「「よく見たら美人でした」・・・じっくり噛みしめたい映画」空白 ゆり。さんの映画レビュー(感想・評価)
「よく見たら美人でした」・・・じっくり噛みしめたい映画
とても良い映画を観ました。
万引きを咎めた為に中学生の花音を死なせてしまったスーパーの店長青柳(松坂桃李)。
花音の父親で漁師の添田(古田新太)は娘の事をほとんど知らなかった自分に愕然とし、その後ろめたさもあって、青柳や学校に怒りをぶつけ、その行為によって青柳も添田も花音もマスコミやネットの誹謗中傷に晒されます。怒りが収まらない添田に、関係者の人生が狂わされていくのです。
非常に重い内容なのですが、ストーリーが整理されていて説明が過不足なく、また所々ユーモアもあり、私にはとても観やすかったです。
登場人物たちは、『この人はこういう人生を送ってきたんだろうな』と想像できるため、共感は出来なくても(特に父親!)、セリフやしぐさや行動はすんなり納得出来ました。
ハッピーエンドとまではいかないのですが、後味は悪くないです。
主人公は最後まで娘と心を通わせることが出来なかったけれど、あの瞬間だけは、同じ空を見上げて、同じように晴れやかな気持ちになったのでした。
ーーーー9/28追記ーーーー
一晩噛みしめたら追記したくなってしまったので、〈ネタバレ〉に変更します。
添田は女性とまともに会話が出来ない男です。
あの女性ドライバーの謝罪を無視したのは、怒りだけでなく、若くておとなしそうな相手にどう対応したらいいかわからない、という苦手意識もあったのではないでしょうか。
女性の母親に、「何を言われようと俺は”謝らない”ぞ」と言ったところをみると、悪いことをしたと思っているようです。
一方、女性の母親は立派、というか、立派過ぎだと思いました。
父親が居なかったので、彼女が女手一つで娘を育て、厳しく躾けてきたのかもしれません。気丈な母親に対して、娘は気が弱そうでした。
想像ですが、もしかしたら、「何回でも、何十回でも、謝罪し続けなさい」くらい言ったかもしれません。
もしかしたら、娘を追い詰めたのは母親の方かもしれません。少なくとも母親はそう感じたのではないでしょうか。添田は女性の謝罪に取り合わなかっただけで、罵倒したりはしてないです。母親は娘にとりすがって、「ごめんね、ごめんね」と泣いていました。
そして、娘の事を考えたら添田に恨み言を言ってもおかしくないのにあの態度。立派すぎる母親は娘を追い詰める、と思ってしまいました。
コメントと共感ありがとうございました。
娘を追いつめたのが母親かもしれないという考察は素晴らしいです。
あなたは1人の人間の人生を奪ってしまったの!くらいの事言われたら(しかも母親に)これは逃げ場がないです。
自殺してしまう人間の親子関係の希薄さと言うのが言われていますし、説得力ある解釈ですね!
ゆり。さん、コメントありがとうございます。
レジ袋有料化はもしかすると廃案になって、また無料化になるのかもしれませんね。コンビニだと逆に「レジ袋要りません」と客が言う時代になるのかな~
スーパーでは万引き対策のため逆にマイバッグをチェックするとか、色々考えられますね。
子どものしつけに関しては、昔ながらの親がいなくなってるし、映画の両方の親も本音で話し合ってない気がします。第一事故で死には至らなかった女性と、第二事故で不可抗力を主張するトラックドライバーの対比も面白かったです。
事故当時は花音ちゃんは万引きしてなかったのでしょうけど、過去には万引きしたことがあった・・・これも驚愕でした・・・
加筆部分。まったく同感です。添田に拒まれても何度も来るあのコンパクトカーの娘さん。最初は母親がついて来た。青柳がドアノブでクビつろうとしているアホなシーンからの首にロープの痕の生々しいショット。あざとい。あざとすぎ。そして、立派過ぎる母親のセリフ。死んだばかりの娘の欠点や弱さをはっきりと言ったりするのには、例え自分のしつけが間違っていたとしても、へ~、ここで言う?でした。あざといセリフ。この映画は古田新太の起用もあざといですが、ずっと俯瞰できて、楽しくなかったです。ワクワクしない。寺島しのぶがどさくさ紛れにキスするのもどうってことない。一貫して、弱者へのSな空気を感じて、まとまっているが故に醒めた感じで、ワクワク感が全くありませんでした。あざとすぎて冷たい感じの作品だったかな。要するに、娘さんの葬儀場面になったとたん、ああ、母親が追い詰めたなって確信に変わって、そのセリフにドン引きした訳です。
ゆり。さん、凄いですね。
追記で述べられている視点、そこまでの思索はまったく及ばなかったです。
『心の弱い娘です、許してください。』
と言わせるより『心の弱い娘の命を奪った罪を償ってください。』というほうが一般的には共感と涙を誘うように思いますが、敢えて逆のパターンを選んだのは、娘のことを知らない親も、なんでも知っててコントロールしてるつもりの親も、子どもへの罪深さに違いはない。そんなことを表現したかったのかもしれないですね。