「決して忘れてはいけないこと」アイヌモシリ talkieさんの映画レビュー(感想・評価)
決して忘れてはいけないこと
時代は明治に入って、政府は本格的に北海道の経営に乗り出します。
1906年(明治39年)に作られた鉄道唱歌・北海道編は「千里の林・萬里の野 四面は海に圍まれて わが帝國の無盡庫と 世に名ざさるゝ北海道」と歌い上げます。政府が北海道の開拓に本腰を入れた理由を如実に物語るものでしょう。
そんな明治政府の目から見れば、すでに交換経済を営む自分たちと比べて、神々が宿るものとして自然を大切にし、採集・狩猟生活を大切にしていたアイヌの人たちは、ずいぶんと時代錯誤な遅れた生活を営んでいるように見えたことでしょう。
アイヌの人たちを「北海道旧土人」(かつてアイヌ民族を指した法律用語)と呼んで憚らなかったことからも、そのことは、充分に窺い得て、あまりのあるところです。
この地を初めて本格的に探検した松浦武四郎は、この地を「北加伊道」(ほっかいどう)と名付けたはずでした。「加伊」は、アイヌ民族のことで、彼は、この地を「アイヌの人々が暮らす土地」というほどの意味を込めて名づけたものでしょう。
しかし、明治政府は、アイヌ民族がこの地の先住民族であることを明らかにするこの地名を嫌い、日本の領土の北辺に位置する土地という無色透明な意味合いに置き換えて「北海道」の文字を当てはめたと言われています。
評論子を含めて和人(シャモ)は、決してそのことを忘れてはならないのだと思います。
マサシさん、コメントありがとうございました。
どっちにしても、北海道は拓殖の地で、本州のいろいろなところから移住して来た人たちで、今の北海道になっているようです。
(本州の地名と同じ地名や、本州の地名に「北」の文字を冠した地名も多いようです。)
以前の北海道庁には「拓殖部」という部が置かれ、それゆえ「拓殖部長さん」がいらしたようです。