「進化したマトリックス」マトリックス レザレクションズ ガムシャラさんの映画レビュー(感想・評価)
進化したマトリックス
マトリックス1を当時、映画館で観た世代です。
1が100点だとすれば本作は70点といったところか。
1999年という当時の終末的時代背景に突如、現れた「救世主映画」それがマトリックスであった。
ネットが誕生しもう一つの仮想世界が現実世界を侵食していく、そしてネット情報社会との接続によって今まで見えなかった真実に気付き始めた人類。
それを革新的な映像美と世界観で表現したエポックメイキングな作品だった。
当時はネット社会がまだアングラでサブカル的要素が強かった時代だけに、マトリックスで描かれる世界が近未来のサイバーパンクとして非常に先進的で刺激的であった。
哲学的な設定とシステム的な設定が入り混じり、人類の未来とは何か? 現実とは何か?を我々に問いかけてきたハイセンスな作品だった。
当時はその難解な問いかけに頭がついていかなかったが、20年という時が経ちこの世界の姿とマトリックスの世界が近づいた。
人類の進化と共にテクノロジーが発達し、AIが人類を支配する現実味を帯びてきた。
そしてあと数年もすれば今回のマトリックスで描かれたゲームとしての「MATRIX」が現実の仮想空間になる日も近い。
前バージョンのマトリックスはネットとリアルがテーマだったが、新バージョンのマトリックスはゲームがテーマとなっている。
CG やVRといった映像技術が進化しディープフェイクが可能になり、テレワークが日常化し仮想世界でのコミュニケーションが増えメタバースが流行りつつある今、現実と仮想の境界は既になくなりつつある。
そして、硬直化した0/1の世界ではなく0/1の間という曖昧な世界を肯定する。
機械vs人類ではなく、機械と人類が共存する世界を再設計し、そこで重視されるのが感情という訳だ。
つまり、MATRIXという仮想空間で長く楽しんでもらう為に機械側が人類を精神的にもてなし離脱者が出ないように防止する。
それは我々が普段ゲームを楽しむ時と同じだが、今回のMATRIXも完璧ではない。
機械が提供するサービスに人類は満足しない。
現実と仮想世界では超えられない何かが存在する。
それは新たな欲望(進化する為のエネルギー)なのかもしれない。
そして、機械側の電力として消費される人類というシステムそのものを見直すのか?それともまた機械と共存するのか?
我々人類はこれからどういう世界を作っていくのがベストなのか?
その答えは新部作の続編までおわずけとなった。
しかし、そもそもこの世界が現実だという保証はない。
本作のマトリックスが描くように、既にこの世界が仮想現実の可能性もある。
例えば、テスラのイーロン・マスクは以前より、人類が生きている世界について「我々はコンピューター・シミュレーションの中で生きている」という考えの持ち主であることが明らかになっています。
人間の社会は、「常識」と「真実」のせめぎ合いの歴史でもあります。かつて、宇宙は地球を中心に全ての天体が回っているという「天動説」が広く人々に支持されてきましたが、その考えに異を唱えたのが16世紀から17世紀にかけての天文学者、ガリレオ・ガリレイでした。ガリレオは太陽を中心に地球が回っているという地動説を唱えましたが、これがもとで宗教裁判にかけられ、長らく異端の徒という烙印を押されていたのはよく知られたエピソード。その後、地動説が認められてガリレオの名誉が回復したのは1800年代になってからでした。
※前作から60年後の世界ですが、何故ネオとトリニティはそんなに老けていないのか?マトリックス内では歳を取らないのか?
機械戦争はいつ起きた設定なのかにもよるが多くの謎が残っています。
まあ資本主義システムがループしながら進化していくように、マトリックスもループしなはら進化していくのでしょう。
だが、現実の資本主義システムは既に限界を迎え社会主義化しつつある。
まさに赤と青の権力世界が拮抗している。
人類の進化とはこの権力構造との闘いでもある。
アメリカのパワーが弱り始め中国のパワーがこれから世界を席巻するのか、それとも第三者が現れるのか?これからの世界のパワーバランスの変化がこの映画にどのように影響を与えるかが楽しみです。
ですが結局のところ、映画としてのマトリックスもスター・ウォーズと一緒で、初回三部作が傑作です。
後付の続編は映画会社の商業主義の産物となり、老朽化したキャストをレジェンド扱いして酷使する資本主義の成れの果てであり、マトリックスとはつまりアメリカの理想と現実(分断した社会)を映し出した鏡なのである。
日本人(仮想現実の中に囚われていて選択権がない)はそれを外から眺め楽しむだけである(笑)
そういう意味では映画への没入感は低い。