ラストブラックマン・イン・サンフランシスコのレビュー・感想・評価
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レトロ感漂う映像が素敵な作品。でも…
この作品でいちばん惹かれたのはレトロ感が漂う映像。本当に素晴らしい。
派手な特殊効果はないので台詞にも集中できると思いますが、起承転結(introduction, development, twist, conclusion)が緩やかすぎて何を伝えたいのか分からない、ストーリーが退屈に思う人は多いと思う。
ジョナサンはジミーのショックを少しでも和らげる方法であの家の真実を知らせる為に
一人芝居を開催したのかな、と思った。ジミーを常に静かに優しく見守るジョナサン。繊細な心を持ったふたりの友情物語のように感じた。
タイトルは主人公の事ではなく(多分)撮影した所有主の事なのだとプロダクションノートを読んで知りました。
タイトルは意外と意味深い
米国西海岸、サンフランシスコ。
黒人青年ジミー(ジミー・フェイルズ)は親友モント(ジョナサン・メジャース)の家に居候しているが、根っからのシスコっ子。
フィルモア地区に建つ一軒家で生まれた彼は、いまや金持ち白人が暮らすその家をこよなく愛していた。
なんでも、その家は、ジミーの祖父が太平洋戦争終結後、自らの手で建てたと、祖父から聞いていたからだ。
けれども、サンフランシスコで黒人が一軒家を持てたのは、今は昔。
そんなある日、件の家の持ち主の老人が急死し、居住していた娘夫婦は相続騒動からその家を後にした。
空き家になったその家をジミーとモントは不法占拠して暮らし始めるが・・・
といった内容で、一言でいえば、郷愁の物語。
その郷愁を掻き立てる故郷が身近で、都会であるあたりが厄介で、かつ、貧富の差のみならず人種の壁も存在している・・・といった内容。
主演のジミー・フェイルズの実体験に基づいている物語らしく、彼を中心とする黒人たちの生き方はリアル。
だが、映画としては、一眼的で、サンフランシスコの黒人視点オンリーであるがゆえに、物語の語り口が狭い。
最終的には、件の家が、ジミーの祖父の手になるものではなかったことを知ったジミーが、故郷に背を向けて旅立つのだけれど、なんだか行動が幼く感じられて仕方がない。
終盤、モントが、共通の友人(といっても出会う度に罵られているのだが)の死を題材にした一人芝居を演じるシーンは、演じられる芝居そのものは支離滅裂なれど、サンフランシスコで暮らす黒人の立場が身に染みてくる。
タイトルの『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』とは、モントが演じるひとり芝居のタイトルで、「サンフランシスコで暮らす最後の黒人」の意ではなく、「(なんやかやで白人の人種差別・偏見で殺された)サンフランシスコの最後の黒人(であってほしい)」と( )部分が言外にあります。
演出、脚本とも未熟で冗漫な映画ですが、それだけで悪く評価できない魅力も感じる作品でした。
街がたえだえに呼吸してる
じいちゃんが建てたという素敵な家に住みたい。同じコミュニティの奴らは主人公と距離を取っている。
白人の金持ちしか住めない住宅地。黒人の主人公は住人がいなくなった隙に入り込むが、追い出される。
友の死をきっかけか、寄り添い続けた親友がそこに止まるなと叫ぶ。
そして主人公は友を、街を離れ去っていく。
サンフランシスコは愛憎充ちたふるさとなのだろう。
主役の年齢問題
映像はとても美しい。最初、主人公が住む町で黄色い防護服を着た人たちが何やらゴミ収集らしきものをしているところを通り過ぎると、そのあとに町の有名人(?)であるピンクのネクタイをした男が台の上に乗って演説しているところに出会うというシークエンスなどはひじょうに映画の先行きを期待させるオープニングでした。
しかし、そこからの話が……。
要するに主人公の行動が幼すぎるのです。
どう見たって、彼が執着する家はおじいちゃんが建てたものだとは思えないほど、時代がかったものだし、その家に住みたいから不法侵入するという短絡的な行動もそう。また、父親との関係も妙にぬるかったりする。
だから、私は正直、「この主人公は馬鹿じゃないの?」と思ったのですが、でも、あとで映画.comの解説を見ると「主役の人が10代に経験したことをベースに」と書いてあったので納得(パンフは映画館になかった)。
そうです。これって、主人公が13~14歳くらいの少年だったら、どんなバカでも共感できたと思うし、感動できたと思うんですよ。それを大人にシフトしたから、なんとも座り心地の悪い物語になってしまいました。そうすれば、また、この唐突なエンディングももう少しは説得力のあるものになっていたと思います。
なんとも残念な映画でしたね。
これぞ、A24
サンフランシスコで生まれ育った主人公ジミーが、昔家族で暮らしていた家が大好きすぎて空き家になった途端に不法侵入してその中に家具も持ち込んで住み着く話。
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安心と安全の映画制作スタジオA24、私の中ではオシャレな映画が多いイメージで、この映画はまさにザ・A24って感じですごい好きだった!内容も大事だけど、映像を見てるだけで感動する映画も結構好きなので、すごい良かったですね。
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たぶん今まで見た黒人系の映画で1番おオシャレ。治安の悪そうな街のチンピラですらこの映画ではオシャレに感じるマジック。スパイク・リーとは真逆。
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今年は『waves』とか『ブックスマート』みたいなプレイリストムービーなるものが公開されてたけど、私はそれよりこの映画の音楽がドンピシャでしたね。たぶん2020年いっぱいは、「If you going to San Francisco~~~」って歌ってると思う。
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主人公がずーっと執着してる家、元々日系人が住んでて第二次世界大戦で日系人が強制収容所に入れられた後に空き家になったところをジミー一家が不法滞在してたってことで合ってるかな?なので日本人なら家の雰囲気がどことなく日本の雰囲気を感じる気がする。
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この執着が傍から見るとちょっと怖くて、日系人とか出てくると家に取り憑かれてる人のJホラーなのか?と思ったりね(笑).
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家にいて自分の好きなものに囲まれていることが幸せに感じる映画。
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冒頭のスケボーに乗りながら街の人の様子が流れてくシーン、音楽も良く...
冒頭のスケボーに乗りながら街の人の様子が流れてくシーン、音楽も良くて素敵。A24×プランB製作のせいか撮り方はさすがで引き込まれる。表情のみで魅せるカットも多くて見ていて飽きない。
ストーリーはとても個人的な話だけど自分は好き
サンフランシスコや黒人差別の歴史を深く学んでいればより楽しめたのかもしれない。
主題がわからずじまい。
映像の美しさや、演者の熱のこもった演技は秀逸ながら、
約2時間見て、『あれ、主題なんだっけ?』で終わってしまった。
人種差別か。それとも、変わりゆく街への懐古主義か。
そもそも過去の持ち家とは言え、セールに出されている家を不法侵入の時点で、
『?』だったが、何とか理解しようと映画に集中した。
しかし、あの演劇のシーンで、『やっぱテーマがわからない』になってしまった。
私の理解力がないのか、そもそも作品にブレがあるのかはわからない。
もう少しサンフランシスコにおける歴史を知っていた方が良かったのか。
かな期待していたが、ちょっと期待には及ばなかった。
期待外れでした。とても独りよがりな映画。
この映画のどこが良いのか全くわからない。
レヴューがなかなか良いので期待して観たのですが、単に思い出の家を自分のものにしたい、というワガママに終始しているだけ・・・
いやいや、昔住んでたか知らんけど、勝手にペンキ塗るとか庭いじるとか、今住んでる人に迷惑やし。犯罪やし。笑
挙げ句の果てには空き家になったら勝手に住んでるし。
あかんでしょ。
仕事してる様子もなく、ノスタルジーに酔ってるだけ。
早々に白けてしまい、感情移入できず。
無駄に凝った映像が鼻につくし。
終盤の一人芝居もドン引きだ。
プランBの映画は当たり外れが大きい。
【サンフランシスコの黒人青年達の哀しみと、それでも街を愛し、”誇り”を持って生きる姿を静かなトーンで描き出した作品。現代アメリカが直面している人種の分断を仄めかすように描いた作品でもある。】
ー冒頭から驚かされる。海岸近くの道の法面で、防護服を着た男性達が何やら”ゴミ”らしきもの拾っている姿。その脇を普通の恰好で横切る黒人達の姿。
遠方の遠浅の海に突き出た半島には、何やら工場らしきものが建っている。-
・主人公ジミー・フェイルズ(本人)と友人モント(ジョナサン・メジャース)はぼんやりと道沿いで何かを待っている。
”バスが来ない・・”
・目の前の海からは、目が両側に二つある奇形の魚が桟橋に打ち上げられている。
ーここは、サンフランシスコではないのか? あの建物はどう見ても・・-
・ジミーが大切にしているスケボーは、ファッションではなく移動手段であることが劇中で分かる。
ー彼は、車を持っていない・・。-
・19世紀ヴィクトリア様式の建造物が並ぶサンフランシスコ・フィルモア地区は且つて、日系移民が多数住んでいた。
が、戦時中の日系人の強制収容で黒人が住む町になっていき、今では富裕な白人層が住む地域になっている事。
黒人たちは別の地域で暮らしている事。中にはジミーのように友人宅に転がり込んでいたり、車で寝泊まりする者もいることが、徐々に分かって来る。
ーこの地域の、歴史的変遷がさりげなく描かれ、語られている。そして、黒人たちが置かれている境遇も・・。-
■印象的な事
・ジミーもかつては、祖父が1946年に自力で建てたという尖塔が特徴的な、フィルモア地区の豪華な館に住んでいたが、家族離散で今は友人モント(ジョナサン・メジャース)宅で暮らしている。
劇中で彼の父が家を手放し、現在は妻とも離縁している事が語られる。
ー道路わきには、黒人青年たちがぼんやりとした表情でたむろしている・・。彼らと、防護服の人々の道路を挟んでの対比の構図。-
・ジミーが且つての家の一部を、ペンキで塗りなおしているシーン。突然、投げつけられる食べ物らしきもの。
”何をやっているの!” この家の住民らしき初老の婦人から投げつけられた言葉。
ージミーは勝手にペンキを塗っていたらしい。だが、嫌がらせではなく彼がこの家を大切に思っており、手入れしていた事が分かる。ー
・ある日、その家が初老の夫婦の家が売り出されることになり・・、物語は少し動き始める。ジミーは違法だが、自分たちの家具をその家に持ち込み、住み始める。
一方、軋轢はあったが友人であった青年がある日、諍いから撃ち殺されてしまったと言う事実が告げられる。泣き崩れる一人の青年。皆、茫然としている。
そして、ジミーの家にも異変が起こる。ある日、家具が道路に捨てられ、家には大きく白人の不動産屋の顔が張り出されたポスターが・・。
その白人不動産屋から告げられた”幾つかの事”
ーあの家は、200万$もするのか・・。それに登記簿に記載されていた事は真実なのか・・-
ー亡き友を偲んで、モントが自作自演した一人劇。今作で、唯一、黒人の怒りが炸裂するシーンである。心に沁みる・・。-
■ナカナカ来ないバスの中での白人の女子学生たちの言葉。
”この街を出たいね・・。”
それを聞いたジミーが微笑みを浮かべながら言う言葉。
”この街を好きになってよ・・”
<劇中では詳しく語られないが、モントの家がある海辺の町から今や白人富裕層が住むフィルモア地区へのバスは、黒人居住区と白人居住区との分断を解消するために設けられたバス通学制度のために導入されたモノである。(昨年の民主党の候補者指名争いでの、バイデン氏とハリス氏の論戦は記憶に新しい・・。)
だが、そのバスは滅多に来ない・・。>
竹島問題だ!!!
この映画は色々な賞にノミネートされていたり、受賞してたりするので、楽しみにしていた。結論としては、普通の映画だった。
格差問題を取り上げているとしたら、その内容は薄い、または日本人には分からない。「サンフランシスコが負けた」というセリフが最後の方にあった。元々黒人が住んでいたサンフランシスコに富裕層が住み着き、黒人が追い出さてしまったことを指しているのかもしれないが、格差というわけではない。
私は竹島問題を連想した。自分のものでは無い土地を、自分たちのものだと主張する韓国人の行動は、まさに、ジミーの行動そのものだ。
映画では、盛り上がるシーンはほとんど無く、平凡だった。カットが美しいのと、珍しい(芸術的な)カットも多く感じた。映像は素晴らしいと思った。
ストーリーは余り丁寧な説明がないので、初めはなぜこの家に執着してるんだろうと不思議であった。
主張したいことが読み取れず、インテリ向けの映画のようだ。
ジミーのスケボーでの移動を見て、便利そうだなぁと思った。スケボーでコケるシーンがあるが、怖くないのかな?
チャルメラのような音楽が流れた。もしかしてらチャルメラの原形となる音楽があるかもなと思った。
裸のおっさんが出てくる。モザイクは無い。
ストーリーざっくり。
主人公ジミーは友人モントと狭い部屋に住んでいる。ジミーの生きがいは祖父が建てた家を取り戻すことである。祖父の建てた家は父が手放してしまっているので、ジミーに所有権はない。モントは絵を書いたり、演劇の脚本を書いたりしていて、そういった道に進みたいようだ。
祖父の建てた家には居住者がいるが、余り家を大切に使わない。ジミーはこっそりとペンキを塗ったりして補修するが、居住者に見つかると追い払われてしまう。
ある時、居住者が財産分与等で家を手放すことになった。毎日のように家を確認しているジミーは空き家になったことに直ぐに気付いて、モントと一緒に住むことにする。当然、正規の入居ではなく不法入居である。正規に入居しようとすると、この家の販売価格は400万ドルなので、ジミーには手が出ない。
叔母(母だと思ったがwikiだと叔母と書いてある)の家に父の所有物が保管されているので、ジミーはそれらを譲り受け、祖父の家に配置する。
ある時、ジミーが家に帰ると叔母から譲り受けた家財一式が家の前の道路に捨てられていて、玄関のドアに売り出しの広告が貼られていることを知る。
ジミーは取り戻したいので銀行に行くが、400万ドルの20%が無いと貸せないと銀行員に断られてしまう。ジミーにそのお金はない。
モントは不動産に行った。そこで、実はジミーの祖父が建てたと聞いていた家が、それよりも前に建てられていたことを知る。
ジミーの友人コフィーが殺されてしまった。モントは、コフィーを題材とした脚本を書いた。その演劇をジミーの祖父の家で披露すると、その中で、この家が祖父の建てた家では無いことをジミーに伝える。
ジミーはショックだった。モントに別れを告げずジミーは旅立った。モントはジミーを探すが見つからない。ジミーはロサンゼルスを背にして船を漕いで、ロサンゼルスから離れていった。
A-24に飽きて来たかも知れない。
と言うか、これはつまらなかったし、刺さるポイントにも乏しくて。
腐った街。うらぶれて希望の無い生活を送る人々。黒人差別と白人社会への悪言返し。戯曲的演出の冒頭部。祖父が建てた家を取り戻す夢に執着する若者。演劇にした親友へのメッセージ。
率直に言うと、入り込めませんでした。どれもこれも。刺さる人には、刺さると思うけど、芯のないリンゴをかじってる気分。行けども行けども、主題の核に突き当たった気分になりませんで、中途半端に雰囲気だけ味わって来た。
フロンティア時代のサンフランシスコ回帰的なラストカットも、個人的には響かずでした。
心の動きがわかるよ。
この映画を2019年12月に飛行機の中で観た。色々の課題があるので、それを考えてここに全部書くと書きすぎるから、ジミーの友達モントに焦点を当てて書く。
日本で公開されるかどうかわからないが、米国、特にサンフランシスコの歴史がよくわかっていると面白いしそれに、太平洋戦争の時、日本人が強制収容所に入れられ、その後、その空き家を買って住みついた人々や、第2時大戦/太平洋戦争が始まって、出兵したため、労働力として南部から来た人たちの歴史も加えて観るともっと内容が理解しやすいだろう。
それらが、ジミーの (ジミーフェイルズ)のお祖父さんが建てたと思っているフィルモアのビクトリアハウスの話とかみ合っているからだ。この中で、ジミーの親友モント(ジョナサン メイジャーズ)の心の動きと行動が気になった。モントはおじいさん(ダニーグロバー、実際もサンフランシスコの住人)と一緒に住んでいてテレビ番組を見ているシーンでも、明らかに仲のいい二人だとわかる会話をしているし、共通性があるし、このおじいさんはジミーとモントを精神的に明らかにサポートしている。「二人は一緒でなければならない」と。兄弟のように家族のように助け合って育てという意味だと私は解釈した。
モントの役はちょっとオタク風で、ゲイ風で自閉症があるようで、芸術方面に長けていていて、よく本を読んで、語彙が豊富で、表現力があり、私の憧れのジェームス ボルドウィン(彼は自閉症がないとおもう。ゲイ)のような感じだ。ジェームスボルドウィンがアメリカを捨ててフランスに逃げたように(私の解釈かも)モントの考えていることや表現力や芸術肌などは、この辺住んでいうチンピラの(ごめんね!)仲間には入っていくのは難しい。チンピラはすでに仲間じゃないと思って異質なものとして二人を見ている。モントは鏡の前に立って、Fの言葉を入れて話し始める。ひどい言いかた(まあ、クラスでこのような話し方をすれば、罰則をもらう。)を練習する。自分も彼らに合わせようと練習して努力してみるが、それは自分の本当の姿ではないと気づく。このシーンが好きだ。
コフィー(ジャマール ツルーラブ)というチンピラ(ごめん!映画から私が勝手に判断しているかも)たちの使っている言葉はちょっとひどいが、モントと二人は一瞬お互いいに惹かれ合う(?)。そして、コフィーは モントがジミーのビクトリアハウスに招待したことにより、全く考えられない、ジミーとモントの世界に一瞬入り込む。でも、殺されてしまう。
その後、コフィーのために(?)モントは「The Last Black American in San Francisco」という劇を作りそれをジミーのお祖父さんが作ったと思っているビクトリアハウスで近所の人を招いて講演する。コフィーを知らないソーシャルメディアにも投稿する。そして、講演で、モントは観客にコフィーの思い出を話させる。そこで、最後に、モントは皆の前でジミーにお祖父さんがつくったと思ってるがそれは実際は嘘だと。
モントにしてみるとこのビクトリアハウスはおじいさんが建てたものだと信じ込んでいるジミーの言動などをサポートしていたが、現実を見ろと言いたかったのかもしれない。わからないが。
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