「アルバは心を開かせてもらった。」モロッコ、彼女たちの朝 Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
アルバは心を開かせてもらった。
モロッコの監督の映画が日本の映画館で上映されたことは稀かもしれない。私はいくつかみているが、映画館ではなく、配信で見ている。
町の様子を見ても、ブルカやヒジャブに代表されるようなベールを被っている人はそれほど多くない。しかし、宗教も人々の心に中に慣習として住んでいて、悪習だから変えなければと言う力強い動きはなく、その慣習の中で自分一人で戦う(?)しかいないとみえる社会であるような気がする。それに、隣国のアルジェリアやチュニジアと違って、認識不足かもしれないが、モロッコ革命なんて聞いたこともない。あくまでも私感。この土地の人じゃない人が公共のパン焼きの釜を使うことですら、民衆の『噂の的』になるようで、アルバ(ルブナ・アザバル)もその社会の中で生きているから、『ここで産んで、出ていけ』としか言いようがない。サミアを家でここまで面倒を見てあげたが、これ以上は、つまり、アダムとサミア(ニスリン・エラディ)をずうっとおくことはパン屋に客が寄り付かず、村八分になるようなことのようだ。未婚で、子を身籠るのは罪であり、ご法度の世界のようである。
アルバは夫の不慮の死により、死んでも亡骸にも合わせてもらえないモスリムの伝統的な習慣から、夫と共に愛した曲を聴くことにも心を閉ざして、頑なになってしまった。まるで、一生弔いをしているようである。そこで、アルバの心を開いたのが、サミアの存在である。まず、見知らぬ妊婦サミアに情けをかけてあげることができるようになる。アルバは人の気持ちを考えることより、娘に勉強したかを確認するだけで、娘との会話も温かさが感じられないようになってしまっていた。サミアはアルバの思い出の曲のカセットを無理に聴かせて、アルバを泣かせる。 夫を愛していたころの気持ちが蘇ってくる。アミアの治療法の次はパンの生地を一緒にこねて性的感覚を蘇えさせる。このことによって、もっと愛に関してポジティブになっていって、心を開けていく。心も体も考え方も娘とも防御一本だったけど、サミアを助けたことにより、感情のある人間に戻っていく。ここが圧巻だった。
監督の伴侶であるナビル・アユチの映画の方が有名で、『モロッコ・彼女たちの朝・アダム』の監督はRazzia(原題)(2017年製作の映画)に出演していたので知っていた。『Mesemen』『Rziza(クレープ)』と言うペストリーを覚えておこう。