DUNE デューン 砂の惑星のレビュー・感想・評価
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ダンカン、コノヤロー(涙)
本作はフランク・ハーバートのSF小説の映画版。かつて映画化されたようなのだが、その当時は
砂よりも小さい存在だったため、観たことはない。
小説は読んでいないが、おそらく人類が宇宙帝国を築いた未来を舞台に
出自が謎めいている不思議な力を持つ高貴な身分の青年ポールが
過酷な環境の中生き抜くために独自の生態・技術・信仰をもつ先住民との交流を通して
成長していく物語だと推察する。
この第一作の段階では謎や伏線がさしずめ劇中に出てくる砂虫(サンドワーム)のように張り巡らされていて、
今後どうなるのか砂嵐の中を歩いているように先が見えない。
しかし予知能力を持つ主人公が視た未来は大きく分けて2つ。
1つは先住民の少女に聖剣で刺され、赤い血を流し砂漠の中で息絶えるという未来。
もう一つは先住民と同じく青い目をもち、自らの一族を滅ぼした皇帝勢力の軍勢と戦い
移住前の領地であった青く緑豊かな惑星で勝鬨を上げている未来。
はたして主人公はどの未来に導かれるのか?
あるいはまた別の未来を切り開くのか?
本作で特にカッコよかったのは主人公ポールも敬愛する軍隊のリーダー的存在の「ダンカン」
彼の皇帝軍に対する無双感、そして命を賭してポールとその母ジェシカを守る男気に思わず感動してしまった。
まだ線の細い主人公ポールだが、願わくばダンカンのようにまっすぐに大切なものを護れる男気溢れるリーダーに成長してほしいと願ってやまない。
そして、この作品もまたこれまでの人類の歴史と現実社会への風刺が効いている。
まるで、デューンこと惑星アラキスに吹き荒れる金属をも切り裂く砂塵のように身を切らされる思いだ。
2022年 51本目
SWとは違う世界観なんだけど…
壮大だけど家族の物語
壮大な宇宙SF物を想像して前知識無しに見た。
西暦も1万年って言われちゃうと、もう人類ですら無くなってそうなのに、戦いの武器が剣ってぇ。
惑星の所有権争いと言ういかにも、な物語。
なのに描いているのは
家族を命をかけて守ろうとする父の愛や、
息子に生き抜く術を継承しようとする母の愛。
家族の物語だったりする。
そして運命に抗おうともがきつつ、受け入れて立ち上がる『本物』であろうとする息子の成長の物語。
このスケール感や手に汗握る展開は見応え十分。
やっぱり、特大のスクリーンで見ておくべきだった。
と深く後悔。
ティモシー・シャラメの美しさが際立っているのは言わずもがな。
砂漠に浮かび上がる彼の立ち姿の美しさと言ったら!
アクアマンのジェイソン・モモアの従順さと潔さが堪らなくカッコよかった。
ハビエル・バンデムの無駄遣い感が否めなかったが、次回からの展開が楽しみ。
って、これ、シリーズ化ですよね?
地球上のどこにこんなに美しい風景があるのだろう?
切り立つ崖に佇む墓地も
夕日をたたえる砂漠も
息を呑む美しさ。
もう一度言う。
大きなスクリーンで見たかった…
#DUNE
#DUNE砂の惑星
#ひかりTV配信視聴
#ティモシーシャラメ
まだ始まったばかり
原作は未読。リンチ版は観たけど理解できなかった。
というのも、やはりSFは時代の変化には耐えられない。CGからなにから、しょぼくて見るに堪えなくなるから。自分はスターウォーズのエピソード1世代なので、そこから観はじめて4-6も観て、慣れているので今再度観ても違和感はない。だけど、令和世代が昔のヨーダなんか見たら笑っちゃうだろう。
それと同じで、僕にとっては自分より過去のSFであるリンチ版は、内容うんぬんではなくそれが入ってこなかった。
そういう意味で、今回の再映像化は価値があったと思う。「メッセージ」のヴィルヌーヴにティモシー・シャラメである。美しい世界が描かれないはずがない。
内容としては、壮大な小説を切り取ってつくっているのだろうから、リンチ版とヴィルヌーヴ版を比較しても意味がないと思う。描かれ方は全然違ったので、同じ作品から着想を得た別の映画という印象。
ヒロインのゼンデイヤがラスト10分までちゃんと出てこないうえ、彼女は最後に「まだ始まったばかり」と一言言って終わる。まさにその通り。まだ始まったばかりである。
デジャブのようなSFアドベンチャー
SF映像は、壮大だが、もう慣れっこになった。ただビルヌーブの映像感覚は、独特のDUNEの世界観を描き出す。「ブレードランナー2049」などと似ていると言ってしまえば、それまでだが。個人的には、こういう雰囲気は悪くないし、宇宙の虚無感も表現されているように感じられる。
ストーリーは、皇帝に裏切られたアトレイデス家の物語で、スターウォーズのスカイウォーカー一族はそれになぞられる。何かデジャブを観ているかのような思いに駆られる。しかし、これだけ内容に酷似点があっても、演出次第で、全く違う雰囲気の作品になる。時代がどんなに変っても、人間の持つ業は変わらない。大宇宙を舞台に描かれる人間ドラマは、遠い未来とは思えない。
IMAXで観たかった
あんまりって意見もちらほら見かけてたけど、おもしろかった。後半若干だるかったけど寝えへんかったし。
世界観!
公開して時間が経ってたせいでIMAXで観れず。無念。
続編楽しみー。
part 1だったのね〜
夢と暗喩が見事に溶け合った異世界
言わずと知れたSF大河絵巻。悪名高いリンチ版は大人になってから再確認したが、やはり物足りなかった。誰か撮り直さないかな、と多くの人が思っていたはず。
夢と暗喩が見事に溶け合ったこの異世界の物語を、再び映画化した功績は大きい。本作の後では、リンチ版は存在意義がさらに微妙になった。
皇帝だの男爵だの、中世ヨーロッパ風味は好き嫌いあるだろうが、馴染みのある社会や生活をモチーフにしておかないと、説明だらけになって何を描いているか分からなくなるのはSFの宿命である。何だかそこが分かってない人が多い。
60年代古典SFベースの空想美術・空想テクノロジーを指差してあれこれ言う人も多いようだが、これも意味が無い。80年代リンチ版とは違った、静寂感に満ちた独特の雰囲気をしっかり出せた演出は流石というべき。
音楽はもっと尖っても良いのではと思ったけど、ハンス・ジマーだったのか。
これは異世界の空想絵巻と豪華キャストを楽しむ映画。そういう意味では舞台設定や展開もよくよく考えてあり、星5つ級のSF。色々詰め込んでスイスイ展開して駆け足感のある映画にせず、2作に分けたのは賢明。パート2の前にもう一度観たい。
ブレードランナーに続いて、難題に挑んだドゥニ・ビルヌーブ監督。パート2も頑張って欲しい。
あこぎで狡猾なハルコネン家VSかわいそうなアトレイディス家
デイビッド・リンチ版を見た人はみな見ているはずの「DUNE砂の惑星」
父は、身内に裏切られて、ハルコネンの手に落ちる。
母は、息子の教育中。
砂の惑星には、秘密がいっぱい。
ハルコネンがやったこと。できなかったこと。
皇帝のたくらみ。
デビッドリンチ版の方が、私は好きだ。
カオス感は、むこうのほうがある。
しかし、今回改めて本作を見て、納得した部分も多いので、高評価です。
SF大作の原点
原作はアメリカの作家フランク・ハーバートによるSF小説シリーズ。
ホドロフスキーもリンチも納得のいかない結果となった劇場映画をドゥニ・ヴィルヌーヴが監督した。
「灼熱の魂」「ボーダーライン」などの傑作もさることながら、リドリー・スコットの名作「ブレード・ランナー」の続編をまかされた実力派。もちろん出来栄えは言うに及ばず素晴らしい作品だった。
今作でドゥニ・ヴィルヌーヴは監督のほかにも製作と脚本にクレジットされている。
この、「物語の複雑さ重厚さにより映像化が困難な小説」とされている作品を、二部作にまとめたうえで第1弾では原作の前半部分をほぼ網羅できている、という点からもドゥニ・ヴィルヌーヴの実力がいかに凄いかがうかがえる。
あらためて、映像が素晴らしいのは言うまでもない。
そして、ジョージ・ルーカスも宮崎駿も、まさにこれを描きたかったんだな、ということが痛感出来る映像作品だった。
第二部が楽しみだ。
ヴィルヌーヴの大作
納得のいく映像作り
原作小説の映像化ということもあり、ストーリー(プロット)面では疑問を浮かべたくなるような箇所もある。(特に政局面)
しかし映像作りにおいては、美術、衣装、セット、舞台、ロケーションがこだわり抜かれていた。
CGが気になる部分はあったものの、兵士が浮遊しながら降下する場面などは素晴らしかった。
物体をどれぐらいのスピードで移動させるか。ゆったり感。無駄な音楽を廃し、物体の移動だけに視線を集中させる。そのような間の取り方は素晴らしく、『ブレードランナー2049』を継承しながらもさらに発展させた映像づくりになっていたと思う。
アカデミー賞予想
有力:視覚効果、美術、衣装
ノミネート:作曲、撮影
ノミネート可能性もあり:監督、作品
続編ありきでの製作とはいえ、単体の映画としてラストが弱かった(迫力に欠けるものだった)。
とはいえ主人公にとって倫理的に重要な出来事だったのだろう。(主人公の成長)
母・息子の関係性がどう発展していくか、続編では注視したい。
ヴィルヌーヴは「母」というものを重視する監督だ。
主人公が父・部下・仲間を失い、裕福な立場から何にも守られない孤独な放浪者となる様が丁寧に描かれていた。
追い詰められていく悲劇性はよかっただろう。
今作においては映像作り面での素晴らしさが際立った。
『ロード・オブ・ザ・リング』に類する大作だと言えるだろう。
大作ではあるが、典型的ハリウッド大作(派手で、豪華で、轟音で、興奮する、エキサイティングな大作)とはまた異なる大作の形として、『ロード・オブ・ザ・リング』の系譜に加わった。(リドリー・スコット的かも知れない)
『ロード・オブ・ザ・リング』3部作の前例同様、完結編を待っての大量受賞もありえる。そのため1作目での受賞は抑えられるかもしれない。
メンヘラホイホイ
ティモシー・シャラメ目当てで観に来たメンヘラ女共の脳みそを秒で粉砕するという事で現在進行形で名を馳せ回っているこの作品。
これは役者がどう、映像がどう、アクションがどうとかいうそれぞれの枕詞の前にDUNE/砂の惑星というバックボーンがどれだけ己の中にインプットされているか、これが最重要項目となってくる。
予備知識、思い入れがなければ何の事はなく箸にも棒にもかからないままストーリーは淡々と進んでいってしまい、振り返って微かに見える自分の姿はただただ呆気に取られて呆然と立ち尽くしているのだ。
ただ、決してストーリー自体は難解という訳でもないので是非ともスタートダッシュで諦めないで頂きたい、寧ろあくまで今回は序章にすぎないのでしっかり抑える所を抑えてもらって次回作に臨んで頂きたい(自分はそのつもり)。
そして次回作では何としてでも明るい所でサンドワームが観たいものである(切実)。
しっかりとした予備知識がなかった自分の責任で星2つ。
★★☆☆☆
今さら感タップリの2時間半
まあ、観る前から充分わかってはいたが、ホント今さら感タップリの2時間半であった。
ノーランが絶賛していた特撮以外は何の目的も無かったのだが、その特撮も言うほどでも無く。
そうなると、もうスペースオペラ特有のツッコミどころにも惰性で付き合うしかなく、もうプロレスの如くツッコミ自体がナンセンスなジャンルなのだと諦め、スルーして観ていたが、もう後半は久々にアクビ混じりの溜息の連続だった。
ハンス・ジマーの音楽も、いい加減もう聞き飽きたとスタッフ陣から誰も意見は出なかったのだろうか?
そもそも、この作品は、その舞台設定やストーリー展開からして、10話ほどの連続ドラマにでもしなきゃ無理な話だ。
後編があるにせよ、劇場版でストーリーを収めること自体が無理筋なのだ。
案の定、そもそもの基本設定が説明不足となって、まるで「当然みなさん原作を読んでるよね?」とでも言わんばかりにプロットを進めていた。
SF好きを除いて、殆どの人が「ベネ・ゲセリット」って何よ?と思ったに違いない。
遥か昔にスターウォーズやらナウシカを観てしまっている以上、今さら面白味を感じること自体も無理があるが、元ネタの真打登場として、敢えてやる以上は、やはり元ネタとしての最大の強みである独特の世界観の基本設定、これに関しては「ウチが元祖やねん!」とでも言わんばかりにオリジンを感じさせるような、しかも誰でも「なるほど」と理解できるような説明をわかりやすく上手く(説明臭くならないよう)織り込むべきだったのだが。
そこは、まさに脚本家の腕の見せ所でもあったのだが、3人揃っても文殊の知恵は出せなかったようだ。まあアノ3人じゃ無理か。
ただ実際、あの基本設定を上手く明瞭にわかりやすくストーリーテリングに反映(権謀術数も本格派プロットで)出来ていたとしても、原作に忠実なだけでは、娯楽映画としての斬新な面白味は欠けていたと思う。
そういう点では、ハイブリッドに黒澤明からのネタをスターウォーズに導入したルーカスという人は、本当にアイデアが冴えていたと思う。
まあ所詮、ヴィルヌーヴには過度な期待は酷というものだが、せめてキャメラは期待されていたとおり、ロジャー・ディーキンスにしておいてくれてたら、ベタな物語の方は思考停止しても、純粋に映像だけで堪能できたかもしれない。
後編の方を観る気は殆ど無いが、撮影をディーキンスが担当することになれば、ちょっとは気が変わるかもしれない。
とまあ、暇つぶしにしかならない映画であったが、シャーロット・ランプリングが健在だったのは嬉しかった。
それにしても「ベネ・ゲセリット」相当重要なのだが、神秘主義的な教育機関(超人的な救世主を生み出すため、権力者に取り入り、何世代にも渡って婚姻と遺伝も操ってきた)なのだと何故もっとわかり易くしなかったのか?
ランプリングの出番をもっと多くして、
この権謀術数な話も描いていれば、荒唐無稽なストーリーでも少しは原作独自のリアリティも出て、背景も随分とわかり易くなったはずだ。この手抜きは本当に有り得ない。
ポウルがフレメンに受け入れられたのも、本来の筋では、ベネ・ゲセリットが古くからアラキスに予言者伝説を伝えていたからだ。
というか、そもそもAIの反乱を鎮圧した後に人類が特異な精神世界(だからこそメランジなるスパイスが重要)によって作り上げたオルタナティブな文明(なぜか中世的)であることを説明しなかったのは本当に致命的だ。
AIが危険なテクノロジーだという背景を抜きにアノ世界観を描いてしまうなど、もう本当どうしようもない程バカな連中だ。
ヴィルヌーヴは『メッセージ』でも肝となるフェルマーの原理(別に難解でも無い)をバッサリと省略していたが、大衆向け娯楽映画として成立してしまえば、本来は重要な要素でもアッサリ省略して良いなど絶対に有り得ない。
特にSFという原作者の空想で構成された世界であれば尚更のことだ。
取捨選択のポイントが何処にあるのか?
まるでわかってない本当にダメな奴だ。
しかし、こんな映画に高評価なんて本当に悪い冗談にしか思えない。
日本の映画メディアもどうかしてるが、辛口サイトらしいRotten Tomatoesが、10点満点中8点って… カレー屋で甘々のケーキなんぞ、ホントどうかしてる!
砂丘マニア
とらえきれないほど広い映画。と同時に、世界観の奇想と、その奇に呑まれない完成度。
リンチ版のときでさえ思ったがDuneは世の「映画化不可能と言われた」を笑い飛ばすことができる。
『6年間の調査と執筆の末、『デューン 砂の惑星』は1965年に完成した。当時としては長大なSF小説であったため、1963年と1965年の2回にわけてアナログ誌に連載された。そして、最終的に出版にこぎつけるまでに約12の出版社に拒絶された。』
(原作者フランクハーバートのウィキペディアより)
原作を読んだことがないが、だいたいにおいて、よくこんなもの(肯定的驚嘆)を映画にしたと思う。艦でも邸でもサイズからして、現実であつかうものの100倍はある。他のSFとの比較でさえ10倍はある(ように思える)。そんなチェルノブイリの石棺のような艦が星間移動するスペースオペラ的な要素に加え、砂漠の生態の描写、宗教と政治、複雑な人間模様とサバイバル・・・。
戦後世代ではないし、もはや戦後でもないが、率直に言って、よくもまあこんな映画をつくる国と戦争をやったもんだ──と思った。
選ばれた王子の話。
シャラメ、ファーガソン、アイザック、モモア、味方に全員きれいな役者を充て、敵軍は怖面だらけなのが特長的。リンチ版同様にハルコンネンがどれほど醜悪で無慈悲かを描写していた。
細部がある。
汗や涙をリサイクルして飲料にするスーツ。翼が回らずに羽ばたくヘリ。白兵戦闘時にタイムラプスになる装置。フックを照射しバルーンを膨らませスパイスハーベスターを空輸する艇。規則的なパルスに引き寄せられるワーム・・・。
安価なSFには、なんとなく未来っぽいから──という理由によって、意味や理屈をともなわないデザイン、というものが必ずある。
たとえば、近未来に設定された映像作品の舞台として(パイプなどがむきだしの)廃工場をつかうことがよくある。なぜだろう?つくり手はそれをせつめいできるだろうか。
未来世界のツールや被服のデザインにはラギッド(ぎざぎざした・武骨な)な突起がある。何のための突起だろう?デザイナーはそれをせつめいできるだろうか。
人間社会では、説明しうる機能によって、もののかたちが決まる。未来もファンタジーもおなじことだ。だから「なぜそうなっているのか」をせつめいできない創作物は、うさんくさい。
(たとえば)プペルがうさんくさいのは、なぜかれらがそうなのか、せつめいできないから。なぜ外国名?なぜハロウィン?なぜ星があるってだけで異端に?すべてが、それっぽいデザイン、それらしい物語──だけでつくられている。
『(中略)この小説の元となったのはオレゴン州フローレンスにある砂丘に関して雑誌の記事を書こうとしたことだと述懐した。しかし、彼は砂丘にのめりこみすぎて単なる記事には十分すぎる材料を集めてしまった。その記事は書かれることはなく、《デューン》シリーズの元となったのである。』
(原作者フランクハーバートのウィキペディアより)
Duneはいわば砂丘のマニアが書いたSF小説だった。
トビネズミが耳からしたたる水滴を呑むシーンがある。きっとDuneはそんな観察の積み重ねによって書かれたにちがいない。その厖大な細部が映画に宿っていた。人間が水のない砂漠でどうやって生きるか──からはじまりAxisとAlliesの全面戦争へ変遷する。が、映画は母子を主軸に描かれている。長大な原作のいちぶではあろうが、エッセンスを汲んでいた。
線が細いイメージだったシャラメがたくましさを見せた。また、決死の立ち回りで主君を逃す──モモアがいい役どころで男を上げていた。
描写が足りないと思わせる登場人物も少なくないが、おそらく原作の読者にとっては、叙事詩を一枚の絵にまとめた──ようなものにちがいない。むしろよくまとめたと思う。
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