ラストブラックマン・イン・サンフランシスコのレビュー・感想・評価
全50件中、1~20件目を表示
街へのラブレター
サンフランシスコ出身の監督と主演俳優による、街への複雑な想いを込めたラブレターのような作品だ。主人公はかつて住んでいた家を買い戻したいと願っている。祖父が自力でその家を建てたという話を主人公はかたくなに信じている。自分で自分の居場所である家を作ったということが、彼にとっての誇りなのだ。しかし、街は変わりゆく。その家には今、裕福な白人が暮らしている。だが、売りに出されたことで、なんとかその家を手に入れようと奮闘する。
かつては自分の居場所だったその家と地域は、かつては日系人が住んでいた街だと言う。日系人が太平洋戦争の際に強制収容所に入れられたことで、空いたその地域に黒人が移り住むようになったのだ。祖父が建てたという話の真偽はどうなのか、主人公が絶対的な自分の居場所だと思っていたその家は、本当は誰のものなのか。居場所とアイデンティティをめぐる物語を描いた素晴らしい作品。
どこにもカテゴライズできない、街の神話とでも呼びたくなる秀作
なんと大らかで、しなやかな語り口なのだろうか。サンフランシスコという街を一つのモチーフとしながら、そこに建つ尖塔が印象的な一軒家に焦点を当て、さらに「この建物はかつて祖父が一人で築き上げたもの」と主張するアフリカン・アメリカン青年の決意と行動に本作はじっくりと寄り添う。ともすれば、大風呂敷を広げすぎて個々の要素が空回りしてしまいそうな危うさを秘めながらも、決してそうはならない。ここが新鋭ジョー・タルボットの優れた部分。とりわけ冒頭、スケートボードでゆっくりと街を滑走するオープニングがあまりに素晴らしく、印象深く映し出される「街並み」や「人々の顔」が、本作の時に神々しくも感じられるほどのムードを決定付けるのだ。静かにこみ上げる街への愛情。そして仲間、家族、コミュニティ、自分たちの歩んできた歴史へ寄せる思い。そこには街の息遣いとともに、どこにもカテゴライズできない唯一無二の物語が刻まれていた。
オルガン
分かりにくいというか分からなかった。人間関係も背景も。家は素晴らしく、最初勝手に街の美化のためにやっているのかと思ったが違っていたのね。思い入れがあってやっていたのね。お家問題の筋は大体把握できたのだがコフィの話が出てきて???何か関係があったのか?話題にはよく分からなかった。
知らない街の知らない歴史を知る
映画をぼんやり観てると
娘が、なんでこんなの観てるの?と聞いて来たので、
映画で知らない国の知らない出来事を知るためだよ
と答えたのだけど、
本当にそう言う映画だった。
自分達はこう言う暮らしをしてて、
こんな思いでこう言う人生を歩んでます。
と言う映画だった。
押しつけがましくもなく、淡々と日々が過ぎて行く。
変わらない日常と少しずつ変わっていく風景。
テーマがどうとかそう言うものではなく、
こう言う人たちがこんなところで暮らしてるんだな
で良いような気がする。
僕としては、おじいちゃんが建てた家があり、
その家をどうするか?と言う問題は僕の身にも
起こっているので、
なんとなく固執する主人公の気持ちが分かる気も
した。
都市開発によって、ずっとそこに住んでいたのに
取り残された人々は一体どこに向かうのだろうか?
かつての街と、かつての家族
画が本当にきれいな映画。
ジミーがかつて暮らした家に重ねるのは、幸せだった頃の家族の記憶だろうか。
歴史的な価値があるにしても、あの家が4億円!?
住宅価格の異常高騰と時代の変遷。
そして取り残されていく小さな幸せを描いた作品だったと思う。
全く…
良さが分からず、盛り上がらなかった。サンフランシスコの光と影、栄枯盛衰、歴史的背景を知らないと楽しめない。本人の自伝らしいが、祖父が建てたとされる芸術的な家にかつて住んでいたジミーは、今は家もなく、親友宅に居候。かつての家が空き家となるや、かつての家具一式を運び入れ、勝手に住み始める。完全な不法占拠。しかし、不動産屋に追い出され、やがては祖父が建てたものでない事を知らされ、ショックを受けるが、どこか吹っ切れ、親友宅を跡にする。どこいったんだろ。
サンフランシスコ御用達
どんどん変貌していく街、サンフランシスコで取り残されていたビクトリア様式の生家が売りに出される。
主人公はお金がないので、友人と不法占拠してしまうのだが・・・。
都会では昔の家並みを見ることはほとんど不可能となっており、主人公の気持ちはわかるが、あまり迫ってこなかった。
レトロ感漂う映像が素敵な作品。でも…
この作品でいちばん惹かれたのはレトロ感が漂う映像。本当に素晴らしい。
派手な特殊効果はないので台詞にも集中できると思いますが、起承転結(introduction, development, twist, conclusion)が緩やかすぎて何を伝えたいのか分からない、ストーリーが退屈に思う人は多いと思う。
ジョナサンはジミーのショックを少しでも和らげる方法であの家の真実を知らせる為に
一人芝居を開催したのかな、と思った。ジミーを常に静かに優しく見守るジョナサン。繊細な心を持ったふたりの友情物語のように感じた。
タイトルは主人公の事ではなく(多分)撮影した所有主の事なのだとプロダクションノートを読んで知りました。
予告を観てハードル上がってたんですが、観た方に感想を伺いハードル下...
予告を観てハードル上がってたんですが、観た方に感想を伺いハードル下げて鑑賞。ハードル下げが功を奏したのかわりとすんなりと鑑賞できました。
共感しずらい描写もありましたが、情景描写の美しさと二人の友情の熱さを感じられる作品でした。
どこから来た? そして、どこへ行く?
答えの出せない問いかけは、いつの時代にあっても新鮮なまま有効なのを証明している秀作。『ムーンライト』がアカデミー賞を獲ったのがもう4年位前になるのかな? あの作品を観たときもアメリカの一部の黒人たちの心情が、なにかひどく寂しくて厄介なところに迷いかけているのを感じたけど、この映画を観てやっぱりそうだなと感じた。 テーマ的に真面目過ぎるものになってもおかしくなかったのを、リリカルな 映像と編集が救っている。
変わりゆくサンフランシスコになす術が無い
変わりゆくサンフランシスコとそこで生まれ育った二人の黒人・ジミーとモントのお話。
ジミーは祖父が建てたと聞かされてきた家に執着する。家族と暮らした記憶があるその家をいつか自分が取り戻すのだと。
ヴィクトリアン様式の歴史的建造物として観光名所にもなったその家は、祖父一人の手で建てるにはあまりにも立派な家だった。
小さいながらも自分の家を持つモントは定職に就き盲目の父と暮らす。彼はジミーを下宿させ何かと支えた。
やがて知る現実。
音楽好きなら知らぬ者はいないビル・グラハムのフィルモア・ウエストがあった地区。自由の象徴だったその地は再開発が進み富裕層が住む高級住宅街と化した。もはやジェファーソン・エアプレインは似合わない。
今作はそこから押し出され行き場所を失っていく人々をデフォルメした。無常感となす術の無さに落ちた。
スケボーで流すサンフランシスコの街の情景に激アツな愛情がにじみ出た。それが微かな救いだった。
タイトルは意外と意味深い
米国西海岸、サンフランシスコ。
黒人青年ジミー(ジミー・フェイルズ)は親友モント(ジョナサン・メジャース)の家に居候しているが、根っからのシスコっ子。
フィルモア地区に建つ一軒家で生まれた彼は、いまや金持ち白人が暮らすその家をこよなく愛していた。
なんでも、その家は、ジミーの祖父が太平洋戦争終結後、自らの手で建てたと、祖父から聞いていたからだ。
けれども、サンフランシスコで黒人が一軒家を持てたのは、今は昔。
そんなある日、件の家の持ち主の老人が急死し、居住していた娘夫婦は相続騒動からその家を後にした。
空き家になったその家をジミーとモントは不法占拠して暮らし始めるが・・・
といった内容で、一言でいえば、郷愁の物語。
その郷愁を掻き立てる故郷が身近で、都会であるあたりが厄介で、かつ、貧富の差のみならず人種の壁も存在している・・・といった内容。
主演のジミー・フェイルズの実体験に基づいている物語らしく、彼を中心とする黒人たちの生き方はリアル。
だが、映画としては、一眼的で、サンフランシスコの黒人視点オンリーであるがゆえに、物語の語り口が狭い。
最終的には、件の家が、ジミーの祖父の手になるものではなかったことを知ったジミーが、故郷に背を向けて旅立つのだけれど、なんだか行動が幼く感じられて仕方がない。
終盤、モントが、共通の友人(といっても出会う度に罵られているのだが)の死を題材にした一人芝居を演じるシーンは、演じられる芝居そのものは支離滅裂なれど、サンフランシスコで暮らす黒人の立場が身に染みてくる。
タイトルの『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』とは、モントが演じるひとり芝居のタイトルで、「サンフランシスコで暮らす最後の黒人」の意ではなく、「(なんやかやで白人の人種差別・偏見で殺された)サンフランシスコの最後の黒人(であってほしい)」と( )部分が言外にあります。
演出、脚本とも未熟で冗漫な映画ですが、それだけで悪く評価できない魅力も感じる作品でした。
街がたえだえに呼吸してる
じいちゃんが建てたという素敵な家に住みたい。同じコミュニティの奴らは主人公と距離を取っている。
白人の金持ちしか住めない住宅地。黒人の主人公は住人がいなくなった隙に入り込むが、追い出される。
友の死をきっかけか、寄り添い続けた親友がそこに止まるなと叫ぶ。
そして主人公は友を、街を離れ去っていく。
サンフランシスコは愛憎充ちたふるさとなのだろう。
ひとつ屋根の下 in サンフランシスコ
作品の持つメッセージや主人公の目的は読み解けれど、なんか薄味だったなぁ、というのが率直な感想だろうか。
自分の祖父が建て、かつて自分が育った家が空き家になったと知った主人公がその家を取り戻し、家族の再生を試みようとする、言うなれば“ひとつ屋根の下 in サンフランシスコ”である。些か取っ付き易いプロットながら、やはり一筋縄でいかないのがこの物語ミソ。歴史が変わり、住む人が変わり、社会の格差が拡がった現代では彼の目論見もうまくいかない。何もない故郷から出て行くタイプの作品であれば、そのコミュニティの抱える問題を課題として物語を進行させていけるのだが、本作はその逆だ。その町に生きづらさを抱えつつも、そのコミュニティに残ろうとする物語であるから、その土地に関するバックグラウンドが多分に必要になってくる。
だからと言って、この作品が不親切な作品だと誤解しないでほしい。サンフランシスコの社会や歴史、あるいはそこに住む人たちの文化や雰囲気を知っている者が観たら、受ける印象が大きく異なるに違いない。薄味と感じた私にはできない、トッピングやスパイスが日常的に整っていれば、これくらいの味付けで十分なのだろう。むしろ、サンフランシスコの現実を出来るだけ、ありのままに物語に取り組んだ結果であると思えるのだ。
サンフランシスコで育ったという監督のジョー・タルボットは本作が長編デビュー作。坂の街として知られるサンフランシスコをスケボーで下るシーンの美しさはその街の魅力を肌で理解している証拠であろう。スパイク・リーがニューヨークの現状を織り交ぜながら映画を撮るように、ジョー・タルボットはサンフランシスコの今を私たちに伝えてくれる監督になることを期待したい。
主役の年齢問題
映像はとても美しい。最初、主人公が住む町で黄色い防護服を着た人たちが何やらゴミ収集らしきものをしているところを通り過ぎると、そのあとに町の有名人(?)であるピンクのネクタイをした男が台の上に乗って演説しているところに出会うというシークエンスなどはひじょうに映画の先行きを期待させるオープニングでした。
しかし、そこからの話が……。
要するに主人公の行動が幼すぎるのです。
どう見たって、彼が執着する家はおじいちゃんが建てたものだとは思えないほど、時代がかったものだし、その家に住みたいから不法侵入するという短絡的な行動もそう。また、父親との関係も妙にぬるかったりする。
だから、私は正直、「この主人公は馬鹿じゃないの?」と思ったのですが、でも、あとで映画.comの解説を見ると「主役の人が10代に経験したことをベースに」と書いてあったので納得(パンフは映画館になかった)。
そうです。これって、主人公が13~14歳くらいの少年だったら、どんなバカでも共感できたと思うし、感動できたと思うんですよ。それを大人にシフトしたから、なんとも座り心地の悪い物語になってしまいました。そうすれば、また、この唐突なエンディングももう少しは説得力のあるものになっていたと思います。
なんとも残念な映画でしたね。
全50件中、1~20件目を表示