガラガラと彼のピアノの神童というイメージが崩れ去る。だが、このシーンで彼の豪胆さと、並の事ではヘコタレナイ後年の彼の姿が暗示されている。ー
・ジョアンの奔放な性格とヒナステラの難解な曲を弾きこなすギャップ。そして著名なピアニストが”4週間しかないから、ヒナステラは無理だ・・”と演奏を拒否する中、”未だ3週間あるじゃないか‥”と、意に介しないジョアンの言葉。
ー相当な自信家であり、口だけではない事が分かるシーンの数々。-
・女性好きの一面。女弁護士の口説き方・・。
ー勉強になるなあ・・。-
・だが、ブラジル出身の彼は当然サッカー好きで、サッカーで遊んでいる際に右肘の神経を痛め、右手の動きに支障が出るようになる。が、彼は諦めない・・。
・が、更に彼を苦しめる事になる事件が・・。
<才能溢れるピアニストが経験した、数々の困難。けれど、彼はそれを音楽を”バッハ”を愛するがゆえに克服していく。
その、不撓不屈の姿に勇気を貰った作品。後年、バッハの曲を指揮する彼の姿や最早機能しない右手をも使い、ピアノを演奏するシーンには、心打たれた作品。>
類まれな才能
ストーリー自体は総じて悪くはないのだが、いかんせん主人公中心の伝記物語的色彩が強くて、主人公を取り巻く人間関係が希薄だったのは気になった。また結局はサクセスストーリーで終わるのだが、一時期、人生のどん底に陥ったのは自業自得的な部分があり、主人公にそれ程、感情移入できなかったのは残念であった。ただ音源自体は主人公が実際、弾いた音源全てを使用したのは良かったかな。ちなみにC・イーストウッドが、この映画化を希望してたそうだが、断然そちらの方が観て見たかった。
ブラジル音楽といえばサンバやボサノバ・・・というイメージを破壊されました
序盤から中盤にかけて淡々とした成功物語だったのに、数々のエピソードとちょっとした事故によって挫折を味わうことで彼の痛みが爆発的に伝わってくる内容だった。その波乱万丈の人生の中でも、3度もカムバックするところでは感動とともに、年を取ってからでも出来る!という希望を与もえてくれるものでした。
リオ・パラリンピック大会の開幕式でも3本指でピアノを演奏して話題にもなったピアニストらしいのですが、リオ・オリンピック=マリオのイメージが定着して、他の何も覚えていない記憶障害のkossy。こんなに素晴らしい音楽家だったとは思いもよりませんでした。
サッカーを楽しんでいるときに倒れ、右手の3本の指が動かなくなり、リハビリ、金属ギプスでの演奏。鍵盤が血だらけになるシーンでは目を覆いたくなるほど痛々しかった。そして、復活を果たしてからバッハの全曲をレコーディングする偉業に挑戦するときに再び悲劇が襲う。簡単に女を引っ掛けるから・・・もう。
脳の神経が近道をしてしまい、言語能力がそのために失われる・・・なんて医学的な話は全くわかりませんが、そんなこんなで二度目の結婚相手カルメンが彼の心をよくわかっていたため、苦渋の決断も難なく。と言った具合に“破滅的”な芸術の追及も失われたかのように思われたのでした。
最後の本物のジョアンの演奏にも涙できるし、何より彼自身のレコーディングした音源をそのまま使用した作品でもあるので、音楽の素晴らしさにも涙できることでしょう。多少、映像と音楽がずれているのもそのためかと思います。
クラシック音楽は苦手な分野でしたが、途中でボサノバ曲が流れて嬉しくなったし、ロックミュージシャンと一緒に番組に出るといった興味深い事実も描かれてました。そして劇中では「キース」、「カール」と名乗っていたけど、明らかにエマーソン・レイク・アンド・パーマーの3人が登場しました(本物じゃないけど)!「いつもジョアンの演奏に刺激されてんだよ♪」などと言うELPも「展覧会の絵」などクラシック作品を演奏するほどクラシックとジャズを盛り込むプログレッシブロックのアーティスト。バッハ好きの方も必見だが、ELPファンも必見だ!
ジョアンの音楽を楽しむには◎
ジョアンの人生の一部を描いた作品。輝かしい実績が多い彼だが、この作品においては彼が不慮な事故でハンディを背負うことになったシーンなど負の部分にスポットを当てて描かれた作品。
彼のことを詳しく知っているわけではないが、比較的ポプュラーに知られている事がかなり描かれているため映画作品としては個人的には物足りなさを感じた。
あまり伝記物として期待して見てしまうと違ったのかなというのが率直な感想。
劇中ではジョアンが実際に演奏した曲が使われてるいるためその辺りを楽しむには最適か。
以前イーストウッドがジョアンを作品にする、したいみたいな記事を目にしたことがあるがまた別で制作されているのかな。別であるならもっとジョアンの活躍する、輝かしい姿を追求した作品もまた観たいものである。
神様の気まぐれ⁈
昔のことなので出典が定かでないのですが、モーツァルト(バッハでなくてすみません)の音楽について、こんな風に表現されていたのを読んだような記憶があります。
モーツァルトが作曲したのではなく、彼だけが、神の作った旋律を見つけることができたのだ。
嘘だと思うなら、モーツァルトのピアノ協奏曲20番台を聴いてみるがいい。
当時も今も〝絶対音痴〟で、音楽関係は謙遜抜きで本当に疎い私ですが、実際に聴いてみました。
うまく言えないのですが、直接〝琴線〟に触れてくるように染み通ってくるものがありました(音楽音痴の私には琴線なんてちょっと矛盾した例えになりますが)。
野球の神様とか勝利の女神、というように、スポーツの世界にはたくさんの神様がおられます。他にも市場の神様とか相場の神様とか、ややいかがわしい世界にもたまに神様が登場しますが、あくまでも比喩的な使い方です。
しかしながら『音楽の神様』だけは本当にいるんじゃないでしょうか。
バッハもモーツァルトもベートーベンも神の遣わした使徒で、ジョアンのような時折現れる神童も神様の気まぐれのおかげのように思えてきます。
自分が一番縁遠い世界だから、というのもあると思いますが、同じ創作の営みであっても、小説や映画などとは違いを感じます。
小説や映画などの物語であれば、どんな感動作でも、とても人間臭さを感じるのに、音楽に圧倒される時の至福や崇高さにはどこか手の届かない神々しさのような感覚があります。演じ手それぞれの個性もその時々の神様の気分の表れでしかないような。
ボヘミアン・ラプソディの時も同じようなことを感じた記憶があります。
『蜜蜂と遠雷』がまた見たくなりました。
Brazilがうんだ稀代のRock Star
「アートとは誰かの心に傷をつけること」。社会学者の宮台真司氏はいう。
まさにJoão Carlos Martinsのperformanceは映像と演奏を通して観客の心に傷をつける。
彼の演奏する音楽はクラッシック音楽だが、彼の生きかたはRockだとしかいいようがない。
天才であればあるほど、ちょっとした細部のズレに神経を尖らすもの。彼の場合は度重なる不運(自業自得の感もあるのがご愛嬌)にもかかわらず、不条理と彼に襲いかかるハンデをバネに跳ね返すくらいのperformanceを披露する。暗くなりがちなストーリーを明るく魅力的にみせるのは、彼のキャラクターの魅力。
壮年期のGoldberg-Variationensは若い頃のテクニックバリバリの演奏の勢いはないが、彼が歩んできた人生の重みと想いが指先一本一本に込められ、それはそれでまた違う味わい深さがある。
作品中の演奏はJoão Carlos Martins本人の演奏。今もまだまだご活躍の様子。
命がけで愛する、音楽
20世紀最高のバッハ演奏家のピアニスト、ジョアン・カルロス・マルティンスの半生を描いた秀作。
やや観客を選ぶタイプの作品だが、私的に感動した。
音楽を愛してやまない、そして音楽に殉じることさえ厭わないものの、愛し続けることに人生を賭ける努力を追求する主人公に共感する。変人だけど。
2020年公開では、屈指の音楽映画である。
全31件中、21~31件目を表示