レイニーデイ・イン・ニューヨークのレビュー・感想・評価
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予定外の週末。
大学の学校新聞の取材後にランチを約束してた恋人同士のギャッツビーとアシュレーの話。
有名映画監督の取材後にランチしてニューヨークを回ろうと計画してたギャッツビー、取材だけのはずが新作の試写会へ誘われたアシュレーで2人の予定外な週末が始まる。
ランチの予定がズレてニューヨークの街を歩き出すギャッツビー、学生時代の仲間と再会と思ったら撮ってる映画のエキストラ頼まれ、昔付き合ってた彼女の妹とキスシーンからと見せてくけど、とりあえず結婚式間近の兄の嫁となる彼女の笑い声に萎えはしないけど笑えました。
一方アシュレーは有名監督から始まり子宮をウズかせてくれる俳優さんにも出会いと予定してたランチよりも有名俳優と一戦交えた方が一生の思い出となるとか、コメディタッチとコミカルなBGMでシーンが切り替わりで楽しめた。
ただラストのエキストラで出会った彼女との展開だけが以外だったな~、あと新作と思って観に行ったらまさかのリバイバル上映(笑)
おさまるところにおさまった
最後はおさまるところにおさまったなという感じ。
ギャツビーとアシュレーは何というか、纏っている空気が違う。
台詞にあったけれど、太陽のもとで輝くアシュレーと、曇り空の下で光るギャツビー。
アシュレーは個人的にはあまり好きなキャラクターではなかったけれど。
ティモシー・シャラメはやっぱり雰囲気があるなあと改めて感じさせられた。
ジュード・ロウを認識出来なかったのはちょっとショックだったけれど…
恋多いキャラクター達
いや皆んな恋しすぎやろ!!!
そんで彼女美人すぎる
でも良い子なんやけど薄情というか、あーそうしちゃいます?ってことしすぎる
だからこそ終盤は可哀想なことになってて笑った
歌手のセレーナゴメスさんもでてんねけど、口の悪いのなんの!
ただ口悪いわけでなくて良い感じに主人公と殴り合ってるのがおもしろかった
監督みたらミッドナイトインパリの人でなんかそんな感じした!って感じ
軽い
大学生カップルが文字通り雨の日のニューヨークに滞在して色々あって別れる話し。
あの時期って恋愛と自分のやりたいことの両立がすごく難しい。思いもよらないところでかつ絶妙なタイミングでチャンスが舞い込んでまくるから、相手に理解してもらうことはできなくても、器の大きい人と付き合ったらいいってわけでもなく、、難しいなあ。
でもお互い最後別れてギャツビーにはお似合いの人、アシュレーは1人になったけど、それぞれの今にはそれが一番合ってるなと思った。
公式サイトを今見たらコメディって書いてあった。そうなんか。すごくリアルで普通に見えるけど、それが良かったな。でも自分に当てはめたら過去の話になるから、もっと等身大の映画を見たいと思った。
雨のニューヨークへのラブレター
ウッディ・アレン監督のロマンチックコメディ。
雨のニューヨークの光景が最高!
ティモシー・シャラメ、エル・ファニング、セレーナ・ゴメスが美しい。
雨の日に観たいラブストーリーNo1!
なんかオシャレなのはわかった。 心に残る映画ではないかな。 好きな...
なんかオシャレなのはわかった。
心に残る映画ではないかな。
好きなんだけど微妙に合わないというか一緒にいて楽しいけどなんか違うみたいな、そういうことってあるよね。
ニューヨークに来る前から元々そんな感じだったんだろうな。
オシャレ
男と女の恋愛観や価値観の違い等がストレートに描かれているロマンチックコメディ。
80年代を意識した映像や音楽がとてもオシャレで、観ていてワクワクさせられました。また最初は上手くいっていた関係も徐々に会話も噛み合わず崩壊していく過程も笑えました。
この映画において、ティモシー・シャラメの存在がとても大きく演技力はもちろん魅力的なキャラを演じているので他のキャストとの掛け合いが一層引き立っていると思いました。
【総合評価】
全体的に話のテンポが良くジョークや例え等が面白おかしく、会話が入ってきやすいので比較的に観やすくて良かったです。
映像
雰囲気がすごく好き。
雨の中でのキスも素敵でした。
最初から会話が食い違ってる2人、
結局別れて別々の方向に向かう終わりも好き。
ギャッツビーが綺麗すぎた。
もはや雨の中傘さして歩いてるだけで良い👌🏽
キャッチャー・イン・ザ・ライを思い起こす
前半
ギャツビー君が
キャッチャー・イン・ザ・ライの
ホールデン君に
似ているなあと思いながら
観ていました。
生家はアッパーイーストの裕福な家庭。
頭は良いのに
勉強に興味がなく名門校からドロップアウト。
親のすねをかじっているのだけれど
親が煙たくて家には帰らず
マンハッタンをうろうろしている。
大人や社会に不信感を持っているけれど
自分の生き方が見つからない。
ヘビースモーカー。
ラストの
セントラルパークの動物園前の
時計が回転するシーンでは
これは、キャッチャー・イン・ザ・ライへの
オマージュではないだろうかと思いました。
母の告白に救われ、
自分がどう生きるべきかを
真剣にポジティブに考え始めたギャツビー君を観て
こちらの気持ちも軽くなりました。
コロナで海外旅行どころか
国内旅行もままならないこの頃ですが
ギャツビー君と
ニューヨークのディープなバーで音楽を楽しんだり
メトロポリタン美術館で名画やエジプト文明の展示を鑑賞したり
セントラルパークを上から眺めたり、歩いたり
ちょっとした旅行気分を味わうことが出来ました。
マザコンひねくれボーイがうだうだうだうだ…
なんや理屈をこねくり回してましたけど、マザコンひねくれボーイであるティモシーシャラメが、エルファニングからセレーナゴメスに乗り換えたってオチですわ。
エルファニングのお洋服がまぁ古くさくって、肌色の編みタイツにプレッピー夫婦ミニスカートとパステルカラーのニット、みたいな格好してました。役もなんか、ある種の男の欲望の産物っぽくて、人っぽくない。巨匠の求めに応じた結果こうなったんだろうねぇ…
セレーナゴメスのハスキーボイスは素敵やなーて思いましたけど。
ティモシーのいるNYに小旅行
この数年ずっと目が離せないティモシーシャラメと
昔からずっと好きなNYを舞台にしたラブコメ…
今や悪評高い監督だけど、きっと腕前は確か、ストーリーも面白いに違いない。
映画館でどーしても観たい。
やっぱり面白かった!
エルファニング演じるアシュレーは地方の裕福な家庭の育ち。いかにもピュアでひまわりのような笑顔の女子大生。でもしっかり野心もある。
ティモシー演じるギャツビーはNY育ちのインテリでスノッブな男の子…でも少し風変わり。優しさと、軽さをまとった感じ。
週末のNYへの小旅行。彼は泡銭でリッチなホテルに泊まり、ここぞとばかりに楽しい予定を詰めこんだのに…彼女の当初の予定であった大物監督へのインタビューはどんどんずれて思わぬ方向へころころと展開してく。
大人になっても成功していても、男たちは自信喪失したり、うろたえたり、若い女の子には無防備に本心を晒してきたり、すぐに口説いてきたり…かなり情けない。
セレーナゴメスとは印象的なシーンがたくさんだけど
とりわけ雨に濡れたギャツビーの佇まい、NYの豪華なアパートメントでのピアノの弾き語り、窓際の2人の会話…
それらは再会したばかりの車中でのアップテンポなシーンとは対照的で、ロマンティックな時間がゆったりと流れて頭から離れません。
小気味良い会話、芸達者な役者たち、素敵な映像。
でもしっかりと登場人物たちが生きてるし、軽やかだけど深みもあって。
ティモシーのいるNYに小旅行した気分。
楽しかったー
映画を観たって感じはする。
私が英語苦手だから余計にそう感じるのかもしれませんが、会話のテンポが速いんです。AM810を聞いてる様な感じ、30年くらい聞いてないけど。
だから、息つく間もなく見入ってしまいました。
それでですね、ギャツビーとアシュレーの二人、私は最初お似合いだと感じたんですよね。
そんな二人が数々のアクシデントで、すれ違って行く。
約束した待ち合わせに来れない彼女。
それに対して、ラストは約束していない待ち合わせ場所に現れた彼女。
それでですね、最後まで観てみると、ギャツビーとアシュレーがお似合いだと感じていた気持ちが全く残ってなかったんです。
きっと最初から価値観が合っていなかった。
そうなんですよね、結局の所、二人をすれ違わせていたのは数々のアクシデントなんかじゃなくて、価値観の違いその物だったんです。
結局、恋愛なんてそんなもんなんでしょうね。
自信を持って面白い映画とは言えないけど、映画を観たって満足感は味わせてくれる映画でした。
ニューヨークを愛する想いは感じた
ティモシー・シャラメさん演じるギャッピーとエル・ファニングさん演じるアシュレーのNYでのすれ違いを描きます。
ティモシー・シャラメさんはストーリー・オブ・マイライフでも文化的な高等遊民の役を演じていたが、ギャッピーも現役大学生とはいえ造形はモラトリアムな高等遊民です。彼のパブリックイメージってこういったものなのでしょうか?
アシュレーはアリゾナ出身の田舎娘、エル・ファニングの可愛らしいルックスとマッチしたキャラクターです。田舎から出てきて、都会で浮ついている可愛い娘、都会のイケてる奴に騙されないかという不安をうまい具合に観客に与えてくれます。
NYでのすれ違いを描くというが、そもそもこの2人はNYで見たいもの、見せたいものが噛み合っていないと感じます。ギャッピーはバーやポーカーとNYの土地に根ざした文化を愛しているが、アシュレーは芸能界というテレビの向こう側の文化を愛している。またアシュレーは取材の延長で芸能人達のパーティーに参加するのですが、彼女はそれを自然と楽しめる。このパーティーは、ギャッピーがスノッブなものと嫌い敬遠した母のパーティーと、そう変わらないものなのです。スノッブと敬遠する都会の感覚と、何の疑問を持たずそれを受け入れられる田舎の感覚とで大きな隔たりがあります。
ただスノッブと形容する感覚こそがスノッブであるとも指摘できてしまいます。美しいNYの街並み、劇中BGMとして流れる洒落たジャジーなピアノ、ワンカット風のカメラワーク、洒落た台詞回し、この映画そのものがスノッブと指摘できてしまうのです。
映画に体温を求めるむきのある人には合わないとも感じました。
クルクル変わる天気と男女
ウティアレン作品はあまり見てこなかったけど、こういう感じなのね~
確かにちょっとミッドナイトインパリっぽい?感じ
落ち着いたメロディアスなジャズと文化的で幻想的にも見える雨のニューヨークで織り成すロマンティックラブコメディ?って感じかな
ティモシーシャラメもグダグダ語るめんどくさくなりそうなキャラクターを絶妙なラインで演じているし、エルファニングもスターに出会って舞い上がって彼氏をほったらかちゃう無邪気過ぎるキャラクターを天真爛漫にチャーミングに演じている。
セレーナゴメスも主人公にビシバシ言うキャラクターを嫌みにならない雰囲気で演じており、どのキャラクターもクセがありつつも絶妙なキャラ設定で登場してくれるのが好ましい。
ギャンブルで金を稼ぎ、大した将来の夢も無いギャツビーがニューヨークという昔馴染みの場所に来て、様々な出会いと再会と発見を通して自分を見つめ直すラストまでをオシャレかつ長回しのセリフの応酬で軽やかに見せてくれた。
ドタバタしたコメディというよりはカップルの2人とそこに絡む様々な人々の悲喜こもごもを見せる作品であり、そこを彩る雨のニューヨークのロケーションも見処。
冒頭から合ってなさそうなギャツビーとアシュレー。確かに彼らは"同じものを見ていなかった"んだと思う。
ギャンブルで儲けた金でニューヨークに母親のパーティーに出ない為に黙ってやって来たギャツビーだったが、アシュレーの取材は思いがけない展開を迎え、彼はニューヨークの街を1人で過ごすことになる…
ギャツビーの居る空間は全体的に落ち着いてるというか曇り空っぽいことが多いのと対称にアシュレーが居る空間は暖色系が多いのも画として面白い
アシュレーは映画の世界に生きる彼らに振り回されつつもその無邪気さ、隙の多さ、好奇心から(世間に揉まれ疲れきった)スター達にとっての"ミューズ"のように扱われ、彼女自身も記者として女性としてこの世界に踏み込んだ喜びを滲み出している。しゃっくりが止まらなくなるキャラクターもキュートだ。
一方のギャツビーは悉く狂う予定に翻弄され、会いたくなかった昔の友人、映画を撮影する友達、そして元恋人の妹チャンと出会う。チャンはズバズバ言うタイプで、キスシーンの撮影でもズバズバ言われるギャツビー
部屋で少しの時間を過ごすなかで彼らに共通の趣味嗜好があることも分かったりするなど男女がホントに少しずつほんのりと近づく様が見て取れる辺りもいじらしい。
また、チャンが登場すると伴って降りだす雨もこれまた印象的な効果を発揮する(特に会話内容とラストで)
ギャツビーを決定的に変えたのは、ゴテゴテしたパーティーを開く苦手だった母の過去。それを知った彼は自分自身と向き合い、新たな道へと進むためアシュレーとの別れを決める。
アシュレーはキラキラした世界を好み、図らずもミューズのような扱いを受けて舞い上がり(その間ギャツビーは放置プレイ)
ギャツビーは元恋人の妹チャンとの言葉の応酬やゴテゴテしたハデな母の真の姿を見ることである意味"現実的に自分を見つめ直したのだろう"と言ったところか?
ビターな味わいと、雨が降るなかにもどこか爽やかさもあるロマンティックラブコメディ
今をときめく若手俳優達の共演はもちろん、脇を固める豪華なキャストも見処です
ビッチしかでてこない
この映画でティモシーのファンになりました。
映画としては、一流大学のいいとこのおぼっちゃんと、ミスコンで優勝した清楚な女の子のカップルって言う、ムカつくくらい完璧なカップルが初めに登場して、それが1日の旅行をきっかけに、少しずつ崩壊に向かって行くお話。恋愛ヒューマンドラマ?が好きな人は好きだと思う。
そのおぼっちゃんが結果的には庶民的でビッチっぽい女の子と付き合うから、アメリカのティーンエイジにウケるような映画なのかなと思った。
キャスティングミス
セレーナゴメスはないなー。映画の価値を半分落としてますね。ジャスティンビーバーしか思い出さないし、大人の雰囲気が皆無。特にラスト。パーティーに連れて行った美人さんと思ってたけどセレーナかよ!セレーナゴメスじゃなかったなら大人の雰囲気で終われたのに。
ウディ・アレン久々のNY舞台のラブコメ
お気に入り監督のひとりウディ・アレン監督最新作。例の事件でハリウッドからは総スカン。
たぶん、もうこれが最後の作品・・・・
と思っていたら、ことしに入って「Rifkin's Festival」という作品をスペインで完成させている!
恐るべし ウディ・アレン。
ヤードレー大学という小さな大学に通うギャツビー(ティモシー・シャラメ)とアシュレー(エル・ファニング)。
新聞サークルに所属しているアシュレーに、ニューヨークでの大物監督のインタビューの機会が舞い込む。
アリゾナ州ツーソン出身のアシュレーにとってはニューヨークは今回が3回目。
一方、ギャツビーにとってはニューヨークは生まれ故郷。
この際だから、行きつけのお洒落なホテルやバーでデートとしゃれこみたいが、両親・親戚の類には遭いたくない・・・
といったところからはじまる映画で、ウディ・アレンにとっては久々のニューヨークが舞台のラブコメ。
というか、ウディ・アレン、コメディは多いが、ラブコメって撮っていたっけ?
もしかしたら『アニー・ホール』以来か?
もう80歳も越えたウディ・アレンだから、ギャツビーの役は当然できず、今回はイケメン、ティモシー・シャラメに自身を投影した役を演じてもらっている。
モノローグは勿論、台詞回しも、猫背のところも似せているが、やっぱり、イケメンすぎる。
対するアシュレー役のエル・ファニング、いつ見ても上手い。
もう、舞い上がった田舎の金持ち娘役を、これでもか!って演じている。
そして、彼女に癒されるのが、映画監督・脚本家・人気俳優ってんだから、こりゃ、ウディ・アレンの願望だろうねぇ。
ということは・・・やはり、どうしても、件の事件が思い出されて、こりゃ、エル・ファニングにしたら「出なきゃよかった」と思うだろうね。
お笑い部分はアシュレーが引き受け、美味しいところはギャツビーが持っていく・・・という構成なのだけれど、ここはもうひと捻りあってもよかった。
と思うのは、ウディ・アレンがいちばん脂がのっていたミア・ファローとのコンビの時で、そのときはもうひと捻りあったように思う。
今回の話では、映画界という不思議の国に巻き込まれちゃうのは女性のアシュレーで、地に足を付けてパートナーを見つめなおすのは男性のギャツビー。
ヒロインがミア・ファローだったら設定を逆にしたかもしれないなぁ、と観終わって感じました。
イメージ的には『ブローウェイのダニー・ローズ』で事件に絡めとられるウディ・アレン、『カイロの紫のバラ』『アリス』のように現実に活きるミア・ファローのイメージ。
ま、それだと、ティモシー・シャラメとエル・ファニングというキャスティングではダメなんですけどね。
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