エルヴィスのレビュー・感想・評価
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バトラーに魅入られ、ブラックなハンクスに圧倒される
エルヴィス・プレスリーのことはリアルタイムでは知らないし、取り立てて詳しいわけでもない。ただ、聞いたことのある楽曲、見たことのあるビジュアルから、象徴的なイメージは知っているくらいだ。
そんな私が、映画館を出るときには「エルヴィス最高……」になっていた。全ての瞬間がカッコよくきらびやかで目が離せない映像、ミュージカルのような密度で2時間40分に詰め込まれた(4時間版もあると監督が公言している)素晴らしい楽曲たち、ミュージックビデオのような編集でとんとん拍子に進むストーリー。目まぐるしく変わるシーンの中でも、彼の歌手としてのルーツや魂、栄光がもたらす喜びと苦悩が、鳴り続ける楽曲たちと共にしっかりと胸に響いてきた。
幼いエルヴィスがゴスペルと出会い、音楽の啓示を受ける短いシーンの説得力とインパクト。その後オースティン・バトラーがみずみずしいエルヴィスとして現れ、しっかり歳を取り、自然な貫禄を醸し出してゆく姿が特に圧巻だった。バトラーのことは「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」で見たものの正直ノーマークだったので、余計に衝撃が大きかった。
実際のエルヴィスの映像が出てくるシーンもあるが、雰囲気にほとんど違和感がない。エルヴィスに詳しい人はもしかすると何かと不満があるかもしれないが、それは誰が演じたってゼロにはならない。私は見せ場のライブシーンで、実際のエルヴィスのライブ映像を見ているような錯覚を覚えた。あの熱量のせいだ。
1960年以前の歌唱シーンは、全てバトラー自身が歌っているという。60年以降のシーンでは、バトラーとエルヴィスの声をミックスしたり、エルヴィスの声を使ったりしている。
ゴスペルを浴びて育ったエルヴィスは、差別と闘う意図というより、ただ歌いたいから、体の動くままに歌う。それが結果的に、差別がまかり通っていた時代への反逆になる。その姿がまた「本物」らしくていい。
彼が影響を受けた音楽を体現する黒人ミュージシャンも魅せる。特にリトル・リチャード役のアルトン・メイソンに見惚れた。
「いい人」を演じることの多かったトム・ハンクスのパーカー大佐も強烈だった。ハンクス、こういうブラックな役も映える。「幸せへのまわり道」で久しぶりに見た時、年取ってふっくらした?と思っていたので(あれも役作りだったのか?)、さらに太ったのか?と思わなくもなかったがさすがに特殊メイクだった。
(というか、ハンクスの現在の姿を検索したらむしろ痩せていた。一昨年、本作の撮影準備でオーストラリアにいたときにコロナに感染したりしていたが、大丈夫だろうか……)
悪人と呼ばれる人間にも多面性がある。彼との出会いがなければ、エルヴィスはこれほどの名声を得られなかったかも知れない。でも、彼がエルヴィスのパフォーマンスの結晶を食い物にし、アメリカ国内に閉じ込めたのもまた事実。映画に描かれなかった部分まで知れば、さらに印象が変わることもあるだろう。よくも悪くも深みのある人物で、彼を主役とみなしても物語が成り立つほどの存在感だった。
有無を言わせぬ密度で強烈な光と底知れない闇を、不世出のスターの栄枯盛衰と人生の濃さを垣間見せてくれる作品。
劇中歌の解説、エルヴィスの周りの人々の詳細、必聴アルバムリストに名言集、用語解説やエルヴィス出演映画紹介まで入った親切過ぎるパンフレットはお得感あり。
エルヴィス降臨の衝撃を体感させる過剰さの勝利
エルヴィス・プレスリーという時代からハミ出た過剰なスターを表現するにあたり、バズ・ラーマンという過剰な演出家がみごとにハマった。最初のライブシーンから1950年代ではあり得ない歪んだギターが唸りまくっていて、この映画が歴史の再現ではなく、エルヴィスという衝撃を現代の観客にいかに体感させるかに重きを置いているのがわかる。オースティン・バトラーの渾身のパフォーマンスも、完コピというより、リミットを知らないエルヴィスの魂をトレースしている気すらしてくる。
プレスリーの人となりや偉業を知るには数々のドキュメンタリーや書物が存在しているが、この地上にエルヴィスが降臨したインパクトのデカさを感じるには、この絢爛豪華な映画絵巻こそがふさわしい。伝記映画にしてエルヴィスの再解釈にして、概念としてのエルヴィスの再創造。そしてそれでもなお揺らぐことのないエルヴィス・プレスリーという存在の大きさに改めて圧倒される。
あとオースティン・バトラーには各映画賞で主演男優賞を獲ってほしいと思うが、あの最初のライブシーンで最初に叫び声を上げてしまう女の子を演じた俳優に、誰か助演賞をあげてほしい。とりあえず自分の中ではブッチギリの助演賞です。
最高のショーを探し続け、エルヴィスにたどり着いた強欲マネージャーの人生も伝説級
レオナルド・ディカプリオの主演映画「華麗なるギャツビー」(2013年)のバズ・ラーマン監督が、本作ではロック・シンガー、エルヴィス・プレスリーの成功の裏側を描いている。
エルヴィスと聞くと、私は「リロ・アンド・スティッチ」(2003年)に出てくるエルヴィス像のイメージが強い。特徴あるもみあげと衣装でハワイらしい愛の歌をロック調に歌っていた。作中でエルヴィスの曲が流れると逆境が前向きな展開になることが多いため、いつの間にか私も彼の曲が好きになっていた。
しかし、実物のエルヴィスとは接点が乏しく、彼の足腰の動きにも秘密があったこと、禁断のロックを生んだこと、若くして謎の死を遂げたスーパースターであったことなども知らなかったので、映画「エルヴィス」を見て発見の連続。
本作は、エルヴィスの少年期からの描写もあり、彼の音楽スタイルのルーツ、人気を得てからの苦悩が悲しいほど胸に響く作品となっている。エルヴィスの才能をいち早く見抜いた強欲マネージャー(トム・ハンクス)との関係が「危険な実話」の鍵となっているところや、エルヴィスのパフォーマンスから目が離せないほどの臨場感が伝わる楽曲や演技が大きな見所であった。
主演男優賞と助演男優賞の賞レースに関わりそうな(エルヴィス役の)オースティン・バトラーとトム・ハンクスの熱演も必見レベル。
私は映画を見終わった後、エルヴィスのステージは、彼が亡くなる間際まで観客を魅了したことは確かで、女性を痺れさせたシーンは嘘も偽りもないと感じた。女性ファンが多く、当時は独特すぎると評された「彼のロック術」は、早い段階で男性も引き込まれていたはずだと想像した。
歌手とマネージャーの関係性を偏重した作劇。エルヴィスの音楽性や創作過程への関心は?
序盤、トム・ハンクスが特殊メイクで演じるパーカー大佐がエルヴィス・プレスリーのステージを初めて見る場面が、まさに映画の観客が青年になったプレスリーと出会う重要なシーンにもなっていて、プレスリー役のオースティン・バトラーの歌と特徴的な下半身の動きも見事に再現され、客席に瞬く間に広がる熱狂もスリリングに描写されている。
ただ残念に思うのは、幼少のエルヴィスがゴスペルを聴いて神の啓示のような神秘体験をしたことが音楽との出会いとして描かれ、そこから先述のステージに立つ青年エルヴィスまでの過程がほとんど描かれない点。あの表現力豊かなボーカルも、刺激的に腰と脚を揺らすパフォーマンスも、スタイルを確立するまでは場数を多く踏み、トレーニングを重ね、ときには試行錯誤もあったはずだが、そこはあっさり省略されてしまう。
原案・脚本に名を連ねるバズ・ラーマン監督が作劇の軸にしたのは、エルヴィスとパーカー大佐の関係性だ。大佐の商才もあって、マネジメント契約を結んでほどなくエルヴィスは大成功し、母亡きあとは精神的な依存を強めたりもするが、意見が合わず衝突することもあった。エルヴィスは浪費をエスカレートさせる一方で、大佐はしたたかに搾取し、経済的に自立できなかったエルヴィスは結局大佐から離れることができなかった。華やかなショービジネスの世界で未曽有の成功を手にし、けた外れの名声と富に翻弄された2人の愛憎は、確かに劇を構成し推進する要素として描き甲斐があっただろう。だが、そちらに力を入れすぎるあまり、音楽史に多大な影響を与えたアーティスト、パフォーマーとしてのエルヴィスの魅力を表現することがおろそかになったように思えてならない。
エルヴィス自身は作詞・作曲をしなかったが、メジャーになってからのレコーディングでは、多数用意されたデモ音源から気に入ったものを選び、バンドのメンバーとデモを繰り返し聴いたあと、一発録りのスタイルで納得いくまで何テイクも重ねたという。プロデューサー的な役割も担っていたエルヴィスは、ギターだけでなくベースやピアノを弾くこともあった。歌を歌い楽器を奏でることのシンプルな楽しさと喜び、音楽を作り上げることの素晴らしさをもっと見せてほしかったが、監督の関心はこちらには向かわなかったようだ。
名匠バズ・ラーマンの新たな代表作の誕生!
映画が始まるや熱狂の渦に飲み込まれた。私はエルヴィス世代でもなければ、時折TVで耳にする彼の楽曲も甘ったるく感じていたくちだ。しかし本作から聞こえてくる彼の音楽、パフォーマンスは私の先入観をことごとく破壊した。なんという革命。なんという才能。ただし、全ての勝因はエルヴィス自身というよりは、本作のとてつもない馬力と語り口のなせる業か。バズ・ラーマン印の映像は今回も絢爛豪華で、宙を飛び交うカメラワークは活力を失わず、指先一本動かすことを禁じられたキングの、まるで拘束具から解かれるがごときエモーションの爆発をもダイナミックに映し撮る。そしてトム・ハンクスの演じる”大佐”をある意味、メフィスト的に描き、なおかつ全ての経緯を彼目線で語らせることで、形を変えゆく関係性のいびつさ、運命の残酷さが我々を飽きさせない。人によって好き嫌いはあろうが、全てはやはりラーマン。彼のキャリアの代表作となるのは確実だ。
片翼の天使は永遠に歌い続ける。 バズ・ラーマンの『エルヴィス』が描くこと。
★このレビューはネタバレ満載です。そのため、未だ作品をご覧になっていない方は、作品をご鑑賞の上でご一読ください。
脚がない鳥がいるって知っているか。彼らは陸に降りることなく空を飛び続けるんだ。眠りたくなったら羽根を広げて風に乗って休む。そして、地上に降りる時は…
バズ・ラーマンの『エルヴィス』は、若くして見出された天才シンガー、エルヴィス・プレスリーを描く意欲作だ。
冒頭に登場するのは、冴えないカントリー歌手のマネージャー、トム・パーカー=自称パーカー大佐。見世物小屋上がりのこの男は、客を喜ばせる秘訣を知っていた。目にしたものに驚き、どうしたら良いのかと自分を持て余してしまう時がチャンスだ。そんな体験をもたらす“見世物”にこそ人は金を払うのだと断言するこの人物は、常にその狡猾な視点の先に、自分を太らせてくれる獲物が現れるのを待ち続けている。そんな類の男だ。
家の事情でテネシー州メンフィスの黒人が暮らす地域の白人居住区に引っ越すことになった13歳の少年は、ある日、黒人たちが歌い奏でる音楽に魅了される。リズム&ブルース、ゴスペル、時にはジャズ。故郷から離れ、虐げられた毎日と郷愁、神への祈り、そして愛を歌う彼らの音楽は、少年の身体に染み込んでいく。足繁くゴスペルショーに通い、いつしか顔パスで迎えられるようになった。
青年に成長した彼の初めてのレコードは、瞬く間に人々の心を掴んだ。黒っぽい音楽だと誰もが感じるが、このR&Bを歌っているのは白人青年だった。レコードは飛ぶように売れ、ラジオは彼の曲を流し続ける。
大佐が目にしたのは、ギターを抱え、腰をくねらせて歌うエルヴィスだった。女性観客たちは、自分が目にしている存在に釘付けになり、歌声にシビれ、身体の動きに感応した。そんな自分に驚きながらも、いつしか立ち上がり、やがて絶叫する。その様は、まさに自分を持て余す体験をした姿そのもの。
その時、エルヴィスはまだ電気会社のトラックドライバーとして働く、ただの青年だった。
1956年3月26日…運命を決めたその日、男はカントリー歌手との関係を絶ち、未来が約束された青年と契約を結ぶ。一攫千金となる全米No.1レーベルRCAとの契約をちらつかせ、エルヴィス・プレスリー・エンタープライズ=家族の会社を作り、警戒する両親をねじ伏せる。この時、したたかな強者との関係が、死がふたりを分かつまで続くことになるとは、誰も予想すらしなかった。
世界に羽ばたける特別な才能を持った青年の願いは素朴なことだった。母を笑顔にしたい。ピンクのキャデラックと大きな屋敷を贈り、自分が歌うことで家族を支えたい。素朴な願いと疑うことを知らない無垢な心は、成功に伴う契約という呪縛の罠が待っていることに気づくことはない。
片翼は才能を活かして歌うエルヴィス、もう一方で最高のステージを用意する大佐。この日からふたりは一対の関係で結ばれた“一羽の鳥”となったのだ。
『エルヴィス』は、人生のターニングポイントとなる3つの曲と、42歳でこの世を去る直前にラスベガスのステージで歌うエルヴィス本人の熱唱、4つの名演を軸に構成されている。
第一は、パーカー大佐が見つめる先で、家族に見送られてステージに立つ瞬間だ。
バズ・ラーマンは、その瞬間に向けて複数の思い(思惑)の動きを重ねて周到に劇的な時の訪れを待つ。ステージに立った青年がギターをつま弾き、声を発する。まだだ。しばしの間があり、“That’s All Right, Mama”が始まると、ピンクのスーツを着た青年は突如とてして誰もが知るエルヴィスへと姿を変える。
第二は、白人至上主義=黒人排他派の政治家に目をつけられ、警察の監視下に置かれた状況下、黒人音楽を、腰を振りながら歌うことを禁止されたエルヴィスが、自分の音楽とパフォーマンスを貫くことを決意するチャリティコンサートのステージだ。
理不尽な政治の圧力によって、ただ息子の幸福だけを願った母の身体は蝕まれ、永遠の別れを迎える。
腰を振ったら即逮捕される。失意のエルヴィスに友人のB.B.キングは「君は白人だから大丈夫」だろう、とエールを贈る。
大いなる逡巡の後、時は満ちる。警察が用意した監視用カメラが据えられた先で、アドリブで行くと告げたエルヴィスは、自分を重ねるかのように“Trouble”を歌い始める。全身を震わせ、腰をくねらせて歌うことは、母を弔い本来の自分を貫くことだから。だが、ファンのために歌ったエルヴィスの行動は社会の規範を乱すと判断され、政治の思惑によって陸軍に徴兵され2年間の西ドイツ駐留を命じられる。
第三は、音楽を通じてアメリカが抱える闇と対峙したエルヴィスの歌と決意が胸に迫るパフォーマンスだ。
ほとぼりを冷ます兵役に応じた後、最愛の人プリシラと出会い帰国したエルヴィスは映画出演を続ける。『理由なき反抗』の台詞を全て覚えるほど憧れるジェームス・ディーンが目標だ。1960年から69年に年間に3本、27本もの映画出演を余儀なくされたのは、強欲な大佐が結んだ契約のためだった。だが、映画は泣かず飛ばず。
映画がダメなら次はテレビで稼ぐ。家族や仲間(取り巻き)を養うために高額でNBCのクリスマスショーに出演を続けた。赤い衣装でクリスマスソングを歌うのだ。
自分などもはやないも同然…。自失の念に苛まれていたエルヴィスを覚醒させたのは、ロバート・ケネディ暗殺の報だった。訃報を受けた彼は、キング牧師が世を去った時には発することが叶わなかったステートメントを歌に込め、徹夜で完成させた“If I Can Dream”を歌う。ステージにはサンタガールではなくゴスペルシンガーたちが招かれていた。まさに劇的、奇跡の復活を遂げた瞬間だ!
エルヴィスが世に出た1950年代から、人種差別廃絶を願う公民権活動が活発になっていく。1968年4月4日、活動の中心的存在であったキング牧師が凶弾に倒れる。同年6月6日、ロバート・ケネディが撃たれたという報を受けて、沈黙を守り続けてきたエルヴィスが覚醒する。クリスマスソングを放棄し「夢を叶えて」と歌った。それは暴力に対するノンであり、人種差別に対するノンであり、理不尽に人権を踏みにじる政治や権力に対するノンである。
黒人が歌っていると思われたほどR&Bを身体に宿したエルヴィスは、人種の垣根を越えて、融和主義のシンボルでもあったことは歴史が証明している。特別なステートメントを決して発することがなかった理由は、この曲に耳を傾ければ氷解することだろう。
そして、ラストはラスヴェガスでの圧巻のステージ。もはや自力では立って歌うことが難しくなったプレスリーは、付添人にマイクを持たせると、ピアノを叩くように弾き、全身から絞り出すように“Unchained Melody”を歌う。薬によって浮腫んだ顔からは汗が噴き出す。だが、その声は驚きのグルーヴを生み出し、瞬く間に観客を熱狂の渦へと導いていく。
待っていてほしい。愛しい女性への想いを胸に、残酷な時の流れと、安らぎの家に帰りたいと願うこの歌は、孤独に震えるエルヴィスの姿に重なり、言葉にできないエモーションを呼び起こし、胸を締めつける。
「俺は徴兵されてドイツに行っただけで外国を訪れたことがない」…これは劇中、エルヴィスがポツリと漏らす言葉だ。世界に羽ばたける特別な才能を持った青年は、全世界を駆け巡る自家用機を準備し、愛娘の名にちなんでリサ・マリー号と名づけていた。だが、オランダからの密入国者だったとされるパーカー大佐は、再入国拒否を恐れて自分が同行できない国外での公演を許すことはなかった。
ビートルズも、ストーンズも、世界を代表する錚々たるミュージシュンたちが神と崇め、大きな敬意を贈ったエルヴィスが、ライヴ活動においてはドメスティックな存在だったことは残念でならない。
また、狡猾なマネージャーが必要以上に重要視した警備によって、周りには常に自称用心棒のマフィアたちが取り巻き、知らぬ間にお金が消えていくことになった。もうひとつ、悪名高き主治医のニック医師は、朝には覚醒を呼び、夜には惰眠を導く薬の処方を続けた。(※マイケル・ジャクソンやブライアン・ウィルソンら、悪辣な医師による健康を度外視した処方例はその後も続いている。)
心を開き、友をねぎらい、愛を歌う。天才の素朴な願いは、残酷な時の流れに苛まれ、エルヴィスの孤独を深刻化させた。そんな中でも、生涯愛し続けたプリシラは常に親友だった。離婚後もしばしば彼の元を訪れていた彼女は、最後の日もエルヴィスと一緒だったという。
脚がない鳥がいることを知っているか。彼らは陸に降りることなく空を飛び続けるんだ。眠りたくなったら羽根を広げて風に乗って休む。(つまり飛び続けるのだ) そして、地上に降りる時は…。
天才エルヴィスと狡猾な勝負師パーカー大佐は、良くも悪くもふたりでひとつ、玉石混交、清濁が交ざり合った一羽の鳥だった。世界中のどこへでも飛んでいける。彼の前には無限の可能性が広がっていたはずなのに…。悪名高き大佐との関係を絶ち得なかったエルヴィスとは、片翼を奪われた天使だったのかも知れない。
それでも、エルヴィスは永遠に歌い続ける。すべての垣根を越える音楽という特別な羽根を広げ、世界中の人々の心に輝きを灯すために!
過剰演出ではない2人の心象に迫る作品であったら、とも…
私は音楽には疎い人間なので、
エルヴィスの音楽にも
それほど興味があるわけではない中、
経緯や結果こそ異なるものの、
ボクシングのモハメド・アリ同様、
徴兵問題で話題になった歴史上の一人という
時代的な意味での興味で、
TV放映を機に初鑑賞した。
ABBAの“ザ・ウィナー”のように、
栄光と幸福感が決して同一ではないという、
まさに成功者の光と影といった風の作品で、
初めて知るエルヴィスの人生劇だった。
エルヴィスの死因は薬物の過剰接種との話は
聞いていたが、この作品によると、
更に過労が加わったもののようだった。
また、はたして、マネージャーとの確執は
どこまで本当なのか。
また、お金のこともそうだが、当初、
エルヴィスが海外公演をしなかったのは、
マネージャーの国籍問題が影響とあったが
はたして真相は。
エルヴィス映画しては、
ジョン・カーペンターの「ザ・シンガー」
という作品もあるようだが、
これらの点については
どう描かれているのだろうか。
しかし、この作品ではエルヴィスについて
たくさんのことを学ばせて頂いた。
黒人社会での成長期の経験が、また、
キング牧師やロバート・ケネディの暗殺が、
彼の歌に影響を、与えていた等々。
作風としては、映像芸術の利点を活かしての
手慣れた映像手法のよる演出が印象的。
しかし、過剰演出ではない中で、
2人の心象に迫る作品であったら、
と思う鑑賞後感でもあった。
エルビスの心の中
なんて哀しい
忘れない為にレビュー
全盛期を知らない世代ですが、やっぱりスSTAR
くだらねえ
イン.ザ.ゲットー?
オースティンバトラーの熱演は
素晴らしい!
けどエルヴィスと全然似てないのが残念。
それがアンチェインドメロディで痛感。
ザッツオールライトから始まり
ヒット曲満載かと思いきや
そうでもなく、見せどころのビバラスベガスも
ちょっとだけ⤵︎
エンドロールの曲もなぜインザゲットー?
その後もせめてエルヴィスの曲流してほしかったです。
因みにリトルリチャードは完璧に再現してます!
プレスリースタイルの背景を振り返る
エルヴィス・プレスリーついては1950〜60年代に世界の音楽シーンを席巻したシンガーという以外には何も知らなかったが、彼独自のパフォーマンススタイルがどうやってできていったのか、また、どういう点で社会に大きな影響を与えたかが分かりやすく描かれていて、とても勉強になった。
それにしても悪い山師に捕まってしまったものだ。凄絶な人生だった。
たくさんあるライブシーン。踊りの再現だけでもすごいと思ったけれど、歌も自分で歌ったオースティン・プレスリーに大きな喝采を送りたい。
オースティン・バトラーの演技、ステージが圧巻!
CSで録画視聴。
よく、まとまっていた作品。
エルヴィスのブレイク〜全盛〜下降と
エルヴィスプレスリーの音楽人生が
見事に描かれていた。
エルヴィス役のオースティン・バトラーの演技も素晴らしかったし、トム・パーカー役のトム・ハンクスの演技が素晴らしかった。
エルヴィスのライブシーンは必見。オースティン・バトラーはよくライブシーンをこなした。
何を見せたかったのか、何処を見せたかったのか
結局、大佐とは何者だったのか。そして彼がエルビスに対して行った事がこれだけのだったのか。もっと面白いことはたくさん有っただろうに、大佐が自己正当化の為の語りを続けるので当たり障りの無い話にとどめてしまった。せっかく彼を語り手にした意味がない。
エルビスに関しては、ライブやステージのシーンはとても見ごたえがあった。彼の歌をもっと聴きたいと思った。しかし反抗期を終えられなかったパーカー大佐のベイビーであって、ホテルが飼い殺したくなるような、大統領が追悼メッセージを出すような世界的歌手に見えなかった。
素材は一流で見栄えも良いが、それを扱う調理の腕と覚悟がない。依存に対する豪華な啓発映像という印象に留まってしまった。
禁断の果実の味わいがある腰振り
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