「地獄送り ドウェイン参上」ブラックアダム 近大さんの映画レビュー(感想・評価)
地獄送り ドウェイン参上
スーパーパワーで人を軽々と天高く放り投げる。
銃弾も砲弾もへっちゃら。ミサイルを素手で掴む。
鋼鉄の棒で叩かれてもその棒が歪む。
ドアや壁をぶち破って。
手から電撃ビームを放ち、自由自在に空を飛ぶ。
ムキムキマッチョのスーツ。
別に驚く事はない。
だって、ドウェインだったらそれくらいの事出来て当たり前。
そう、本作はドウェイン・ジョンソンのドキュメンタリーなのである。
…な~んてのは勿論冗談。
DCコミックのアンチヒーロー、“ブラックアダム”を描いたDCユニバースの一編。
『シャザム!』に登場するキャラクターで、原作ではシャザムの宿敵。映画でも元々シャザムの敵役として登場する予定だったが、ドウェインが配され、彼がブラックアダムの大ファンでもあった事から、その誕生を描いた単体の作品として製作。
『シャザム!』繋がりのネタとして、魔術師から力を授かり、唱える呪文は“シャザム!”。
でも、決定的に違うのは…
シャザムは選ばれし正義のヒーロー。
ブラックアダムは“アンチヒーロー”。
歯向かう“敵”は容赦なく殺す。情けはナシ。
半神半人。その力は神の如く。
驚異的な力と脅威的な存在故に5000年もの間、魔法の力で封印されていたが、現代に復活。
そんな恐るべき“破壊神”に挑むヒーローたち。
DCユニバースだから、ジャスティス・リーグ!…ではない。
ジャスティス・ソサエティ・オブ・アメリカ。通称“JSA”。
リーダーで、空飛ぶ超人、ホークマン。
未来が見える魔術師、ドクター・フェイト。
巨大化出来るアトム・スマッシャー。
嵐を操る紅一点、サイクロン。
MCUで言ったら、ファルコン、ドクター・ストレンジ、アントマン、『X‐MEN』からストームと言った感じのヒーローチーム。彼らが言わばサノスに挑むようなもの。
普通だったら彼らを主人公にして脅威に挑む様が描かれるが、“敵”を主人公にしてヒーローチームがどう立ち向かうか“逆の視点”なのがユニークな所。
にしても、遂にドウェインがヒーロー映画参戦!
正義感溢れるクリーンなヒーローではなく、アンチヒーローなのが意表を突く。
実は、ブラックアダムのキャラもドウェインを反映させて陽気で、作品もとことん痛快単純な内容かと思ったら、思ってたよりシリアス。DCユニバースの初期作品みたく終始重苦しいだけじゃなく、ユーモアや楽しさも散りばめられてはいるが。
悲願の役だったというドウェインの熱演。キャラ設定もあっていつものような陽気な性格ではないが、その存在感、タフさ、パワフルさは遺憾なく発揮。
ただのドウェインの俺様映画って感じじゃなく、周りのキャラもフィーチャー。
女性大学教授と彼の息子がブラックアダムと関わる。
JSAも単なる添え物ではなく、しっかり活躍。
ホークマンは正義感に溢れ真面目で、サイクロンは頭も優秀。今時若者のアトム・スマッシャーはおっちょこちょいで時々面倒起こすけど。フラッシュ的…?
そんな中、ドクター・フェイトは年長者として締めてくれる。ピアース・ブロスナンの魅力も相まっていい役回り。
アクションの迫力とエキサイティングさは言うまでもなく。
超人アクションが次々と炸裂。
空中アクションはまるで『ドラゴンボール』な気分。ブラックアダムが一人で“敵”を壊滅させる様は、何だか悟空vsレッドリボン軍を彷彿。
ブラックアダムもJSAも各々の能力を発揮してバトル。
クライマックスはスペクタクル充分。
出し惜しみなくCGてんこ盛り。使い過ぎなくらい。
『ジャングル・クルーズ』に続きドウェインと再タッグとなるジャウマ・コレット・セラの演出はエンタメに徹している。
DCユニバースのリンクネタも勿論あり。ヴィオラ・デイヴィス演じるウォラーの登場。極め付けは、あの“超人ヒーロー”が…これについては後述。
アメリカや世界中でヒットはしたが(尚日本では某バスケアニメ映画とぶつかって全くの不発)、期待ほどの大ヒットには至らず。また、批評面はかなり鈍い。
まあ確かに粗い面やヒーロー映画史上に残るほどの優れた作品とは言い難いが、思ってた以上に良かった。
アクションや面白さはたっぷり。個人的にはドラマ面も悪くはなかった。
舞台の架空の国、カーンダック。
犯罪組織に支配されており、国際社会やヒーローチームからの支援や助けもナシ。国民は苦しめられ、救世主の登場を望んでいる。
そんな彼らにとって、脅威的な破壊神であっても、悪しき奴らを排除してくれるブラックアダムは“我らが勇者”。
ブラックアダムと闘う為今頃になってやって来たJSAに対しては非難。正義を掲げる様をチクリと皮肉。
ヒーローはどっち?
そもそもヒーローとは?
誰が? 誰にとって?
単純に区別出来ない善し悪し、ヒーローの存在意義。MCUの『シビル・ウォー』のテーマと通じる。
真の勇者はいた。
古代カーンダック。悪王が支配していた時代。
一人の少年。奴隷の子。
民衆を鼓舞し、立ち上がった時、魔術師から勇者として力を授かる。
が、それ故邪悪な魔の手は愛する大切な人たちを…。
少年は自らの命を犠牲にして父を守り、その力を託す。
少年はブラックアダムの息子。父親こそブラックアダム。
息子の復讐。その力は、怒りと悲しみ…。
ブラックアダムの誕生秘話は、なかなか悲劇的。
だから、決して邪悪な存在ではないのだ。
危険で脅威的ではあるが、何もこの世を支配したり、滅ぼそうとはしない。手段は過度だが、邪悪な存在は叩きのめす。
善と悪が入り交じり。
そんなブラックアダムが、ある母と息子、JSAと対する内に、自らの存在に葛藤する。
自分は何の為に闘うのか。存在するのか。
この力は…? 神から授かったものか、それとも呪いか…?
ある決断をする。ヒーロー映画として意外な終着で、これはこれでいいが、でももう一展開欲しい所。
定番ではあるが、それぞれ掲げる信念がぶつかった時、必ず“第三者”が現れる。
JSAはヒーローで、ブラックアダムはアンチヒーロー。“ヴィラン”が不在。
いや、ヴィランはいた。遂に恐るべき力を手に入れ、野望を実行に移す。
本当の脅威。邪悪な存在が…。
“悪魔”と言っていい。
ヒーローチームであっても、悪魔には勝てない。
悪魔に勝てるのは、神。
破壊神だが、今こそ彼の力が必要だ。
さあ、ブラックアダムよ。破壊神=アンチヒーローから真の勇者=ヒーローになる時だ。
ヒーローとしての目覚め。分かっていても胸アツな展開。
JSAとの共闘チームプレー、民衆の立ち上がりも。
面白かった。
こうなってくると、本作一本だけは惜しい。
続編が楽しみ。
シャザムとの闘い。
すでに話題になっているED後に登場するアノ超人ヒーロー。スーパーマンとの闘い。
DCからまたまたユニークなヒーローが誕生し、期待や構想膨らむが…、
ご存知の通りDCのトップが入れ替わり、新戦略が立てられ、『ブラックアダム』の継続は中止に…。
マジかよ…。ヘンリー・カヴィルのスーパーマン再登板も『ブラックアダム』の続編も『ワンダーウーマン3』もナシに…。
DCの新戦略は気にはなるが、何だかがっかりもさせられる。今後、どうなるのか…?
ブラックアダムは5000年の封印から復活した。
この不条理な封印からも、いつの日か必ず、復活するだろう。
その時はまたあの力を。決め台詞を。