「曇天の見える小さな窓」はちどり(2018) ao-kさんの映画レビュー(感想・評価)
曇天の見える小さな窓
どれだけ多くの人と出会うかが人生の財産であると常々思っている。広く浅く人付き合いをせよという意味ではない。自分がどうあるべきか、どんな人間でありたいかを教えてくれるのは良い人、悪い人も含めた他者との出会いがあってこそであり、多くの人との出会いが自分自身を形成していくからだ。
偉そうなことを書いたが、私がそんな価値観を持ったのは30歳を過ぎてからだ。14歳の子どもにそれを理解せよと言っても、難しいだろう。14歳にはその年代の世界がある。友人関係、進学へのプレッシャー、反抗期に伴うストレス。とてもじゃないが、自分の見ている以外の世界を見る余裕などない。いや、他の世界の存在すら知らないのかもしれない。ましてや本作の舞台は1994年の韓国。学力至上、男尊女卑が今よりも顕著だった時代に生きる主人公・ウニの目に映る世界はどこか理不尽で、学校でも、家庭でも自分の立ち位置が分からないものだった。
そんなある日ウニは一人の塾の教師・ヨンジと出会う。だが、その出会いが劇的に彼女の人生を変えるような予定調和な話ではない。例えるなら、この教師は真っ暗な閉ざされた部屋の天井に突然できた小さな窓のような存在だ。窓からは見えるのは曇天で、この後で雨が降るのか、日差しが降り注ぐのかは分からない。ウニはその窓を見つめるが、天気と同様に人生の変化は能動的に起こるものとは限らない。自分が動かなくても、自分とは無関係と思っていても、社会情勢や出来事が間接的に、もしくは時間をおいて自分の人生を変えていくこともある。
自分が望むと望まざるとに関わらず、他人や社会は絶えず変化していく。周囲の変化をどう受け止め、自分をどのように維持、或いは変化させていくのか。そして、その難しさを家族も同様に抱えているという不器用な事実までも描く妙。物語の後半、ウニがある重大な出来事の現場を訪れるシーンは、それまで天井の窓を見つめ続けていたウニが自らの意思で梯子に登り、窓から外の世界を覗き込んだようにも思える。そこから続く家族との食事、そして柔らかな日差しの中でのラストシーンの美しさ。もしウニが実在する人物であるとしたら、40歳になった彼女に聞いてみたい。あれからあなたはどんな人と出会い、そして、どのように輝いたのですか?と。