劇場公開日 2021年8月6日

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「単なる松竹映画100周年記念作品だけに終わらずに、コロナ禍を記憶する映画ともなったことで、本作はきっと未来まで長く記憶される映画になると思います」キネマの神様 あき240さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0単なる松竹映画100周年記念作品だけに終わらずに、コロナ禍を記憶する映画ともなったことで、本作はきっと未来まで長く記憶される映画になると思います

2022年4月5日
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鑑賞方法:DVD/BD

本作は松竹映画100周年記念作の冠がついています

それでは、松竹映画の設立記念日はいつのこと?
調べてみるとこのようです

1920年(大正9年)2月11日に「松竹キネマ合名社」が映画の製作・配給を目的に設立されました
同時に広大な撮影所用地と人材募集の新聞広告を出しています

松竹キネマ蒲田撮影所ができたのは、この1920年の6月25日、第1作が公開されたは11月1日のことでした

しかし、そのどれも創立記念日ではないそうです
では、いつが松竹映画の創立記念日なのでしょうか?

少しややこしいのですが、それとは別の「帝國活動冩眞株式會社」という映画会社が、1920年11月8日 に東京本郷に設立されていて、この映画会社を「松竹キネマ合名社」が吸収合併します
それが翌1921年4月28日のこと

合併後の新社名を「松竹キネマ株式会社」としますが、商法上の存続会社は「帝國活動冩眞株式會社」になるそうです

ということで、松竹映画の正式な創立記念日は、この「帝國活動冩眞株式會社」の設立日ということになるようです

つまり松竹映画の創立記念日は、1920年11月8日が正解だそうです

良く似た題名の「キネマの天地」は、松竹大船撮影所設立50周年記念作品です
松竹大船撮影所は1936年1月15日の開所です
同作は1986年8月の公開でしたからちょうど50周年だったのです

蒲田撮影所から大船撮影所に移転した理由は、蒲田撮影所が手狭になってきたこと、トーキー時代になって近隣の騒音からも逃れる必要があったからだそうです

さて本作は同作と同じ山田洋次監督です
山田監督は1954年に松竹に入社されたそうです
野村芳太郎監督の助監督などをされて1961年に30歳で監督デビューされています
それが本作で描かれている松竹大船撮影所です

つまり松竹映画100周年の歴史は、「キネマの天地」と本作「キネマの神様」の両方をみないとならないわけです

本作の主人公ゴウは、山田監督の助監督時代の様々な思い出が投影されているのだと思われます
ゴウの年齢は78歳と劇中で紹介されます
ということは、回想シーンの助監督時代は50年前の28歳頃のことでしょう

ん?計算が合いません
2021年の50年前は1971年です
本作の回想シーンに登場する映画や服装や自動車などは1950年代後半のそれです
回想シーンは50年前ではなく、65年前ぐらいの松竹大船撮影所の話なのです

山田監督はあえて、計算が合わないことを承知でご自分がこの松竹大船撮影所でリアルタイムで働いていたころの様子を再現されているのです

個人的なノスタルジー?
それもあるでしょう
しかし、その時代こそが松竹映画の黄金期であったからそこそ、その時代の松竹大船撮影所に計算が合わなくとも時代を設定して描かれたのだと思います

登場人物や描かれるエピソードは野村監督や小津安二郎監督など、当時大船撮影所で活躍していた今では伝説の巨人たちの逸話がてんこ盛りです
だって山田監督はその現場の目撃者なのですから
生き証人なのです

劇中に何度も登場する小料理屋・船喜
松竹大船撮影所の近くに実在した松尾食堂がモデルだそうです
松尾食堂は松竹大船撮影所ができてしばらくしての開店だったそうです
助監督時代の若い山田監督は、この松尾食堂の小上がり陣取っている川島雄三監督らに、劇中のゴウのように御用聞きのように通っていたそうです
他にも渋谷実監督や大島渚監督など、日本映画黄金期の巨匠から松竹ヌーヴェルバーグの若い新進気鋭の監督までそうそうたる映画人が通っていたお店だそうです
劇中でゴウが自分ではそうそう行けない店だという台詞があるように、撮影所の人間でも通えるのは、監督、所長、役員ぐらいの高級店だったようです

淑子もモデルがいるそうです
こちらも松竹大船撮影所の近くにあった食堂「月ヶ瀬」の看板娘の益子さんと目されています
益子さんは二枚目スター佐田啓二に見初められて結婚したことで有名です
中井貴一の母になった方です

本作は松竹映画100周年記念作品なのですから2020年に公開してこそ意味があります
ですから公開予定も、当初2020年12月の予定だったそうです

それがご存知の通り、この年の正月明けからコロナパンデミックとなってしまいました
主演予定の志村けんさんがコロナに感染して2020年3月に急死されてしまい、さらに緊急事態宣言も発令されてとうとう撮影は中断となってしまったのです

映画館も休館要請により、上映できなくなっていました

ただでさえシネコンに押されて経営の苦しい名画座は多くが廃館の瀬戸際にありました

本作の撮影中断だけでなく、沢山の映画が公開延期に追い込まれました
世界中の映画館の休館
それは映画界全体の危機だったのです

本作には、劇中にコロナ禍のニュースが挿入され、マスク姿で登場するのはそれを記憶するためのものです

テアトル銀幕の経営危機もコロナ禍の影響によるものに置き換えられています

松竹映画100周年記念作品を超えて、コロナ禍を映画界が乗り越えていくメッセージとして本作は作られているのです

主演の代役は沢田研二と決まり2021年4月公開を目指して撮影を再開したものの、その公開予定もコロナ禍の猛威で再延期となり、結局2021年8月6日に公開された訳です
その日も第4回目の緊急事態宣言の最中のことでした

しかし本作は厳しいコロナ禍の中、撮影を無事完了させて、映画館で公開されたのです

今日は2022年4月上旬です
コロナの感染者数は一進一退で、なんとなく増えつつあり第七波が来るかもという声もあります

それでも多くの街の名画座も、シネコンも様々な創意工夫で営業を継続されています
新しい新作映画も次々に公開されています

映画の灯はパンデミックに打ち勝ちつつあるのです
映画界の皆様の大変なご活躍と努力のおかげだと思います
コロナ禍のなかでもおして映画館に行った映画ファンの力でもあったと思います
それと、もしかしたらキネマの神様がお力を貸して下さったのかも知れません

本作で描かれた松竹大船撮影所は、2000年6月30日に閉鎖されてしまいました
もう22年も前のことになってしまいました
今はもう跡形もないようです

それでも松竹映画は続いています
これからも新作映画を沢山見せてくれるに違いありません

コロナ禍に直撃されたこそ、本作はそのメッセージを強く私達に伝えています

素晴らしいシナリオで、山田監督にしか書けない見事なものだと思います

ラストシーンは「キネマの天地」のラストシーンと相似形となって締めくくられています

映画から映画の登場人物が飛び出して主人公と交流を始めるというのは、ウディ・アレン監督の1985年の映画「カイロの紫のバラ」が元ネタです
ゴウが語る構想そのままのお話です

沢田研二と宮本信子は、惨めに貧しくただ老いて行くだけに見える団塊世代にも、恋と理想に燃えた若い時があったことを見事に演じていたと思います
懸命に生きて来たけれど、結局何も上手くいかなかった
けれどもずっと愛し合っている妻と娘と孫が残ったのです
それだけで十分じゃないですか
何も惨めなんかじゃ全然ないのです

沢田研二はあれくらいアクを強くしないと惨めさが強くなりすぎてしまうからあの演技なのだと思います
志村けんでも同じようにはじけてみせたと思います

それも菅田将暉と永野芽郁の好演があってこそ引き立ったと思います

特に永野芽郁の演技は心に残るものでした
北川景子は1950年代の映画スターそのもので感嘆しました
特に白黒映画の中の彼女は本当に当時いた女優のような風情で何の違和感もないものでした
寺島しのぶもさすがの演技でした

単なる松竹映画100周年記念作品だけに終わらずに、コロナ禍を記憶する映画ともなったことで、本作はきっと未来まで長く記憶される映画になると思います

あき240