「自分と他人の間、善と悪の間、思い込みと思い込みの間」空白 redirさんの映画レビュー(感想・評価)
自分と他人の間、善と悪の間、思い込みと思い込みの間
松坂桃李がすごい。古田新太がすごい。片岡礼子がすごい。寺島しのぶがすごい。登場する俳優さんたちが実世界で多分こんな感じの人だろうなといちいち納得の、皆すごいリアリティを放っていて、リアル過ぎて映画になってないんじゃないかと不安になる前半だった。どの役柄も景色も場所もすごいリアリズム。そして荒れ狂う古田新太の怒り、気持ちが事実に追いつけず戸惑う松坂桃李、徐々にパワーが増してコントロール不能となる寺島しのぶ、と前半は描写もしつこいくらい丁寧過ぎてリアル過ぎて少し引くぐらいだった。片岡礼子の、娘の葬儀の、ひとりの親としてひとりの人としてぶれずに素直な気持ちを表明する素晴らしいシーンで泣いた。そのあたりから、本作品は変な言い方だが、本当に映画らしくなり、人物たちは、さらに、大きく小さく感情や存在の仕方、哲学を無意識にまた意識的に表してきて違うリアリティの出現。リアリティの超えた。
みな自分ができる最善のことはなにか、を自分の主観で考え言動している。古田新太のように暴力とか暴言とか証拠隠滅とか、悪いこともあるが彼なりに死んだ子どものために、なにができるかと思う、まあ、実は自分のためになのだが自分の思う正義と善を彼なりのやり方で実行する。寺島しのぶの勧善懲悪型ボランティアおばさんも滑稽で痛いし不快だが善意を最大限に体現しみんなに善意の強要をしている、しかしあくまで本人は良いことをしているつもりだが不幸な自分を誤魔化してるだけ。校長ともうひとりの男性教師、それにインタビューを恣意的に切り取るテレビ局以外は、それでも、自分が思う、主観的善にもとづき自分が思う良い生き方や良い行動をしている、
善も悪も見方次第だから、ギャップが生まれる。
親は親としてあるのではない、子どもが生まれたから親になるのではなく子どもと関わりを持ち子どもを知ろうとすることで親になるのだ。松坂桃李の父親との関係、漁師のお兄さんの父親との関係、そこからの古田新太との関係、片岡礼子と娘の関係、子を失い子を手に入れた田畑智子夫婦の関係、担任の先生も自分は教員になったから先生なのではなく生徒と向き合っていくことで先生になっていこうとしている。利己に走る美術部の教員と校長はクソだ、そこには善もなく関わりもなく保身しかない。テレビのリポーターの女性は丁寧にインタビューし、そこには関わりが存在していたが、番組編集サイドは自己都合しかない。現場、個人の関わりがあり顔を合わせ目を合わせる現場的距離が遠くなるほどに自己都合、無責任、システム追従なことになっていく。ここにもギャップができる。
後半、スーパーの焼き鳥弁当を褒めてくれたトラック運転手、この人もまた、母親がよくごはんに買ってくれたことが焼き鳥弁当の美味い所以であった。小さな善悪判断はすべてミラーになっていて主観的で絶対はない。
無意識に積み重ねてしまう小さな善悪判断は、自分自分を生きている私たちには日々避けられない。そしてそういうことから面白い関係も悲劇もギャップも空白も空白を埋める関係性も生まれる。善悪ジャッジなんて誰にもできない。
図らずも同じイルカ雲をそれぞれ見ていた悲しい親子。悲しみ憎しみが愛と慈しみに変わる。空白って、空に白い雲なのかな、て、この暗い展開でもところどころ笑いを誘う本作のタイトルを思う、
これまでの空白、埋まった空白、埋まらない空白、発見する空白、そしてこれからの空白、見つけ埋めていく空白。