「芸術への執着は破滅的探求」マイ・バッハ 不屈のピアニスト きりんさんの映画レビュー(感想・評価)
芸術への執着は破滅的探求
「芸術への執着は破滅的探求」
これ、いつか見た光景です
僕も鍵盤を血で汚したことがあるから。
0か100かしか選べなかったぶきっちょな僕は、10年ほどバッハを弾いたあときっぱり音楽はやめ、膨大な書き込みのある楽譜も全部捨てました。
「神経を切って言語中枢を残すか、あるいは言葉は失ってでも手を温存するか」、
― ピアニスト、ジョアンが立たされたこの究極の選択は「弾くか」「死ぬか」の、つまり0:100の決定だったのでしょう。
凡人の僕は、鍵盤を捨ててしまっても こうして平気で生きていますが、ジョアンはそうではなかったはず。
DVDを、空いた時間に細切れで観たけれど、どの場面から再生してもあの本人の音源と、役者の一途さには、鼻水を垂らして僕は泣くばかりでした。
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【残った左手で弾く】
「左手のためのピアノ協奏曲」(モーリス・ラヴェル作曲)。
ジョアンの妻はこの譜面を、夫のために棚の下のほうから見つけ出して、彼のためにピアノの上に置いてあります。
いろいろの思いはおくびにも出さないで。
実は左手のための鍵盤曲はちゃんと世の中に存在していたのです
元々は右手を失った戦傷者のために創出されたと言われています。
日本では半身麻痺から再起したピアニスト舘野泉が有名。
シューマンも過練習で手を壊して作曲家に転向した人物。
時を見て、夫のためにラヴェルの楽譜をそっと出した妻=弁護士のカルメン。良き理解者。
【楽譜のネガの部分を弾く】
【フェルマータは延ばす印ではない】
モーツァルトやベートーベン以降の古典派の楽譜では、私たちが音楽室で習ったとおりで「フェルマータは延ばす印」です。半円の中に点のマーク。
しかし、それ以前のバロック時代においてはフェルマータの用法は逆です。真逆です。
⇒「延ばさないで止める」「残響を消すために止めて待つ」の意味なのです。
『そもそもイタリア語における"fermata"とは、「停止」を意味する名詞である(例えばバス停の標識には"Fermata"の表示がある)。』Wikipedia
楽譜の研究者が、
延ばすはずのフェルマータ記号が、バッハのスコアにおいてはどうもおかしい事、
つまり他声部は止まらずに流れているのに、(=つまり同時に全体が流れて行くはずのスコア楽譜なのに)、何故かひとつの声部にだけフェルマータ記号が付いているケースを発見し、バッハに代表されるバロック時代の、独自のフェルマータの用法・意義が判明したのです。
【バッハ弾きにおいては、フェルマータは「無音」指定】
ゆえに、そこを踏まえて、
僕がこの映画で特に心引く一語として残ったのが教師とジョアンの問答なのでした、
「君に奏でて欲しいのは静寂」
「音楽のポジではなくフイルムのネガの部分」
「休符だ」
ああ、これわかります!
僕もパイプオルガンを独習していてこの“秘密”を発見しました。演奏は埋めることではなく、引くこと。
音楽の奥義は音を出さないことなのです。
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【楽譜の指示する無音部分を無音として弾く】
①パイプオルガンは、他の鍵盤楽器と全く違い、音の頭に強音のアクセントを付けることは出来ない。そして他の楽器と異なる特徴としてはキーを押している間は音量は減衰なく、永遠にその音が鳴る。
②ところが、人は鳴り続けている音にはわりとあっけなく無感覚になる。音が切れた(静寂が戻った)瞬間に「音が鳴っていたこと」「音が消えたこと」に気がつく。
特にバロック様式の演奏において、旋律が複数絡み合う「多声音楽」では、聞こえにくくて聴衆の耳と印象に残りにくい内声部の音価は「敢えて短く切ってしまうことでその音が長く聴こえる」と言う不思議な手品が引き起こされるのです。
10延ばさなければならない音価の音符を、敢えて8で切って静寂を置くことで逆に指定されている10の音価が強調されて11に聴こえるのです。
⇒これこそがバッハの時代のフェルマータ。
例1:有名人が亡くなると、「巨星落つ」と報じられ、巷の人間は「へー、あの人はまだ生きていたのだなぁ」と知らされ、死によって命が持続していたことに気がつく。
音が終わること、命が終わること=休符と静寂の回復によって、それまで延ばされていた音は「鳴っていたこと」と「消えてしまったこと」との両方が同時に成立し、初めて音に印象と生命が宿るのです。
例2:潜水艦の映画を観ると必ず艦内に響いている「あの音」。「コーン、コーン、コーン・・」ご存知ですね?
機器が正常であり、順調に動いている合図の信号音なのだそうです。異常発生時には「音が消えることによって」艦員に緊急事態を知らせます。
警報ブザーやベルは電源喪失時には鳴りません。使えません。
だから「音が消えることによって」何事かを=異常を=知らせる方法を残してあるのです。
説明が長くなりましたが、
音の減衰のあるピアノやチェンバロならなおさら意識して音を消し、静寂をアピールしなくてはならない。
・・ジョアンの教師が「無音こそ音楽の生命だ」と教授したあのシーンには、我が意を得たりでした。僕しか知らない奥義だと思っていたので(笑)
ジョン・ケージは「4分33秒」という画期的な前衛ピアノ曲を作りました、興味のある方は動画検索して下さいね。
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それにしても
思わぬ所から=クラッシック音楽の郷里ではない遠い大陸から
ダンタイソン=ベトナム
ランラン=中国
アルゲリッチ=アルゼンチン
そしてバレエではジョルジュドン=同アルゼンチンなど、
奇跡のように突然変異の演奏家が誕生する、この現象は一体何なのだろうか。不思議だ。
本作中の録音はすべてジョアン・カルロス・マルティンス本人の物。
ジョアンのバッハはリズム重視。タンゴとサンバの血を彼は出自のベースに内包しながら、安易に南米風に、また万人好みのフュージョンに流れていく危険を徹底的に排し、バロック時代のバッハの楽譜に正面から向かっている。
この姿勢に、何よりも打たれた。
以上、
僕まで久しぶりに無我夢中になって、長文を書いてしまいました。
琥珀糖さん
熱いメッセージありがとうございました。本当に。
あのあと、琥珀糖さんは・・読んで、うんと長く考えて、朝方まで精魂込めての長文のお便りを作って下さったのですね。
ヘトヘトだったでしょう?
倒れておられませんか。
「マイバッハ」のあのジョアンの熱気にうなされて、私たちも相当熱くなり、昨夜は無茶をしたかもしれません(笑)
僕は、あの3本のレビューは本当に苦労して、それぞれ難儀して十日ずつは掛かって書いたものです。
ですから明け方に倒れ込むように仕上げて送って下さった琥珀糖さんの渾身のコメントに「あっ!」と声を上げてしまいました。
大切に読ませて頂きました。
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ピアノはドラマですね。
本日土曜日、家から五分の小さなホールでのユリアンナ・アヴデーエワのリサイタルに行ってきました。
ショパンコンクールで沸き立つ日本に、ウクライナ情勢がらひっそりと、この田舎町まで来てくれた彼女。チケットとても安かった。
死んでしまいそうに弱いショパンを一曲だけ。あとは初めて聴くシュピルマンとヴァインベルクの新しめの曲。後半にバッハのパルティータと調子を上げ やっと壮大なラフマニノフで締めました。
何も言わずに優しい笑みで日本式に深々と頭を下げ続けるアヴデーエワ・・
パンフレットのどこにも「ロシア」の一っ言もない異様な紹介でしたね。
《音楽の鑑賞に下世話でお涙頂戴なストーリーは違反だ》とも言われますが、鍵盤と格闘し、自分の心と闘ってきた私たちとしては、演者の想いと境遇、そして作曲家の生い立ちのストーリー性に矢張り鳥肌が立たずにはいられないのです。
「マイバッハ」、凄い映画でした。
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ピアノ、弾いてくださいねー。
ご縁に感謝して
きりん
1時間位、考えていました。
とても深いレビューで、私の達することの出来ない境地まで
行かれてますね。
私が音大で勉強したことを、恥ずかしい・・・と言うのは、本心です。
それだけ「上」を知っているからです。
音楽は私には「音が苦」
おこがましくてピアノをやりましたと言えないのです。
(もちろん、そんな私にも「下」もあるのです)
「マイバッハ不屈のピアニスト」は2021年2月4日に観て某サイトにレビューしています。
一般受けする平凡なレビューです。
きりんさんの「羊と鋼の森」
「ピアノマニア」は読ませていただいた記録として
共感を押しました。(もちろん気持ちも共感してます)
調律師に付いてですが、私レベルでお付き合いのある調律師の方。
10数名。
某楽器店の養成所(今は大学で勉強された方が多いようですが、)を出て、
音叉を頼りに1時間から2時間で家庭のピアノを調律して回る。
山崎賢人のような人が殆どです。
彼らはピアノが弾けません。(アルペジオと和音を弾く以外)
三浦友和がしていた役は、一握りのエリートだと思います。
反田恭平さんがショパンコンクールで2位になったことで、ショパンコンクール・ブームが起こり前年放映された、たしか題名は「もう一つのショパンコンクール」でしたか?
ショパンコンクールではピアノを選べますね。
スタィンウエイ、YAMAHA、KAWAI、F azioliなど選べますね。
最近急激に有名になったF azioliの調律師に焦点を当てて、如何にしてコンクール出場者に選ばれて、コンクールに追走するか?を追求したドキュメンタリーでした。もちろんNHK制作です。
調律師も頂点に立つ一握り(有名ピアニストから指名されるような=三浦友和の演じたような)から、山崎賢人が演じた個別の家庭を訪問する調律師、そして、だからと言ってどちらも大事な役割を担っています。