「墓の上で踊れ」Summer of 85 よしえさんの映画レビュー(感想・評価)
墓の上で踊れ
80年代の空気感が見事に再現された作品。
80年代の半ばって、世界的に見ても文化が爛熟を迎え退廃に陥っていた頃で、閉塞感のせいで若者が無軌道に生きていたイメージがある。映画を見ていると、フランスでもそうだったんだな、という雰囲気がよく分かる。ベルリンの壁が壊され、新たな世紀を目前にして、これまで見たこともなかった新しい文化、コンピュータとネットワークが世界中を繋ぐパラダイムシフトまではまだ少し遠い、そんな時代だ。
そして(こういう言い方はどうかと思うが)退廃といえば同性愛である。
主人公は青年ふたり、ダヴィドとアレクシ。アレクシは少年でも通じるくらい幼さが残っている。この二人がまた大変美しい。正直若い男の子に興味はないのだけど、このふたりは良い。そんなふたりがいちゃつくのを眺めているだけでも良いのだが、やがてふたりの間に決定的な破滅が訪れ、酷い別れ方をした直後、ダヴィドは無謀な運転の末バイク事故で亡くなってしまう。
二人の幸福が絶頂の頃、ダヴィドは「どちらかが死んだら、残された方は墓の上で踊る」ことをアレクシに誓わせていた。物語はそれを実行したアレクシが逮捕された時点を境に分けられ、2つの時間軸を交互に描いていく。逮捕されたアレクシは、二人が過ごした「362時間8800秒」を小説として書き出す。見つめ直し再認識することで、ダヴィドとの日々に訣別を果たしたアレクシが新たな一歩を踏み出すところで、物語は終わる。
考えてみれば、わたしはアレクシとほぼ同年代だ。だからこそ、まだ大人になりきらない世代の目から見たあの時代の空気感に、共感と郷愁を覚えるのだろう。これに関しては本当に見事だと思う。
そして自分はさておき、あの時代に青春を送るという体験の瑞々しさについても、「青春の瑞々しさ」という世代を超えた共通感覚は別として、なんというか痛いようにわかってしまう、伝わってしまうものがある。ああ、なんかちょっとひりつくような、こそばゆいようなこの感覚。