ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶のレビュー・感想・評価
全19件を表示
目を背けたくなる様な米国のカラー映像も登場する、貴重な沖縄戦ドキュメンタリー
太田隆文 監督による2019年製作(105分)ドキュメンタリー日本映画
配給:渋谷プロダクション、劇場公開日:2020年7月25日
アメリカ側のカラー映像が、米軍兵士のズタズタになった兵士たちの遺体をしっかりと映し出し、衝撃的であった。勝者のはずの米国側でも、実に多くの犠牲を産んだのが沖縄戦、それがわかる貴重な映画であった。
映画全体としては、米兵士による凌辱回避の母による娘殺しが紹介され、それを導いた洗脳に近い軍国教育の恐ろしさが糾弾されていた。一方で、軍人がいない場所ではその様な母子心中が起きていないことへの言及もあった。結局、軍人による自死強制が多分あったのだろうと。
捕まったら酷い扱いを受けると多くの死者を出したガマがある一方、その隣のガマではハワイ帰りの人間がいたため米兵士への偏見は無く、全員が捕虜となり死者がゼロであったとか。正確な情報がまさに命を分け、その重要性が突き刺さる。と同時に、真実を知らしめない日本の教育の欺瞞性が、浮き彫りになる。沖縄線の作戦参謀八原博通が捕虜となったのも知識と経験(2年以上の米国留学経験)のなせる結果か。今もこの国民おバカ化教育は続いている様にも思えるところが、なんとも怖い。
そして、本土決戦のための時間稼ぎとの位置付けのベースにあるだろう沖縄への差別意識。それが今も残ってる現実。基地反対運動に対峙していた機動隊員が「この土人があ」と叫んでいた少し前の映像を思い出す。
沖縄戦は、後世の日本人の少しでも多くに、伝えないといけない
監督太田隆文、撮影三本木久城、 吉田良介、音楽サウンドキッズ、ナレーション
宝田明 、斉藤とも子、題字大石千世。
上江洲安昌、知花治雄、上原美智子、照屋勉、長浜ヨシ、川満彰、比嘉キヨ、佐喜眞道夫、
真栄田悦子、座間味昌茂、松田敬子、島袋安子、山内フジ、瑞慶覧長方、平良啓子、吉浜忍、平良次子、吉川嘉勝、知花昌一、(声の出演)栩野幸知、(声の出演)嵯峨崇司、(声の出演)水津亜子。
20万人も死んだんだな
あんなに小さい島で。
日本の軍隊の目的は島民を敵から守ることではなく「アメリカに勝つこと」が目的だったので、島民には敵への投降を許さず最期まで抗う事を指示したという。
その結果、防空壕に追い詰められた島民は自決して沢山の尊い命が失われてしまった。
映画から受けたメッセージは「戦争反対」というよりも「日本の軍国主義のせいで、沖縄の島民は無駄死にさせられた」という事を強調して訴えていたようだった。
【”集団自決ではなく、集団強制死という言葉を使って欲しい・・” 沖縄戦で”友軍”は民に何をしたのか・・。何が起きていたのか・・。】
ー第二次世界大戦末期、沖縄で何が起きていたのか? それを、解き明かすドキュメンタリー作品。当時の奇跡的な生存者の方々の言葉が重い。-
■印象的だった事
1.アメリカ軍が上陸地として沖縄を選んだ一つの理由
-”日本本土と沖縄とでは、人種的な違いはないが日本本土の人々は沖縄を差別する傾向がある。なので、沖縄に上陸しても大多数の日本人の更なる憎悪を生む可能性は低い”
という当時のアメリカ軍の分析・・。-
2.教育の大切さ(誤った価値観を民に植え付けない)
・戦陣訓の”生きて虜囚の辱めを受けず”の一節や皇民化教育の影響により”洗脳された”沖縄の人々の、幾つかのガマ(鍾乳洞)での悲惨な事例をガマの中で語る男性の言葉。
ー日本軍の指示であるという説と、否定する説があるが、今作品では沖縄の人々に対する(全国民と言い換えても良いであろう。)が背景にあると語られる。ー
・そして、”「集団自決」と言われるがそうではない。「集団強制死」である” と強く主張する男性の言葉。
3.対馬丸撃沈の事実を詳細に語る、奇跡的に生き残った女性の言葉。
4.15歳以上の男子は、兵力として駆り出され日本軍を助ける役割を強制されていた事実。そして、女性たちも・・。
ー少年兵による「護郷隊」については、傑作ドキュメンタリー「沖縄スパイ戦史」で詳細に語られている・・。-
<第二次世界大戦末期の対米戦で、唯一住民を巻き込んだ沖縄の地上肉弾戦で何が行われていたのか・・。
その生々しさを”正視するのがキツイが、”日本人であれば”見なければいけない多数の写真”と、貴重な証人の方々の言葉で描き出したドキュメンタリー作品。
生き証人の方々の多数のインタビュー含め、ガマの中の映像など、今作制作陣の反戦の強い思いが伝わってくる作品でもある。>
<2020年8月30日 刈谷日劇にて鑑賞>
時系列に出来なかったのか
戦後75年、何度も胸に刻むために観に行きました。
高齢者の方が多かった(私は40代だが一番若かった?!)です。もっと若い人に観てもらいたい映画です。
一点残念だった点。私は何度か沖縄戦のドキュメンタリーや現地のツアーに参加していたので大体の流れはわかりましたが、はじめての方は時間軸が行ったり来たりしたのでわかりにくかったのではないでしょうか。読谷村上陸から摩文仁までの道筋を追ってもらった方が良かったかなと。
でも、生き残られた皆さんの生の声を聴かせていただけたのは有り難かったです。しっかり胸に刻み付けたいと思います。
再び沖縄戦の時代がやってこないとも限らない
沖縄戦を扱った映画で最も迫力があり、かつリアリティがあったのはメル・ギブソン監督の「ハクソー・リッジ」である。沖縄戦を扱った作品だ。島の切り立った崖を登ると、痩せ細った日本軍兵士が鬼のような形相で銃を撃ち、日本刀で斬りつけてくる。物量で日本軍を圧倒していた米軍だが、個々の戦闘では多くの死傷者を出した。
本作品は沖縄戦が庶民にとってどのようであったかを教えてくれる。自分たちで掘った避難場所と食糧を日本の軍隊に奪われ、米軍は鬼畜で男は拷問されて殺され、女は強カンされて殺されると教えられる。他に情報のない住民はそれを信じるしかない。米軍が勝って占領された地域の住民は、ガマと呼ばれる穴に集まって隠れるが、出て行って殺されるか、ここで死ぬかの選択を迫られる。チビチリガマでは親が子供を殺し、死にきれなかった者だけが助かった。しかしシムクガマでは、ハワイから帰っていた比嘉平治さんが米軍と話すことが出来たので、強カンも拷問も殺されることもないと判って、全員が助かった。
教育の問題だと多くの登場人物は語るが、日本軍が自分たちに都合のいいことしか伝えないのは考えれば解ることだ。それを考えなかったのは権力に逆らうことをしない国民性だと思う。沖縄を含めて日本は市民革命で自由と平等が勝ち取られた訳ではない。明治維新はクーデターだし、戦後民主主義は戦争に負けて成立した。日本人は一度も権力と戦ったことがないのだ。そもそも権力を疑うこともしない。それこそが教育の問題で、権力というものが常に流転する相対的なものだという認識があれば、日本の軍国主義教育を鵜呑みにすることはなかっただろう。
そういうメンタリティは社会全体が建設的な場合には集合として強い力を発揮する。高度成長時代がまさにそれに当たる。しかしいま、下り坂の時代に入り、再び権力者が国家主義のパラダイムの下に人心の集結を図ろうとしている。その危険性に気づかないまま、現権力を支持していると、再び沖縄戦の時代がやってこないとも限らない。
既に成長が望めない時代になっていることを権力者が認めようとせず、夢よもう一度と朝鮮半島や中国、東南アジアに軍を派遣するようなことになれば、世界はもはや日本という共同体、日本人という民族を残しておこうとは思わなくなるだろう。先の大戦に対する反省を口にせず、代わりに積極的平和主義を主張するような頭のおかしい人間が総理大臣をやっているような国だと、世界は既に警戒を始めているのだ。
切ない。憎い。
冒頭から泣けてくる。なぜ自分は沖縄となるとこうもなるのだろう。全国のあらゆる学校教育の場で見せねばならぬ映像だと思う。宝田明のナレーションが極まり過ぎている感はあるし、映像は見たことがあるものは多い。けれど、このドキュメンタリーの向かっていく方向に共感した。
こんなに酷いこと、というより、無意味な辛い出来事を仕向けた人はここに映らない。それが憎い。
これは教育の生んだ悲劇であり、都合よく教育されないようにしないといけない。
霞が関に
大田司令官の亡霊は出ないのか?
これだけの地上戦やって、占領されて、
“特別の御高配”はどうなった?
責任取らず、約束も守らない。
こんな大人たちの姿を子供が真似しないようにしないと。
裁判にまでなった集団自決はなかった!
全くの強制死だったのがわかった。
為政者が歴史を書き換えてたんだ!
宝田明のナレーションに泣ける!
先日TVで観た『沖縄スパイ戦史』にも共通していたことですが、「軍隊は住民を守らなかった。皇民化教育の恐ろしさ」を強調していて、かなりインパクトがありました。冒頭ではブッダの言葉がテロップに流れ、浄土真宗本願寺派(西本願寺)の製作という珍しい映画には違いないのですが、宗教色は全く感じさせず、多くの人が体感できる作品になっていました。
まずは地上戦が開始される前に、大本営は沖縄を捨て石にするという覚悟だった事実。まぁ、これはよく知られていることでしたが、そのあとに、学童疎開輸送を行っていた対馬丸が米潜水艦の魚雷を受けて沈没、タイタニッククラスの1484人が犠牲となった。この史実を生き残った平良啓子さんによるインタビューで語り、その生々しさに胸が引き裂かれるような思いになりました。
防空壕については知花昌一さんによって詳しく語られ、現存する二つの壕を映し出す。特に母親が娘の首に包丁を刺したという話は痛々しい。また、渡嘉敷島での集団自決のエピソードも随分研究されていることがわかる。手榴弾を2個持たされて、1個は敵に投げ、ダメだったら自決用にと・・・
また、防空壕でのエピソードでは敵の捕虜となってもいいから、生き延びよという訴えも感じられます。鬼畜米英という言葉で洗脳された民間人は、生きて辱めをうけるなら自殺を選ぶよう教育され、天皇陛下のために命を捧げるよう教えられた。米兵が日本人の傷を手当している映像が物語っているのですが、逆に日本兵に殺された民間人も多い事実・・・友軍というのは嘘だったのか!
映像やエピソードについても今まで知らなかったことも多かったし、生々しい死体も初めて見る写真が多かった。沖縄戦についてはNHKドキュメンタリーでもかなり見てきたつもりだが、作り手や証言者が違うと、また新たな発見がある。直接体験した証言者たちも高齢のため、後世に悲劇を伝えていくために次世代の人に観てもらいたい作品でした。
沖縄戦75年目の総括
沖縄戦の記録映像については、NHKスペシャル等でもたびたび放送されているので、ここではあえて本作の着眼点や制作目的を意識してみると興味深い点が浮かびあがってくる。
本作では沖縄戦の当事者だけではなく、その親族や沖縄在住の研究者など数多くのインタビューが盛り込まれ、しかも一人ひとりが時間をとってしっかりと見解を述べている。
沖縄戦において、物量で圧倒的に劣後する日本軍は米軍に勝つつもりは毛頭ない。少しでも本土決戦まで時間をつくることが目的であり、住民もその無謀な戦略(「本土決戦までの捨て石」作戦)の巻き添えになっていく。
沖縄戦を総括するうえで、考えるべきイシューはいくつかあるが、本作では「なぜこれだけの被害を出すことになってしまったのか」について総括を試みている。
ちなみにNHKの「沖縄戦 全記録」では、その答えとして、「住民と軍の混在化」をあげている。避難壕や撤退活動において、軍民一体の行動が米軍にとって非軍人の区別がつきにくく、民間人を巻き込んだ掃討作戦(無差別攻撃)に発展していったことをあげている。
一方、本作ではインタビューを受けた人々が盛んに強調していたのが、「皇民化教育」それである。お国のため、天皇陛下のために最後の一人まで「鬼畜米英」と戦い、生きて虜囚の辱を受けることを潔しとしないことを徹底的に叩き込まれる。その思想統制が徹底されていたことは、「あの時は全く疑っていなかった」、と当事者の発言からはっきり読み取られる。
「なぜそのとき疑問に思わなかったのか?」と今なら冷静にみれるかもしれないが、大衆もメディアも日本の大東亜新秩序の熱に取り憑かれ、個人々が置かれている状況をきちんと把握できることができなくなってしまっていたのではないかと思う。
「極度の不安は、明快で強いイデオロギーを受け入れてやすいメンタリティを生む」と20世紀の政治哲学者のHannah Arendtは警告している。
それは、現代の私たちにとっても決して無縁の話ではない。
とにかく知ること
必要以上の演出もなく、ただ事実を教えてくれました。
地上戦が行われたこと
たくさんの鉄砲玉が降り注いだこと
ガマが暑くてジメジメしていること
泣く赤ちゃんを黙らせろと言われること
みんなで死んだこと
どれも知っていることだけど、やっぱりわからない。
もちろん誇張しているわけでもないだろうし、本当のことだと思うけど、現実にあったとは思えない。
悲しいとか、ひどいとかそんな感情にもなれない。
大好きな石垣島と戦争は結びつかない。
でも学び続けなくちゃいけないと思う。
もっと自分の中に、日本人としての戦争を入れなくちゃいけない。
考えて、想像して、重たい黒いモヤモヤを溜めておかなくちゃいけないと思う。
リアルな声と当時の映像、そして今の沖縄の街をしっかりと見せてくれる作品でした。
大切な人を大切にできなくしちゃうから戦争はダメ。
理由はよくわからないけど、とにかく戦争はダメ。
隣人への暴力。
人を傷つける言葉。
とにかく全部ダメ。
私の周りから、
そばにいる人が笑って安心できるように
自分をしっかりもって、前を見て、笑顔でいようと思う。
何を描き、何を描かなかったかを考えさせられる作品。
終戦記念日を目前にして鑑賞する機会を得ました。
本作は言うまでもなく、1945年3月から6月に沖縄諸島で展開したアジア・太平洋戦争最大の激戦を、膨大な当時の記録映像と生存者の証言で綴っています。主に米軍が撮影した記録映像はカラー映像も多く含まれており、そこに写しこまれた光景は悲惨の一言に尽きます。作品冒頭では、イメージカットがやたら多いな、とかワイプの入れ方などの技法がちょっと古くさいな、などとも思っていましたが、「対馬丸」の生存者の証言が始まると彼らの言葉、映像から目が離せなくなりました。
証言者の多くは当時沖縄でごく普通の生活を送っていた人々です。
沖縄では民間人だけで約9万4000人が死亡し、これは全島民の約三割に相当します。その中には、もちろん戦闘に巻き込まれた死者も含まれます。しかし多くの人々が証言するのは、彼らがかつては「友軍」と呼び、少年達にとっては憧れの存在であったはずの日本兵による、食料略奪、防空壕からの強制退去、そして集団自決の強要による死でした。日本兵に要求され、母親が本心では守りたいはずの子供達を自ら手にかけ、絶望の中で命を絶った証言などは、到底涙なくして観ることができません。
沖縄戦での民間人の犠牲としては、学童疎開「対馬丸」の撃沈事件やひめゆり学徒隊の集団自決などが特に有名ですが、本作ではひめゆり学徒隊の生存者の証言がなく、この点は少し不思議でした。そうした本作が「語らなかったこと、語り得なかったこと」を考えることも、大きな意味があるかも知れません(なおひめゆり学徒隊を題材とした作品は、ドキュメンタリー映画『ひめゆり』[2011]などが複数制作されています)。
なお、ナレーションは宝田明さんが担当されています。終戦時の混乱の最中、満州で一命を取り留め、その後平和について発信し続けている宝田さんが担当されている意味は、非常に大きいです。
本作を通じて、ハリウッド映画、特に『ハクソー・リッジ』が民間人の犠牲を殆ど描かなかったことで、沖縄戦の意味がどのように改変されたのかが痛烈に理解できました。
思想的に色のついた作品。地上戦を経験していない本土在住者が批判するつもりはありませんが・・
太平洋戦争において日本で唯一の地上戦があった沖縄のお話。
兵士のみならず一般県民も根こそぎ動員されて戦争に巻き込まれ、多くが亡くなり生き残った人も惨憺たる苦労をしたお話。
旧日本軍を徹底的に敵視するのはわかるんですが、いまひとつ納得できないのが3点。
1 神風攻撃は非熟練パイロット中心で命中率が低く効率が悪かったというのは、愛する家族を本土に置いて爆弾抱えて敵艦に突っ込んだ方々にあまりに失礼ではないか
2 「後世、特別のご高配を」と伝えて自決した大田中将を完全に無視したこと
3 旧日本軍に比較してアメリカ軍は人道的と描いていたが、彼らはその後、非戦闘員の住む都市の真上に2発の原子爆弾を投下したこと
出演者をみても政治的に色がついている。
悲惨な戦争の現実を伝えて、2度と起きないよう訴えるのは正しいと思います。
一方、他国からチョッカイだされている現実のなかでどのように振る舞うべきか、判断難しいですね。
自決ではなく命令だった
戦争当時5〜13歳くらいで生き残った方々や、研究者の方々に3年かけて取材した、沖縄戦の実態を伝えるドキュメンタリー。
米側の記録映像を交えて語られる、悲惨な過去。
本土決戦を控えた時間稼ぎの「捨て石」扱いだった沖縄。
「八紘一宇」「生きて虜囚の恥しめを受けず」などの全体主義統治下における洗脳教育の怖さ。
実は集団自決などではなく、軍による自殺命令だったこと。
などを浮き彫りにしていく。
戦争はダメよね、ってのは当然として。
教育の大切さ、自分自身でものを考えて「お上」に判断を丸投げしないことの重要性を、改めて認識しました。
極度に肥大した国(や組織)は、命令しても責任は取らないし、国民を守らない。
組織にあっては、人間的な判断よりも、組織の利益優先の思考に陥る特性も、戦争は露わにします。
作品の作りはよく、監督の示したい方向性は理解できるものの、最後の宝田さんのナレーションと音楽は、過剰すぎたかも。
あと、使用された記録映像にはたくさんの死体が写るので、耐性がない方はつらいかも。
戦没者に哀悼の意
アメリカの原爆開発があと半年早かったら日本の運命は今とは変わっていただろうか?
沖縄戦はなかったかもしれない。
ソビエトが対日参戦してなかったかもしれない。
この戦争の終結はもっと違ったものになっていたかもしれない。
全19件を表示