「人間の尊厳」護られなかった者たちへ R41さんの映画レビュー(感想・評価)
人間の尊厳
もしかしたら3回目の視聴かもしれない。
しかし、当時はボーと見ていたので、詳細な内容についてまで考えていなかった。
ここ数日このタイトルが目に留まったことで、もう一度見てみようと思った。
このタイトルは狭義の範囲内で多義的要素を持っている。
震災で亡くなった方々にたいするもの 守れなかった家族に対するもの 守るべき国民がいるにもかかわらず守ろうとしない人々に対することなどが含まれている。
さて、
この物語は震災をモチーフに、貧困層の救済のハードルを大きく上げている「生活保護制度」とそこで働く人々 そして貧困で亡くなったケイさんという登場人物に焦点を当てながら、「心の傷の深さ」を描いている。
そして、物語は「殺人事件」という動きで紡がれていく。
この殺人事件の動機こそ、震災で誰かを失った深い心の傷を、復讐という形で表現している。
幹子のセリフにもあるが、「震災とは怪物で、立ち向かうことなどできない」
どうしても抗えないことに対し、ケイさんが死んだのは「人間の所為」として、そのはけ口を生活保護制度を管理する者たちに向けた。
このごく一般的な視点と深い心の傷によって、幹子はどうしても許せない3人を襲った。
この物語はミステリーとしてもよく出来ていた。
犯人の目的は明確にもかかわらず、そこにどんでん返しを仕掛けている。
また、事件を追う笘篠刑事の心の傷を描くことによって、同じ境遇の人々それぞれの矛先が違うのも考えさせられた。
そこには立場の違いがあったが、同じ痛みを共有していることで、わかり合おうとする「繋がり」を感じることができた。
震災という名の怪物によって傷ついた人々
身寄りのなくなった3人が、家族のように生活を始めたこと
ケイさんの過去の心の傷 娘の存在と決して自分の存在を知られたくないことが、生活保護申請を取り下げた。
その事はお金の問題でしかなかったが、ケイさんは失ってしまった家族が震災によって復活したかのような幸せを手にできた。
他の誰かの養子となった幹子は、震災で死んだ母よりもケイさんを母だと思っていた。
仕事を求めて宇都宮に行った利根ヤスヒサ
彼の状態は震災直後からどこか他の人とは違っていた。
そこに貼られた伏線
回収まで少々長く、それそのものがミスリードとなっていた。
「全員を救うことはできない」
これは本当のことだろう。
しかし、幹子が市役所に入って「救い」と「復讐」を兼ねたようなことを決意していたのは、かなり驚きだった。
ケイさんを連れて申請に行き、ケイさんが餓死して担当者に詰め寄るヤスヒサ
担当者の冷酷な言葉を聞きながら、高校生の幹子は「決心」したのだろうか。
連続殺人事件が報道されたことで、ヤスヒサは犯人は幹子ではないかと疑った。
だから育った家に行って住所が書かれた郵便物を拝借し、彼女のことを調べた。
ただしこのことは詳細には語られない。
同時にミスリードという設定を殺すわけにはいかない。
このあたりが、この作品の難しさと是非だった。
そして着地点を、笘篠刑事の息子の最期に沿えていた。
これこそ笘篠刑事がずっと探していたことだった。
それに応えるように息子の形見の時計のアラームが鳴る。
「はいよ」
そのアラームに答える笘篠
そこには息子の最期を見届けてくれた感謝と、息子はもう空にいるんだとあきらめに似た納得があった。
深い心の傷に向き合うことはいったいどんなことなのか?
この作品は、やり場のない憤りを描きながら、それを共有していたわりあう作品だった。