「「被害者」が「加害者」を脅かす二元論ではない。」空白 スモーキー石井さんの映画レビュー(感想・評価)
「被害者」が「加害者」を脅かす二元論ではない。
古田新太演じるかなり気性の荒い父親。
その一人娘が松坂桃李演じるスーパーの店長が営む店で万引きを疑われ、その後の逃走劇の果てに、娘は自動車事故に巻き込まれ、悲惨な死を迎える。
店長は責任を感じ、不器用ながら自分なりの誠意を娘の父親に伝えるも、もはやモンスターと化した父親にはなかなか聞き入れてもらえず、かえって向き合うことを恐れるようになり、ひとり苦悶し続ける。
マスコミはこの件を不用意に煽り焚き付け、学校側は言い訳先行で大事にしたくないという思惑もあり、父親の訴えを煙にまこうとする。
そんなリアルでお決まりの描写で、観てる方は居た堪れない場面が続く。
ただ、物語にはきちんと起承転結があり、モンスターと化した父親にも徐々に変化が生まれる。ラストは大切なものを失った者同士和解の兆しものぞかせた。
そして、父親と店長それぞれにちょっとした救いもあったりで、そんなに悪い気分で終わる映画ではなかった。
この映画を観て人間はつくづく愚かで不器用だなと再認識した。
どうせわかってくれないと、相手と正対することに虚しさと諦めを覚え、殻に閉じこもる若者たち。
娘を突然失ったことで普段より一層冷静でいられなくなり攻撃的になり、そして、失って初めて娘と向き合うこととなる不器用な父親。
本当は見返りを求めているのに、
善意を強要し、距離感を誤り、周囲を困惑させ
、苦しめていることに気づかないある意味モンスターなお節介な人。
そんな自分が正しいと疑わないモンスターに振り回され、声をあげることを躊躇う臆病な大多数の人々。
当事者でもないのにあれやこれやと高みの見物で批判したり、遠くから面白がりストレスをぶつけるかのようにちょっかいを出す野次馬ども。
私もそんな分からずやで腐った面をもつ烏合の衆のひとりだ。
だからこそ、本作に出てくる緩衝材たる脇役たちの姿には称えるべきところがある。
本当に困っている時に寄り添える真っ新な思いやりをみせる者もいたり、
同僚にずるいと言われたり、被害者に邪険にされながらも自分がやってきたこと、やってしまったことを悔い、自分ができることを全うしようとする者たちもいたり、
自分が苦しい立場にいるにもかかわらずそれでもなお誠意ある態度を貫こうと踏ん張る者もいたり、
立ち直って欲しいと願うからこそあえて叱咤や激励の言葉をかける者もいたり。
そんな人たちの示す言動や態度は
「不健康」になり下がった現代人のわずかばかりに残っている健やかさだ。
ここぞという時にそれができる人たちは苦しんでいる者にとっての救いとなり、自省のきっかけを与える。
人はそういう僅かな健やかな人たちに支えられて生かされている。