モロッコ、彼女たちの朝のレビュー・感想・評価
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アダム、よかったね
どんなに強い女性でも、自分のことになると、冷静にはなれないんだろうな。
周りの人の観察や、人の心の痛みには敏感なのに、自分は心を閉ざすんだ。
いや、閉ざした訳じゃない。聞く耳を持たなかった人に、諦めてしまったのかもしれない。
素直に助けを求めたくても、それを許さない社会に阻まれてしまう。
それでも、彼女の器用さが、彼女を助けてくれた。こともの頃に教わった、祖母からの贈り物が。
それにしてもなんという暴露療法。
喪が終えていない心に、しっかり寄り添って、本人の力を引き出す強さ。
覚悟がなければできないこと。
言葉も短く、説明もないまま日常が進んでいくけれど、日常のカケラから見えてくる心の機微の描写が秀逸。
この映画が、アダムによってつくられたのでは?と、それからの2人に思いを馳せる余韻が心地よい映画です!
今年の記憶に残る一本になるでしょう
早くから観ようと思ってはいましたが上映時刻が合わない等の理由で今日になってしまいました。
・監督のマリヤム・トゥザニの表現力に感心しました。主人公の女性二人を戦わせます。あ互いに、逃げてどうするのだという激励の応酬です。言葉が過剰でなく、最小限にして足りないところは表情で補います。素晴らしい演技ですが、当然監督の要求に応えてのことです。特にパン屋の主人を演じるルブナ・アザバルがいいですね。先ほど書きましたが表情が言葉以上のものを語っているんです。
・男社会のなかで生きることの大変さを表現しているのですが、泣き寝入りせず、希望をもって少しずつでも前向きに生きようとさせます。程度の差こそあれ、同じような境遇にいる人たちへの励ましのメッセージであり、見ぬふりをしている男たちへの批判的メッセージでもあります。
・赤ちゃんは可愛いですね。赤ちゃんは何の演技もしませんが、何分カメラを回しても飽きません。アダムと名付けますが、希望の象徴ですね。
・ナイフとフォークを何度も何度も並べなおす場面があります。既存の規律や制度を表しているのでしょう。従順にしたがって生きることを暗黙のうちに強要されている社会的現実を表現していることは容易に理解できます。
・最後は、出産したもう一人の主人公がパン屋の母子を残してひっそり去っていく場面で終わります。エンディングはどうなるのだろうかと考えていましたが、ある意味、あっけない終わり方です。この監督は厳しいなあと思いました。答えを与えてくれません。ここから先は観た人が自分で考えなさいよということでしょう。
いったい、いつの時代? 懐かしいラジカセと まさかの洗濯板! パン...
いったい、いつの時代?
懐かしいラジカセと
まさかの洗濯板!
パンが主食だから共同釜があるんですね
何気ない普通の生活の様子を
興味深く鑑賞
終盤、サミアの生まれたばかりの
我が子に対する葛藤のシーンは
苦しくて胸が熱くなった
別れる決心が揺らぐから
初めは触れることさえ避けていたけれど
赤ちゃんの泣き声にたまらなくなり
母子の至福の時を受け入れる
さて、この先の彼女の決断は?
やはり、子どもの幸せを願って養子に出したのか?
パン、旨そー
女性の地位が低いイスラム社会の映画だが、時代背景はいつなのだろう。
携帯電話もなさそうだし、テレビのリモコンも古そうなので、1990年台前後なのかな。
結末は妻と自分は全然違った、色々な解釈があると思う。
一番、気になったのは恥ずかしながら、映画中に出てくるパン「ルジザ」
自分で作ろうと思い、クックパッドでレシピを調べた位、札幌では売っていないし、美味しそうだった。
#76 モロッコのパンが食べたくなった
日本にはほ全く情報がないモロッコの話なので、未婚の母の社会的立場とか、オーブンがない家用に共同の焼き窯があることとか、イスラム教の國でも意外に女性の露出度が高いこととか、色々知れて為になった。
特にパンの種類が多くて美味しそうで、めっちゃ食べてみたくなった。
日本では買えそうにないので自分で作ってみようっと。
パンの話だけでなく、女性の自立を描いた作品として観ても秀悦な作品。
TOHOシネマズ日本橋では1日一回しか上映されないから、三連休は連日満席でしたよ(座席がひとつ跳びの半分しかないせいもいるけど)。
もっと多くの映画館で上映して欲しいな。
もどかしい
困っている人への接し方ってとても難しい。
彼女の為なんておこがましい思いでいるのも違う、じゃあなんで手を差し伸べるのか?
そんな微妙な距離感をもどかしく感じながら、わずかな時間に起きる不思議な関係性に嬉しくなったり悲しくなったりした。
どんな現実をも受け入れる強さを目の当たりにし、そんな強くなくて良いのにと微妙な気持ちになる私は平和すぎるのだろうか。
じわじわーと来る
目は口ほどにものを言う、とよく言うが主人公アブラを演じた女優は、まさしくそれだった。
ことに映画冒頭、店前で野宿するサミアの様子がなんとなく気にかかるアブラは、サミアを一泊させるがその後 出て行ってと申し渡す。けれどサミアが出て行った後 自分のおこないは正しかったのか、留め置くべきだったのかと逡巡する様子は秀逸であった。ラ・ラトゥールのマグタラのマリアの絵を思い出した。まさしくあの時のアブラは、悩めるマリアそのものだった。その圧倒的な存在感、説明は一切無いのに心の細かな機微が手にとる様にわかった。
事故死した夫とちゃんとお別れしていないと感じているアブラは、いつも眉間に皺寄せ、笑う事すら忘れた様にあらゆる楽しみを封じ 娘にもやや厳しく生活している。
そんなアブラに サミアが哀愁あるアラブ音楽を流しながら「もっと優しくこねるのよ」と共にパン種をこねるシーンは艶かしく、アブラの心を解き放ち、その後のアブラに変化が生じ、自然に笑い、身なりにも気を使う。
そして映画の最後は、男の子を出産した後の、2日間のサミアの気持ちの変化とサミアの表情を丹念に描き、結末は観客に委ねている。
このモロッコ映画は、静謐だけど圧倒的な「生」だと感じた。大袈裟な事柄は無く、まるで藤沢周平の世界の 市井の人たちがモロッコに居たと思えた。
アラブ音楽は耳に心地よく、食べてみたいルジザ、行ってみたいモロッコ。
珠玉の映画だと思う。
生活を楽しむ
外国どころか、隣の県でさえ行けない今日この頃、遥か彼方のモロッコの街を見られたのが、うれしい。あーどこかへ旅したいっ。
臨月の妊婦サウラが、荷物一つ持って、街を歩く。泊まるところと仕事を探しまわる。でも、みんな冷たい。誰も彼女を顧みない。お腹の子供がどうなっても、誰も何も感じないのだろうか。一体、彼女はどれくらいさまよっていたのか、すごい不安だっただろうな。この物語は今より少し前の時代かな、と思うが、どうなのだろう。できたらモロッコの社会が、もっと柔らかくなっていて欲しい。
未亡人アブラは感情を抑えて生きている。娘のワルダを「きちんと」育てることと、仕事をこなすことだけで、自分のことは後回し。好きだった歌手の曲も聴かない。楽しむことを禁じているみたい。
そんな2人が互いに助け合い、影響しあう。サウラは生来、音楽を聴いたり、踊ったり、着飾ったりするのが好きそう。パンをおいしく作ろうとか、ワルダとじゃれあったりとか、生活を楽しもうとしている感じ。今は身重なのが枷ではあるが、産んで身軽になれば、何とかなると考えている。規制の強い世の中で、自分にとっても、こどもにとっても、養子に出して、別れて暮らすのがベストだと自分に言い聞かせている。
そして、とうとうお腹の中が空になる日が来た。十月十日育ててきた、生身の赤ん坊がサウラの目の前に現れた。産む前はクールでいられたのに、急に動揺してしまう。顔を見ない、抱かない、乳をあげない、がんばって抵抗する。ここで、もしかして赤ん坊を殺しちゃうんじゃ、と不安になった。でも、やっぱり母性が勝った。よかった。そして、子供に名前をつけて、未婚の母として生きる覚悟をしたんだろう。サウラとアダムの未来に幸あれ。きっと楽しいこと、たくさんあるよ。
アブラも笑顔が出るようになり、化粧したり髪型変えたり、柔らかくなった。これからは人生を前向きに楽しめると思う。こちらも良かった。
作中で作られるパンがすごくおいしそう。バターや油をたくさん使っているので、カロリー高いだろうが、おいしさは間違いないんじゃ? あの細くよってくるくる巻いて、少し押しつぶして焼くパン、食べてみたいな。
不運に見舞われた過去に対する無慈悲が拭いされない世界で慎ましやかに暮らす女性の生き様に寄り添う力強い作品
カサブランカの街を仕事と宿を求めて彷徨い歩く身重のサミア。元美容師だが臨月のお腹を抱えて住む家もない身ではどこを訪ねても門前払い。パン屋を営むアブラもサミアを追い払うが一人娘のワルダにせがまれたこともあって仕方なく家に招き入れる。天真爛漫な少女のワルダはすぐにサミアに懐くがアブラはサミアに心を開こうとせずぎこちない共同生活を続けていたある日、せめてもの恩返しにとサミアが作ったモロッコ伝統のパンケーキ、ルジザを店で出してみたところ常連客の間で評判になり慎ましい生活にささやかな光が差し込むが・・・。
舞台となっているのはほぼアブラの家の中だけ。ポスタービジュアルに滲んでいるような明るさもほとんど映らない。直接描かれないものの彼女達の周りにあるのはイスラム教世界に漂う無慈悲。シングルマザーのアブラもこれから未婚の母になろうとするサミアもそれがどうにもならないことを知っているからこそ子供達が自分よりも幸福になることを何よりも願っている。それゆえにサミアは頑なにある決意にしがみつく様がどうしようになく痛々しいです。マリヤム・トゥザニ監督は家族で未婚の妊婦の世話をした思い出を元に本作を撮ったとのこと。誰にも語れない過去を持つサミアに無邪気に絡みこれから生まれてくる赤ちゃんに興味津々のワルダの姿は当時の監督自身の気持ちがしっかり滲んでいるように見えました。凄惨な描写もない地味なドラマですがそこに漂う不穏な空気がしっかりと捉えられた力強い作品です。
【"いつか、素晴らしい朝が彼女達に訪れますように・・。"男性優位のイスラム教国で、二人の女性がお互いに支え合い、必死に生きる姿を描いた作品。】
ー 今作は、日本で劇場公開される初のモロッコ映画だそうである。
男性優位のイスラム教国で生きる女性達の姿と、豊かな生活文化が描かれており、メディアからは伝えられないモロッコ女性の優しさ、逞しさ、抱える悲しみに耐える姿が印象的な作品だ。ー
□北アフリカ、モロッコの最大都市カサブランカが舞台。
旧市街を彷徨う、訳アリ妊婦のサミアを寡婦のアブラが渋々、自宅に招き入れる。
モロッコでは、未婚の母は認められておらず、匿った人間も罰せられる虞が有るにも関わらず・・。
アブラは小さなパン屋を女手一つで営み、幼き娘ワルダと暮らしていたが、サミアが”お礼に・・”と作ったパン、ルジザ(モロッコの伝統的なパンケーキ)が思わぬ評判を取る。
サミアはアブラ親娘と交流を深め、到頭、出産の日が訪れる・・。
◆感想
・サミアの働かせて欲しいという懇願をアブラは素っ気なく断るが、身重のサミアが店の前で眠る姿を観て、一晩だけ、と家に招くシーン。
- 実は、心優しい女性ナンだね。-
・アブラの表情には終始、笑顔がない。上記の社会構造が原因かと、思っていたが・・。
- サミアに対し、
"夫が事故で亡くなった際に、触れる事も匂いを嗅ぐ事も出来なかった。"
と、涙を流すアブラの姿。モロッコの冠婚葬祭の決まりなのかなあ・・。-
・サミアと明るいワルダは直ぐに打ち解け、サミアが作るルジザが人気で店は繁盛する。アブラも久しぶりにアイラインを引き、服装も華やかになる。
- 悲しき出来事を忘れた訳ではないが、少しずつでも、前を向いて行かないとね。-
・そんな中、サミアは出産。だが、名前も付けず、涙を流すサミア。
"自分と一緒だと、この子は幸せになれない。養子に出す。"
- モロッコの社会規範が伺える。産まれて来た子には、罪はないのに。-
・だが、幼子の可愛らしい顔を見て、サミアの心は徐々に変化して行く。
乳を飲ませ、小さな手、足の指を愛おしそうに触る姿。
ー 母が苦労して産んだ幼子に乳を与える姿は、とても美しいものである、と私は思っている。ー
<モロッコに於ける女性の地位は、国際社会の中では低いのであろう。
だが、何時の日にか、サミアとアダムと名付けられた幼子とアブラとワルダが笑顔で再会して、皆で美味しいパンを朝食で食べる姿を見たいなあ、と思った作品。
淡い光や、陰影により、サミアとアブラの心情を表現したかのような映像も印象的な作品である。>
子供に名前を付けることの重みと覚悟
パン屋を営み女手一人で娘を育てるアブラは、身重で行く当てのないサミアに一夜の寝床を貸す。
色々葛藤もありながら、そこから物語は展開します。
最後は、アブラもサミアも良い方向に展開する(ことを予感させる)。
映画を見る人も、何が大切なのかを教えられる。
登場人物はほぼ4人。セリフも極めて少ない。西洋の古典的絵画のような静かで落ち着いた映像の中で物語は展開していきます。
印象的なのは、アブラの娘ワルダの子供らしい可愛らしさと、もうひとつ・・・
「子供に名前を付けることの重みと覚悟」です。
上質な映画でした。
二人の女性が手を差し伸べ合うヒューマンドラマ
仏教の最古の経典のひとつとされる「ブッダのことば スッタニパータ」(中村元訳、岩波文庫)の中に「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執著するもとのものである。執著するもとのもののない人は、憂うることがない」と書かれている。
本作品の臨月に近い妊婦サミアは、そのことを本能的に知っていたのだろう。名前をつければ即ち自分の子となり、乳をあげれば即ち母となる。そして離れ難い愛著が生じる。産んですぐに養子に出せば、愛著が生じる前に別離ができる。産んだ子の存在を忘れ、産んだこと自体も忘れ去れば、安楽な日々が待っているだろう。
一方、サミアを泊めてくれているアブラは、事故で亡くなった夫の面影を忘れることができず、悲しみから抜け出せずにいる。サミアはそのことを敏感に感じ取り、夫の楽しかった思い出の歌を無理やりアブラに聞かせ、夫の悲しい思い出を楽しい思い出に塗り替えることで、愛著から脱して未来に向かわせようとする。
しかし死んだ夫の思い出と生れたばかりの赤ん坊に対する愛著は別のものである。無垢で弱くて親だけが頼りの赤ん坊は、母親にとって狂おしいほど愛しい存在だ。抱えて乳をあげれば生命の絆に至福の喜びを感じる。そうなると、もう離れることなどできない。サミアは母の本能を意思の力で押さえつけることができると信じていたようだ。
アブラはサミアよりも年上で、世の中を知っている。赤ん坊を人買いに売れば、数年後には性的なおもちゃにされて商売道具になることが目に見えている。そんなことは絶対に駄目だと、今度はアブラがサミアを諭す。アブラはもともと、妊婦が街角で顫えているのを放っておけない温かい心の持ち主なのだ。
本作品は二人の女性が互いの苦しみを理解し合い、手を差し伸べ合うヒューマンドラマである。モロッコ映画を観た記憶があまりないが、本作品は人間愛に満ちた優しい映画だと思う。
現実では、産んだばかりの子供を母親がゴミ箱に捨てたという事件は世界中で起きている。育てるのが経済的に無理か、男と過ごすのに赤ん坊は邪魔というのが理由の大半だ。名前をつけたり乳をあげたりする前に捨てているのだろう。
カサブランカの街の様子は、ハンフリー・ボガートとイングリッド・バーグマンの映画とは随分違って見えた。北京の胡同みたいに路地が入り組んでいる。藤田ニコルによく似た子役が可愛い。小麦粉の件は解決を見なかったがどうなったのだろうか。
原題は「Adam」である。サミアは最初から赤ん坊を人買いに売り渡す気はなかったようだ。
決意と絆
過去に旦那を亡くし、心を閉ざしながら生きるアブラ。そんな彼女のもとに、妊婦だが夫のいないサミアが導かれ、お互いに抱える問題に向き合っていく物語。
内なる優しさはひしひしと感じるものの、それを表現せず、サミアを心から受け入れている様子は無いアブラ。
そんな彼女に戸惑いつつ、妊婦であっても何か役にたとうと動き出すサミア。
そんな2人が少しずつ、しかし確実に心を通わせていく様が美しい。
モロッコでの独り身の女性の生きづらさや産まれてくる子どものこれからの話等、色々と考えさせられる。
それでも、本作でワタクシが深く惚れ込んだ要素は、やっぱりアブラ!
表情1つで強さと寂しさの相反する人格を表現する様は見事!!かと思えば、スリマニの思いに戸惑ったりする様はとても可愛らしい。
イメージに反して比較的あっさりとサミアを家に入れたのも、哀しい経験や独りの女性の生き辛さを知ってたからなのかな。
後半はサミアの物語。自身の状況から、産まれてくる子どもをどうするか・・・。辛い現実に直面しつつも、彼女が下した決断は・・・!?
サミアの物語も良かったけど、個人的にはアブラ1本に焦点を当てたストーリーも見てみたかったかな。妊婦を助けることで心を取り戻した女性が、新たな幸せを見つけるとか・・・ベタですが。
あと、最初は絶対にヤバいやつだと思ったスリマニが、見れば見るほど愛らしい(笑)
序盤のサミアには、立場わかってるの!?・・・とツッコミを入れてしまったが、登場人物皆の素晴らしい演技に魅了された、思いがけない名作だった。
BGMも殆どない静かな中、表情で客席の感受性を揺さぶる業の数々に脱帽です。
ただ、ひとつだけ分からなかったのは、家の前で泥棒だどうだとガチ喧嘩してるのを皆で仲良く並んで笑って見てたが・・・あれ笑うとこなの(笑)??
ムスリム圏の女達よ、手をつないで、と思った。
夫を亡くしたシングルマザーと父のいない子を産もうとする出産間近の女性、両方とも生き難いモロッコで出会ってしまう。シングルマザーの見捨てておけない人間的な優しさと、しっかり自分の足で立ち自分でどうにかしようと挑む妊婦の両方に共感してしまった。
頑なに生きるシングルマザーと(多分)生き方に柔軟な妊婦が共に生活していく中で互いに影響し合っていく。
出産した後は里子に出すと言う、柔軟だけど社会にあらがいきれない妊婦に、頑なで柔軟性がないように見えたシングルマザーが、後悔する別れだけはするなと説得する。最後はハッキリとした結論が描かれないまま終わる。
ムスリム圏ではまだまだ社会の締め付けがきついのだろう。
遠い昔見たムスリム圏の映画には、男が買春はするのに、生活手段がなく売春しか出来ない女を足蹴にする男が描かれていた。この矛盾を何とも思わない男達が信じられない。
先日ネットでアルジャジーラTVを見ていたら、アフガニスタンの放送関係の女性が3人殺害されたニュースを見つけた。
映画のモロッコはまだましな様子だったが、女性達が手をつなぎ少しずつ生きやすい社会を作って欲しいと強く思った。
「フェルメール」の絵画のように美しく繊細で、力強い作品
本作、世界的潮流になりつつある、女性監督による「社会×女性」をテーマにした作品です。
僕が最近鑑賞した作品では「プロミシング・ヤング・ウーマン」「17歳の瞳に映る世界」がそれにあたるかと思いますが、女性視点の作品は「グサリ」と突き刺さります。
さて本作、まず目を惹くのは「フェルメール」の絵画のように美しい映像。さらに、自然な音や光の使い方も素晴らしかったです。
一方、抑え気味なビジュアルに反して、ストーリーの背景が重たい。
「婚前の性交渉や中絶が違法の国」モロッコで、未婚の女性が妊娠。臨月の中、ホームレスのように街を彷徨うところから物語がスタートします。
婚外子として生を受けた子どもは出生届すら出すこともできないため、この世の中に「社会に存在していない子ども」となってしまう。
夫の死に向き合うことができず感情を抑えながら生活をするパン屋のアブラと、出産しても自分で育てることができない現実の厳しさを抱えるけど直視できない主人公サミア。
アブラの娘の可愛さや、パン屋さんが繁盛する明るい要素との対比で、2人の繊細な心の動きが手に取るようにわかります。
そして出産。
授乳、名付けのシーンのあたりでは、切なくて、涙でスクリーンが見えませんでした。
女性だけがすべて背負い、それでも生き抜いていく。
とても繊細で力強い作品でした。
日本でも、女性監督による同様のテーマ作品を観てみたいです。
母性には服従するしかないですね
私にとって、女性は恐くて(色々な意味がありますが、端的に言えばカミさんが世界で一番怖い…幸いこのサイトのことをカミさんは知りません)神秘的な存在です。
この作品、イスラム教の教義とか、人権、特に女性の人権(一部のイスラム原理主義者の人にとっては、欧米文化からの余計なお世話であり、横やりを入れてくれるな、ということかもしれない)との絡みとか、についてそれなりに勉強してないと受け止め方が難しい(少なくとも私には整理しきれませんでした)。
ただひとつ。
あの授乳シーンは、男には絶対実感できない〝至福〟がありました。
それまでの経緯やこれからの困難などすべてを考え合わせると、不幸の裏返しの至福かもしれませんが、それでも。
あのシーンに漂う神々しさはバチカンのサン・ピエトロ大聖堂のピエタ(言わずもがなのミケランジェロ)のようでもあり、母性には服従するしかないことをあらためて実感(これは男にしか実感できない❗️)しました。
芯を強く持たないと生きのびられない女たち
期待以上だった。ツンデレ女性がなぜツンデレなのか、甘くない世界であることがよくわかった。一方で、人と人との距離がいろんな意味で近くてごみごみしているのになぜか魅力的なカサブランカの街の風景に目を奪われた。
未婚の妊婦サミアは、手に職もあるのになぜシングルマザーとして生きる決心をしないのだ、なぜ生まれてすぐ我が子を施設に入れようとしているのか、なぜ何食わぬ顔で実家に戻って普通に結婚しようとしているのか、そしてなぜ産み落とした直後の我が子に頑として乳をあげようとしないのか、、、こんな風な常識的な「なぜ」が渦巻いた。それはひとえに私が「事実」を知らない無知ゆえだった。かの国では、未婚女性が子どもを産むことのタブーは想像を絶し、必ずや社会的孤立を生み、主観的に愛したとしても我が子は必ず不幸になるに違い無い、という事実。いくら芯が強くても、社会慣習、社会意識などの環境を変えるほどの団結は遠い。何しろ、女性同士でも立場が違えば露骨に非難しあってしまうのが現実だから。
鑑賞後時間が経ってもじわじわする映画には共通点があると思う。映像の記憶が、空気の記憶、匂いの記憶、温度の記憶、肌感触の記憶につながっていること。印象的なセリフの裏にあるたくさんの意味を反芻してみたくなること。そして、手持ちカメラで捕らえられたアングル、距離、手ブレを通して、もう一人の出演者としての作り手の視点を終始感じられること。
印象に残ったシーン:パン生地をこねる手のアップ、丸いお腹の皮膚のざらつき、フェルメールの構図を思わせる光のあるパン工房、あの彫りの深い顔に施される気合いの内瞼アイライン、、、、いやキリがない。
アイラインの引き方
旅行に行けない昨今、異国情緒たっぷりの映画は心の栄養剤だと思う。
舞台は日本から遠く離れたモロッコ。昔リッチな知り合いがモロッコにハマって足繁く通っておりました。それは素敵な所らしい。私のイメージでは宗教色が強い?ヘナ、迷路、クスクス…そんな程度の知識で鑑賞しました。
近年、随分変わってきましたが、日本でも未婚の母は白い目で見られます。ただ、日本はどちらかというと無宗教の人が多く、授かった命は大切にしなければ、という思いが強い様に感じます。しかし、モロッコでは生まれてきた子供まで白い目で見られる…幸せになれないんですね。
そんな事情があり、美容師の職も追われ、途方にくれていた身重のサミアを、美しいけど仏頂面のアブラが救います。
アブラは事故で突然夫を亡くし、自分を楽しい事から遠ざけて生きています。一人娘のワルダも常に厳しく躾ています。
初めは一晩だけと云っていたが…
人懐っこい性格のサミア、巧く取り入るという訳ではないのですが、手間のかかるパンを焼いたりして段々打ち解けてきます。
お祭りの日、普段は素っぴんのアブラがお化粧をします。爪楊枝のようなモノにインク状の液体を付け、閉じた眼の際をなぞると、自動的に上下にアイラインが引ける…素晴らしい、驚きました。
そして、ついにサミアが出産します。
情が移るのが嫌なのか、最初は抱きもしないサミア。でもやっぱり母性が押さえられない。抱っこすれば可愛いし、オッパイもあげます。しかし、朝になれば別れなくてはいけないかもしれない。
結末はハッキリ描かれてないので、観た人に委ねられています。
たんたんとした日常…それが物凄く美しい。夜の暗い通りから眺める家の灯りや、朝、洗濯物を干す屋上とか…とても素敵でした。
二人の強い女性に幸あれ、です。
女たちの息づかい、まなざし
モロッコの美しい街並みの中、逆境にあっても明るく前向きな主人公、女性同士が助け合い、ともに困難を乗り越える話…
を、想像していたら、まったく予想を裏切られた。良い意味で。
暗い室内のシーンが中心。BGMはなく、主人公の息づかい、声にならない嗚咽。深く、厳しい眼差し。頑なな心が溶け出した、かすかな微笑み。
そんなシーンが丁寧に描かれる。
分かりやすいストーリー展開を期待したのが恥ずかしくなる。女たちが背負う過去もほとんど説明はされない。ひたすらに彼女たちの表情を追う。
ラストシーンは何を意図したものか。彼女の最後の表情から見る人それぞれが見いだすのだと思う。
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