ファースト・カウのレビュー・感想・評価
全116件中、21~40件目を表示
最高だった……!
始まりから終わりまで最高の一作だった。
因果応報ではあるんだけれども、切ないのよね。
そこには明らかな権力差、貧富の差があるからで。
牛も、主人公に懐いていたのが良かったですな。
そして、自分の家よりも先に、
牛を心配して見にいく姿も良かった。
序盤のドーナツを売り始めるシーン、
人がどしどし集まってくる様子もすごく良くて。
なんだろう、人々の欲望に高揚するのかな…。
わからないけど、あの開拓地で人々がドーナツに喜びを見出しているのが
美しかったのかな。
作る姿も良かったし、食べる人々の姿も非常に良かったですな。
まるで、ネズミ男のように、
大切にされていないミルクを人々に分け与えたわけだからね。
(金のためとはいえ)
結局、腹いせで殺されるのだから、
人の恨みは人を殺すってことで…。
この映画、すごく笑える部分もあって。
主人公に懐いてしまう牛の様子とか。
そのバランスも好きでした。
寓話のようでもあるんだけど、
リアリティのある映像がいいのよね。
映像が気持ちいいのよ、本当に。
ああー、いいもの観たって気分になりました。
寄り添って眠るように息絶えた二人の絆がいいのよ、
夢を語り合った二人のね。。
牛はかわいいんです。
あんな始まりだったとは。終わりまでひたすら伏線回収を意識しゆるりとした歩みに焦ってはならない。。開拓時代の一攫千金を夢見、ちょっと欲かいちゃったねバーン!な話だが何とも厚い友情に可愛い牛ちゃんが静かな自然と共に目元に流れてくる。
無常感漂うが、それだけにとどまらない余韻を残す一作
開拓労働者として先の見えない生活を送る二人の男が、ふとしたきっかけで出会った一頭の乳牛を使って一旗上げようとするが…、という物語なのですが、その帰結が明らかとなった現代から、時間軸を過去にさかのぼって事の次第を語っていく構成であるため、彼らがどうなってしまうのか、ある程度察しがついた状態で観進めることになります。そもそも他人の乳牛を無断拝借している時点ですでに綱渡り的な状況な訳ですが。
ある程度先が見えているだけに、自分たちの夢を追って懸命に働くクッキー(ジョン・マガロ)とキング・ルー(オリオン・リー)の姿は、生命力を感じつつもどこか無常感が漂っています。筋立てによってはピカレスクロマンやコメディーにもなりそうだけど、そうした要素はほとんどないので、それらの方向性を期待すると、もしかすると期待外れ、と思っちゃうかも。
クッキーとキング・ルーの間には、明らかに友情を超えた絆があるんだけど、彼らが心情を吐露する描写はごく控えめ…、というかライカート監督はそもそも人物の関係性を微に入り細に入り描く作家ではないので、その機微にはぜひともご自身で想像を巡らせてほしいところ。
またライカート監督はどの作品も生活描写が非常に卓越しているんだけど、本作でも、例えばぼろぼろにすり切れた(でも大切に扱っているであろう)衣服の質感、隙間だらけの住居、使い古した食器など、「時間」と「生活」を感じさせる映像はいずれも非常に印象的です。それらにさらに繊細な音遣いと美しい自然描写が加わって、鑑賞中は西部開拓期の世界に入り込むことができます。
屋内の状況と小窓で切り取られた屋外の情景を一つの画角に収める画面構成を多用するなど、さりげないんだけど意匠を凝らした構図のみごとさも相変わらず。しかも単に面白い構図、なのではなく、そこにはちゃんと状況を伝えるための必然性があるので、映像の美しさと語りの巧みさの両方を同時に体感できます。
開拓地において苦しい生活を送る人々が金持ちを出し抜いて成り上がろうとあがく物語として、本作はテレンス・マリック監督の『天国の日々』(1983)とも通じ合うものがあります。単に物語の筋が似ている、というだけでなく、逆光や斜光を活かした風景描写など、本作は至る所にマリック監督の影響を感じ取ることができるため、本作を興味深く鑑賞した人は、『天国の日々』も面白く観ることができるかも。
ほっこりする分、儚くて哀しい
牧歌的な、ふたりの友情が心地よい。
優しいクッキーはともかく、目端が利いて利にさといキングが相方に誠実なのは意外だったが、ヒトは心通う相手を求めるのでしょう、鳥には巣、蜘蛛には網、人には友情、ですね。
すべてゆったりしており、追っ手も逃げる方もなんだかのんびりしており緊迫感がないが、現代に生きている自分の目からそう見えるだけで、当時の時間感覚では、あれがMAXスピードなのかも。
話にひねりがなく上映時間も長いが、当時の生活のリアルを観られて飽きなかった。
つぶらな瞳で大人しく乳を搾られている牛さんが可愛い。クッキーがそばに来たらすり寄って甘えるんだから! だけど、オオカミや野犬などもいるだろうに、野ざらしで木につないで飼っているなんて不自然な気もする。
サーターアンダギーみたいなドーナツが美味しそう。
サーターアンダギーは水や牛乳を使わず、その分卵を多く入れるらしいです。
鶏を買っており卵は手にはいるんだから、クッキーがサーターアンダギーの作り方を知っていたら、またはミルク無しで美味しい揚げ菓子を作る工夫をしたら、こんな悲劇にならずアメリカンドリームの成功者になったかもと思った。
ドーナツ作るにはミルクがいる、それなら盗む、という短絡的なところが、この時代の男っぽい。
横になって休んでいる間にやられたっぽい。
もしかするとクッキーはすでに亡くなっていたかも。
銃を構えた「ドーナツ買えなかったお兄ちゃん」がちらっと映ったので、おそらく彼にやられたんでしょうが、遺体が現代まで放置されているので盗賊かも。そういえばあのお兄ちゃんは、ついにドーナツ食べられませんでしたね。
冒頭でふたりの悲劇は分かっていたが、友情にほっこりした分儚くて哀しかった。
対等で居心地の良い友情
主人公のクッキーがとにかくピュアで朴訥とした人の良い男で、でも誰かの後ろを着いて行くだけじゃなかったり、言うこと聞いて従うだけじゃなかったり、そういった性根の強さが、最後までキング・ルーを責めたりしなかったところに垣間見えて、対等で居心地の良い友情ってこうだよなあ〜と、じんわりとハートが熱くなる映画でした。クッキーはだいぶちいかわっぽかったです。
鳥には巣 蜘蛛には網 人には愛情
冒頭、悠々と渡る船の全貌を映す時間はまあまあ長い。そしてスクリーンは4:3。なぜだかそれだけなのにすでに満足感があった。せわしなさとはほど遠い、悠然とした時間の流れを感じた。おかげで上映中、自分の意識は、西部開拓時代と現代と、時空を超えてつながり続けた。
はじめの現代のシーンで並んだ二つの死体が映されて、それはミスリードかと思ったが、むしろそのおかげで最後のシーンにつながった。ずっと、死体はこの二人なのだろうという確信をもったまま映画は進み、並んでいたわけも最後にわかる。とはいえ、直接的にそこを描かない。それがまたいいなあ。だって殺される姿は見たくないもの。あの青年に追いはぎみたいに襲われたんだろうが、それはつまり強欲な仲買商からは逃げ切ったともいえるわけで。おかげでなんだか、二人の友情は永遠って気がする。言いたいことはそれだけ。他の細かい感想や考察は他の方に任せます。僕は、二人がお互いを信じ、助け合い、そして一緒に死んでいった、それだけのことを反芻するだけで十分に満足感に浸っていられるから。
ああ、あと、クラフティってお菓子、作ってみたくなった。冷凍庫にブルーベリーが残っていたな。
低音ボイスは眠たくなる
西部開拓時代のアメリカ
色彩も空気感もどんよりとくぐもった感じ
時代背景にぴったりだけど
ずっと暗いから何がどうなっているのか🙄←老眼
ラストと冒頭のシーン💀の繋がりや
牛🐄に話し掛けながら乳を搾るシーンは好き
でもとにかく開拓時代の喧騒さや粗暴さを
排除した作品で、クッキーとキング・ルーの会話も
低音ボイスでまったりゆったり120分超えは長い😬
どん詰まりの世界に生きる男たちの思いと挫折
「西部開拓時代の原風景」とか「男たちの友情物語」とかキャチフレーズがついているけどちょっと違う。
舞台はオレゴン。流れる大きな川はコロンビア川だろう。オレゴンの一番北になる。通常想像する開拓時代の西部の風景とは違って森と川、湖ばかりの土地でこれは今も変わらない。冬はとんでもなく寒く、森の中は害虫、害獣だらけ。当時はさぞ過酷な環境だったろうと思う。
地図を見れば分かるけどオレゴン州は太平洋べりで最早、西には海があるだけ。
アメリカには最初はイギリス人、ついでアイルランド人、東欧系、イタリア人、ロシア人と様々な国から移民が入り押し出されるように順に西を目指した。オレゴンはどん突き。一方、中国人はサンフランシスコに上陸し西を目指した。北に来たキング・ルーは変わり種なんですね。
だからこの映画は、吹き溜まりのようなこの土地で生きる糧を探す男たちの物語である。
吹き溜まりというのは統治者も同じ。オレゴンが合衆国に統合され33番めの州になったのは1859年。それまではイギリスとアメリカがこの地を共同統治していた。実質的な支配者はイギリス資本の毛皮商社で、先住民に睨みを利かすためにつくられた砦のイギリス兵が後押ししていた。だからトビー・ジョーンズ演ずる仲買人は毛皮商社の重役で砦の隊長ともどもイギリス人です。ロンドンやパリを懐かしみ、僻地にいることに苛立っている。だから犯罪者や自分たちに従わない人間に必要以上に過酷だったりする。
ミルクを盗むくらいでも命懸けなんですね。
クッキーとキング・ルーの関係は「友情」といったありきたりな言葉では説明できない。確かに出会いのときから気が合う二人ではあるが、クッキーは心優しく、キング・ルーは山っ気がありタイプが異なる。二人ともこの行き止まりの世界で生き抜きたい、できれば脱出したいという思いがあるからこそ連帯したのでしょう。
そして彼らの作戦は失敗し挫折に至る。この監督は極力、暴力表現を使わないのですが殺されたことは分かる。彼らの無念は骨になって、100年か150年後に伝わっていく冒頭のシーンとなる。
最後に一つ。この映画はスタンダードサイズです。ヴィスタやシネスコに比べ撮影深度が深く奥行きがよく表現できる。そこで監督は登場人物の前後の動きを増やしてスタンダードの良さをよく活かしている。最近、なんちゃってスタンダードの作品が多くなんのためにスタンダードにしているんですか?って言いたくなるのですが、久しぶりに意味のある使い方の作品を観ました。
オレゴン初のドーナツ屋か
伊勢丹だったか、出かけた時にやたら目に付くフライヤーがあってめちゃくちゃ気になって鑑賞
ユーモラスな映画なのかと思っていたら西部開拓時代の友情物語だというからますます興味深い
冒頭に「鳥には巣、蜘蛛には網、人には友情」という言葉が出てきて始まるのだが、テンポがかなりゆったりとしていて、画面も暗く牛が登場するまで残念ながら睡魔と闘いながらになってしまった
ドーナツ作りを始めてからはアメリカンドリームに向かい始めるのと同時にスリルと隣り合わせで盛り上がっていく
こういう時に思い出すのは海女さんに女性しかいないのは男はもっともっとと欲張ってしまい、命を落とすんだっていう話
ラストシーンは色々な示唆があったのでどのような結末だったかは観客に委ねられている気もしなくはないけど、どちらにせよ2人の間に信頼が出来ていた事は確かだろう
切り取られた見事な借景のような映画
情報を必要最小限に抑え、セリフでなく演者の表情や風景で表現する。この映画が4:3の画角なのも含め見事な借景を思わせます。
最小限だからこそ、二人の友情は美しく際立ち、ファーストシーンからクライマックス、ラストに至るまで本当に素敵な映像です。
最小限ながら、映像から得られる情報は多く、おそらく観る度に新しい発見があるでしょう。次回はウイスキーに甘いドーナツをあてにゆっくりと観てみたいですね。
とても良い映画でした。
途中飽きて寝そうになった
映画選びの参考にさせてもらってる映画評論家が、熱く薦めていたのでみてみた。
んが、あたしにはそんなにハマらなかった。
画面暗くて何映ってるかわかりにくいところ多いし、時間の進み方もはっきりしないし。
導入部はたぶん現代で、偶然女性が河原で見つけたふたりの白骨遺体が、クッキーとキング・ルーで、そこから一気に西部開拓時代に飛んで…なのはわかったんだけどね。
西部開拓時代が具体的にいつかわからんかった(1860-1890年あたりを指すらしい)。
キング・ルーと最初に会った時から、再会時までの時間経過もわかりにくいし(セリフで2年と言ってたような)、親切設計な映画ではない。
わかりやすいものを求めているわけではないけど、画面の暗さが読み解く気力を奪う系だった。
ともだちになった2人は、立身出世を夢見て、街に一頭だけいる牝牛からミルクを盗み、ドーナツを売り始める。商売はうまくいくものの、牝牛の持ち主に盗みがバレて、追われて逃げて、なんとか金を持って2人は合流するが、追っ手に見つかってる(ドーナツ買えなくてしょんぼりしてた、仲買人の雇い人)。そんななか、クッキーとキング・ルーは、白骨遺体が見つかったと思われる場所で、寝転んで休む、というシーンで終わる。
追っ手に撃たれたか、寝転んだまま死んだか、クッキーはそもそもキング・ルーが寝転ぶ前から死んでたのか。そのあたりはぼやかしたラストだった。
匂わせラストは別に嫌じゃなかったんだけど、中だるみがあって、ちょっと集中できなかったんだよねー。
うーん、ケリー・ライカート監督、アマプラに何本か過去作あったけど、自宅で見たら速攻飽きて閉じちゃう系かなぁ。
ドーナツを揚げて、蜂蜜垂らして、シナモン削って…というシーンは丁寧でよかった。油とか小麦粉や蜂蜜は手に入るのに、牛がいなくてミルクが手に入らないということが、あんまり腑に落ちなかった。
搾取の代償と、人生の豊かさと。
ファーストシーンで発見される2体の並んだ人骨。現代が描かれているのは、このファーストシーンだけなのだが、これが後々とても重要になってくるという仕掛けがすごい。
直後、時代が1800年代に飛ぶのが唐突過ぎて、最初は状況を整理するだけで必死だった。しかし、クッキーとキング・ルーの2人が出会って物語が展開し始めてから、それまでの状況も、現在の状況も、そして未来の状況も、途端に解像度高く見え始めて、俄然引き込まれた。
2人が、牛乳泥棒を話題にし始めると、観客は、ファーストシーンの2人並んだ骸骨を思い出す。「ああ、あの骸骨はこの2人なのかも…」
けれど、泥棒がばれるのはどのタイミングなのか、どうバレるのか…。2人揃って葬られる未来は不可避だろうと思われるので、観客は、どんどん勝手にドキドキを昂ぶらせることになる。
そしてその内に、気がついてくる。
「そもそも、黙って搾乳することはまずいが、命まで取られなくてはいけないことなのか?」
「この状況が資本主義そのものなのか」
「ビーバーは無限って言いながら、乱獲を続けるのは、牛乳の無断搾取とどこが違うのだろう」
「そもそも、生きられる分以上に金を稼ぐことの意味ってなんなのか」
この監督がすごいと思うのは、余計な説明を一切しないシンプルな提示によって、観客の中に、ポップコーンのようにどんどん物語を豊かに膨らませていく手腕だ。
銃を持った追っ手に追われる中で、力付き、横たわって目を閉じるクッキー。その横で、一瞬手に持った貨幣入りの袋を見たのち、ふっと力を抜いて隣に一緒に横たわるキング・ルー。
2人がそれぞれに相手を思い、育んできた友情が見たままに伝わってきて、余韻が残るいいラストシーンだった。
4:3のスタンダードな画角も、余計なものを描かないこの映画にあっている。特に、夜の室内のシーンは、まるでレンブラントの描く絵画のようだった。暗闇を描くのが本当にうまい監督だなぁと思った。
出オチ。エンディングの余韻の持たせ方が最高なA24。
冒頭は出オチ。
そこから、なんとも時間の流れがゆっくりで、実に牧歌的な世界観
一方で、西部開拓時代の生活の過酷さも画面から伝わってきます。
主役のふたりの友情&せこい商売(ファーストカウから乳を盗み搾るあたりが)だけど
なまじうまくいってしまうがゆえに、ボロが出てしまうという
なんともせつないけど、いや、ちょっと考えればバレるのわかるやろ!?とツッコミを入れたくはなる。
エンディングはきっちりオープニングにつながる終わり方をしているけれど、
空白というか余韻は残るつくりになっていて、
監督の手腕に見事だなと思いました。
寝てしまった
前作『ミークス・カットオフ』も派手に寝てしまった。今回は途中までウトウトしていて、3年後に中国人と再会してクッキーを作り始める辺りで目が覚めた。そこからはけっこう面白く見ていたのだけど、最後の最後逃げているところでもまたウトウトした。あんな原始的なクッキーが大行列で高値で売れるのはさぞ楽しいだろう。自分はお菓子屋に携わっていたけど、あんなふうに商売の醍醐味を味わっていない。
最近は映画を見る前日は、睡眠薬を飲んでしっかり寝て挑んでおり、この日も9時間寝ていたためコンディションはこれ以上ないほどパーフェクトだった。しかし寝てしまうと言うのは、ライカート監督のテンポがそうさせるのだからもうどうしようもない。
どういったいきさつで、あの再会するに至ったのか気になるので配信になったら確認のために見たい。配信なら眠くなったらすぐにとめられる。貝が通貨として流通していたが大丈夫なのか。あんなので本当に買い物できるのか。
終わり方が三宅唱のようで相変わらずセンスがいい。冒頭と円環する様が...
終わり方が三宅唱のようで相変わらずセンスがいい。冒頭と円環する様が 人間とは、を表現している、のか。
【もうはまだなり まだはもうなり】
ジョナサン・レイモンドの小説「The Half-Life」原作&現代米映画界で最重要作家と評されるケリー・ライカートが手掛けた作品。
”もうはまだなり まだはもうなり“、儲け話から引際を見極め無傷で巧妙に逃げ仰すのは難しい…。
エンディングの追っ手からの逃避行中での2人のしばしの休息シーンが、インパクトのある冒頭シーンに見事に繋がる。明瞭に描かずとも観る者に汲み取らせる心憎い脚本に編集。
ケリー・ライカート作品初見。静かな、でも決して穏やかではない、かと...
ケリー・ライカート作品初見。静かな、でも決して穏やかではない、かといって張り詰めてもいない空気感がいい。その空気感とジョン・マガロの所作が見事にマッチ。不思議な傑作。
牛は高貴な家畜だったみたいですね。
未開拓地の地で一攫千金を夢見る友情の物語、雄大な大自然を川や原野を上手くロケ地に使っていたと思う。
自ら招いた不安と恐怖が男たちの友情を深めることになって行ったのでしょうか。
冒頭とラストシーンの結びつきを観客に委ねてるみたいでした。
アメリカンドリームのアンチテーゼ
西部開拓時代の物語だが、いつの世にも通じる普遍性が感じられるドラマで、観終わった後には色々と考えさせられた。
貧困に喘ぐクッキーとルーは、いつか自分のホテルを持ちたい、いつか中国に戻って事業をしたいという夢を持って商売を始める。しかし、これが彼らの首を絞めることになってしまう。
劇中でルーも言ってたが、何かを始めるということはリスクを背負うものである。確かに彼らは商売をするにあたって、些細な罪を犯してしまったかもしれない。しかし、この世に罪を犯さない人間などいるだろうか?人は生きるために動物や植物の命を奪っている。それは罪にならないのか?これでは貧しい者は一生貧しいままでいろと言わんばかりである。クッキーたちが辿る運命に憐憫の情を禁じ得なかった。
そして、これは貧富の格差が広がる現代社会にも通じるドラマのように思った。今から200年も前の物語であるが、今見ても自身の身に引き寄せて感じられる作品ではないだろうか。
監督、脚本はケリー・ライカート。原作は盟友ジョン・レイモンドで、彼は脚本にも参加している。
これまでライカートの作品は何本か観てきたが、興味深いのは過去作との共通点が幾つか見られたことである。
まず、映画の冒頭は現代から始まる。一匹の犬と女性が登場してくるのだが、これを見て自分は「ウェンディ&ルーシー」が思い出された。また、西部開拓時代という設定には「ミークス・カットオフ」が、二人の男の友情というテーマには「オールド・ジョイ」との相似も感じられた。
物語はいたってシンプルながら、二人の商売が危機的状況に追い込まれていくクダリなど中々スリリングに観ることが出来た。決して派手さはないものの、しっかりと抑揚はつけられていたと思う。
ただ、現代から始まる構成は賛否あろう。ここで物語の結末が明かされてしまっている。その後の展開は決して退屈するようなことはないのだが、どうしても予定調和な感は否めない。このオープニングなければもっと面白く観れたのではないか…そんな気がした。
ライカートの演出は今回もリアリズムに徹している。全体的に丁寧に撮られており、破綻するような箇所もほとんど見つからない。
また、今回は雄大に流れる川や森といった風景が作品に一定の風格を与えている。ライカートは基本的にスタンダードサイズを好んで採用するが、今回もほぼスタンダードの画面である。それでも冒頭の巨大タンカーが流れていくシーン、それに呼応する形で描かれる雌牛の登場シーンなどは、映像的なダイナミズムが十分に感じられた。
全116件中、21~40件目を表示