「バズ・ラーマンの罠か?」エルヴィス kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
バズ・ラーマンの罠か?
正直、バズ・ラーマンやっちまったな…という感じ。
これは伝記ではない。
そもそも伝記映画を撮る気などなかったのかもしれないが、悲しいかな『ボヘミアン・ラプソディ』という高評価作品の印象がまだ消え失せていないのだから、ラーマン流のスター伝記映画を期待せざるを得なかった。
ある意味、切り口と見せ方は独創的ではあるし、ラーマンの映像マジックが遺憾なく発揮されている。
プレスリーの芸能人生をジェットコースターのごとき勢いで見せていく奇抜な編集も、一見の価値がある。
が、ラーマンの過去作を凌駕するほどの映像美が見られたとまでは言えない。
文字を使った演出は、ガイ・リッチーやダニー・ボイルが既にやりきった手法だと感じた。ラーマンの方が先にやり始めたのかもしれないが。
プレスリーが単なるアイドルスターではなく、時代の寵児であり且つ時代の反逆児であったことは伝わるのだが、それまでだ。
彼が苦悩し、堕落していく様を迫力ある演出で見せてくれるが、何に苦悩しているのか焦点が絞れていないように感じた。
知っている人はあれだな、これだな、と想像できるかもしれない。が、劇映画としてストーリーを構成するには、キータームが欠けているのではないだろうか。
黒人音楽を模倣することへの批判との葛藤?
セックスアピールへの批判との葛藤?
新たなパフォーマンスを産み出すことの苦悩?
家族との軋轢?
マネージメントとの志向での対立?
金銭問題?
一本の映画にするには、主人公が何と戦っているのかを示して共感を呼ばなければならない。
事実は単純なものではないので、何かに絞ると、知っている人たち(マニア)からは「そうではない」と否定されるリスクを帯びるが、あくまで劇映画なのだからそれを受けて立つ気概が必要だ。
ラーマンが描きたかったのは、成り上がり、そして墜ちていったプレスリーの素顔なのか。それとも、プレスリーの影にいた正体不明のパーカー大佐なのか。
トム・ハンクスの怪演もあって、主体が分かりづらくなっている。
一つでもエピソードを深掘りして見せていれば、物語として成り立ったかもしれない。
主演のオースティン・バトラーが、私にはプレスリーに見えなかった。ただ、熱演は感じたし、いい俳優だと思った。
ラミ・マレックだって私には最後までフレディ・マーキュリーには見えなかったのだ。
が、一曲でもプレスリーとして歌い上げるシーンを作ってあげればいいのに…と、可哀想な気はした。
プリシラ・プレスリーを演じたオリヴィア・デヨングが美しい。なんなら、本作の最大の収穫かもしれない。
そういえば、『ボヘミアン…』でメアリー・オースティンを演じたルーシー・ボイントンも美しかったなぁ。
結末で見せられるプレスリーの最後の熱唱が涙を誘う。まさに、スーパースターが命のあらん限りに歌う。結局、一番良いシーンは“ご本人登場”だったのだから、バトラー君は哀れ。
この映画が魅力的にみえるのは、即ちエルヴィス・プレスリーが魅力的だからに他ならない。永遠のロックスター、不世出の天才の魅力だ。
でも、あの最後のステージの映像を感動的に見せるため、そこまでの物語は全て布石だったとしたら、、、バズ・ラーマンに「あっぱれ、お見事!」と言わざるをえない。
共感ありがとうございます。まさにおっしゃる通り!映画の後、胸に溜まっていた何かモヤッとした感じが、kazzさんのレビューで解消しました。ありがとうございました。