れいこいるかのレビュー・感想・評価
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鎮魂の映画
この映画が公開された頃、評判良い情報が多数見られた。
ただ、公開されたのが2020年8月だったので、その頃は新型コロナによって春先に映画館が軒並み閉館したりした直後だったので、現在とは違って、その頃はなかなか映画館に行けなかった。
ようやく観た。
この映画、1995年の阪神・淡路大震災で幼い愛娘を亡くした夫婦が離婚して、その後、長年にわたって遠すぎず近すぎず…という付き合い方を見せながら、大震災の深い傷を抱えながら生きていく姿を描いたものであった。
その長年にわたる道のりで、夫の太助は過ちを犯して刑を受け、妻の伊智子は盲目になったりする。(ただ、完全に盲目になった人が復活するのかは不明…???)
この映画の骨格は「大震災の傷を抱えて生きる夫婦の姿」なのだろうが、個人的には、全体的にアチコチで分かりづらいところが多かった気がする。
そのため、楽しむことはできなかったのが残念。
描こうとしたテーマがテーマだけに、いまおかしんじ監督も観客を楽しませようとして作っているようには見えなかった。
鎮魂の映画に見えた。
(※)個人的には楽しくはない映画だったが、描かれたテーマの重さを考えると、評点は付けづらいので評点は付けない。
前を向いて生きなきゃです
映画芸術ベストワン、キネ旬ベストテン11位。2020年公開の日本映画のベストの一本として評価が固まっている作品。ようやく観ることができた。
1995年、阪神淡路大震災で一人娘のれいこを亡くした伊智子と太助の夫婦。その後離婚した2人の5年後、10年後、15年後、そして現在が春・夏・秋・冬と時間をおいて撮られた。
それぞれの生活が淡々と描かれた。それぞれが前を向いて生きていた。決して落ちきることはなかった。ささやかとはいえ二人のもつポジティブなバイブレーションに元気さえもらった。温かい気持ちになった。
2018年、久しぶりに再会した伊智子と太助はれいこと行った須磨海浜水族園でイルカショーを観た。
この二人、また会えるのかなぁ。いや、どこかにいてくれるだけでいい。それだけで救われる気がする。
伊智子を演じた武田暁さん、そして太助を演じた河屋秀俊がホント素晴らしかった。暁さんに憧れた。
上映後、リモートの舞台挨拶があり、いまおかしんじ監督、武田暁さん、河屋秀俊さんのお話を聞くことができた。三人にとって大切な作品になったのですね。
うーむ、うーむ、わからん。。。。
以前見逃していた本作、ようやく鑑賞できました。
なかなか気持ちが乗っていかない作品でした。
やはり、イチコの想い。気持ちが意味不明でついていけなかったからなんでしょうね。
また、周辺の人達の心情もついていけなくて。
さらに、イチコの元旦那の行動、心情も乗っていけなかったんですよね。どうも「僕だったら・・・」って考えが邪魔しちゃって。
あと、なんだろなー。こんなにエピソードてんこ盛りにする必要あったのかなぁ?山盛りすぎる。
動機や心情を推し量る余裕もなく・・・。
ちりばめてちりばめて、なんらかの回収をしているのでしょうが、なんらかを描いているのでしょうが、残念ながら拾いきれませんでした。
あと、ネガティブな話ばかりですみませんがなんだか、震災慰霊がフラグ的な使われ方してて、すごく嫌な感じを受けました。その時だけおもいだしたんか?と。毎年じゃないんかい?と。
奔放に生きている感じが強いからこそ、このフラグとして見えてしまうところが嫌でした。
エピソードを進めるためのエピソード。
話を進めるための、「は?」な人物の変わり具合や、各種イベント。うーん、やっぱ無理くり感が。
あー、やっぴりなんらかの含みがあるのかな?意味あるから、、なのかな?けど、それは凡人の僕にはわかりませんでした。
たらればのさまよい
自然災害なので人一人の力でどうにかならないものもあるわけで
ましてや自分の娘がとなれば、タラレバを思ってやまないと思う。
日々過ごしているが、どこか空虚であるという人間模様がありありと描かれていた。
どう気持ちを着地すれば良いのか誰もわからないがまま時間だけが過ぎていく感覚が
この映画には映し出されていて、物語であって、物語ではない現実が重すぎて
飄々とみせる様が哀愁をさそった。
途中の目が治ったのがちょっと理解できなく過去か未来かわからなくなるところはあったが
この映画をどう捉えていいかボクにはわからないが、
誰かの肩の荷を少しやわらげる物語に
なっていると信じれる映画だった。
応援したいけど、お勧めはしません。
先ず…長いもの。
イチコの奔放人生がコミック。疾走感が有れば、ジャリンコチエみたいな。オモロイのに、って思いましたが。
低予算で悪戦苦闘しながら頑張りました!感は好き。狙いが分からん脚本はイマイチ。
とりあえず、今日5本目で疲れたっぴ!
破壊と再生
主人公の伊智子と太助は阪神淡路大震災で娘のれいこを失う。
心の隙間を「男」で埋めようとした伊智子。
作家になると言う「夢」にしがみついていた太助。
少しずつ軋んでいたであろう夫婦の関係は震災によって一気に崩れる。
虚無の中で生きる伊智子らに対し、周囲の人々が生きる証を探そうとする姿は滑稽なくらい貪欲で切実だ。
劇中、伊智子が視力を失い、再び見えるようになる描写に一瞬違和感を覚えるが、これは伊智子の「心の眼」だと思えば合点が行く。
見えているようで見えていなかったもの。
見えなくなって見えてきたもの。
20年余りの時を経て伊智子の心の眼は開かれる。
暗がりのスクリーンに映し出された追悼式のシーンはまるで自分がその場に佇んでいるようで、静かに祈りを捧げた。
乱調にも見えるウルトラマンの話しを「破壊」と「再生」の物語とするなら、この映画は死者と今を生きる我々への「オマージュ」と言えよう。
商業とは一味違う自主映画の力を感じる良作だった。
それなりに楽しめた
久しぶりに映画館で映画を見ました。
たまに映画館で見る映画と言えば、洋画でしかも比較的今時の映画館ですが、今回は大阪市西区のシネヌーヴォXと言う、昔ながらの雰囲気を持つ映画館をさらに小さくした感じの映画館で、なんだか懐かしいような新鮮なような雰囲気でした。
今回の作品は今岡信治監督の『れいこいるか』です。
ストーリー的には、神戸の震災で子供を亡くした夫婦が離婚し、その後のそれぞれの23年に渡る人生を描いたもので、別れたのちにも時々二人には接点があります。
上映後監督とプロデューサーの舞台挨拶がありましたが、そこで少ない予算で作り上げた事や、ちょっとした苦労話などを直接聞く事が出来たのは良かったです。
映画の中で所々省略されている部分がありました。
例えばヒロインの伊智子の眼が何故か見えなくなったり、また突然眼が見える様になっていたりする部分です。
舞台挨拶での質問やレビューの中でもこの部分を気にする声がありました。
映画の中では何故失明したのかや、どうして治ったのかと言う説明が一切ありませんでした。
実はこれ以外にも説明されていない部分がいくつか出てきます。
よく考えて見るとこれが監督の意図なのでしょう。
何でもかんでも説明を求める行き過ぎた風潮の現代。
そんなところは自分で勝手に想像しておけば良いのだと思います。
ちなみに私はヒロインの伊智子の眼が治った理由は、壷阪寺で願をかけたからだと思っています。一緒に見ていた嫁さんは「そんなシーン一つもなかったやんか」と言いますが、そこは観る者の自由に委ねられた部分なのでほっておいて欲しいものですね。
それより、伊智子を演じた武田暁さんの演技が良かったです。
彼女だけは23年間全く老けていないのも不思議と言えば不思議ですが、ある意味奔放な女性であり、また女性としての優しさや、子を亡くした母としての苦悩など、様々な顔を見せてくれます。
多分ある部分は素のままで、またある部分は舞台役者としての片鱗が伺える好演でした。
もしまた彼女が映画に出る機会があるなら必ず見てみたいと思います。
いくら金をかけても、見てみたいと思う映画が絶滅してしまった日本ですが、こういう自主製作の映画にこそ心のこもった映画が細々と生き残っているのかも知れません。
酒の銘柄ぐらいおぼえよう
阪神淡路大震災で娘を失い別れた夫婦の話。
嫁は浮気の真っ最中、旦那は嫁どこ行ったんだーと外にいる際に地震が発生し、倒壊したアパートの下敷きになり娘が死亡、というあんまりだ~な設定で物語が始まって行く。
23年間の葛藤と絆と謳われているけれど、女は好き放題、男は未練たらたらで、娘のことは全然出て来ず。イルカは持っていたけど…。
なんだかんだあっても結局のところはということなんだろうけど、最後になって唐突にそんな展開になっても、取って付けた感しかないし、視力の件は何だった?
特に響くものも引っ掛かるものもない良くわからないドラマだった。
もう好みの問題としか・・・
自然災害をきっかけに家族の離縁や再生を描く映画やドラマは、国内外でたくさん製作されている。
日本は地震が多い国ゆえに、そうしたジャンルの作品が作りやすい…といったら語弊があるだろうけど、個人的にはどうも苦手。そういう意味で本作も正直ノレなかった。
もちろん震災の記憶、特に発生して20年以上経つ阪神大震災のそれを風化させてはならない。ただ本作では震災というモチーフがあんまり活かされてない。低予算ゆえに致し方ないとはいえ、画作りのチープさも気になる。
試写の感想では絶賛の声が多かったらしいと聞いて、ますます乖離を感じた次第。
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