劇場公開日 2020年6月13日

  • 予告編を見る

「希望と絶望のあいだ」なぜ君は総理大臣になれないのか andhyphenさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0希望と絶望のあいだ

2020年7月2日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

恥ずかしながら小川淳也という政治家を知らなかった。いやどこかで目にしたり耳にしたりはしたことはあると思う。思うが認識していなかったということだ。衆議院議員の定数は、現在は日本国憲法施行後最少とはいえ465。全員を認識している筈もないので致し方ないとは思いつつも、しかしその465人の中で私たちが明確にその主張を知る人は何人いるのだろうか。
この映画は大島新監督が、知己である小川淳也議員を初出馬から17年間、追ったドキュメンタリーである。
ドキュメンタリーは否応なくその監督の「物語」であるから、本作に於ける「小川淳也」は些か理想型を体現しすぎた人物のようにも映る。しかしまた、その理想型だけでは政治の世界を泳いではいけないこともこの映画はリアルに映し出す。
若き日の小川は「51対49」の論理を語る。たとえ51対49でも結果は1対0。そのとき51の側は49を背負っていかなければならない。しかし、現実は51しか見ていない。
確かに今の政治というのは「敵か味方か」が強くなりすぎて、負けた方を背負う行為が「妥協」と見做される空気がある。落とし所を見つけるということができずに硬直し対立する。悪循環である。
小川の両親が指摘するように、彼は「理想型」の中道政治家であり、本質的に今の政治「業界」には向いていないところがある。母は「大学教授の方が向いていたんじゃないか」という。啓蒙する側が向いているのではと。確かにそうかもしれないと思える部分が多々映画には映し出される。51対49の論理などその典型である。
映画の中心は、2017年の衆議院議員選挙、小池百合子率いる「希望の党」が政局を引っ掻き回した選挙である。希望の党への合流を決めた前原誠司の側近であった小川は、葛藤しながらも希望の党に合流するが、大島監督に問う。
「無所属で出るべきだったか?」
理想と現実の狭間を見る思いである。小川は小池百合子を「小池」と呼び捨てにし、全く信頼を置いていないものの、様々なしがらみと党に所属する利点を鑑みて合流する。
選挙戦は見ていてもこちらが苦しい。いつまで経っても変化しない選挙戦術もそうだし、家族総出の運動(「娘です」というタスキをかけた娘さんたちの活動を大変複雑な思いで見ていた)も。罵倒する人、励ます人、そして無視する人。どれだけ理想を持っても、名のある者、地盤がある者が勝つのが選挙だという現実。そして選挙区で勝てる者が力を持つ構造。
理想と希望に溢れた若者が、年を経て現実に絶望する物語としても興味深い。小川淳也は理想を持ち続けてはいる。しかしそれは常に現実との葛藤である。どれだけ真っ当なことを言っても、政治は数。人脈。
政治家に希望を持たせると同時に政治に絶望する映画でもある。
「君はなぜ総理大臣になれないのか」という問いの答えはこの映画全体が物語る。コロナ禍で監督とSkype越しに交わす会話で小川はこの問いに「YESと答えられなければ議員辞職している」と言う。しかし、彼は勿論知っている。自身が所属した民主党政権の崩壊と、その崩壊を基盤とした安倍政権の盤石さを。彼が総理大臣になれないのは、小川淳也という人間の問題というより、この国の政治のあり方(それは有権者の意識も含めて)の問題なのだが、それはどうやったら変えられるものなのか、正直私にも分からない。

andhyphen