クワイエット・フレンド 見えない、ともだちのレビュー・感想・評価
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がんばらなくてもいいでしょう
他人に興味が無いのか独りを好むのか、自分の世界に閉じこもりがちなジョシュはある日空想のお友達Zと親しくなり終始べったりに。 育児に介護にとお疲れ気味(?)な母のベスは、何かと息子を気に掛け始めるのだが、自身の知らないところでジョシュは問題行動が山積みで、プライベートな付き合いにおいても距離を置かれ孤立しているのだった。 理解していたはずの息子の思いもよらない一面が段々と明らかになる中で、遂にはベスもZの存在を認識し始める。しかし頼れる親族はおらず、ママ友はある事件を決定打に全員ゼッキョ状態で、最後の頼みの綱だった夫はというと・・・。どないせ~っちゅうねん。 ベスが独りでどうにかするしかないのだが、実はZの正体はというか生みの親は〇〇で・・・ ベスに起きている問題を周囲の人間が矮小化し過ぎているというか、唯一助けになりそうなお医者さまですらある種自己責任論で放り投げており、助けるどころかむしろ追い詰める方向にしか動いていないのは気がかりなのだけどそれは置いといて。 妹が生まれたことで姉妹となり、妹にべったりな両親の下姉という役割を担わされたベスがZを生み出した経緯は想像に難くなく、病床にある母が傍にいる姉のベスを蔑ろにそこにいない妹を気にかけているのも、Zという存在の所為だけではなかろう。自身が守るべき家庭を以て尚彼女はその呪縛から解放されていない。いや再度束縛されることになったと見るべきだろうか。 また、ベスが当時どのようにZから解放されたのかということも考えねばならないのだろうか。ジョシュを守るためにベスがとった選択が、かつてのベスの父の姿に重なるのなぜなのだろうか。父及び夫の立ち位置で描かれるZではあるが、一瞬映り込むその姿は中世的な容姿にも見え、両性において出現していることからも起源は彼女よりも前の可能性すらある。 空想のお友達(イマジナリーフレンド)として創造されたZによって塗り替えられていく関係性、Zへと置き換わっていく役割を眺めるに、Zとは時に頼りになり時に面倒くさく、時に都合が良く時に不都合な、時に支えとなり時に足を引っ張る、大きくは人が生きていく上で絶対に避けられない血縁を始めとした人と人との関わりやしがらみと言えるのかもしれない。 姉が抱え込んでいた役割が妹へとシフトしたことでこれからより一層の助け(繋がり)が必要になることだろう。いやある意味でこの状態が健全というか、妹にとっては助けられたということに? コスパだタイパだタコパだなんだと、なんでもかんでもハラスメントだ差別だと騒がれる昨今。確かに面倒なんだけどソレがいつかきっと助けになるときが来るし、もっともっと頼っていいから。独りで抱え込む必要無いから。ってか独りで抱え込めるもんなら全部放っぽり出しちゃえ。いっそ諦めちゃえ。頑張らなくていいよ。 がんばらなくていいでしょう、Z世代!! 「ハイド・アンド・シーク 暗闇のかくれんぼ」(2005)...「イントルーダーズ」(2011)...「ババドック 暗闇の魔物」(2014)...「ダークネス」(2016)...「ライト/オフ」(2016)...「ステファニー 死体と暮らす少女」(2017)...「ベイビー・キャッチャー」(2017)...「ダニエル」(2019)...
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