劇場公開日 2021年9月3日

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「人生は思い通りにはいかない…。深い懐をもって登場するすべての人の存在と感情を肯定。」アナザーラウンド 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0人生は思い通りにはいかない…。深い懐をもって登場するすべての人の存在と感情を肯定。

2022年9月1日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 酒好きな北欧デンマークらしい酒にまつわる物語。今年、米アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した本作は奇妙な前向きさとエネルギーにあふれていて、思わず自分の人生を振り返りたくなるほど示唆に富んでいました。

 「1、2杯引っかけた方が調子がいい」。酒飲みならきっと覚えがあるのではないでしょうか。それもそのはず、そのあたりが血中アルコール濃度0・05%で、その状態を保つとリラックスし、やる気と自信が漲ってくるのだという説を実際に提唱したノルウェーの哲学者がいたそうなのです。その哲学者フィン・スコルドゥールは「人間は血中アルコール濃度が0・05%足りない状態で生まれてきた」という理論を説きました。本作は デンマークのトマス・ヴィンターベア監督(おそらく飲んべえなのでしょう(^^ゞ)が、この理論からヒントを得た、ちょっと風変わりな陰りを帯びた喜劇になっています。とはいえ、既存の依存症映画とは異なります。

 歴史教師のマーティン(マッツ・ミケルセン)は、このところ気力が減退。授業中もほとんどの生徒が私語ばかり。本人も自分は教師に向いていないと疑問を持っており、やる気はゼロ。生徒と親から大学受験に受からないと授業にダメ出しされ、家では仕事で忙しい妻のアニカとも心がすれ違い。妻と2人の息子はそんな父を見限っていました。何をやってもうまくいきません。
 けれども思わぬ転機が訪れます。
 ある日、同僚の心理学教師、ニコライ(マグナス・ミラン)の誕生祝いが開かれました。しかし水ばかり飲んでいるマーティンにあきれたニコライは、スコルドゥールの説を語り、「君に欠けているのは自信と楽しむ気持ちだ」と説教。仲間に促され酒を飲んだ。するとこれまで味わったことにない高揚感に感動したのです。
 スコルドゥールの0・05%理論に興味を持ったマーティンは、こっそり酒をあおって教壇に立つと、驚くほど快活になって、魅力たっぷりの授業ができたのです。
 マーティンの変化に意を強くしたニコライは、0・05%理論の実証を論文として発表することにします。そのため、ほかのふたりの同僚教師にも声をかけて、4人の教師がそれぞれ酒瓶を隠し持って授業に臨むことなりました。
 マーティン以外の他の3人も似たり寄ったりで、中年の危機に瀕していました。それがアルコールの影響下で寛容かつ大胆になり、気分高揚、周囲の雰囲気も明るくなります。4人とも授業は大受け、家族との歯車も合って、実験は順調に進むのでした。

 しかしもちろん、うまくはいきません。酒飲みの第2法則、ほどほどではやめられないもの(^^ゞ。調子に乗って血中濃度を少しずつ上げていき、濃度を0.12%に上げると、その結果もてきめん。しかし泥酔は誰の目にも明らかで、ほろ酔いから本格的酔っ払いへ、さらに依存症へと変貌していきます。こうなれば、あとは悲劇が待ち構えているだけでした。

 こう書くと、酒の効用と危険を対比させて警告しているみたいですが、そんなに単純で道徳的な教訓話ではありません。それだけで終わらないのが本作の良いところ。行動に責任が伴うことを描くと同時に、それでも彼らの前に差し込む一筋の光明石描かれるのです。そして酒をきっかけに4人が直面している悲喜こもごものエピソードを点描し、「生きることとは何か」を語りかけてくるのです。
 老犬の介助や、子供のおねしょにてんてこ舞いするそれぞれの家庭の些細な実情は、さらっとした描写なのに伏線となって心に響きます。そこに漂っているのはやるせない酩酊感と苦しいほどの寂寥!

 特にうつろな目でぼそぼそと話していたマーティンが、自信に満ちた男に変身するのを見るだけで、もう十分に面白かったです。下戸の人には「なにをバカなことを」と鼻で笑われそうですが、けっこう説得力がありました。
 職場で飲んでよいものかと一瞬ためらい、飲酒して朗らかに振る舞うしぐさは実に自然で、納得!名優ミケルセンをはじめ、俳優陣は酔っ払いを演じきるため、撮影前にどのくらい飲酒したらどんな酔い方をするか、実際に飲んで確かめ、演じ方を真剣に論じ合ったそうです。
 ミケルセンとヴィンターベア監督は、ぬれぎぬを着せられた無実の男を描く「偽りなき者」でもタッグを組んでいますが、本作はぐっと軽やかなんです。酔ったマーティンたちが若者たちに向けて発するのは、ほとんどが励ましや包み込むような温かい言葉でした。
 その説得力を支えているのがリアリズム重視の「ドグマ95」という手法です。ヴィンターベア監督は 提唱者の一人とあって、酒飲みの描写が迫真なんです。
 「ドグマ95」とはセット撮影、人工照明、効果音などを禁止するルールに則った映画改革運動のことです。それにそうなら本来は照明効果は禁止ですが、本作ではそれと分からない光源を当てて撮影しています。それでも「ドグマ95」風に見えてしまうのは、若い撮影監督の腕がいいからでしょう。

 タイトルは英語で 「もう一杯」という意味。「失敗を恐れずに挑めば、人生の新しいスタートを切ることができる」ということでしょうか。自分の歩んできた人生を見つめ直し、輝きを取り戻す方法は、何も酒とは限りません。そこに思いをはせると、ただの「酔っ払い映画」ではなく、全ての悩める人への応援歌であることに気づかされます。ラストの高揚感に包まれたシーンには、希望が溢れていました。

 人生は思い通りにはいかない…。本作には出会いと別れ、希望と諦観、笑いと涙などなど、あらゆることがつまっていて、今にも溢れ出しそうなのです。そして、深い懐をもって登場するすべての人の存在と感情を肯定するのでした。
 最後に流れる曲の歌詞は語りかけてきます。「誰が何と言おうと人生は最高」だと。そしてこの作品をアイーダに捧げるというテロップで終わっていました。その時はなにも気にかけなかったのですが、マッツ・ミケルセンの娘役を演じるはずだった実娘のアイーダが、撮影4日目に交通事故で亡っていたそうなのです。「娘が生きていた証し、記念碑として完成させると決めた。」という監督の悲しみと決意を後から知って、涙が止めもなく流れました。

 それでも「誰が何と言おうと人生は最高」なのでしょう。(2021年9月3日公開/117分)

流山の小地蔵