ジュゼップ 戦場の画家のレビュー・感想・評価
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記憶の混濁が良い味を出している
本作の主な舞台となるのは、1939年のフランス国内でスペインからの難民を強制的に収容する施設だ。20世紀初頭の強制収容所といえば、ナチスの政策で作られたアウシュビッツなどのユダヤ人収容施設が有名だが、フランスとスペイン間にもそのような場所があったとは、あまり映画で描かれることは少ないかもしれない。
物語は、画家のジュゼップと看守のフランス人セルジュの友情を軸に、理不尽な現実を絵にし続けたジュゼップの魂を美しいアニメーションで描いていく。セルジュが孫に語り聞かせるという形式で語られるため、記憶の混同があり、それがアニメーションによって表現されるのが上手い。例えば、フリーダ・カーロが突然海辺に現れたり、トロツキーがメキシコにいたりする。この不確かさが本作の魅力となっている。むしろ、その記憶の混濁ぶりは、不自由で理不尽な現実から逃れて自由になる意思が働いているのではという気にさせる作品だ。ジュゼップ・バルトリという画家は、日本ではほとんど紹介されていないようだ。僕もこの映画で初めて知った。
【”色を受け入れた時、貴方は恐怖を支配できる。”波乱の人生を歩んだスペイン人画家、ジュゼップ・バルトリの波乱万丈の人生をアニメで描いた作品。】
■第二次大戦前夜、スペイン内戦を逃れた難民がフランスに押し寄せる。
難民たちは劣悪な環境の収容所に閉じ込められ、憲兵たちからも酷い扱いを受けていたが、画家のジュゼップは人間性を保つため、壁や地面に絵を描き続けていた。
そんな彼に新米憲兵のセルジュは鉛筆と紙を与え、2人は固い友情で結ばれる。
◆感想
・ジュゼップ・バルトリ(1910~1995)は、フランコが起こした内戦の中、共和国軍の一員として抵抗する。
その後、フランスへ逃げるが、フランス政府により強制収容所に入れられる。が、過酷な生活の中、黙々と白黒の絵を書き続けた。
・今作が沁みるのは、新米憲兵セルジュとの間に育まれた友情であろう。激中でも描かれているが、セルジュは彼に紙と鉛筆を渡してくれ、セルジュはそれに収容所の悲惨さを、白黒のタッチで描いて行くのである。
<その後、メキシコに亡命したジュゼップは、フリーダ・カーロと出会い、イラストレーターとして人生を取り戻して行くのである。>
切なさが絵になる・・・
この時期戦争が始まり戦火が拡大するなか、多くの画家がメキシコへと目を向けた時代であった⁉️その中の重要な画家のひとりにフリーダ・カロがいたもその彼女と親密な交際を続けた画家の目がひとつの切ない物語として映画となった。
実在した風刺画家が体験した戦争の悲惨さをクロッキータッチで描き出した!!
独特のデザインで 1982年のイスラエル軍によるレバノン侵攻の中で起きた、サブラ・シャティーラの虐殺を描き、強烈な印象を残した『戦場でワルツを』を製作したセルジュ・ラルーが製作。
実在した画家にして、自分の戦争体験を描き残した戦場画家であり、風刺漫画家としても知られるジュゼップ・バルトリの物語を、クロッキー鉛筆画のタッチを強調した独特のアニメーションとして描き出す。
単純にデザイン的な観点からもおもしろい作品であるし、今年は『ベルヴィル・ランデブー』のリバイバル上映や『カラミティ』『DAHUFA -守護者と謎の豆人間-』などなど、多国の様々な特徴をもったアニメ映画が多く公開される。年々、そういった機会というのが増えている。
日本のアニメ産業もジャパニメーション、クールジャパンというブランドのように、世界に売り出していながら、その運営や現場の雇用体系は過酷なものが多く、結局は海外のアニメ製作会社に頼ったものが多くなっている。その結果、技術やセンスが他国にダダ漏れになっている気がしてならない。
アニメ産業は日本がトップだなんて、大きな態度でいられる時代は終わりつつあるのかもしれない…という話をしてしまうと、脱線してしまうので、それぐらいにしておこう。
美術をかじった人や学校で授業を受けたことがあれば、知っていると思うが、 今作で取り入れられている、 クロッキーというのは、素早く描くのが特徴ではある。簡単に言えば簡易デッサンといったところだろうか。
しかし、今作にはクロッキーではない、しっかりとした風刺画や1枚絵もいくつか印象的に映し出される。
つまり、その絵が生まれるきっかけとなった背景は、クロッキーのように描いて、それによって完成された絵は実物が映し出されるという仕組みになっていることで、メイキング的な側面もあるのだ。
ベトナム戦争の時代になると、多くのカメラやテレビカメラを持った戦場カメラノンが多く戦場に出向くようになり、死体だらけの悲惨な現状が、今の時代のコンプライアンス概念では考えられないぐらいに、普通に映し出されていたわけだが、それ以前というのは、カメラというのは、まだそれほど一般化していなかった。
あったとしてもプロパガンダとして使わることも多い中、リアルに体験した者の書き記された文章や今作のような絵は、その現状を知る手段のひとつとして、今も歴史的資料となっていることが多い。
風刺漫画というと、政治家や戦争をコミカルに描いていて、1800年代からすでにあったものであるが、近年の風刺画家は、例えば戦争であっても体験したというより、想像やテレビ、新聞、今であればウェブなどの情報を元に絵描かれることが圧倒的に多いが、ジュゼップの描く風刺画は正に自分の目で観て、体験したものが反映されているという点でも重みがかなり違っている。
普通のデッサンや一枚絵であれば、その描かれている被写体がどんな人物だったかを読み解くことは難しい。
しかし、風刺画という形態によって、その人物の人間性を浮き彫りにしているのだ。
クロッキーのソフトなタッチでありながら、そこに映し出される戦争の悲惨さというのは、決してソフトなものではない。
フランス憲兵の横暴さのみ印象に残る
あいかわらすヨーロッパのアニメーションは綺麗で個性的で動く絵本ですね。監督のインタビュー記事には、
実在の画家ジョゼップのデッサンを生かした描画にしたとのこと。なるほど!確かに魅力的でした。
実在の画家のフィクション・ストーリー。でも、物語背景などは史実ですかね?難民収容所については知りませんでしたが実際あったのですね。多分、ここで描かれることは実際にあったエピソードなんでしょうね。どうして人間は強い立場になると弱者を痛めつけたくなるんでしょうね。人間の根本は一緒なんでしょうね。皆、そうなれる。スイッチを入れるかどうか?の話ですかね?
本作は画家を中心に進行しますが、基本は憲兵目線のフランス人のお詫びなのかな?過去を明らかにして罰を受けるような物語だったかな。
世界的に差別反対の機運が高まる中、過去の暴挙を明らかにして意識を高める意味はあるのかもしれませんね。
ただ、印象に残っているのは憲兵の行動だけってのは残念ですね。フィクション部分のストーリーがイマイチだったかな?
ちと残念です。
フリーダ・カーロの眉と色彩
絵画が動いているようなアニメーションに見とれているうちにしばらく瞑想状態に陥ってしまった。音楽も心地いいからね。ひょっとしたら、大事な場面を見落としたのかも。
第二次世界大戦前夜、フランコ独裁政権の迫害を受けているカタルーニャ人はフランス逃げ込もうとするが、フランス政府は収容所に押し込めてしまう。
この収容所で憲兵だったセルジュと難民の画家ジュゼップとの交流を描いているのだが、フランス的なデフォルメに今ひとつ馴染めないまま、収容所パートが終わってしまった。
難民へのひどい扱いだけでなく、黒人差別も描いている。この作品の意義はよく理解できたが、物語として消化するには敷居が高いのかな。
主人公はフランス
日本人向きの絵柄ではないが、フランスのカートゥーン風作画を楽しめるという感じだろうか。
ただ、いろいろと暗示的で分かりづらく、チグハグな作品だったと思う。
収容所のシーンは、単調で眠りを誘う(自分は寝てしまった)。セネガル兵の立場も、あいまいだ。
時々、本物のバルトリが描いたと思われる絵が出てくるが、脈絡がなく、どこからどこまでがバルトリ作品なのか分からない。
フリーダ・カーロの登場シーンはガッカリだ。内容がなく付け足しレベルであったし、フリーダが妙に壮健だ。また、トロツキーの話は、必要なかったのではないか。
一番の難点は、憲兵セルジュの視点で進むことだろう。
監督は、バルトリはスペインの共和国兵士であるため、勝手な創作による僭越を避け、同じフランス人の架空の人物に語らせたらしい。
しかしそのために、バルトリを主人公としながら、バルトリが何を考え、何を描き、どう行動したかが分からず、観客は置いてけぼりになり、充実感も得られない。
そこを想像をたくましくして、解釈し提示することこそが、創作映画の役割ではないだろうか?
思うに本作は、映画「ジュゼップ」と言いつつも、強制収容所という、自国フランスの“闇の歴史”についての“贖罪”の映画にちがいない。
バルトリは題材に過ぎず、本当の主人公は憲兵セルジュであり、フランスそのものかもしれない。
フランスの極右にとって好ましいはずはないし、日本で作られれば、某元首相が「反日」と表現し、街宣車が騒ぎ出すのだろう。
静かな炎が燃えている作品である。
粗い描写のアニメーションが味にならず…。
見ていくうちに、もういいかなという感じになる。
粗い描写のアニメーションが味にならず、画のタッチもなぜかコロコロと変わるため、とても見づらく、わかりにくい。
全編通して、リズムが悪く、ストーリーを追うのが、面倒になってくる。
大ざっぱにいえば、スペインの圧政を逃れ、フランスへ逃れるも難民収容所で過酷な生活をしいられる。その後、メキシコへと亡命し、ニューヨークへと拠点を移し、画家としての地位を確立していったという話だ。
メキシコでは、フリーダ・カーロとも関係があったようだ。
スペイン内戦などの事実関係は、よくわからないので、コメントできないが、描き方がもうひとつと言える作品かもしれない。
カンヌや東京で評価されているようなので、自分の目で確かめてみてください。
絵と音楽にじんわりきました
正直、絵が巧みに動くわけでもなく、独特すぎる描画などに不安を覚えましたが、抜群の音楽の使い方と、場面によって画風を微妙に変えていたり空間や光の表現の妙などにものすごく引き込まれていって、最後、完全に心を持って行かれました。エンドロールの長い調べは、本当長かったのですけれど、それほど苦にならなく、むしろ心地よいくらいに感じられました。
決してハッピーな内容ではないけれど、予想外に華やかな印象を受けた作品でした。
戦争映画は有用有急のコンテンツなのだ
スペイン内戦と聞いてすぐに浮かぶのはピカソの「ゲルニカ」であり、ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」である。いずれも人間がどうしてこんなに愚かしいことをするのかを嘆き、あるいは諦観している。芸術家は人類を鳥瞰してみる面があるので、単純な怒りを作品にすることはない。
本作品の主人公セルジュはそんな芸術家を異国の憲兵として見守る。スペイン内戦は政府軍と反乱軍という単純な構図ではなく、それぞれの勢力に内紛が絶えず、排除の論理だけが怒りの感情となって武器に現れるという最悪の推移であった。フランコは政権を握ってからも元政府軍を弾圧したから、カタルーニャやバスクの人々はピレネーを越えてフランスに逃れたのだが、それはドイツ軍がフランスを制圧するという最悪のタイミングであった。最悪と最悪が重なって、収容所で苦痛の日々を送るジュゼップだが、自分の不幸まで客観視するようにひたすら絵を描き続ける。
憲兵のセルジュが心を敲たれたのはジュゼップの絵ではなく、そういうジュゼップの生き方だと思う。セルジュはジュゼップと対峙するのではなく、横に並んで一緒に作品に向かい合うような、そういう接し方をしている。それはセルジュの優しさなのだろう。
優しい人間にとって戦争は苛酷だ。自殺しない限りは、戦争の中で何らかの役割を果たさなければならない。それは支配する側だけでなく、収容所で餓死したり、病死したり、あるいは憲兵から殺されたりする難民も含まれる。殺し殺され、いじめいじめられ、という酷薄な関係だけが戦争だ。
夏は日本にとってだけではなく、世界にとっても第二次大戦が集結したことを思い出す季節である。この時期には多くの戦争映画が公開されるが、本作品は新しい切り口で戦争を描き出してみせた。難民問題という現在の問題がすでに昔から繰り返されてきたことも表現している。そして芸術家がどのように現実を捉え、どのように作品に昇華させるのか、戦時下の人々がそれぞれどのように芸術と向き合ったかを教えてくれる。
戦争という最も凄惨な状況にあっても、芸術は必要だ。それは絵だったり詩だったり小説だったりする。映画であることもある。コロナ禍でも戦争は常に振り返る必要がある。戦争映画を観に行くことは決して不要不急の行動ではない。コロナ禍に乗じて国家主義を浸透させようとする族(やから)たちがいる限り、戦争映画は有用有急のコンテンツなのだ。
青い家
1939年2月にフランコ体制下のスペインから逃れてフランスにやって来たジュゼップと、難民収容所の新人憲兵の話。
年老いた憲兵だった祖父さんが当時を孫に語る体でみせていくけど、あらすじを読んでいなかったり、当時の情勢を知らないと序盤はわかり難いかも。
フランス人憲兵達の非人道的行いや、それに屈する難民達、彼等の息抜き、そしてジュゼップとセルジュの交流とレジスタンスの蜂起等々をみせていく。
淡々としつつも民族主義や力に対し鬱屈としたもの、その中でも垣間見える日常と希望と悲哀、当時の難民達の感情等とても面白かった。
どこまで事実か判らないし、ジュゼップという人物を知らなかったけれど、ヴァランタンの件が事実なら痺れるねぇ。
個人的には響かず…
スペインの政治難民であり後に画家となるジュゼップの半生を描いた実話。
物語は政治難民となりフランスに逃げ収容所で暮らす姿から始まる。
看守達はジュゼップをはじめとしたスペイン人達に対して酷い扱いを行い、時には殺してしまう。そんな過酷な環境である。
それをよく思わない看守の一人がジュゼップらを親切に扱い、ジュゼップに鉛筆などを支給し画家になるきっかけを与えた。
その優しき看守の一人が現在では末期状態のお年寄りとなり孫にジュゼップの事を語りながらストーリーが進む構成となった作品である。
綺麗な色彩で絵的には見易さはあるのだがストーリーが端折る展開に感じイマイチ響かず。
ジュゼップが生きた収容所の過酷さ看守達の醜態さを感じる事はできるがイマイチ彼の絵に込められた強いものを未熟ながら感じる事は出来なかった。
上映時間が1時間ちょっと短い事もあってか個人的には全体的に響かず心残りとなる作品になってしまった。
過去の記憶とマッチした表現
試写会で拝見。
移民・難民問題が多くなった現代にこそ刺さる内容でした。
特にフランスの憲兵がスペイン難民を虐待するところなどは、イスラム世界における諸国の難民の扱いや、日本でも名古屋の入管(出入国在留管理局)が入管収容者を死なせたことを思い起こさせてなりませんでした。
80年経っても人はあまり進歩していないのかもしれません。
現代パートと過去1939年~1945年パートに分かれていて。
現代は普通にアニメーションの動きをしているのですが。
過去はイラストによる「絵物語」みたいなテイストで面くらいつつも、それがすごく「時の流れ」「記憶」という表現にはまって味になっていました。
タイトルなし
1939年スペイン内戦時
避難先のフランスの強制収容所で難民となった
画家ジュゼップ·バルトリ
愛する人との再会を胸にどんな現実も描くことで
生き抜いた男の感動の実話
イラストレーターとして活躍するオーレル
ジュゼップが収容所で記した
鮮烈なスケッチに触発され
10年の歳月を費やして完成させた
長編アニメーション監督デビュー作品
ジュゼップバルトリ (1910-1995)
実在の画家の人生を
ジュゼップの絵
記憶の断片を繋いだような映像を通して
フランス側の看守だった男(お祖父さん)が
孫に伝える
画家ジュゼップを知らなかった
スペイン内戦時の葬りさられた歴史
#フリーダカーロ (1907-1954)
との関係
イラストで描かれた重く苦しい事実
生を感じさせる色彩
美しい曲
とても魅了される作品でした
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