「無宗教の当方にとっては残念な作品」君といた108日 耶馬英彦さんの映画レビュー(感想・評価)
無宗教の当方にとっては残念な作品
映画の冒頭で、主人公ジェレミー・キャンプが障害のある弟に対して見せる優しさと、その様子を両親が誇らしげに眺めるシーンに、先ず感動する。この感じで進む物語なのだと思った。引越し先の大学寮に向かうバスのシーンで期待が膨らむ。
ところが、ライブイベントで当方の予想は裏切られる。歌われる歌詞はすべて神に捧げられるもので、要するに本作品はキリスト教の信仰の映画なのだ。申し訳ないが、無宗教の当方にとっては理解し難いところがある。
ヒロインのメリッサは天文学の基礎知識があるようで、プラネタリウムのシーンでは、天の川銀河とアンドロメダ銀河について解説し、無人のコンサートホールのシーンでは超新星爆発について解説する。超新星爆発はマイナス15等星とも言われるほどの明るさだ。ただ恒星の最後は、超新星爆発の他に白色矮星になることもあるので、メリッサの解説は必ずしも正確ではないが、星の最期は明るく光り輝くことを言いたかった訳だ。ロウソクの炎の最期と同じである。ここまではまあいいとしよう。
しかしそこに神という概念を持ち込むと、科学が一転して、妄想になってしまう。多分キリスト教徒にも理解し難いのではなかろうか。アルベルト・アインシュタインがキリスト教徒だったからといって、物理学に神の概念が入り込む余地はない。神が宇宙に遍在すると言いたいのかもしれないが、それだと日本の八百万の神みたいになってしまう。キリスト教は一神教だから八百万の神とは違う。メリッサの信仰告白は理屈っぽいが、何が言いたいのかさっぱり解らない。雰囲気だけで話している気がした。
ジェレミーの優しさと献身は解るのだが、そこに神の加護を求めるのが、ちょっと違う気がする。日本で一昔前まで行なわれていたお百度参りみたいである。民間信仰だ。日本のお参りは宗教ではなくて、ご利益(りやく)を求める迷信だ。キリスト教は罪を悔い改めるのが基本だから、ジェレミーが神にご利益を求めるシーンに違和感があったのは当然だと思う。ジェレミーの信仰は迷信と同じなのか。
そういう訳で、感動的なのは冒頭だけ。ライブイベント以降は、見知らぬサークルのイベントに初めて参加した新入生みたいに、居心地の悪い思いで鑑賞することになった。無宗教の当方にとっては残念な作品である。しかしもしかすると、クリスチャンの方々が観ると感動するのかもしれない。決してキリスト教を貶めている訳ではないので、誤解のなきよう。