いのちの停車場のレビュー・感想・評価
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吉永先生の治療を受けたい。
医者は患者を直して元気にするのが本来の仕事だから、直せない患者にどう向き合えばいいのだろう。救急救命医から在宅医療の「まほろば診療所」に来た咲和子先生の最初のとまどいもそこにある。無責任な外野席から見ればそこには「無力感」しかないように思えるが、「まほろば診療所」は違った。「いのち」と「死」に真剣に向き合うことで大切なものが見えてくる。咲和子先生の経験と成長に合わせて、作品を見る者も見方が徐々に改まっていくのを感じる。
その大きなポイントは、人は死ぬ瞬間が幸せなら、それまでの人生でどれだけ不幸があっても本人は幸せであるという事だ。それをいろいろな形で見せてくれた。その幸せを実現するお手伝いができるのが「まほろば診療所」であり、メンバー4人がうまい具合にチームとして機能している。医者の鑑のような咲和子先生を若い麻世さんと野呂くんが支え、彼らを院長の仙川が大きな愛情で包み込む関係ができている。吉永小百合の医師も素敵であるが、広瀬すずと松坂桃李という演技派若手俳優を据えたことで作品の真実味が増したように感じる。
最後は「安楽死」というテーマに踏み込んでいるように見えるが、結論を示してはいない。金沢の美しい朝の情景に寄せて、改めて「いのち」とは何なのかという永遠の問いを考えさせてくれた。
かなり中途半端かな
サブキャラの皆さんの無駄遣いの作品の典型。演技力が素晴らしいので尚更です。
吉永小百合さんありきで作品を構成するなら、もっと現実味のある設定にしないと違和感だけが先行して作品の本筋が霞んでくるのではないでしょうか。
ストーリーはエピソードが多過ぎて消化しきれていないため、その先はどうなるんですか?と疑問で溢れてしまった。さらに完結する話はもれなく御臨終ではバッドエンディングのオンパレードで納得できない。
邦画で安楽死を取り上げるならそれなりの覚悟が必要です。思わせぶりなエンディングで観客に投げるのはちょっとどうなのでしょうか?
最後が.....
日本の終末医療のあり方を問う感動映画ですね🈵
テーマの整理が下手過ぎるように感じました
〝安楽死〟というテーマ、日本映画は本当に苦手なんですね。
そこだけみてたら『ドクター・デスの遺産』の体たらくというかダメ振りを思い出してしまうほどでした。
あそこまで〝家族〟であることを描いてきたのに、なぜ苦悩や悲しみを分かち合い、まほろばの人たちが自分のことのように感じ合う過程もなく、あの光の煌めく朝を迎えなければなかったのか。
①せっかく繋がった大事な家族を自分の犯罪に巻き込むわけにはいかない。
②やはりあなたたちは他人、自分の犯罪に巻き込むわけにはいかない。
どちらだとしても、結果的には独りよがりで周囲の誰もが不幸になる結果しか残りません。
あれだけ増えた患者さんやその家族のケアはどうするのでしょう。
親しい人の死を乗り越えてこれからもまだ生き続けなければならない人たちを描く映画。
いや、乗り越える必要はない、その悲しみとともに生きるのだ、という描き方の映画もたくさんあります。
理性的な判断過程を省略して、患者(父親)を痛みから解放してあげたいという情緒的な衝動で観客の心を揺さぶろうとするのは、あまり感心できません。
まほろばの家族では、追い詰められたサワコ医師を支えることはできないのでしょうか。
そんなに信頼関係は薄かったのでしょうか。
なんだか、我々鑑賞者まで信頼されていないように感じました。
家族としてこれからも生きる者同士支えたり、応援したり、というテーマと、尊厳死を認めるか、医者という特権的立場(薬の入手と執行が一般の人より容易)の人の犯罪をどう抑止するのか。
未読ですが、そんなこんなでとても重厚な作品に仕上げることのできる原作だったはずだと想像してます。
松坂桃李さんのちょっとイタイ過剰な振る舞いもなんだかもったいないし、とても残念です。
映画1作では描ききれてない(かな?)
途中で席を立つ。
医療映画のようで根本のテーマは介護か
【箇条書き】【役名略】
•原作の大事な部分カット
•テンポがはやすぎる
•登場人物多すぎるが故にエピソードが浅い
•映画の尺に収めるなら、登場人物を絞って掘り下げたほうがよかったのでは。
•よって柳葉さん、伊勢谷氏、小池さんは不要だったと思う
•石田ゆり子、泉谷しげる、子供のエピソードを掘り下げて欲しかった。
•松坂桃李がバカすぎる。子供の抗がん剤治療で辛い、頑張りたくないと言っているのを聞いていたくせに、死にそうになると車を売ってまで新薬を試せと医者にせがみ、すぐ我に帰る。アホか。
•序盤の点滴シーンもアホか。そのへんは原作ではちゃんと書いていたのに端折ったせいでただのアホに見える
•おそらく正義感が強い不器用な人ということを書きたかったのだと思うが空回り。
•医学部は卒業したけど国家試験落ちたという解釈でいいのかな、映画でそこに触れないのもおかしい。話がわからなくなる。
•広瀬すずと西田敏行さんのラストシーン、え、あれだけ?あのセリフがラストでいいの?
•途中の映像ちょっと酔った(お正月のシーン)
•脚本はおそらくもっとあったのだと思うが、監督が色々とカットしたように感じた。
•監督のカットの仕方が下手。原作読み込んでもっと頑張れたはず。せっかくいい役者さん揃えているのにいまいちな仕上がりになってしまった。上から目線のようで申し訳ないが、プロとして製作しているのだから…。
今後に期待。
私の解釈では吉永小百合さんのラストシーンは、擬似家族を捨てて犯罪者になること、医者のキャリアを全て捨てること覚悟し、これからやるぞ、というシーンだと思う。あの聡明な医師がそうしてしまうほど介護疲れは深刻な問題なのだ、ということが根本のテーマだと読み取った。
あの状態で朝日を見ただけでやっぱりやめようとなるとはわたしにはどうしても思えない。
曖昧なまま終わったのは確かに消化不良だが、今の日本映画ではこれが限界。今後日本にとって安楽死がどう扱われていくのか、それによって作られる映画の形も変わる。
関係ないことだが、伊勢谷氏のシーンで世界一キライなあなたにのルーとウィルの出会いのシーンが思い浮かんだ。
舞台挨拶の対応が素晴らしかったです。
人を死なせては感動させる安易さの極地
終末期医療の話なんで当然と言えば当然ですが、たくさんの登場人物が死にます
それで観客を感動させるの繰り返しでストーリーは進むんですが、それがとても安易だなと思い、まったく没入できませんでした
この映画はまるで24時間テレビのような、感動ポルノそのものですね
製作者の意識が低いのか、吉永小百合のパブリックイメージを汚さないためにこうしたのか、製作委員会の権限が強すぎて作家性は表現しづらいのか、はたまた観客はこんな話で喜ぶと思われてるのか、理由は定かではありません
しかし、現実に劇場では多くの観客(高齢者)がすすり泣きしていました
偏差値45の作り手と偏差値45の観客の需要と供給がマッチしてることだけはハッキリと分かって、私は1人劇場で絶望しました
コロナでも映画を見にきて欲しいと吉永小百合がアピールしてましたが、こんな低俗な感動ポルノしか作れない邦画だったら、いっそこのまま潰れて良いとさえ思いました
あと、本編はよく分からないラストで終わります
安楽死を望む患者のエピソードなんで、日本で安楽死の是非は例え創作でも主張出来ないから敢えてよく分からない終わり方をしたんだと思いますが、だったら最初から安楽死のエピソードを出さなきゃいいのに、と呆れています
大の大人が揃いも揃って有限不実行って、ほんと邦画(製作委員会方式)は終わってます
邦画はいつ安楽死するんでしようね
吉永小百合というジャンル映画
「吉永小百合を定期的に愛でる」ということを目的とした映画のジャンルが現在の日本には存在するのだ、ということを、エンドロールと明るくなった館内の客層を見ながら理解した。
吉永小百合はどちらかと言えば好きだし尊敬もしているが、そういった趣味の無い私のような人間は、鑑賞する映画の選択を誤った自身の愚かさを責めるべきで、決して映画の出来がどうとか細かい所にグダグダとケチをつけてはならない。
このジャンルの存在と嗜み方をようやく自身も知ったわけだが、出来れば「寅さん」のような分かりやすい記号をタイトルに入れておいてもらえれば、事故に巻き込まれる人も少しは減ると思うので、今後製作側には一考いただきたいところである。
結論、このジャンルが好きな人でなければ特に見所の無い映画です。
どのような最期を臨むかを考えました。
冒頭、交通事故による救急救命医療の現場から始まり壮絶な状況を真っ向から観ることは出来ませんでした。ひょんなことから咲和子は父親が住む故郷に帰り在宅医療のまほろば診療所に勤めることになりました。一転、救命医療センターの仕事とは違いそこは終末期医療の患者を抱える比較的ゆっくりした患者と向き合う医療でした。
咲和子の名声により徐々に患者も増えますが、それぞれ患者さんには当然一人一人違った事情によって咲和子と医療を通じて繋がりを持ちます。
それぞれ自分の最期をどのように過ごすのか、どのように医療行為とかかわるかを決めることを余儀なくされます。それは医療行為を続けるなかで自分には回復の可能性はないのだと悟った時に自分自身がどのようにその時を迎えるのか?
私も個人的に膀胱癌による治療を約2年続けて来ました。外科手術から抗がん剤治療、キイトルーダの治療から放射線治療まで基本治療は行いました。しかし残念ながらアイツは進行しております。現在は患部の疼痛に悩まされています。
作品内で出たケースそれぞれに身につまさせる内容で、重たく感じましたが不意にその時を迎える人もいれば、充分に時間をかけてその時を迎えるのか?
私は悲観的にならずに好きな映画を楽しみながらその時を迎えたいと思います。
本当に良い映画を作っていただき感謝致しております!
またコロナ禍の緊急事態宣言下での全国上映ですが幸い私の福岡県ではこうして映画館で観ることが出来ました。出演者や関係者の方々本当に良い映画をありがとうございました!
「映画女優・吉永小百合」
吉永小百合さんを観賞する作品
予備情報なしですが、タイトルから命にまつわる話だと予想し、コロナ禍の今だからこそ見てみようと思って鑑賞してきました。命についていろいろと考えさせられる作品で、先日父を癌で亡くしたばかりの自分は何度も涙がこぼれてきました。
主演の吉永小百合さんは、何歳になられたのでしょうか。いくつになっても色褪せない魅力が、本作でも輝いていました。上品な立ち居振る舞い、凛とした佇まい、あふれんばかりの優しさと柔らかな笑顔、彼女が放つオーラが作品世界そのものを形作っていると言ってもいいほどで、彼女の魅力をたっぷりと堪能できる作品でした。
そんな吉永さん演じる、医師の白石咲和子が、在宅医療を通して次々と命を見送る展開がとにかく悲しかったです。脇を固める、松坂桃李くん、広瀬すずさん、西田敏行さん、田中泯さん、石田ゆり子さん、柳葉敏郎さんらの演技も相まって、いったい何度泣かされたことでしょう。
この在宅医療を通して、マンパワー不足、貧困、老老介護、高額な最先端医療、治験の危険性、安楽死等、医療にまつわるさまざまな問題が描かれます。明確な答えが見出せないこれらの問題を観客に提起しているところに、この作品のテーマがあるように感じます。
ただ、少々盛り込みすぎた印象は否めません。一つ一つが大切な問題なのに深く描ききれず、投げっぱなしな感じがして、やや物足りなかったです。特に安楽死に対しては、本作ならではの、あるいは白石医師ならではの考え方や向き合い方を示してほしかったところです。
あと、細かいことですが、カメラの揺れが気になってしかたなかったです。登場人物の不安定な心理を演出するためなのかもしれませんが、これだけ揺らされると目が回りそうで感情移入しづらかったです。
全てに中途半端
在宅医療の問題を問う医療ドラマ。ただ、在宅医療に置いて、日々起こる悲劇、悲しみ、つらさを映しただけの作品。ストーリーも単純で誰でも想起でき得る内容。主人公の葛藤も、最後は身内への安楽死に至って閉幕してしまう。俳優陣について。果たして吉永小百合さんを主人公にする必要があったのだろうか。作者南杏子さんの他の作品の主人公と同様、中堅医師たち(50歳ぐらい)のように、傷つき実家のある地方にもどり、在宅医療に否応なく取り組み、医師としての本来の目的と矜持を取り戻す物語を期待していただけにとても残念。患者役の石田ゆり子さんぐらいの年齢の女優さんがよかったかなと思う。又金沢芸者を演じた小池栄子さんに関してはなんだったのだろうと、全く理解出来なかった。田中みん(漢字が出ませんでした、すみません)さんの演技だけは、流石だと思った。何もかもが中途半端な作品だったと思う。
やっぱり泣きました
寿命は決められているのではないか
西田敏行さん演じる仙川院長が言っていた台詞。
「日本人の平均寿命があと20年長かったら、日本は飢え死にをしている」
これを聞いて、人の寿命は生まれた時から決められていて、それこそ飢え死にをしないように上手いこと入れ替わるようになっているのではないかと思った。
そう考えると医者の仕事は"命を救う“よりも"命をしまうお手伝い”の方がしっくり来るかな。
恥ずかしい話、安楽死が日本では違法であると知らなかった。
そもそも合法か違法かと考えたこと自体なかった。
死んだ方がマシなんて簡単に言う人がいるけれど、田中泯さんがもがき苦しみながら「殺してくれ!」と叫ぶシーンは居た堪れなくなった。
たしかにエピソードはどこかで見たことがあるようなモノばかりだったけれど、そのおかげでキャスト陣の圧倒的な演技力がより輝いていたので結果オーライ。
「地獄の花園」を見た後だったということも相まって、ジーンとしてしまった。
うーん、良い作品ではあると思うんだけど、ちょっと散らかってしまった...
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