キネマの神様のレビュー・感想・評価
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原作ファンで期待していただけに、、
もともと原田マハさんの小説が大好きで、特にこれはお気に入りでした。
だから見に行ったのに、主人公の大人のゴウと若かりしゴウに違和感ありすぎました。
菅田くん爽やかすぎなんですよ。
競馬にハマってるというシーンはちらっとあったけど、そこまでだらしなくハマってるわけでもないし。
ギャンブル、酒、不倫、というどうしようもない感じは微塵もなかったです。
こんなどうしようもない人について行こうとか思えるほどの魅力が、大人の方には思えなくて、、。
でも、孫と一緒に、執筆に夢中になってるシーンは良かったかな。
若いゴウもそういう好きなことに、夢中になって打ち込んでいる姿がよかったのかな。
北川景子さんは相変わらず美しかった!
そして茅野ちゃんもかわいかった。
そして違和感の二つ目はコロナのニュース、、そしてマスクしてのシーン。
志村けんさんのこともあって入れたかったのかもしれませんが、なんか無理矢理いれた感と時代がなんか合わない感じに見えました。
原作にもないシーンですし、どうしても映画の世界にのめり込めなかった。
それに会話する時にマスク外してたりとか、それいいの?と突っ込みそうになりました。
ましてや映画館で声出して喋るとか作品にも見にきている人にも失礼だし。
原作にそんなシーンあった?
原作手放してしまったから確認できないけど、何度か読み返したくらい好きだったのに、この映画は好きになれなかったし感動できなかった、、。
主人公に共感し切れなかった
昭和世代の人たちが観たら、男はこれぐらいの方がカッコいいよ!ってなるんでしょうか。
若い頃あれだけ映画に情熱を注いでいた青年が、年を取るとギャンブル依存、酒依存、友達が経営する映画館で盗みを行ったり、孫に金を要求したり最低な人間になっていて、脚本賞を受賞しても「なんでコイツが」って気持ちになり共感できませんでした。
でも、若い頃も同じ人を好きになった友達に対して最低なことを言っていたので昔からクズだったのかもしれません笑
良いところは映画の撮影所やそこで働く人々を通じて昔ながらの雰囲気を味わえたこと。
出演者の演技がみんな良かったこと。
RADの野田洋次郎も及第点の演技をしていました。
僕ならあんな良い奥さんと孫がいたら、もっと真っ当に生きますね。
出汁が染み出して料理を覆いつくす。
裏側にあるものなんですよ。
味わうべきものが。
ただそれが裏側にとどまらずに、にじみ出るように前面に出てきて、ついには映画を覆いつくす。
そんな映画だと思いました。
ちょっと何言ってるかわからないかもしれないですが笑。
演出とか、キャラクターとか、その演じさせ方とか、その辺はコテコテの山田節かと思います。
なんて、そんなにたくさん山田監督の作品見てるわけでない自分が言うのもおこがましいにも程がありますが、、
「肝臓によくないってね」と言いながらお腹をポンポンと叩いてみせるとか、「熊手で草集めて」って言いながら熊手を使う仕草してみせるとか、もうなんか、見てると古臭いなーって。
「昔の映画に出てくる食堂の看板娘」というジャンルの見本のようなヒロインもね~、なんかこう、見てると体がむずがゆくなってくるというか・・・。
ただもう監督は80代後半でいらっしゃるので。
自分の中にあるものを誠実に描こうとすると、こうなってしまうんだと思う。
その誠実さはハンパないと思うし、それを形にするエネルギーもとんでもないと思います。
細部にこだわり抜いた画面から伝わってくる、オーラがある。
でも本当に伝わってくるのは、その向こうにあるもので・・・。
ふと気が付くと、強烈な切なさが画面から発生られている。
あれ?さっきまでやっぱ古いなーとか思いながら見てたはずなのに、、いつのまにか登場人物たちの夢や、愛や、悲しみが、すっかり見ているこちらのまわりを覆っている。
そう、愛とか、夢とか、そんな言葉にすればするほど薄っぺらくなるものの、言葉の本当の意味するところというか、そういう普遍的なものを、なんていうか、もっとストレートに大事に思ってもいいんだって、言ってくれているような。
強く、強く言ってくれているような・・・。
見終わる頃には、そんな気持ちになっていました。
沢田研二の演技もそうでした。
最初は、やっぱり志村けんで見たかった!と普通に思いました。
声が良すぎて不自然だし、笑える感じじゃないし、誰か別のコメディアンにでもやらせた方がよかったんじゃないかという気もしました。
それで、志村けんだったらどうだったろう、と頭の中で置き換えながら見ていたのですが・・・・。
そうすると、不思議と違和感がないのです。
しゃべり方、表情、仕草に、驚くほど志村けんを感じました。
自分の中の志村けんを、心に描きながら、本当に彼になりきって演じていたのではないでしょうか?
それは、成功していたと思います。
後半は、沢田研二演じるゴウちゃんを見て、何も考えずに普通に笑うことができていました。
もう普通に面白かった。
そしてそれ故に、強い思いを感じました。
亡くなってしまった志村けんの代わりを務めるという状況もひっくるめて、この沢田研二の演じたゴウちゃんは、志村けんが演じたらこうなっていただろう、というのとはまた別の、特別な魅力があったと自分は思います。
新型コロナの状況をあえて挿し込んだのも・・・・、確かに、あのラストシーンで、空席に貼った×印が邪魔に思えないではなかった。
ただこれは、どこまでも現実から逃げてるわけではないってことでしょう。
夢のような、言ってみれば絵空事ばかり描いてる映画の世界であっても、いつもそこに映し出そうとしているのはどこまでも、我々が笑い、泣き、悩みながら生きている現実の世界で・・・・、だから山田洋次監督の映画は、演出とかテイストとか全然好みじゃなくっても、いつも何か「こちら側」に立ってくれているような気がする。
だから新型コロナも、なくても全然成立したとは思うけど、あったらあったで、作品に確かに意味を与えていたと思う。余分な要素と思えるようなものですらも、逆にそれがなかったら違う作品になってしまうと思えるような、すべての要素がつながって、その裏側にある思いを訴えかけてくるような映画でした。
気がついたらそれに飲み込まれて、至福の時を味わっていました。
エンドロールの最後の「志村けんさん、さようなら」という文字が、「ちゃんと作り上げましたよ、この作品」と、どこか誇らしく報告しているようにも見えました。
キネマ、家族、笑い…人生には神様が宿っている
山田洋次の長い映画キャリアに於いて、これほど苦難の末に完成させた作品は無いだろう。
コロナによる政府の緊急事態宣言で撮影が一時中断。さらに、公開も延期。
しかし、最も心痛/痛手だったのは、言うまでもないだろう。
山田洋次×志村けん、見たかった。メチャクチャ見たかった。不謹慎な言い方かもしれないが、死ぬほど見たかった。
人情劇の名匠と永遠の喜劇王の初コラボ。
想像しただけでワクワクする。笑える。泣ける。しみじみさせる。
作品の公開を楽しみにしていた。
が…。
山田洋次が製作段階で“主演俳優”を失ったのは、これで2度目。
製作すら危ぶまれたが、両者に縁ある人物が救世主となってくれた。
沢田研二。
かつて志村けんと沢田研二は同じ事務所に所属しており、度々共演。確かにその昔、2人が共演したコントかバラエティーを見た記憶がある。
そして、沢田研二が現在の妻である田中裕子と出会うきっかけとなったのが、『男はつらいよ 花も嵐も寅次郎』。
単なる“代役”ではない。
沢田は2人に選ばれたのだ。
それこそ、“キネマの神様”がこの映画を見捨てないでいてくれたようだった。
いつもながら前置きが長くなってしまったが、感想を。
79歳のゴウ。
酒やギャンブルに溺れ、多額の借金を抱え、妻・淑子や娘・歩に見放されている。
老境になって人生どん底。
しかし、そんな彼にもかつては華やかな夢があった。
映画を愛し、実際映画撮影所で助監督として毎日忙しく働いていた。
今は映画館主で当時フィルム技師の親友・テラシン、当時食堂の看板娘だった淑子、そして銀幕スターの園子と青春を謳歌していた。
いよいよゴウも自ら書いた脚本で初監督する日がやって来るのだが…。
原作は原田マハのベストセラー小説。
が、かなり脚色されているという。
これまたいつもながら原作は未読なので、映画を観てから原作のあらすじをサクッと調べてみたら、確かに。
映画ではゴウが若き頃書いた脚本で再び人生開くが、原作では映画批評ブログ。
いやそもそも、原作では若き頃の助監督時代エピソードはナシ。
それらや甘酸っぱい青春、家族物語は映画のオリジナル・ストーリー。
何より原作の主軸だったというゴウと“ローズ・バット”と名乗る人物との映画批評バトルと友情が丸々カット。
原作とは別物。本作は結構賛否両論目立ち、特に原作ファンから難色示されている。
評価も分かれるが、原作未読で、山田作品ファンの自分からすれば、安心安定の感動作だった。
定番のダメ男。
振り回される家族。
変わらぬ“山田一家”。
夢に溢れていた若き頃。
ノスタルジックな日本映画黄金時代へ。
落ちぶれた現在とあの頃が交錯して展開。
人生と家族、映画への愛を、ユーモアを交え、涙としみじみと、謳い上げている。
山田組初参加の菅田将暉。活気溢れる若者役がやはり巧い!
同じく初参加、若き頃の淑子役の永野芽郁が、特筆すべき好助演。
2人とも平成生まれだが、見事昭和人間に成りきっていた。
テラシン役の野田洋次郎/小林稔侍が泣かせる友。
銀幕スター・園子役の北川景子の気品ある美しさと女性としてのカッコ良さも素晴らしい。
原作には当時しない映画オリジナルキャラ、ゴウの孫の勇太。演じた前田旺志郎もまたホロリとさせる。
豪華キャストの好演アンサンブル。
妻・淑子役の宮本信子と娘・歩役の寺島しのぶ。このベテランと実力派も悪くなかったのだが(特に寺島のある場での涙のスピーチはグッときた)…、ちと演技が臭かったかな。
歌手として、アイドルとして、世間の沢田研二の評判は人それぞれ。
昔からお騒がせ。
田中裕子とも不倫の末。
まだ記憶に残る久々のライヴに観客が入らずドタキャン…。
選ばれた事は美談。が、果たして役に合っていたのか、演技力は…?
これにも賛否両論の声ある。沢田研二には合っていなかった。荷が重かった。やはり、あの人で見たかった。
が、今では山田作品でしか見られなくなった昭和男の哀愁を体現、継承。
男はつらいよ。
沢田研二ならではの“ゴウ”。
そんな沢田を通じて、あの人を見た気がした。
単なるモノマネとかじゃなく、親交あったからこそ知る細かな言動。
披露する「東村山音頭」は、これ以上ないサプライズ、追悼、恩返し。
このプレッシャー難役をよくぞ引き受けてくれたと改めて思う。
ありがとう、沢田さん。
“映画”が題材でもあるので、それが効果的に用いられている。
老ゴウがスクリーンに映った園子を観ていると、その瞳に吸い込まれるように、“あの頃”へ。
また、老ゴウと園子の“再会”。
VFX監修に山崎貴が就き、ファンタスティックな雰囲気も醸し出す。
『東京物語』など邦画往年の名作…殊に松竹名画へのオマージュ演出。
永遠の“映画少年”山田洋次の映画愛を感じる。
ゴウの人生は波乱万丈。その主軸は、映画と家族。
ゴウが映画の夢を諦めたのは、撮影初日の事故。
それもあるが、自分とテラシンと淑子の三角関係もあるのではないか。
淑子に想いを抱くテラシン。が、淑子が想いを抱いていたのは…。
夢や青春の終わり。
でも決して、切なさやほろ苦さだけではない。
間違いなく輝き、夢を全力で追いかけていた。友情があった。
それに、撮影所で働いていたなんて憧れ。銀幕スターと親交あったなんてマジ羨ましい! それこそ、北川景子とお知り合い的な…?
が、それらを全て捨て、田舎に帰り、50年ほどが経ち…。
はっきり言って、ゴウのような老境は歩みたくない。
酒に溺れ、ギャンブル狂い、借金まみれ。
娘に嫌われ、何より苦楽を共にした妻にこんな醜態を見せたくない。
しかし、そんなゴウを救ったのも、映画と家族。
50年前書いた脚本が脚光を浴び、何と思わぬ奇跡が起きる。
そしてそのきっかけが、孫。家族の中で唯一、祖父を見捨てないでいた。
ゴウがその昔書いた脚本“キネマの神様”は本当に面白そう。映画が好きな主婦が大好きなスターが出ている映画を観ていると、そのスターが語りかけてくる…というファンタスティック・ラブストーリー。今なら『カイロの紫のバラ』などありふれているかもしれないが、ゴウが若い頃は斬新。
それ故なかなか理解して貰えなかった。
それくらいゴウは才能に溢れていた。
家族に迷惑をかけ、映画に救われたゴウだが、ラスト一幕で自分でハッピーエンドを書き上げたのだ。
不器用ダメ男の家族への感謝の言葉は、どんな美辞麗句よりも胸打つ。
原作改変のみならず、ステレオタイプの昭和演出、演技、女が泣いて堪え忍び、男がダメわがまま。
どうしても好み分かれる山田作品。
が、映画や時代や世界が常に激変していこうとも、誠実に教えてくれる。
本作では苦しいコロナ禍や閉館余儀なくされる昔ながらの映画館へのエール。
この苦境を乗り越えて、また映画館で映画(キネマ)を。
やはり私にとって山田洋次監督は、ずっと“キネマの神様”なのである。
そして…
さようならではない。
永遠に、ずっとずっとずっと、心からありがとう。
“笑いの神様”志村けんさん。
さようなら志村けんさん
まず率直な感想を言うと、志村けんさんが出演しているこの映画を見たかった。
沢田研二さんには申し訳ない話ではあるが、冒頭の登場シーンから強くそう思った。
というのも、ゴウの台詞の随所に志村けんさんの言い回しが入っているような気がしてならない。
聞けば原作から大きく改変されているそうなので、脚本を書く際に志村けんさんに当てて書き直されたのは理解できるしその方が良いとも思う。
それをわざわざ直さなかったのは監督の粋な心遣いのつもりだったのだろうか。
このゴウという人物を志村けんさんが演じたらきっとギャンブルに明け暮れるダメ親父の中にちょっとした愛嬌を加えて淑子さんが離婚しないのも宜なることかなといった演技を見せてくれたんだろうな、とあらぬ妄想を随所でしてしまう。
そして永野芽郁さんが良かった。
最初は昭和の言い回しに少し違和感があったものの物語が進むにつれてその違和感もとれていき、こんなに昭和が似合う女優さんはいないだろうなと思った。
これは北川景子さんも同じで往年の大女優といった雰囲気が良く出ていて素晴らしい。
菅田将暉さんも言うまでもなく最高。
そして意外に良かったのが野田洋次郎さん。
自然体な演技で昭和パートの物語を盛り上げるのに一役買っていた。
前田旺志郎さんの演技はロボットのように感じられて不調。
監督の指導の結果なのかどうかはわからないがもう少し感情の起伏があってもいいのでは。
そしてこれはしょうがないことではあるが現代パートに往年の名俳優が出演して昭和パートに脂がノリに乗ってる若手俳優が多く使われているため、最初に映される現代パートで昭和感を感じてしまった。
加えて言及したいのはコロナ禍の描写。
これはこの作品に限らず、他のドラマでも感じることだが、日本のコロナ禍の描写が中途半端すぎる。
コロナ禍を描くなら描くできちんとマスクはしておいてほしい。
そりゃ、家の中のシーンではする必要は無いと思うが、最低限外のシーンではマスクをしておいてほしい。
でないと違和感がものすごい。
これがコロナが終息して10年後に描くならまだしも今現在起きていることを描いているのだからそこは徹底してほしいと思った。
特に病院で見舞客(小林稔侍さん)がマスクをしていないのは思わず「大丈夫か?」と思ってしまった。
途中東村山音頭が出てきた時は思わず泣いてしまった。
さようなら志村けんさん。
志村けんさんを偲んで
2021年映画館鑑賞73作品目
8月16日(月)イオンシネマ新利府
原作未読
原作とはだいぶ違うらしいがそれでも面白い
娯楽映画の作り方を熟知している山田洋次監督の安定感
笑えて泣ける人間国宝クラスの職人芸
古臭い?
そりゃそうだろう
古い話だし主人公は老人だし監督は高齢者だ
古いものはそれなりの良さがある
新しいものだけが正しいという考え方は馬鹿だ
共感できない?感情移入できない?
それができないと映画を楽しめないなんて不幸なことだね
僕には全く理解できない
若い頃と老人のあいだが描かれていない?
想像したら良いじゃない
映画の尺というものがあるしやたら長くなっておしりが痛くなっちゃうよ
競馬とマージャンと酒が大好きで闇金融から借金をしてしまうダメ老人円山郷直は自宅に借金取りがやってきたことがきっかけで娘・歩にカネを管理をされることになる
ギャンブルは出来なくなりもう一つの趣味の映画鑑賞ならお金を出してやると歩は言う
郷直は若い頃は映画会社の助監督で剛直の妻淑子は撮影所近くの食堂の娘だった
郷直は自作の脚本「キネマの神様」で監督デビューしたが先輩スタッフからの度重なるダメ出しもあり撮影中の事故で挫折し映画会社を辞めて故郷の岡山に帰ってしまう
淑子は食堂を辞めて郷直と結婚して一緒に岡山に行くことになる
剛直老人の行きつけの映画館「テアトル銀幕」は旧友テラシンこと寺田心太郎が経営していて淑子もそこで働いている
孫の勇太の勧めで脚本「キネマの神様」を脚本の芥川賞直木賞のような木戸賞なるものに応募したら見事大賞に選ばれる
円山郷直役沢田研二 菅田将暉(青年時代)
円山淑子役宮本信子 永野芽郁(青年時代)
寺林新太郎役小林稔侍 野田洋次郎(青年時代)
円山歩役寺島しのぶ
円山勇太役前田旺志郎
配役が良い
キャラが立っている
コンサートの中止で話題なったときはあまりの変貌ぶりにショックを受けたがその姿はこの役にピッタリの沢田研二
志村けんの代役を見事にこなした
東村山音頭は泣けた
青年時代のテラシン役の野田洋次郎は初めて観た役者だったが有名バンドのボーカルだった
歌しか聞いたことがなくこんなパッとしない男だったのかと驚いた
『しあわせの黄色いハンカチ』の武田鉄矢のような抜擢
孫はまえだまえだの弟だった
全く気づかなかった
あんなにかわいかったのに
淑子の母親役に広岡由里子
娘はあんなに可愛いのに母はブサイクである
かなり前になるがVHSで『マリアの胃袋』を観たとき若い頃の広岡由里子が出ていたがあのときはしょぼい陰気なブスだなと思ったものだ
今回は似てない母親役として良い仕上がりだ
歳を重ねてきて良い味が出てきた
当時のスター女優桂園子役に北川景子は完全にハマっていた
リリーフランキー演じる出水監督曰く「演技が下手くそで不自然」でこのくらいの年齢の大物大根役者で美人女優といったら北川景子において他に無し!
VFXはあの程度で良い
ドヤ顔のハリウッドは目が疲れる
スクリーンからから役者が出る発想は『Take On Me 』のプロモーションビデオを彷彿させた
テアトル銀幕のトイレはありえないくらい汚すぎる
岩手や宮城であんなにトイレが汚い映画館はないので驚いた
あんな映画館は嫌だ
あと映画代とかレンタル代などを出してくれる娘がほしい
昭和感満載だが・・☆
志村けんの死去により延期され、沢田研二に代わりに また延期され・・
山田洋二監督による松竹映画100周年の作品とのことだったが、正直 懐かしさよりも
古さを感じてしまった。
沢田研二の演技に期待していた訳ではないが、前半の脚本を棒読みする感には
まいった。
他の方がコメントされているように、宮本信子もどうしちゃったの??というくらいの
雰囲気だし かろうじて小林稔侍が何とかやってた。
主役3名の若かりし頃のエピソードは面白く、撮影所の様子も監督自身のおそらく実体験
をもとに再現されているようで、楽しく鑑賞出来るが、菅田将暉演じる若いゴウが
撮影を投げ出してしまうのには、ないだろう・・と感じ。
でも、北川景子、永野芽郁の二人の存在は魅せた。
特に北川景子は、本当に美しくて素敵だった。
誕生パーティーでごちゃごちゃ言われていた野田洋次郎も、やはり朴訥な青年を
上手く演じて、あんな炎上で駄目にならずこれからも色々な作品に出演して
欲しいと思う。
・・・それでも、古さを感じるのはゆがめない。
山田洋二監督は、寅さんの頃から人情味たっぷりの好きな監督だが
時代はあまりに早く移り変わってしまった。
沢田研二が孫とともに、「キネマの神様」脚本でシナリオの賞に応募するあたりから、
後の物語が読めてしまう。
受賞後の祝賀会で、彼が「東村山音頭」を踊り出した時は、もうやめて欲しいと
思った。
志村けんが演じていたら、どうだったろうか・・
それでも、あまり変わらないのではないだろうか・・
山田監督は尊敬しているが、令和では厳しいかも知れない
山田洋次監督は寅さんをはじめ、子どもの頃から数々の映画を観ており、また趣味でシナリオや小説を書き続けている、三文文士の端くれとしては畏敬の念を抱いているのだが、現代の映画としては古さを感じずにはいられなかった。
自身では辛い離婚を経験し、子供も無理やり引き裂かれ、婚活した相手の家族にも反対され、ようやく見つけた恋人と鑑賞したのだが、どうしても古き良き時代だった、昭和の家族や結婚に固執したストーリーに、違和感を禁じ得なかった。
確かに松竹百周年という、金字塔的な作品という背景はあるだろう。
しかし作中でコロナ禍を全面に打ち出し、エンタメを締め出してはならないという、山田監督お得意の権力に対するアンチテーゼにしては、いささか迫力に欠けていた感は否めない。
この閉塞した状況で、腹を抱えて思いっ切り笑いたい、あるいはこの上なく涙が溢れては止まらない、そんな琴線に触れる感動的な映画を、山田監督に期待し過ぎていたのかも知れない。
他の多くのレビューが指摘しているように、過去と現代があまりに多く錯綜してしまい、最後まで感情移入が難しかった。
また往年のトップスターだった、沢田研二さんの年老いた姿にも愕然としたが、それ以上にセリフや演技があまりに不自然で、ひとつの時代が終わったと感じざるを得ない。
しかし無声映画が出現した時代には、舞台や演舞など遠い過去になったと、多くの批評家が批判したらしいが、仮に山田監督が現代の観客などどうでも良く、百年先の観客に向かって、芸術として披露する覚悟で制作していたのなら・・・。
もはや私を含めた常人の考えも及ばぬ、崇高な存在なのかも知れない。
懐かしさと新しさ。89歳の監督すごい。
菅田さんがラジオで紹介されていたのがきっかけで見に行きました。
会場はご高齢の方の多い中で、年配の方向けなのかなと一瞬心配でしたが
最後まで安心してたのしめました。
昭和な喋り口調には少し違和感があるけれど、
レトロな映画の中に若い俳優さんがいて、新しく作っているのに根底には懐かしい時代がしっかりはいっている。
タイムスリップしているような不思議な感覚です。
北川景子さんの上品な立ち振る舞いはキネマ時代の女優さんのよう。古き良き時代の映画を彷彿とさせてくれます。
コロナになって、89才の山田監督と普通にオンライン会議したと菅田さんが言ってました。
89才の方が作る作品というのが貴重すぎて‥。菅田さんがおっしゃるように若い人にも見て欲しい作品。
若い役者や歌い手さんと一緒に作っていく様子が、ゴウと孫の共同製作のシーンと同じで
孫世代の役者さんと作った良い感じが映画の空気感にも出ているようです。
現代の監督では醸し出せない空気感でとても新鮮でした。
コロナ禍の影響を乗り越えてやっと封切に!
批判的なコメントが多くて驚きましたが、皆さん、それぞれですから、何を感じて想っても良いと思いますが、私は良かった。そして泣きました。
確かに、沢田さんの演じている場面では「志村さんだったら、良かったなのに・・・」とか思いつつ。
でも、酔っぱらってる場面を志村さんが演じていたらドリフターズでの場面を思い出すかも。
菅田さんの演技より、永野さんと宮本さんの同人物が違和感なく、二人の演技に圧倒されました。
それと北川さんの昭和女優。やっぱり綺麗ですね。昔の邦画を見たくなるような場面が多く、
あっと言う間の時間が過ぎました。
コロナ禍の影響を受け、映画の中に盛り込んだことは、ちょっとこの映画の素晴らしさを下げてしまったかな?と思いつつも、映画館の営業持続に繋がり、今までも苦しんでいる人たちに【キネマの神様】は「頑張れ!!」と言っているのかもしれません。
志村けんありきの映画だったのかな。
沢田研二は味のある役者さんだと思います。
ただ、本作の「ゴウちゃん」をやるにはジュリーのアンニュイ感が出てしまっているようでした。
志村けんなら、競馬に負けて枯れ葉を蹴飛ばすシーンや、孫に小遣いをせびるシーン、缶ビールをせしめるシーン等がバッチリはまってたように感じました。
あと、ちょっと演出や現代パートの台詞回しが古くさく感じました。
てか、ゴウちゃんの最期、迷惑かけまくりじゃん!って思いました。
残念、ひたすら残念
原作は未読です。
でも前半の涙が、後半は一滴残らず乾いてしまった。淑子さんの涙も消えました。キネマしかない青年監督がセットの2階から落ちて、それっきり故郷に帰ってしまい、そのままなんて、プロットとしては観たくないです。
何故、キネマに魂を奪われた青年の夢をもっともっと、画面に溢れさせてくれなかったのかなと思います。
映画作品として、ロケハン現場や撮影の緊張感と思惑、脚本の手直しに翻弄されてしまう若者のエピソードを、何とかして積み上げることは出来なかったんでしょうか?
それで青春のゴウの身体に一杯に染み込んだ「キネマ」が、晩年のゴウからこぼれたら、熱い筋が通ったと思います。
青春時代の撮影所やロケハン現場、食堂、アパートは、時代感覚も醸し出していて良かった。晩年の映画館の描写も映写室から廊下、長椅子や自販機まで、黄昏感に浸れました。
ワンシーン、ワンシーンの中で、全ての出演者の演技にリアルな迫力があったのは事実。亡き方へのリスペクトも含めて。
それだけに、最初の熱い感動がどんどん冷めてしまう、中途半端感が切なかったです。
後半、映画館のトイレシーンが出てくる理由がよく分かりませんでした。
脚本賞の授賞式で読み上げられたゴウの手紙には、キネマに心奪われた男の息吹が全く感じられませんでした。
ショック...原作読んで欲しい
原田マハさんの本が大好きで、その中でも特にキネマの神様は格別に思い入れのある作品でした。
映画が延期になっても豪華な俳優陣ということもあり、期待値は高かったです。
しかし、序盤から演技があまりハマっていないというかなんというか作品にのめり込むことができませんでした。
他の方の指摘もありましたが、菅田将暉さんのイメージは好青年のままなのに年老いてからギャンブル漬けの日々を送っているような感じがして主人公の描き方がぶれているように感じました。
原作の好きなシーンはほとんどなく、ショックでした。
北川景子さんの銀幕スターがあまりに美しくて見惚れてしまいました😳💖
そのためにお金を払った気分です。
原作読み返します、本当にショックでした。
失ったものの大きさ
観てよかった。
まず、2020年以降の新型コロナを受けて、初期から大幅にシナリオ変更したのがわかる内容だったのに驚くというか、涙を誘うというか。
若い頃…デビューしたての志村けんさんってジュリーに似たイケメンだったから、志村さんのコロナ降板・死後にジュリーがこの役をやるのは納得。
だけど、あまりに志村さんの当て書き過ぎ。
アル中依存症役のジュリーが、映画館の売店からビールを盗んで飲むくだりは、志村さんのコントへのリスペクトだろうし、ジュリーが一所懸命に志村さんを演じていた感じ。
そして、志村さんへの哀悼として、ジュリーが歌う「東村山音頭」。
それを志村さんが演じていないことが物足りなく、その物足りなさがまた失ったものの大きさを気付かせて、この映画に込められた「時間」や「想い」をより深いものにしていたように感じました。
また、キムタク対応以外は、松竹大船撮影所でしか仕事をしていなかった山田洋次監督だからこそ撮れる、撮影所への愛が詰まった作品でもありました。
原作由来だとは思いますが、主人公のゴウが「なんでそんな小さなつまらないことで夢を諦めて辞めちゃうの?」ってのは、長い時の中で過去に辞めていった同じ志を抱いた友人たちへ捧げたリアリティなのかもなと。
山田洋次は「人情もの」「喜劇」の巨匠から、すっかり「老人の人生を肯定する物語」「ノスタルジー映画」「これから亡くなる方を見送る映画」の名人になったな、という感じ。
そして、さりげないVFX技術の高さ。
山崎貴さんが監修、白組とfudeの力がすごかった。
原作とは別物
原田マハさんの同名小説が原作だが、できた映画は全く別物。
昭和の男世界の映画業界。
あの頃は良かった的な貧乏臭い老人映画になってしまった。
原作は、ただの映画が大好きなギャンブル好きで借金まみれのお爺さんゴウとその娘歩の話だが、どちらかと言うと歩が主人公で、色々な挫折がありながら前を向いて乗り越えて行くお仕事小説である。
その中で親子の関係や、シネコンと名画座のあり方、世界的に著名な映画評論家とゴウのやりとりなど、映画業界の希望となるような元気の出るお話だったはず。
文庫のあとがきを書いている片桐はいりさんがテアトル銀幕の常連役で出てきたのが嬉しかったが、マハさんもはいりさんもこんな映画で良かったんだろうか?
大好きな小説がこんな出来で個人的には非常に残念であり、山田洋次では無い他の監督で撮り直しをして欲しい思いである。
まあまあだった
菅田将暉にギャンブラーの匂いが微塵もせず、好青年にしか見えなくて、老後の姿と結びつかない。シナリオの内容がほぼ『カイロの紫のバラ』で、「こんな話はお前にしか思いつかない」とテラシンに言われても「ウディ・アレンも思いついているぞ」と思う。
沢田研二が「いっちょめ、いっちょめ、ワ~オ!」をやるかと思ってワクワクした。やって欲しかった。
上映中はお静かに
自分は感動系、泣かせに来る映画は基本的に苦手です。今作はRADWIMPSの主題歌や野田洋次郎さん、菅田将暉のファンということもあり鑑賞。映画を作る映画では同日公開の「サマーフィルムにのって」の後に見たので期待半分不安半分で鑑賞。
率直に言って面白くなかったです。原作は読んでいないのですが、かなり改変、というかコロナのシーンは完全にオリジナルで仕上がっているのでまぁタチが悪いです。
コロナが世の中に蔓延している世の中という舞台設計を活かして、リモートで物語を進めた「真・鮫島事件」とは違い、今作は明らかに後付けでコロナのシーンを入れています。序盤では、1年後にコロナで大変なことになっているという囁き、終盤ではクルーズ船でクラスターが発生、授賞式に際には、緊急事態宣言前でありながらマスクをつけている人とマスクをつけていない人が混在、ラストシーンでは思いっきりコロナ禍。映画館の存続の危機を回避するために、クラウドファンディングをやるなど、昨年ミニシアターを救うために動いていた人々を描くのですが、原作にはコロナの要素は全くないみたいなので、完全に別物になっています。ここがこの作品の怒りポイントです。
全体的に回想の50年前の役者陣は良かったと思います。特に永野芽郁さんの愛くるしさはとてもお見事でした。菅田将暉さんも映画作りへの情熱が伝わる澄んだ目をしていて、好青年を演じさせたら敵なしと言っていいくらいの好演でした。現代の方は、沢田研二さんのセリフの語尾が不安定で気になったり、前田旺志郎さんのそういう役柄なのか元のポテンシャルなのか分かりませんが、舌ったらずなシーンが多く、とても見づらかったです。
キャラクターについてですが、ゴウはただただ不快なクソ親父でした。50年前あれだけ映画作りに燃えていた青年が(ギャンブルの話を少しばかりしていましたが)、50年後博打にしか取り柄のないクソ親父に成り下がっていたのかが分かりません。自分に他に何が残っている?と聞かれた時に「映画しか残っていない」と言いましたが、マジで50年何やってたんだ?と訳が分からなくなりました。それ以外のキャラクターも演者の演技あってこそ成り立っていましたが、振り返ってみると強く印象に残っているキャラはいませんでした。
昭和を舞台にした回想の方も、時代錯誤のせいか映画の撮り方がなんだかきな臭く、役者をただの小道具にしか思っていない描写には腹がたちました。演者が頑張ってひとつのピースが完成するのに、それを蔑ろにするのはいかがなものかなと。あとゴウが映画界から去るのを決めたのも、駄々をこねて舞台から落ちて怪我したっていうのはギャグにしかなってないです。
ここまで批判ばかりあげてきましたが、終盤はもっと酷いです。ゴウと勇太が共同脚本で仕上げた作品が、賞を受賞するも、ゴウはその晩から飲んだくれになり、さらっと30万を使う大バカものです。テラシンに映画館の存続代として渡す時に70万になっているというこれ本気でやっているなら正気を疑うものになっていました。挙げ句の果てに持病は再発しますし、病院内ではギャーギャー喚きますし(これはテラシンにも非がある)
最悪だったのがラストシーン。テラシンの劇場で映画観ながら死ねたら本望と言ったら本当にその通りになるという。上映途中に入る謎プレイングから、上映中にも関わらず大声で祖父孫がベラベラと喋るという、映画を好きな人は嫌いな行為を映画内で平気でする辺り、狂ってんなと思いつつ、最終的に銀幕から自分の作った映画の中から役者が飛び出て、映画作りの情熱を持ったゴウを銀幕の中へと連れていき、現代のゴウは死ぬという、騒いだ挙句、これじゃただの迷惑親父です。こんなもの美談で描けるのは本当におかしいです。
総じて時代にミスマッチしている映画だなと思いました。山田洋次監督作品の家族観の描き方にも大なり小なり疑問を抱いてしまいました。歳を重ねるとこういう作品も楽しめるようになるのかなとも思いました。
主題歌はとても良かったです。
鑑賞日 8/9
鑑賞時間 14:05〜16:30
座席 H-4
高齢化社会の縮図みたいな映画
松竹映画
19世紀に創業し1920年から映画製作も取り組み
日本映画を創生期から支えてきた会社
今作のメガホンを取った山田洋次監督と主演の渥美清で
作り上げた人気シリーズ「男はつらいよ」は
そんな松竹の屋台骨を支えました
そんな松竹の100周年記念作品にあたる今作
当初は滅多に俳優業をする事のなかった
志村けん主演ということで話題になりましたが
それは叶わず志村けんと親交のあった沢田研二
が主演を任されました
原作小説は未見です
で感想ですが
恐らく山田洋次監督の思い出の中にある
ノスタルジーあふれる(たぶん)松竹の大船撮影所の
雰囲気はすばらしく惹きこまれますが
監督の持ち味である人物の描写や繋がりの
部分がちょっと…深みを感じられず
色々勿体なくなってる印象を受けました
前述の通り原作は未見ですが
相当改変を受けているようです
また近年の映画ではまだ少ない
コロナ社会を取り込んでいますがそれも
取って付けただけのように感じます
主人公の円山ゴウは飲んだくれでギャンブル好き
借金まみれで家族にも逆ギレという
クズっぷりで家族は映画以外の趣味を取り上げます
ここまで原作とほぼ同じようですが
ゴウが元松竹映画の助監督でそこで妻淑子とも知り合った
というような改変にされています
その撮影所時代から映写技師として知り合いだった
テラシンとの三角関係といった図式になります
で若ゴウはテラシンとの淑子をくっつけよう
とするのですがなぜそうしたいのかも不明
自分も好きだけど照れくさくてそうしてるのか
鈍感なのかハッキリしなさすぎて見方では
ただのサイコパスにも見えてしまいます
またゴウは「キネマの神様」と言う当時としては
かなり画期的(らしい)シナリオを書き
監督としてクランクインまでいくのですが
撮影初日に緊張でお腹を壊し現場とケンカをして
映画の仕事をやめて撮影所を去ってしまう
というアッサリした展開
テラシンをあっさり振った淑子はゴウに
ついて行ってしまうと言うどうしようもない
展開に正直そこまで移入もできません
テラシンの方がよっぽど主人公向きな気が…
で現世のクズゴウはその時のキネマの神様の台本を
読んで感動した孫と現代風に脚本賞に応募すると
大賞に選ばれて100万円を獲得
でも借金がどう解決したのかとか
(前は退職金を充てたとか言ってましたし)
細かなディティールがいい加減な映画で
現実味がどんどん無くなっていきます
これ山田洋次監督の前の寅さんの映画でも
思ったのですが監督特有の意識がすれ違って
ケンカになるような描写が現代なりの
高齢者を挟むとどうしても認知症だとか
そうした要因を意識してしまうんですよね
ゴウが映画監督を挫折してからどう映画と
向き合ってきたのかもよくわかりません
(テアトルの会員にはなっていたようですが)
あと肝心の沢田研二の演技
確かに昔はすごかった
「太陽を盗んだ男」なんて今観てもゾクゾクする
でも今作は演じ方をすっかり忘れてる感じで
山田洋次監督のディレクションをそのまんま
やってるだみたいな感じを受けました
若時代も含めゴウが魅力的に見えてこない
これを100周年記念作品でいいのかなと
志村がジュリーに憑依⁉︎
泣かせようという意図が透けて見えると却って泣けない。山田洋次監督って、そういうことをしない監督だと思ってた。
「後期高齢者まではまだ10年もある。俺もまだ何か頑張れるかも」と思ったりしてたけど、だらだらと続くストーリーにいささか食傷して、感動も薄れ気味。映画観ながら最後を迎えるなんて、山田監督のわがままを観客に見せられても…。
若き日のゴウがバクチをするシーンが一つもないのは不自然。菅田将暉はもっとやさぐれた感じでもよかったのでは。若き日の淑子と現代の淑子の性格が違いすぎるのも気になる。親や周囲の反対を押しきってゴウの元へ走った強さが、宮本信子のナヨナヨとした演技からは感じられなかった。
テラシンと淑子が再会する場面はあえて入れない方がよかったのではないかと思えるくらいクサかった。
北川景子は収穫。昭和の女優の存在感をとてもうまく表現していたと思う。
沢田研二も、志村けんの演技に似せた演技をしていて、ある程度成功していた。
原作がある以上仕方ないかもだけど、映画作品としてだけみると、現代パートは不要だったのでは?
古き良き時代の撮影所を舞台としたドラマ仕立ての方が、懐かしさを求める年代層にもウケたのではないだろうか。あ、それだと『蒲田行進曲』になっちゃうか。
あの客船が。。
つい去年の日本の様子も描かれ、あのダイヤモンドプリンセス号のコロナ感染のニュース、当時はもう嫌で早く解決してほしい、と思っていたので、忘れかけた今久しぶりに当時のニュース映像を見させられて少しトラウマが戻ってしまいました。。
沢田研二さんの役の、若い頃の菅田将暉さんは格好良く魅力的な撮影スタッフでした。淑子さんは本当に幸せだったのかなかなか難しいところですが、とりあえず、昔のことでもとても好きだった仕事、夢中になれること(今回の主人公なら脚本を書くとか)は、忘れようとしてギャンブルなんかに溺れず、少しでも関わりを忘れないようにして本来のその人らしい余生を送るべきなんだな、と思いました。
最後に見た映画の脚本が、あぁやっぱりその脚本にするんだな、というしっくりくる落としどころで良かったです。映画業界を救う作品として、もう一度ジブリを、という企画でナウシカや千と千尋などを見たこと、そして鬼滅の刃を何度も見たことを思い出しました。
そうです、良い作品はまた何度も見ようとするんです。これからも良い映画を期待していきます。
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