「おらだばおめだ」おらおらでひとりいぐも 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
おらだばおめだ
一人暮らしの老女。
車を買い換えたり、好きな事をしたり、3人の孫がちょくちょく訪ねて来たり…一見、悠々自適。
でも、何処かヘン。
老女は空虚。3人の孫は何処からともなく突然現れ、しかも口を開かず話す。テ、テレパシー…!?
3人の“孫”は心の声の擬人化。
老女はその声と脳内会話。
開幕は宇宙誕生~地球誕生~生命誕生~人間誕生、そしてこのシーンに繋がる。
ベストセラー小説が基とは言え、のっけからいつもながらの沖田修一ワールド全開!
75歳の桃子さん。
3人の“心の声”とのやり取りはコミカル。
賑やかに歌を歌ったり。♪おらだばおめだ おらだばおめだ おらだばおめだ
車のセールスが来て、車の買い換え。“遠くの子供より近くのホンダ”とは名フレーズ!
病院のTVで、若い桃子と結婚する前の夫のラブストーリーの“上映会”。な~に恥ずかしがってんだ~?(このシーン、笑った)
ジャンルは人間ドラマだが、ユーモア、心の声と話す時々ファンタジー、皮肉的な歌謡シーン、現在と過去が交錯。マンモスや原始人医師も登場…!?
風変わりな演出、作風で飽きさせないが、実は作品の芯は、非常にシリアスで哀しみも漂う。
序盤、食事を取っている時に目の前に広がる光景。
幸せそうな若い夫婦と、幼い2人の子供。
それは、かつての自分。
子供たちは独立し、夫・周造とこれから夫婦水入らず穏やかに暮らそうとしていた矢先…、夫が死去。
あまりの突然の事で最近やたらと心の声が聞こえたり、昔の事を思い出す。いよいよ痴呆の症状…?
言い忘れたが、心の声は故郷の東北弁。
岩手出身。
東京オリンピックに沸く1964年に縁談から逃げ、上京。
定食屋でバイト。丸出しの東北弁が恥ずかしく、慣れない標準語に悪戦苦闘。
そんな時出会ったのが…、
“おら!”と恥ずかしげもなく大声で話す青年(若き周造)。
惹かれる桃子。
付き合うようになって、やがて結婚して、2人の子宝にも恵まれて、この幸せがずっと続くと思っていた。
3人の心の声は、“寂しさ”。
心の声はもう一人いる。枕元に現れる“どうせ”。
“寂しさ”とはそれを紛らわすかのようにやり取りするが、“どうせ”は本音のように聞こえる。
どうせ、起きたっていい事ない。
夫はいない。
子供たちはたまにしか訪ねて来ない。ほとんど疎遠状態。訪ねて来たと思ったら、お金貸して。まあ、孫は可愛いけど。
病院と図書館と家の往復。
一体今、何の為に生きているのか…?
老人の独り暮らしは元より、生きる意味を模索は全ての世代の胸にグサッと突き刺さる。時々非常にリアル。
これが15年ぶりの主演映画になるという田中裕子。
自分の祖母を見ているような温かさ、ユーモア、哀愁…。
さすが絶妙の名演。
現在と過去で、二人一役。過去は、蒼井優。『フラガール』以来となる東北女の子を魅力的に演じる。
周造役の東出昌大。彼の好青年ぶり、助演ぶりもすこぶる光った。
それから言うまでもなく、3人の心の声、濱田岳、青木崇高、宮藤官九郎が名トリオを見せる。
にしても、田中裕子、蒼井優、子供時代の女の子、濱田、青木、クドカン、“どうせ”の六角精児…皆、桃子さん。言うなれば、7人一役!
何気ない日常の美しい映像、美味しそうな目玉焼きなども印象的。
それから、自分も東北人間(福島)だから東北弁が心地よい。
生きる意味を模索する桃子さん。
近々開催されるマンモス展。地球や生命誕生に関するノートを作り、その意味を探る。
終盤、かつて夫と訪れた山登り。
様々な過去と“出会う”。
幼い頃の息子。
幼い頃の自分。故郷と、家族。
若い頃の自分と、夫。
山登りは人生に似ていると聞いた事がある。
このシーンの山登りは、桃子さんが歩んできたこれまで。そして、問いかけ。
その先に…
“おらおらでひとりいぐも”。
意味は、“私は私で一人生きていく”。
でも、決して寂しい“独り”ではない。
まぶってくれる。毎日を賑やかに!
喜びも悲しみも…なんてタイトルの名作邦画があるが、やはり本作にはこの言葉こそ!
喜びも悲しみも自分自身。
♪おらだばおめだ おらだばおめだ おらだばおめだ
ユーモアと悲哀の極上ブレンド、人生や人間を温かく謳い上げる。
沖田監督の手腕はもはや名匠の域に入ってきた。