「「肉体的な痛み」や「死」ではない地獄」FLEE フリー キレンジャーさんの映画レビュー(感想・評価)
「肉体的な痛み」や「死」ではない地獄
(特に後半はネタバレ要素含みます)
インタビューをアニメに描き起こすという形のドキュメンタリー。
描き起こすという作業がある以上、こちらの観る側も、描かれたもの(スクリーン上で語られるもの)全てに何らかのメッセージがあると錯覚してしまうし、「誇張」とまでは言わないまでも、より強くメッセージを発信するためにアニメーションなりのフィクショナルな表現があるものと思っていた。
しかし、それはむしろ逆で、本来の映画のメッセージとは直接関係のない、でも登場人物たちの「素」の姿をあえて描くことで、むしろドキュメンタリーであることが強調される。
実際に彼が見聞きした事件も、もっと残酷に描くこともできたんだろうけど、むしろそちらは実写をカットインさせるくらいに抑え、アニメーション上は人が死ぬシーンどころか、痛々しい暴力シーンさえほとんどない。
この映画は、むしろ「もっとひどい地獄がここにある」ということを語りかけてくる。
自分の出生や国籍、家族の存在、性的嗜好といった、まさに「自分」を作り上げている要素を封印させられ、肉体的な自由もとことん制限されていく。
ここにいるのは本当に「自分」なのか。
もちろん、描かれているのは「彼の絶望」「権力の横暴」だけではない。
「傍観者」という名で、実は加害者側に荷担している「我々(観客)の暴力」。
他国からの亡命者たちの集団に偶然出くわした時、私は積極的に彼らの救護に立ち上がれるだろうか。
さらに言うなら、少なくとも私は「あのおばあさんは殺される」と思ったし、「あの女性は暴行される」「密航したあの家族は死んだ」ことが描かれると思った…いや、期待した。
そう、この映画はその銃口の一つを「私」に向けている。
もう一つ、おそらく「クライマックス」と言っていい、最後のあのナイトクラブのシーン。
大変恥ずかしいことだが、この映画を観た者としては言わざるを得ない。
あれが主人公の「魂の救済」であると解っていてもなお、私は心のどこかに「いかがわしさ」の様なものを感じていた。(単純にあのピンクや紫のネオンや照明に触発された感覚でもあるのだが、それはそれで私の理解力の欠如を物語っている)
私のようなアンテナの鈍い観客にとっては、どちらかというとこの映画は、何か強烈なメッセージを分かりやすく訴えてくるというより、こちらから「(メッセージを)迎えに行く」「掬い上げる」といったタイプの作品なのかな、と思う。
良くも悪くも、観客の評価が別れるのも納得。
ただ、観賞直後は薄かった印象が、後から解説や評論などを見て、改めてこうして書いて整理することで私は作品の輪郭がハッキリした。
こういう映画ももちろんあっていいな、と思う。