「これもまた自分探しの旅」劇場版 きのう何食べた? R41さんの映画レビュー(感想・評価)
これもまた自分探しの旅
タイトルだけを知っていたことで見てしまったが、自分の無知さ加減に腹が立った。
しかしそれはそれ。
チケットを買って座席に着いた気持で見続けることにした。
さて、
この作品はマイノリティの心情をいくつかの題材を挙げながら表現している。
筧史郎役の西島秀俊さんは、BLというものに対しNGを出しているのが垣間見れることが少しおかしかった。
それに対し内野聖陽さんの演技はよくやったと言いたい。
BL
彼らに対する意見よりも、彼らが自分たちをどのように表現したいのかという観点でこの物語は描かれている。
つまり、自分たちは何者であるかということだ。
マイノリティの中にある純粋さ 本心の探求 壊れることへの恐怖
そこには明確な現実がある。
まず登場したのは両親だった。
二人の理解と嫌悪
これはこの先避けては通れない。
次は、マイノリティであるが故のレッテル
そのことを路上生活者の裁判によって表現している。
そして結婚と妊娠出産
BLを選択するということは、結婚は出来ても出産はできないことになる。
養子を取ることも今の法律ではできない。
自分の子供に名前を付ける喜び
それができない寂しさ。
そしてケンジの母のセリフ 「その人は、ずっと一緒にいてくれる?」
父の孤独死は、もしかしたら明日の自分自身なのかもしれない。
美容室の新人と彼女との別れは、男女だからこそできるあっさりしたものであり、またすぐに誰かを選ぶことも可能だ。
しかし、
マイノリティ同士が意気投合したとしても、一旦別れればまた次の誰かと出会える可能性は少ない。
そこに彼らが忍ぶように生きている一面があるのだろう。
普通であって普通ではないこのマイノリティ
従来普通だったことが普通ではなくなってしまう怖さ 他人の眼と将来
新人タブチくんは「人の自由は奪えない」とあっさりというが、「次」はないという概念は消えることはないのだろう。
さて、、
この作品は漫画の劇場版ということだが、タイトルはいったい何を意味するのだろうか?
映画からそのタイトルを匂わせるものを感じ取ることはできなかった。
ただ、食事のシーンが多く、食事の時に交される会話
何気ないことや、相手から感じる些細な違和感
つまり、お互いの日常とその中で感じたこと、そしてそれを感じた相手の思いを汲み取ろうとする感覚
きのう何食べた?とは、24時間で起きたことをお互いに話すきっかけを作る言葉なのかもしれない。
肉団子 おふくろの味
その味を受け継いでも、それを教える子供はいない。
母のセリフ「これからはあなたと、あなたの家族を一番大事にしてね」
少なくとも、筧史郎はみんなに応援されている土台がある。
矢吹ケンジにも応援してくれる家族がいる。
彼らはマイノリティを前面に出しながらも、心は常に揺れ動いているのかもしれない。
花見で見かけたトミナガカヨコの家族 生まれた悟朗 一般的な家族の幸せ
少し山の中まで行った場所でひっそりと花見を楽しむ史郎とケンジ
最後に「俺たち年取ったな~」というセリフは、様々な視点と葛藤があって、それでもこの居場所を今は選択している自分たちがいることを明言したのだろう。
BL × BL × 親子 × 料理 × 本心
結局はこれも一つの自分探しの旅であり、意識的にせよ無意識であるにせよすべての人が行っていることであり、実はこの世界では「自分探し」というゲームしか行われていないという極論を垣間見た気がした。
母という存在
彼らがどう足掻いてもなれないこの存在からの愛の言葉
知るべきなのは正論ではなく、自分が選択した道から何かを掴み取ってそれをどう捉えるかに過ぎない。
それが自分であればそれでいいし、そうではないと思ったらまた別のものを掴めばいい。
誰もが自分は正しいと思って生きている。
だから何でもあり。
それが自分だというものを見つければいいだけ。
母の話した家族とは、自分を信じた結果であり、唯一無二の存在だ。
それを大切に生きることこそ自分を大切にすることなのだろう。
年をとりながら、自分の信じたことがより確信になれば、そんな嬉しいことはないのかもしれない。