「⊃∩∩∩∈ ダメ」DUNE デューン 砂の惑星 かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
⊃∩∩∩∈ ダメ
第一印象はとにかく地味…
『ブレードランナー2049』の興行的な失敗が原因だろうか。今までのフィルモグラフィーでかいまみれた玄人好みの作家性はみごとに封印されている。封切り1週目にもかかわらず館内の観客もまばら、日本における興行もおそらく地味な結果に終わるだろう。しかし欧米における成績は上々らしく、続編以降のgoサインが出るのも時間の問題だとか。映画の内容よりも継続の可能性が注目を集めている1本だ。
興行と批評ともにボロクソな結果に終わったデヴィッド・リンチ版(1984年)とどこがどう違っているのかというと…イスラム精神世界からインスピレーションを受けているフランク・ハーバードによる原作は、全てを網羅すると必然あらすじを追うだけの作品となり、幾多の巨匠がチャレンジしては敗退してきた難物らしい。今作では、恒星間移動描写のパートがバッサリカットされ、石油のメタファーとも言われているエネルギー源“スパイス”にかけた比重もかなり削られている。
その代わり、皇帝に“惑星デューン”の統治を任されたアトレイデス家と砂漠の民フレメンとの同盟の方に力点が移されていて、何やら米軍撤退後のアフガニスタンを匂わせる雰囲気を気のせいか感じたのである。宿敵ハルコネンの急襲により父を喪った後継者ポール(ティモシー・シャラメ)と母親ジェシカ(レベッカ“巨乳”ファーガソン)の逃飛行にかなりのボリュームを割いており、ヴィルヌーヴ作品では定番となっている母性の象徴役をファーガソンに担わせているのである。
全精力をつぎこんだ前作“ブレードランナー2049”の興行的な失敗により、相当な精神的ダメージを受けたと思われるヴィルヌーヴは、お得意の古典芸術からの引用を今回ほとんど封印し、誰にでもわかるポピュリズム路線に切り替えて本作を送り出した。それがテンポラリーなものなのか、あるいはこれからもずっと続くかのかは分からないが、まずは自分の首を繋ぐため今作で保身に走ったのは事実だろう。
ライバルであるクリストファー・ノーランの『TENET』を見た後だけに非常に物足りなさを感じる本作、多くのヴィルヌーヴ・ファンの期待をも裏切ってしまったことを監督には心に留めおいてほしいのである。本作が転んだ時の保健として、主人公ポールの未来夢という形で次回作以降の予告編まで本編で見せていたが、巨匠と呼ばれるふさわしい才人にとってそんな小細工は正直いって不要、いま持てる能力の全てを出し切ってほしかったのであるが…