「古典小説の映画化、という難問」DUNE デューン 砂の惑星 エカシムロさんの映画レビュー(感想・評価)
古典小説の映画化、という難問
まだ自分の中で評価の答えが見つからない。いまや時代を代表するスター監督となったヴィルヌーヴ(さながらリドリー・スコットの後継者といったところか)、ここ数年続いたSF映画路線の集大成として挑んだのが本作だろう。何気なく観てしまった『灼熱の魂』で目眩がするほどの衝撃を受け、以来ずっと作品を追ってきた身としてはもちろん待ちに待った最新作の公開である。
ただ今、本作を見終わった感想を言えば、「期待を超えてこなかった」というのが正直なところかもしれない。いや、確かに自分の中で凄まじく高い期待のハードルを設定していたことは否めないし、映像から漂う「映画としての格調高さ」は間違いなく第一級のそれだ。SF・ファンタジー映画においては「その世界の存在を観客が信じられるか」が極めて重要だが、我々の生きる現代の未来の世界というにはいささかファンタジー要素が強めなDUNEの世界に重厚な存在感を与えている。この辺りはもはや匠の技だ。ただ、やはりというかどうしてもというか、映像だけなのである。
原作が書かれてからは既に60年近くが経ち、DUNEの影響を受け創作され、さらにそれらに影響されて創作され、さらに…と何世代も経た作品群を我々は知っている。故にストーリーそのものは(リンチ版のダイジェスト映像?で既に知っている話だというのも大きいだろうが)かなり古臭く感じてしまった。そしていくら前後編にしたとはいえ、皇帝親衛隊の参戦などやはり描写不足で展開が性急に感じた部分も多い。
俳優の人種バランスや男女が入れ替わったキャラクターなどを見れば製作陣の腐心はそこかしこに感じるが、雑に纏めてしまえばこの話は最初から地位も才能も持って産まれた白人美青年の貴種流離譚で、同時に救世主の誕生譚という一神教的な世界観。そしてこの後の第2部で描かれる展開は言ってしまえば典型的な“白人酋長もの”の話だ。この2020年代に作られる映画としては、あまりにもカビ臭い話ではないだろうか。
無論そんなことに気付かないヴィルヌーヴではないだろうから、第2部でも展開をそのままに映像化するとは思えない。第1部を見る限りは、実はポールではなく妹アリアこそが真の“クウィサッツ・ハデラック”である、というような布石を感じたのだが、それはいささか単純過ぎる予想だろうか?
結局、こう書いてみると私の本作へのわだかまりはいずれも原作に起因するものなのだろう。もう一度IMAX版で観れば自分の中の評価も変わるかもしれない…いやあるいは、あのリンチ版でのグロテスクな宇宙ギルドのミュータントが出てこなかったことが最大の不満、かも…(笑)