「大企業に勤務するゲーム・クリエイターのトーマス・アンダーソン(キア...」マトリックス レザレクションズ りゃんひささんの映画レビュー(感想・評価)
大企業に勤務するゲーム・クリエイターのトーマス・アンダーソン(キア...
大企業に勤務するゲーム・クリエイターのトーマス・アンダーソン(キアヌ・リーヴス)。
20年ほど前にゲーム「マトリックス」三部作で世を席巻した名うてのクリエイターだ。
いまは新作「バイナリー」に取り組んでいるが、親会社のワーナー・ブラザースから「マトリックス」の「4」を作れとの命令が来た。
三部作を製作しているときは、ゲームの主人公ネオと同化し、現実と仮想空間がわからなくなっていたトーマス・アンダーソンだったが、ネオの活躍と殉死し、そして、トリニティ(キャリー=アン・モス)の愛の日々が現実のように蘇ってくる。
はたして、ネオは自分なのか、あの記憶は本物なのか・・・
といったところからはじまる物語で、巻頭しばらくはこのような疑問と不安が渦巻いており、アクション巨編を期待した観客を裏切ることは確実。
だが、SFファンからみると、この序盤がすこぶる面白い(演出はまだるっこしくて褒められないが)。
記憶と実際、現実と仮想、それはいずれも脳がそのように認識しているだけではないのか、という『マトリックス』1作目にあったSFテイストで彩られている。
トリニティと呼ばれていた女性は、この世界では「ティファニー」と呼ばれており、夫帯者で子供もいる主婦。
トーマス・アンダーソンがカフェで永年、観るだけの存在にすぎなかった。
しかし、ふたたびモーフィアスと名乗る男(ヤーヤ・アブドゥル=マティーン2世)が現れ、トーマス・アンダーソンを鏡の世界へと誘う。
現実の世界は、人間が蓄電池として扱われている世界。
だが、その世界で彼は一度死んだはずなのに、ふたたび蓄電池化されており、奇妙な電子生物を共同した人間たちに救出される・・・
ふーん、またまたそんな話なのね。
そんな話なので、前3作の焼き直し、総集編といった雰囲気で進んでいきます。
ただし、前3作でAIとの和解・平和的解決のためにネオもトリニティも死んだのだけれど、その世界を維持するために、ふたりの生体が必要だった、という設定はよくわからないし、その世界でAIと人間たちが闘っている様子もあまりない。
(あまり、と書いたのは、本当はあるのかもしれないが、そんな感じがしないから)
ふたりの生体が必要な理由を、たとえば、ふたりの脳がプログラムの一部を構成しているとかの理由付けは欲しかったところ。
(なんか言及していたようにも思えるが、すとんと納得できていないので、理由はなかった、と解している)
さて、人間蓄電池から解放されたネオ(=トーマス・アンダーソン)であるが、トリニティはまだ人間蓄電池のまま。
彼女を救出するのが次の活劇要素なのだが、人間蓄電池を放擲するかどうかはトリニティの意志にかかっている。
蓄電池のままでもいいという可能性もないわけではない。
そして、トリニティ救出作戦となるのだけれど、現実世界での作戦と「マトリックス(仮想世界)」での救出作戦とが並行して描かれていきますが、これがわからない。
どうして、仮想世界で戦う必要があるのか。
映画的な派手さを求めたから、ということなのかもしれないが、ストーリー的にはまるで合点がいかない。
その後の展開は、うわっ、ビックリ。
救世主はネオじゃなかった!
ラナ・ウォシャウスキー監督のジェンダーギャップに対するメッセージなのだろうが、伏線もなく、ちょっとねぇ。
まぁ伏線らしいといえば、ネオがいつまで経ってもキアヌ・リーヴスのままで、サングラスもかけないし、ぞろりとした黒服も着ないのが伏線といえば伏線。
映画的には大きく破綻しているのだけれど、その破綻具合も監督らしさが出ており、アクションの連続に終始した第2・3作(これで1本の続編だと思うが)よりは、面白く観れました。