アイヌモシリのレビュー・感想・評価
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アイヌを見つめる研ぎ澄まされたインディペンデント・スピリッツ
これまで日本ではなかなか描かれることが少なかったアイヌ民族のリアルな姿に、はじめは好奇な目で見てしまうかもしれない。
しかし、アイヌの血を引く一人の少年のアイデンティティに揺れる様を目の当たりにすると、次第に同じ人間として共感し、自然とともに暮らすこと、生命とは、神とは何か、この世ではない世界との繋がり、そして古い慣習や伝統といったものについて考えさせられ、失ってしまったかもしれないものに気づかせてくれる作品だ。
演技初挑戦で主人公の少年を演じた下倉幹人の真っ直ぐな視線のように、「リベリアの白い血」が国内外で高く評価された福永壮志監督のテーマを見つめる視線に、研ぎ澄まされた印象を受けるに違いない。
アイヌの血や伝統的な儀式であるイオマンテに反発しつつも、それでも自らの血に抗えない少年の通過儀礼の話でもあるが、山に入ったまま帰らぬ人となった父親と一瞬だけ再会したようなシーンは、なんとも感動的だ。
純度 100% の球磨焼酎
いやいや、それはクマや無いですからw
兎に角、全編に溢れる「純度の高さ」。虚飾感無し、過剰にアイヌの悲劇悲哀を強調することなく、ドキュメンタリータッチでアイヌモシリの今日に迫ります。
が、しかし。
「日本語、お上手なんですね」
などと、ドタマぶん殴ったろか?なんて言いたくなるよな、無理解な観光客も登場するなど、さり気なくアイヌの置かれている状況の描写は忘れない卒のなさ。
脚本・監督が米国を拠点にしている福永壮志さんとの事ですが、正直、よく存じ上げません。プロデューサーが、アミール・ナデリ監督のモンテの製作に名を連ねるエリック・ニアリ。ここで、「あぁ、この純度の高さ」の出所だよ、と納得。
アイヌモシリから出て行きたかった少年は、伝統文化復活への反抗心の向こうに、父親の姿を見つける事で、出自を知り、アイヌモシリの一員である事を再認識する。
イオマンテは残虐で今日の「成熟」した文化風潮にはそぐわず、との判断。まぁ、そうでしょうねぇ。観光としてはねぇ。観光には、ねぇ。ちょっとねぇ…
と調べてみたら、1955年に禁止の通達が道知事から出される中、1985年まで数回が執り行われた記録あり。2007年には、この通達は撤廃されますが、以降の実施記録は無い模様。
動物愛護の観点からは、観光としては論外でしょうが、それが民族の魂の存続と言う意味合いであれば、私らがとやかく言えるもんでも無いよね、って思う。
2019年に「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」が制定され、「アイヌにおいて継承されてきた儀式の実施その他のアイヌ文化の振興等に利用するための林産物を国有林野において採取する事業に関する事項を記載することができる。」とされました。つまりは、場所は限定されるけど、今は自主尊重が法律によって保証されていると言うこと。
明治の「北海道旧土人保護法」が廃止されて、「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」と言う、事実上の「同化政策法」に置き換わったのが1977年。2019年の新法は、言わば「籠の中の鳥として文化を継承して行く事を尊重する」と言うもの。
途中、敗戦とGHQによる統治で行われた農地改革により、アイヌが土地を奪われたって事を考えると、近現代史で不運と不幸をかこつ「世界中の少数民族」の中では、比較的恵まれているとも言えるのではないでしょうか。あくまでも「比較的」だけど。不幸には変わりないですけどね。
小熊殺しは残虐、って非難する資格は、私らには無いよ。
って事で。
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