「「極東のガキにブルースは歌えない」とはどういうことか」zk 頭脳警察50 未来への鼓動 杉本穂高さんの映画レビュー(感想・評価)
「極東のガキにブルースは歌えない」とはどういうことか
頭脳警察の活動を考えることは、戦後日本とアメリカの関係を考えることにつながる。戦後日本は、政治的にも文化的にもアメリカの強い影響下にあった。ボーカリストPANTA氏は、ブルースに秘められた黒人の悲しみと怒りの歴史を知り、「極東のガキには歌えない」と日本語でロックを歌いつづけた。ロックもアメリカ産だ。しかし、中に込めるのは自分の言葉だ。影響に対して無自覚ではいられない、全肯定も全否定もせず、自分たちの立つべき場所で自分の言葉を歌い続けている。借り物の言葉で借り物の怒りを表明したりはしない。かならず、頭脳警察は自分の中から湧き出た言葉を歌う。だから、人々の胸を打つ。
そういう姿勢は、日本語がわからない客にも何か伝わるものがあるのだろう。クリミアで「七月のムスターファ」を歌うシーンはしびれた。ロシアと軍事衝突していた土地で、イラクで最後まで米軍に抵抗したサダム・フセインの孫について歌う日本人の姿にしびれた。
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