「生活保護問題というより3.11で出来た心の傷」護られなかった者たちへ 落ち穂さんの映画レビュー(感想・評価)
生活保護問題というより3.11で出来た心の傷
《あらすじ》
児童養護施設で育った利根、寡婦のけいさん、3.11でお母さんを亡くした小学生のカンちゃんの3人が3.11の避難所で出会う。
けいさんの温かさに母の姿を見、心救われた2人は、生活に困窮するけいさんに生活保護の申請させるが、後日餓死しているのが発見される。
申請取下げがあったと役所の回答。産まれてすぐに養子に出したため自分の存在を知らない娘に迷惑をかけたくないというのがその理由だった。取り下げれば餓死するのがわかっているにもかかわらず、それを受け取る役所に腹を立てた利根は役所の入口に火を放って逮捕される。
出所し再就職した頃、けいさんの生活保護を担当した課長とその上司が相次ぎ餓死の状態で殺される事件が発生し、警察は利根をマークする。
利根は生活保護課の職員になっていたカンちゃんを訪ね、「なぜ生活保護課の職員なんかになってるんだ」「死んでいい命なんてないんだ」と哀しげに言う。
後日、カンちゃんのもとに警察が来ると「お兄ちゃんは優しい人なんです」と言う。
警察はけいさんの生活保護保護担当者で今は議員となっている男が次に狙われるとみて張り付き、利根が講演会場出口で飛び出してきて「謝罪会見してくれ」と懇願するところを逮捕する。
…ここまでの繊細な若者の悲しい復讐劇という話でお終いだったら、☆5はつけません。
この後、利根が逮捕されているというのに、議員が行方不明になるのである。
こうなって初めて、先程の2人の言葉の意味が全く違うことがわかる。
「職員にまでなって、けいさんの担当者だった奴等に近づいて、復讐の機会を狙ったのか」「例えけいさんを殺した奴等だとしても、純粋な悪人というわけではないし、命を奪ってはいけない」
自分の保身のためではなく、けいさんのためでもなく、ひたすらにカンちゃんを止めようとしていた利根。それを理解しているカンちゃん。
「お兄ちゃんは、自分が殺人犯と誤解されることより、私の身を案じてくれるような心優しい人なんです」
利根はもうこれ以上殺人を犯させたくない一心で、最後の現場であると確信するけいさん宅へ警官と赴く。
「お母さんが死んだときは怒りの遣り場がなかった、でも、けいさんは違う、人災だ」と犯行を成し遂げようとするカンちゃんに、利根は襖に書かれたけいさんの辿々しい文字を見せる。
「おかえりなさい」
けいさんは2人が再び訪れるのを信じ、この温かな言葉をかけようと思っていたのだ。そして、自分もかつてお兄ちゃんに投げた言葉。
事件が終わって、ラストで利根が3.11の津波から救えなかった子供のことを告白し、「護れなかった」と呟く。
《あらすじ ここまで》
大号泣ですよ!!
不安定な思春期に、唯一の家族である最愛の母を3.11で亡くし、震災時に知り合ったもう1人の母といえる人も亡くしたカンちゃん。同時に心の兄たる利根も傍にいなくなってしまったカンちゃん。養親は彼女を立派に育ててくれているので悪い人たちではなさそうですが、彼女にとって大切な人である利根の存在を知らないということから、心通える存在ではなかったのでしょう。もしかしたら、けいさんと利根を失った時点で、カンちゃんの心はもう閉ざされてしまっていたのかもしれませんが。
気持ち良く泣けましたわー
原作を切り落として、利根を純化させたストーリー構成もシンプルで好感をもてました。
ただ、私はこの映画を利根・カンちゃん・けいさんの3人の話だと思いましたので、警官が3.11で亡くした息子=利根が助けられなかった子供であると思われることとか、議員が謝罪会見開くシーン、田舎に来た若い刑事の存在は、蛇足だった気がします。加えて、カンちゃんが精神のバランスを崩す端緒かもしれませんが、不正受給者の当てつけ自殺未遂の話は、殺人事件とは関係ないのでこんな長いシーンとしては不要だったかなと思いました。
そもそも、生活保護問題をクローズアップしたいのなら、殺人事件など不要で、もっとそちらに純粋にウエイトをかけるべきだと思います。様々な問題点をさらっと触れられても、心に残りません。
どうせなら、3.11当時の疲弊しきった生活保護課の担当者たちの人間性について厚みを持たせた方がやるせなさが出て良かったのになぁと思ったくらいです。
あと、変なバレエのシーン、要りますか?誰?
また、海で話し合いさせたいからだとは思いますが、手錠だかの拘束を海岸付近で外すのも違和感ありました。
号泣したい方、オススメです!