ファースト・カウのレビュー・感想・評価
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絆を掘り起こすために
ケリー・ライカート監督作品。
2021年に特集が組まれて4作品とも凄い作品だったから、本作もみれてよかった。風景とロードは『ウェンディ&ルーシー』『リバー・オブ・グラス』だし、西部劇の捉え直しは『ミークス・カットオフ』、男同士の絆は『オールド・ジョイ』と通底するものがある。他にもバディ・ムービーとしてみればなどいくらでも他作品との共通する部分は指摘できる。けれどルックをみれば瞬時に分かる。これはライカートの画だと。それにもカメラワークや演出などと言うことができるが、もう言語化に留まらない作家性の発露なのだ。
本作は二人の男・クッキーとルーの絆の物語である。
森でキノコを採取して開拓に従事していたクッキーが、裸一貫のルーに出会う。クッキーは集団で蔑まれいじめられていたから、ルーを助けることで絆が生まれる。そして二人は意気投合して「ビジネス」を始める。それはクッキーの料理人の腕とルーのビジネス感を合わせて、ドーナツを販売することだ。しかし美味しいドーナツのためにはミルクが必要で、そのミルクは商人の所有物で“富の象徴”の牛から盗まなければいけなかった。
まずキノコからドーナツへの移行の描写が素晴らしい。
「キノコを採取すること」は、人間と自然の相互循環システムを端的に語っている。人間は空腹をしのぐために必要な分だけキノコを採取する。キノコは採取され、間引かれることで移動し、繁殖する。過度にされれば乱獲による絶滅や大量繁殖で生態系の変容につながる危うさはあるが、本作では循環したエコシステムとして描写される。
「ドーナツでビジネスをすること」も似ている部分はある。ドーナツは人間が食べるためにあるし、自然の食材が必要だ。しかしドーナツは木になっていない。人間の手によって、「お菓子」として生み出されなければいけないのだ。そしてビジネスにするためには、お腹を満たす以上に利益を獲得しなければならないから大量生産が必要になる。それにより素朴なエコシステムからはみでる人間の自然への介入がされることになる。しかも必要なミルクは森にいっても採取はできないから、さらなる介入としての「犯罪」が行われる。
このようにキノコからドーナツへの移行は人間と自然の相互システムのあり方と介入による変容を鮮やかに描いている。そしてもはや人間と自然は二項対立的に語ることは不能で有機的なつながりがされていることもラディカルに描かれているのだ。
そして「ドーナツでビジネスをする」といった原初的なビジネスのあり方は、西部劇における「未開の地」の「男の冒険」による開拓とリフレインされ、ラディカルに捉え返しされることになる。
そのひとつがルーの表象である。ルーは中華系の移民であるのだが、この存在は端的な事実を語っている。すなわち「西部劇は白人男性だけのものではない」ということである。ジョン・フォードの『駅馬車』を引用するまでもなく、古典的なハリウッドの西部劇では、白人男性を主人公にして、同じく仲間の白人男性とインディアンなどの「未開の者」または敵対者と闘うことで絆や女性との恋愛をすることが定型であった。この語りはアメリカの「フロンティア精神」を体現しているのだが、やはり極めてホモ・ソーシャルでナショナルな語りであるからジェンダーやコロニアルの観点から批判的に捉えるべきであろう。そしてその視座があるからライカートは現代において西部劇を展開し、『ミークス・カットオフ』では女性の物語を、本作では移民の物語が語られているのではないだろうか。
さらにルーという存在が現前されることで、クッキーとルーは「移民」として等値に置かれる。その時、クッキーに表象される「白人男性」は、アメリカに不動に存在し、屈強に冒険をする人間ではなく、生きるために移動せざるを得ない脆弱で異質な他者性を帯びた「移民」として捉え返しが可能なのである。
それでは二人の絆はなぜ破綻するのだろう。クッキーは闘争ではなく逃走で、全くもって非ドラマな崖からの転落で頭を怪我する弱々しい存在に終始する。二人の結末は、二人並んだ骨が物語っている。西部劇をラディカルに捉え返したのに、ハッピーエンドに終わらないことはなぜなのか。
「ドーナツでビジネスをすること」はもうひとつのテーマとリフレイン可能である。それは「資本主義経済」である。この経済様式では生産のために資本が必要になる。資本はドーナツでいうところの食材である。では資本≒食材はどのように集めるか。ドーナツを売り始めたら、その利益で食材を買えばいいのだが、原初にはそうはいかない。だからキノコと同様に自然からの採取を行われなければならない。そしてミルクと同様に犯罪による収奪がされなければならない。実はこの「収奪」は資本主義経済を語る上で労働力の「搾取」と同様に資本の本源的蓄積のためにされてきたことだ。そしてこの収奪と搾取はジェンダーやコロニアルの観点からも発見された構造だ。つまり収奪と搾取を根本的に抱える資本主義経済では、絆は死に向かわざるを得ないことを言っているのではないか。私にはそう思えるのである。そして現代もまた資本主義経済である。そうであれば本作は西部劇でありながら極めて現代的なテーマを語っているし、現在において絆を幸福に帰結させる困難さを描いているとも言えよう。
私たちにはハッピーエンドがない…?そうではない。本作はそれでも希望を描いているし、絆の物語なのだ。
私が本作で一番いいと思ったショットは、二人がミルクを収奪したのがバレて、商人の警備員がベッドから身支度をして外にでるショットである。警備員がもたもたしている。寝間着からズボンにわざわざ履き替えて、その間に二段ベッドにいる仲間に先を越される。二人を捕まえる最もスリリングな場面なのに、このショットをみて笑ってしまった。けれど、これがライカートの映画なんだと思ってしまった。精巧で緊張感のあるショットに突如現れる弛緩の時間。この時間にこそ親密さが充満し、絆が紡がれ育まれているのではないだろうか。そしてそれを撮るのがライカートなのだ。
絆は「掘り起こされる」。掘り起こす主体が犬と女性であるのが、まさしく作家性の表出ではあるが、私たちは本作をみて、かつて、そしてあり得べき絆を掘り起こすことが求められているのである。
行列のできるドーナツ屋たちがみる夢
群生するシダが左右前後にのびのびと埋め尽くす。
苔むす道なき道は川べりに続くグラス類に変わり風のざわめきで割れると、その先におだやかに流れる水を舟が渡ってくるのがみえる。
何やら珍しいものが運ばれてきたのを手作業をとめて眺める原住民たち。
ゆるりとした様子が暮らしぶりを伝えるように、オレゴンの大自然のなかで人々は物々交換をしながらのんびりと共存しており、開拓者の欲が派手に渦巻き煙り原住民を激しく支配するイメージを覆す。
時はアメリカ西部の開拓ホヤホヤ時代なのだ。
優しくのんびりやな料理人クッキーと商売気質で強気なキング•ルーがそこで出会った。
国籍も経歴も違う彼らは、夢はあるが元手がなく貧しさと孤独な境遇が共通し意気投合、2人で一獲千金を企てることに。
そしてある秘密により行列ができるドーナツ屋としてみるみる繁盛。
それがあの時岸に着いた珍しい貨物に関係し、成功と欲がさらなる運命を連れに動き出す。
人間のやりとりはほぼどの過程も淡々とし暗めの静寂で間合いが多く、時折ふと笑みがでるユーモアや一瞬で裏返るシリアスさが点在する。
自然や動物たちは常に生き生きと描かれ目が覚めるほど美しい。
それらが四角の画面に見事に凝縮され、多彩に色付き、たわわに実り、なんとも巧みな味を醸し出しながら独特な空気感のなかに〝人間たち〟を映し出す。
地球の恩恵に感謝して領域を冒さずに暮らしている間、すべての関係性はあの弦楽器の音色が自然のなかの一部であり邪魔することなく奏でるバランスだったことを感じて私はなんだか寂しい気分になった。
巨大な貨物船が巨大なビジネスを載せ、あの日と同じ川の流れに悠然と過ぎていく現代の冒頭シーンに繋がったからだ。
逃亡に疲れ果て眠りに落ちるクッキーのそばで儲けが入った巾着をじっと見るキング•ルー。
きっとこの時彼はお金では決して買えないものの価値をちょっと感じたはずだ。
頭を寄せ横たわったとき欲望のかけらがひとつ転がり落ちたのをみた気さえした。
ベリーやナッツをふたりで収穫しながら希望を膨らませ、ハコヤナギの穴に儲けを隠しわくわくした2人の日々も夢の跡。
皮肉なお伽話のようなその顛末を変わらぬ景色たちに語り草にされながら、彼らは仲良く並んでひと休みしたまま永い夢を見続ける。
ディカプリオのあの作品とは対極の味わい。
温かく哀しく深い余韻がのこる。
追加済み
【18世紀、オレゴン。西部開拓時代を舞台に、印象的なアコースティック音楽を背景に、夢を叶えようとする二人の男の姿を恬淡と描いた作品。アメリカンドリームを目指した二人の男の友情の物語でもある。】
■アメリカン・ドリームを求めて未開の地にやってきた料理人のクッキー(ジョン・マガロ)と中国人移民のキング・ルー(オリオン・リー)。
意気投合した2人は、ある大胆な計画を思いつく。
それは、この地に1頭しかいない仲買人(トビー・ジョーンズ)の牛からミルクを盗み、ドーナツを作って一獲千金を狙うというものだった。
<感想>
・冒頭、2体の白骨が河原で少年により掘り出される。2体は並んで埋められている。
ー この冒頭のシーンがラストシーンと時を越えて繋がるのである。-
・その後、先のショットの延長上で男がキノコを探す姿が映し出される。
ー この連続ショットの繋ぎも絶妙に巧い。-
■クッキーと中国人移民のキング・ルーは、クッキーがキング・ルーを助けた事から共に放浪をする。
そして、クッキーは仲買人の牛の乳を夜な夜な盗み、ドーナツを売りドンドン金を稼いでいく。
だが、仲買人が噂を聞き、ドーナツを買いに来たことで、彼らの運命は徐々に変わって行く。
リリー・グラッドストーンが仲買人の奥さんとして、少しだけ出演していたのも、嬉しい。
<今作は、いつものケリー・ライカート監督作と同じようにシンプルなストーリーテリングながら、結末を予測させるシーンを敢えて排除し、スリリングな展開を用意し、観る側を惹き込むのである。
今作は、印象的な、優し気なアコースティック音楽を背景に、アメリカンドリームを目指した二人の男の物語なのである。>
あらくれた時代の優しい物語
こころやさしいクッキー、お金儲けに励みながらもどこか静閑な空気をまとうキング・ルー、静かにクッキーにこころを許す雌牛。
交わす言葉は多くはないが、おたがいを思いあうふたり(と一頭)の強いきずなはよく見えた。
富を負い求める血気盛んな男たちがはびこるなかの、優しい物語。すべてを語り尽くさない
描き方が、観るものの想像を膨らませてくれます。
単純なストーリーだけど、静けさに引き込まれました。
未開の地にはるばるやってきた1匹の牛のミルクを、夜な夜な盗み取って商売をしていた男たちがバレて殺される、というそれだけの話なんだけれど・・・終始静かでスローテンポなシーンの展開が続くので、つい息を呑んで見入ってしまいました。観終わった後、帰り道や自宅の中が妙に静かに感じるほど。
冒頭のシーンとラストシーンをうまく活用して、結末を描き切らないおしゃれな演出が気に入りました。冒頭の5分があったことで、ラストの画が観ている側の心を動かす大きな力を持つものになっていて、お見事。
また、あのラストでは、殺されたのかあのまま誰にも見つからず2人あの場所で眠るように息を引き取ったのか、分からない。そこも含めて味わい深い描き方だと思いました。
それにしても、牛乳が人命を左右するくらい貴重だった時代や場所があったのかなあ、また1つ勉強になりました。
最高だった……!
始まりから終わりまで最高の一作だった。
因果応報ではあるんだけれども、切ないのよね。
そこには明らかな権力差、貧富の差があるからで。
牛も、主人公に懐いていたのが良かったですな。
そして、自分の家よりも先に、
牛を心配して見にいく姿も良かった。
序盤のドーナツを売り始めるシーン、
人がどしどし集まってくる様子もすごく良くて。
なんだろう、人々の欲望に高揚するのかな…。
わからないけど、あの開拓地で人々がドーナツに喜びを見出しているのが
美しかったのかな。
作る姿も良かったし、食べる人々の姿も非常に良かったですな。
まるで、ネズミ男のように、
大切にされていないミルクを人々に分け与えたわけだからね。
(金のためとはいえ)
結局、腹いせで殺されるのだから、
人の恨みは人を殺すってことで…。
この映画、すごく笑える部分もあって。
主人公に懐いてしまう牛の様子とか。
そのバランスも好きでした。
寓話のようでもあるんだけど、
リアリティのある映像がいいのよね。
映像が気持ちいいのよ、本当に。
ああー、いいもの観たって気分になりました。
寄り添って眠るように息絶えた二人の絆がいいのよ、
夢を語り合った二人のね。。
ほっこりする分、儚くて哀しい
牧歌的な、ふたりの友情が心地よい。
優しいクッキーはともかく、目端が利いて利にさといキングが相方に誠実なのは意外だったが、ヒトは心通う相手を求めるのでしょう、鳥には巣、蜘蛛には網、人には友情、ですね。
すべてゆったりしており、追っ手も逃げる方もなんだかのんびりしており緊迫感がないが、現代に生きている自分の目からそう見えるだけで、当時の時間感覚では、あれがMAXスピードなのかも。
話にひねりがなく上映時間も長いが、当時の生活のリアルを観られて飽きなかった。
つぶらな瞳で大人しく乳を搾られている牛さんが可愛い。クッキーがそばに来たらすり寄って甘えるんだから! だけど、オオカミや野犬などもいるだろうに、野ざらしで木につないで飼っているなんて不自然な気もする。
サーターアンダギーみたいなドーナツが美味しそう。
サーターアンダギーは水や牛乳を使わず、その分卵を多く入れるらしいです。
鶏を買っており卵は手にはいるんだから、クッキーがサーターアンダギーの作り方を知っていたら、またはミルク無しで美味しい揚げ菓子を作る工夫をしたら、こんな悲劇にならずアメリカンドリームの成功者になったかもと思った。
ドーナツ作るにはミルクがいる、それなら盗む、という短絡的なところが、この時代の男っぽい。
横になって休んでいる間にやられたっぽい。
もしかするとクッキーはすでに亡くなっていたかも。
銃を構えた「ドーナツ買えなかったお兄ちゃん」がちらっと映ったので、おそらく彼にやられたんでしょうが、遺体が現代まで放置されているので盗賊かも。そういえばあのお兄ちゃんは、ついにドーナツ食べられませんでしたね。
冒頭でふたりの悲劇は分かっていたが、友情にほっこりした分儚くて哀しかった。
鳥には巣 蜘蛛には網 人には愛情
冒頭、悠々と渡る船の全貌を映す時間はまあまあ長い。そしてスクリーンは4:3。なぜだかそれだけなのにすでに満足感があった。せわしなさとはほど遠い、悠然とした時間の流れを感じた。おかげで上映中、自分の意識は、西部開拓時代と現代と、時空を超えてつながり続けた。
はじめの現代のシーンで並んだ二つの死体が映されて、それはミスリードかと思ったが、むしろそのおかげで最後のシーンにつながった。ずっと、死体はこの二人なのだろうという確信をもったまま映画は進み、並んでいたわけも最後にわかる。とはいえ、直接的にそこを描かない。それがまたいいなあ。だって殺される姿は見たくないもの。あの青年に追いはぎみたいに襲われたんだろうが、それはつまり強欲な仲買商からは逃げ切ったともいえるわけで。おかげでなんだか、二人の友情は永遠って気がする。言いたいことはそれだけ。他の細かい感想や考察は他の方に任せます。僕は、二人がお互いを信じ、助け合い、そして一緒に死んでいった、それだけのことを反芻するだけで十分に満足感に浸っていられるから。
ああ、あと、クラフティってお菓子、作ってみたくなった。冷凍庫にブルーベリーが残っていたな。
低音ボイスは眠たくなる
西部開拓時代のアメリカ
色彩も空気感もどんよりとくぐもった感じ
時代背景にぴったりだけど
ずっと暗いから何がどうなっているのか🙄←老眼
ラストと冒頭のシーン💀の繋がりや
牛🐄に話し掛けながら乳を搾るシーンは好き
でもとにかく開拓時代の喧騒さや粗暴さを
排除した作品で、クッキーとキング・ルーの会話も
低音ボイスでまったりゆったり120分超えは長い😬
途中飽きて寝そうになった
映画選びの参考にさせてもらってる映画評論家が、熱く薦めていたのでみてみた。
んが、あたしにはそんなにハマらなかった。
画面暗くて何映ってるかわかりにくいところ多いし、時間の進み方もはっきりしないし。
導入部はたぶん現代で、偶然女性が河原で見つけたふたりの白骨遺体が、クッキーとキング・ルーで、そこから一気に西部開拓時代に飛んで…なのはわかったんだけどね。
西部開拓時代が具体的にいつかわからんかった(1860-1890年あたりを指すらしい)。
キング・ルーと最初に会った時から、再会時までの時間経過もわかりにくいし(セリフで2年と言ってたような)、親切設計な映画ではない。
わかりやすいものを求めているわけではないけど、画面の暗さが読み解く気力を奪う系だった。
ともだちになった2人は、立身出世を夢見て、街に一頭だけいる牝牛からミルクを盗み、ドーナツを売り始める。商売はうまくいくものの、牝牛の持ち主に盗みがバレて、追われて逃げて、なんとか金を持って2人は合流するが、追っ手に見つかってる(ドーナツ買えなくてしょんぼりしてた、仲買人の雇い人)。そんななか、クッキーとキング・ルーは、白骨遺体が見つかったと思われる場所で、寝転んで休む、というシーンで終わる。
追っ手に撃たれたか、寝転んだまま死んだか、クッキーはそもそもキング・ルーが寝転ぶ前から死んでたのか。そのあたりはぼやかしたラストだった。
匂わせラストは別に嫌じゃなかったんだけど、中だるみがあって、ちょっと集中できなかったんだよねー。
うーん、ケリー・ライカート監督、アマプラに何本か過去作あったけど、自宅で見たら速攻飽きて閉じちゃう系かなぁ。
ドーナツを揚げて、蜂蜜垂らして、シナモン削って…というシーンは丁寧でよかった。油とか小麦粉や蜂蜜は手に入るのに、牛がいなくてミルクが手に入らないということが、あんまり腑に落ちなかった。
搾取の代償と、人生の豊かさと。
ファーストシーンで発見される2体の並んだ人骨。現代が描かれているのは、このファーストシーンだけなのだが、これが後々とても重要になってくるという仕掛けがすごい。
直後、時代が1800年代に飛ぶのが唐突過ぎて、最初は状況を整理するだけで必死だった。しかし、クッキーとキング・ルーの2人が出会って物語が展開し始めてから、それまでの状況も、現在の状況も、そして未来の状況も、途端に解像度高く見え始めて、俄然引き込まれた。
2人が、牛乳泥棒を話題にし始めると、観客は、ファーストシーンの2人並んだ骸骨を思い出す。「ああ、あの骸骨はこの2人なのかも…」
けれど、泥棒がばれるのはどのタイミングなのか、どうバレるのか…。2人揃って葬られる未来は不可避だろうと思われるので、観客は、どんどん勝手にドキドキを昂ぶらせることになる。
そしてその内に、気がついてくる。
「そもそも、黙って搾乳することはまずいが、命まで取られなくてはいけないことなのか?」
「この状況が資本主義そのものなのか」
「ビーバーは無限って言いながら、乱獲を続けるのは、牛乳の無断搾取とどこが違うのだろう」
「そもそも、生きられる分以上に金を稼ぐことの意味ってなんなのか」
この監督がすごいと思うのは、余計な説明を一切しないシンプルな提示によって、観客の中に、ポップコーンのようにどんどん物語を豊かに膨らませていく手腕だ。
銃を持った追っ手に追われる中で、力付き、横たわって目を閉じるクッキー。その横で、一瞬手に持った貨幣入りの袋を見たのち、ふっと力を抜いて隣に一緒に横たわるキング・ルー。
2人がそれぞれに相手を思い、育んできた友情が見たままに伝わってきて、余韻が残るいいラストシーンだった。
4:3のスタンダードな画角も、余計なものを描かないこの映画にあっている。特に、夜の室内のシーンは、まるでレンブラントの描く絵画のようだった。暗闇を描くのが本当にうまい監督だなぁと思った。
寝てしまった
前作『ミークス・カットオフ』も派手に寝てしまった。今回は途中までウトウトしていて、3年後に中国人と再会してクッキーを作り始める辺りで目が覚めた。そこからはけっこう面白く見ていたのだけど、最後の最後逃げているところでもまたウトウトした。あんな原始的なクッキーが大行列で高値で売れるのはさぞ楽しいだろう。自分はお菓子屋に携わっていたけど、あんなふうに商売の醍醐味を味わっていない。
最近は映画を見る前日は、睡眠薬を飲んでしっかり寝て挑んでおり、この日も9時間寝ていたためコンディションはこれ以上ないほどパーフェクトだった。しかし寝てしまうと言うのは、ライカート監督のテンポがそうさせるのだからもうどうしようもない。
どういったいきさつで、あの再会するに至ったのか気になるので配信になったら確認のために見たい。配信なら眠くなったらすぐにとめられる。貝が通貨として流通していたが大丈夫なのか。あんなので本当に買い物できるのか。
人のいとなみ
カメラの位置がビシッと決まっているようで、カメラが切り替わっても人物を追わず、背景がさっぱり動かない。なので本物の自然を見ているようで、静かさが際立っていた。
開拓時代のアメリカ?が舞台だが、正直地理的位置関係がさっぱりわからない。サンフランシスコなど馴染みある地名もあるのでアメリカ西部だろうか。位置関係がわからないのは舞台の開拓地周辺の村も同じで、どのぐらい遠いのかよくわからない。
主人公は、最初狩猟チームの1員ですが、その時限りの雇われコックのようで、立場が弱く、粗野なメンバーにいじめられています。そんな主人公が最後に大怪我を負っても中国人のことを気にかけていたのは、初めて彼が感じた友情だったからかもしれません。
ただし、全体的に退屈!!!家で見たらダメな作品なので、映画館でゆったりと見ましょう。
盗んだミルク
とにかくスローな時間が流れる映画という印象。
ただゆったりはしていても長閑で牧歌的というわけではない。
登場人物は皆粗野だし、どこか頭が足りない。
地中から白骨化した遺体が二体も掘り出されるという幕開けに何やら不穏な空気を感じさせられる。
時代はどうやら開拓時代で、料理人のクッキーはビーバーの毛皮を獲るための猟の最中に、ロシア人に追われる中国系の移民であるキング・ルーを匿う。
そこから二人の友情が始まるのだが、ある夜二人はその土地の有力者である仲買商の所有する牝牛からミルクを盗んでしまう。
料理の得意なクッキーはそのミルクでドーナツを作るのだが、キング・ルーはこれは商売になるのではないかと思いつく。
二人ともそれぞれに叶えたいアメリカンドリームがあり、そのためには金が必要なのだ。
クッキーの作るドーナツは瞬く間に評判になるが、その名声が仲買商の耳にも入ってしまう。
ドーナツの味を気に入った仲買商はクッキーに特別な菓子作りを依頼し、二人を自宅に招待する。
果たしてこれはチャンスなのか、それともピンチなのか。
人は何かを成し遂げるためにリスクを犯さなければならない時もある。
しかし人から物を盗むのは絶対に犯してはいけないリスクだ。
悪事を働けばいつかはその報いを受けることになる。
慎重になるクッキーに対してキング・ルーは調子に乗ってやり続けるべきだと主張する。
結果、二人の行為は仲買商にバレてしまい窮地に立たされることになる。
二人は逃げる途中にバラバラになってしまうが、最後までお互いを気遣い続ける。
美しい友情物語とも取れるが、ただ単に危機感が足りないだけとも取れる。
終盤になってようやく冒頭の白骨化した遺体の存在を思い出して、そういうことかと納得させられた。
観終わった後に色々と考えさせられる作品ではあった。
決してマイノリティに強くフォーカスを当てた作品ではないが、これもアメリカのひとつの姿なのだなと思った。
二人は最後まで何者にもなれなかったかもしれない。
しかしそれでも最後まで二人が友人であり続けたことには何か大きな意味があるのかもしれない。
のんびり泥棒
A24らしい雰囲気は好きだけど、中盤まで"失敗したかな?”と思うくらいゆーったり。
開拓時代の市場の様子や、当時のドーナツは穴がない事など知れて興味深いけれど、すごくゆーったり。
絶対やっちゃいけない調子のこき方をしたフクロウの鳴きマネのシーンは、クッキーうしろーうしろー的なハラハラもあり、その辺りからは展開があって面白かった。
っていうか、聞こえるか練習してないんかい。
最後は始まりとリンクして、ちょっと切なくもあって良かった。
開拓時代の米国オレゴン州。 シカゴでベーカリー修行の経験がある料理...
開拓時代の米国オレゴン州。
シカゴでベーカリー修行の経験がある料理人クッキー(ジョン・マガロ)。
「ソフトゴールド」と呼ばれるビーバーの毛皮の狩猟を行う3人組に加わった。
ある日、ロシア移民たちに追われている素っ裸の中国人移民キング・ルー(オリオン・リー)と出逢う。
仲間に隠してルーを逃してやったクッキーは、人々が集う砦に到着。
約束の銀貨一袋を得たところ、先に砦に到着していたルーと再会し、ルーの小屋で暮らすことにした。
そんなとき、砦の有力者である英国人の仲買人(トビー・ジョーンズ)のもとに一頭の乳牛がやって来る。
ルーとクッキーはその乳牛からミルクを盗んでドーナツをつくり、野天の市場で売ることを思い立つ。
それは、アメリカンドリームともいえるものであったが・・・
といった物語で、冒頭、現代の米国オレゴン州の川岸近くで、犬を連れた女性が二体の白骨を発見するところからはじまり、先の物語へと展開します。
なので、並ぶように埋もれた二体の白骨がクッキーとルーだということは、すぐに気がつくわけで、物語の面白さを愉しもうという向きには甚だツマラナイということになるでしょう。
実際、映画としてはリアリズム重視で、夜間シーンはおろか昼間のシーンも明るくなく(なにせ樹木が鬱蒼と茂っている)、目を凝らしても何が映っているのかがわからないシーンも多く、輪をかけて悪いことに、日本語字幕の白さが際立って、陰影ある画面をさらに判別しづらくしています。
また、物語もクッキーとルーが再会するまでのエピソードが意外と盛り上がらず、下手するとウトウトする可能性も(わたしはウトウトしなかったけど)。
で、映画が面白くなるのはミルク泥棒が始まってから。
幾度も映し出されるミルク泥棒のシーンは、映画の愉楽のひとつが「繰り返し」「反復」にあることを再認識します。
でね、この映画、「男たちの友情」という紋切型で紹介されていますが、ま、これを友情というなら友情。
成り行きといえば成り行き。
ケリー・ライカート監督は、ミニマムな物語の中に「アメリカの本質」のようなものを常に描いており、本作でもそれは色濃く出てきていました。
特に感じたのは、彼らがミルク泥棒をはじめるきっかけで、
「事業をはじめるには、奇跡に恵まれるか、借金をするか。奇跡は来ないだろうし、誰も金を貸してくれない。残るは、犯罪に手を染めるかだけだ」と。
なるほど。
また、仲買人と彼が招いた軍人とのやり取りも興味深く、軍人には先住民の族長も随行していたりもする。
この先住民との関係ももう少し掘り下げてみてほしかった気もするが。
なお、西部開拓時代を描いたケリー・ライカート監督作品では、出演者の豪華さ(に比して内容の地味さも魅力)と先住民との関係を描いた『ミークス・カットオフ』を上に取ります。
本作がいまひとつだった方にも、本作に感心した方にもお勧めします(配信あり)。
<追記>
「男たちの友情」を描いた(といわれる)ライカート監督の旧作『オールド・ジョイ』は未見。
この後、鑑賞したいと思います。
鑑賞動機:あらすじ10割
うーん引き続き睡魔との闘いに。いつの間に二人に???
牛が出てくるまでが結構長い。牛に話しかけるシーン好き。あの焼き菓子、不格好なのに妙に美味しそうに見えるのなんで。
冒頭シーンの意味は途中で薄々わかるけど、ということは、もう少し掘ったら銀を入れた袋が出てくる可能性があるのだろうか。
リリー・グラッドストーンの出番が少な過ぎた。あの仲買人は財産目当てに違いない。そうに決まってる(だから違う映画だって)。
期待度○鑑賞後の満足度◎ 久方振りの本格的西部劇、それもバディもの。しかもかなり変わった切り口の。令和版『明日に向かって作れ(焼け、というよりは揚げろ?)』か?
※2024.01.07. 2回目の鑑賞【シネリーブル梅田】1回目の鑑賞では中ほど位まで寝てしまったので再鑑賞。
①西部開拓時代ものでもかっての西部劇で主流であったゴールドラッシュ(金鉱掘り)ものではなく、ソフトゴールドラッシュ(ビーバー狩猟)という目の付け所が新鮮。
恥ずかしながら、ヨーロッパ人の北アメリカ(アメリカ合衆国・カナダ)入植の始めからビーバーの毛皮が新大陸の稼ぎ額だったとは知りませんでした。
②そういうソフトゴールドラッシュが背景だからか、かっての西部劇のようなドンパチはありません。
しかし、ハードであれソフトであれ、西部開拓時代を舞台にしている限り、そこに根付いて暮らしていこうという入植者はともかく、流れ者はやはり一攫千金を狙うものが多いのは変わりません。
クッキーは言葉少なに「ホテルかパン屋をやりたいな」と言うのに対し、キング・ルー(しかし、此の時代の中国からの流れ者にしては非常にキレイな癖のない発音の上品な英語を話すのが何とも不思議)は一攫千金を狙う噺ばかり吹いております。
③当時は夜は真っ暗でしかも鳥獣の鳴き声や風、雨等の音以外は無音の世界。
当時の人達にとっては勿論当たり前の世界ではありましたが、それだけ却って人間一人一人の輪郭がハッキリ見えていたのかも知れません。
列車を襲撃して金を奪う派手な強盗も、一頭の乳牛のミルクをコッソリと搾るチンケなこと(人にお袋の味や故郷の味に想いを馳せさせて幸せな気持ちにさせただけマシかも知れませんけれども)も、人の物を盗るという意味では同じ。
同じ様な末路を辿るのは仕方がないかも知れません。
でも、ブッチ・キャシディとサンダンス・キット(追われて崖から川に飛び込むシーンで否応なしに思い出さされてしまった)のように派手に散るのではなく、人知れず(「ここなら誰にも見つからない」とキング・ルーが言った通り現代まで見つからなかった)、オレゴンの川をかそけき風が蕭蕭とわたるように、枕を並べて逝く方が、流れ流れて辿り着いたオレゴンの入植地で一緒にケーキで一攫千金を狙った二人には相応しかったかもしれません。
一瞬手にした(銀貨や紙幣が入っている)袋を見て(これなら一人で南の土地で新規出直し出来るかもしれない)、でも友と共に居ることが何より大事だと瀕死の友の横に横たわることを選んだキング・ルー。
現代は光も音も溢れすぎて却って人の輪郭がぼやけているのかもしれない。本当の友を見出だすのが難しくなっているかもしれない。
だから、“鳥には巣、蜘蛛には網、人間には友情”と最初にクレジットで表れされた通り、友情が人間にとって本質的に大切なものであるというメッセージを現代に声高ではないけれども送っていると思わずにはいられません。
④日本では、製作年度からいうと後の『キラーズ・オブ・フラワームーン』の方が先に公開されましたけれども、リリー・グラッドストーンは本当に魅力的な女優さんです。
もしかするとネイティブアメリカン初のアメリカ(合衆国)を代表する女優さんになるかもしれません。(アンジェラ・バセットがアフリカンアメリカン初のハリウッドスターになるという予想を思いっきり外した私の思うことですから説得力ありませんけれども。)
⑤最近の若者向け映画よりも此のような映画の方が、これからの映画の題材・これからの映画が描こうとしているもの・これからの映画が向かおうとしている方向が良く理解できるように思われてなりません。
※追記:最後までケーキを食べられなかったお兄さん、何故かおかしくて印象的です。
逃げるなかで「Baker(パン屋)とBegger(乞食)に共通するものは?」「Bread(パン)」というクッキーが自虐ネタのようなジョークを言うシーンがあります。
「人はパンと水だけで生きられる」のに「ケーキを焼く」たいう贅沢は、幸になる場合もあれば不幸の種になる場合もある、というキリスト教的な暗喩も含まれているのかな、と思ったら此の一節の出処はギリシャのある哲学者の言葉でした。勉強になりましたわ。
全ては自然
がもたらしてくれる恵で生きている
なのに、所有し権利を主張する輩や
盗み掠め取り利を得ようとするものがいる。
現代は所有すれば全ての権利が保障される
かのような世界になってるが
本当にそうなのだろうか?
それをさりげなく刷り込み見事に見応えある物語へと
仕立て直した本作はまたまたA24リリースである。
成功し利さえ得られれば良いと考えるチャイナ人に
生き延びることに必死なスラブ系中東混じりの男に
所有と権利の主張はばっちりの英国商人と
それらが交差する土地が米国オレゴン。と言う設定
リリース元含め凡ゆる点でやられた感満載な良作◎
良い年が迎えられそうだわw
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