「これじゃあ、またも、原作者が嫉妬するに違いない」青くて痛くて脆い グレシャムの法則さんの映画レビュー(感想・評価)
これじゃあ、またも、原作者が嫉妬するに違いない
『君の膵臓が食べたい』の時と同じことを感じました。
私は原作小説のある日本映画の場合、なるべく『読んでから観る』ことにしています。
理由は大きくふたつ。
ひとつは、母国語で表現される小説や映画が、色々なジャンルでこれだけひっきりなしに味わえることををとてもありがたく感じているからです。
アジアの超監視社会の大国や独裁国家、その他、いつもどこかしらで継続中の戦争や内戦、テロなどに怯えている中東やアフリカなどの地域では、おそらく母国語で自由に創作された文学作品や映画などを味わう機会は相当に限られたものだと思います。
母国語でないケース、例えばアメリカのコメディ映画などを映画館で観てる時、字幕で観てる日本人には理解できない場面で、アメリカ人と思われる数人の観客が大爆笑❗️
なんて経験ありませんか?
これこそがふたつ目の理由です。
母国語とその国の伝統文化や最新のトレンドなどからのニュアンスについては、翻訳家の方がいくら努力しても観客に伝えきれない部分があるのは仕方ありません。だから、アメリカ映画などでは、町山智浩さんの発する情報などを後追いしながら理解を深めたり、なるほどそういうことか!と後から合点がいくこともよくあります。
現代の日本文化において特徴的な、空気を読む、とか忖度などは、外国の方には肌感覚での理解がかなり困難なはずです。
モリカケ問題の報道の時に、『フィナンシャル・タイムズ』の記者は、〝忖度〟を「与えられていない命令を先取りし、穏便に従うことを示す」と定義したそうです。日本語を母国語としている我々としては、苦笑まじりに「うーん、命令ではないんだけどな」と反応するしかないですよね😅
今回の映画で言えば、例えば「意識高い系のサークル」という感覚は、言葉としては外国語にも直訳できるのかもしれませんが、日本社会の独特の就活文化とか同調圧力とかKYを背景としたあれこれは、なかなか外国の方には理解できないと思います。
そういう微妙だけど確固として存在する様々な日本的な情景を文章で描いた原作小説。それに対して、映像や音響、音楽という武器を使った映画作品がどう描くのか。
そういうことを比較するのも、とても大きな楽しみのひとつです。
なんだか偉そうに、能書きを垂れてしまいました。
すみません。
原作をどう料理したか、という視点で見たら満点以上。個人的には、5割増し。
きっと原作者本人が一番嫉妬してるんじゃなかろうか、というくらいの出来だと思います。
原作には存在しない西山瑞希と児童養護施設(児童福祉法上の正式なものかどうかは分かりません)の子供達が楓の奥底にあるコアな優しさに深みを与えてくれたことで、ずいぶん痛みが和らぎました。また、秋吉の変節についても原作で受ける印象よりも、不自然さが削られてリアリティが増していたと思います。
松本穂香さん演じるポンちゃんの鋭い賢さも原作を超えていて、異彩を放っていました。
総じて、原作にはない設定や細かな改変がすべてプラスに働いていたと思います。
話を戻しますが、この映画、どんなに翻訳が達者な方が、外国語の字幕をつけても、独特の疎外感や鼻持ちならなさや痛さは、外国の方にはなかなかご理解いただけないだろうなと思います。