「お見事です」スパイの妻 劇場版 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
お見事です
ヴェネチア国際映画祭の銀獅子賞(監督賞)受賞作品である。映画館で予告編を何度も観せられて必ず鑑賞しようと思っていた作品だけに、鑑賞前に受賞の報を聞いて期待値が一段上がった。
本編は予告編の印象とはかなり違っていた。特に蒼井優が演じた聡子は、予告編の可愛らしい妻ではなく、思い込みの激しい独善的なタイプで、その大胆さと行動力によってある意味物語を引っ張っていく。そして高橋一生が演じた夫福原優作は、聡明博識の上に聡子以上に行動力に富んでいるから、こちらも物語を引っ張っていく。聡子が表を担い、優作が裏の部分を受け持って、その両輪の伯仲が波乱万丈なドラマを更に劇的にしていく。なんとも位置エネルギーの高い夫婦なのである。いずれも複雑な人格であり、蒼井優も高橋一生もそれぞれのややこしい役柄を奥行きのある演技で上手に演じていたと思う。
脚本に参加している濱口竜介は映画「寝ても覚めても」の監督でもあり、その主演が東出昌大と唐田えりかというのも何かの因縁だろうか。本作品で東出が演じた憲兵隊の将校津森泰治は、戦前の軍官僚が想定した国体の護持という大義名分を盲信する愚かな兵士の典型である。こういう思い込みの激しい単純な役柄が東出に合うようで、本作品での国家権力の窓口としての存在感は大したものだった。
ストーリーは終盤の手前までは意外と一本道ではあるが、ディテールのシーンが沢山あって、坂東龍汰が演じた文雄や恒松祐里の駒子と夫婦の精神的な結びつきが物語の幅を広げている。街なかでは愛国婦人会も登場して、示威行進する歩兵隊に拍手を送る。一方では歩兵隊をまるで通り過ぎるトラックでもあるかのように無造作にやり過ごす歩行者もいて、これらのシーンが物語にリアリティを醸し出している。
場面は光の当たる明るい場面から映写機が回る暗い場面までメリハリが効いていて、その中で次々と変わる聡子と優作の衣装が映える。大変にお洒落な夫婦であり、優作の「そんなもの(国民服)着ていられるか」という台詞が、権力に屈せず精神的な自由をなんとしても守るのだという強い意志を感じさせる。
結末には少し驚かされた。それが判明したときの蒼井優の演技は実に素晴らしくて、黒沢清監督が一番描きたかったのがこのシーンではないかと思った。本作品が歴史の悲劇を描いたのではなく、エンタテインメント作品だったのだと初めて気づかされるような衝撃のシーンだった。お見事です。